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絶食療法3日目 投稿者:武田徹  投稿日: 9月22日(日)08時45分52秒

絶食は昨晩で終わり、今朝からは回復食と呼ばれるメニューになる。
絶食の効果はといえば確かに2kgは減った。しかし固形物食べていないのでこれぐらいは減るだろう。おかしいのは体脂肪率で、なんと増えちゃったのだ。2%も。断食中に増えるはずはないので、要するに体脂肪率計の誤差が相当あるってこと。体脂肪が多すぎることの問題点は承知しているが、少なくともこんないい加減な計器相手に一喜一憂するのは少々滑稽である。
昨日午後に施設内のLANにつながったパソコンで検索をかけた(自分のバイオはピッチカードが圏外で携帯での接続なのでネットはする気にならない)。パソコンこの施設の技術アドバイザーであり、ここしばらく頻出の酵素ジュースの考案者でもある人物を調べてみたら、この人はアメリカの大学の博士号を持っているんだけど、それは通信制で取れてしまう資格で口の悪い人なら「金で買える博士号」というような代物だった。
博士号があるなしで人を判断するのも問題だし、アメリカの通信制博士号だというのもどうした事情でそれを取ったかわからない以上軽々には判断できないが、少なくとも博士号があるからという判断でその人物を信頼する人がいるのも確かだ(TVとかたくさん出ている人らしい、知らなかったが)し、そういう人たち相手の商売だからこそ、その人物が通信制でもいいから博士号を欲しがったのではという事情も推測は可能だ。
「博士号持っている人の説だから」云々といった脇の甘い思考がこうした健康系施設や食品を支えていることは往々にしてある。自然食品だから体にいい、ミネラルだからいいとかいうのも同質だけど。まぁ、たかが気休め程度の健康食品摂取や短期間の絶食療法のうちはそう問題もないとはいえるが、その種の脇の甘い考え方が中国ダイエット食品死亡事故のような事件にまで至る危険はある。「精神の不健康」といってしまうとやや言葉が過ぎるが、注意深くありたいものではある。
回復食を食べて、かたちのあるものを食べるとなんかほっとする。「博士」の絶食理論と酵素ジュースの「効果」はぼくがこれから身をもって確かめることになるだろう。

編集済

絶食療法2日目その2 投稿者:武田徹  投稿日: 9月21日(土)15時28分01秒

下の補足。頭痛がするのはやはり低血糖が原因で、脳が体に動くのをやめろという信号を出す、それを頭痛と感じるのだと説明された。素人相手の説明でいま子どもっぽいが、とりあえずそうらしい。バスタブの栓がないのは故意で、入られないようにしているという。
二日目になるとだいぶ慣れてきて、問題の酵素ジュースの飲み方も習得した。大量にレモン水で薄めて飲むと、おいしくはないが飲めないことはない。と、慣れたころにはもうおしまいなで明日の朝には普通のご飯(ただし回復食)に戻ってしまうのだが。
午後は外に出て読書とワープロ。赤とんぼがたくさんいる。

絶食療法2日目 投稿者:武田徹  投稿日: 9月21日(土)10時53分25秒


これは巧みに計算された栄養管理の結果なのか、あるいはどこかで暗示にかかっているのか、単に緊張しているだけなのかわからないけれど、確かに空腹感は感じない。妙な感じ。ファスティングは身体感覚を取り戻すものだと言われているが、空腹もないと、生きている実感が逆に薄れる。ただ、一晩過ごしたぐらいではもちろんわからない。
 空腹感はないんだけど、食べ物のことが頭にうかぶ。昨日は柿の種だったが、今朝からはなんとコアラのマーチだ(笑)。なんでこんな駄菓子みたいなものばかり強迫観念のように思い出すのか不思議。子供じゃあるまいし。商品化されたもののイメージが出て来るというのは、やはり自分のこれまでの食生活とか、あるいはもっと広義に食文化社会を考えるうえでなんらかのヒントにはなるのではないか。
 朝食はまた昨日と同じ野菜ジュース。ジュースと言うけれどかなり粘土の高い、昔の宇宙食はこうだったんじゃないかと思うようなものだ。一度に飲むなんてとてもできなくてせいぜいが一口ずつ、食べるように飲み下して行く。昨日はグリーン系だったが、今日はピンク系のパステルカラーである。見た目はファンシーなんだが。
 食堂で利用者を見た印象で「地味」という形容を使ったが、これは他人のためにいきると言うよりも自分のためにいきる傾向が強いということかもしれないと思った。衣装とかヘアスタイルとかで流行を追うわけではない。それよりも自分の身体のこと、自分の生活状態が気になって、健康にいいことを色々と試す、そんな人達なのだろうか。見るからに肥満している人が逆にいないのもそういうことなもかもしれない。病的なほどすごく太っているのに、他の人と同じファッション、同じヘアスタイルという若い子がいて、着飾るより先にすべきことがあるんじゃないかと思ってしまうことがあるけれど、そういう女の子たちとここにいる人は対極的な感じだ(数的には少ないが男の人もいないわけではない。こちらはもっと謎で、なぜきているのか想像も出来ない。誰かと一緒に来ているわけではなくて、黙々と一人でジュースを飲んでいる。自分の身体の健康を強く気遣う人には独特のポジティブシンキングのような傾向があって、表情とかで分かるとぼくは思うのだが、そうでもない感じなのだ。かといってスポーツマンで身体に負荷を与えることを好むという感じでもない。何か、生活習慣病的な経験をして、ここでなんとかしなければと思い立ってということなのだろうか)。
 絶食がなぜ健康にいいかというと、普段は食物の代謝のために生物はかなりのエネルギーを使っている。それを絶食で停止することで、普段はおろそかになっている部分にエネルギーが回り、たとえば免疫系が活発になったり、有害物の除去が促進されるのだと説明されえいる。ダイエット、それも単に体重落としではないというのが、この種の施設や啓蒙書で繰り返される説明だ。ようするに広義の健康のためなのだ、と。
 しかし健康という概念が出来たのは、いつなのだろうか。そんなことを思った。病気になれば当然体調を意識せざるを得ない、強制的に意識させられるので、自覚できる対象としてはもちろん病気の方が先に意識に現れる。そこから省みて病気の欠如体としての健康が意識される。そんなブーメラン的定義の産物だとするとそう古くないのではないか。思い出そうとしても定かではないが、自分が子供の頃はこんなに「健康」がキーワードになっていなかったようにも思うのだ。
 頭は痛くならない。おかげで仕事は快調である。昨晩は単行本の一章に手を入れたし、今朝は朝食をまたいで一本テープを起こした。まだまだ午前中なので、時間はたっぷりある。
昨日、施設側はリスクをかなり気にしていることを書いたが、ひとつ例を。ここではシャワーに入る前後にフロントに連絡を取る決まりになっている。脳貧血とか起こされるのを恐れているようだ。高齢者施設に宇あるように生活リズム自動管理とかを入れたいところだろうが経費的に難しかったのかな。あとシャワーがはいいがお風呂に浸かってはならないというのもきまり。部屋のバスタブは湯がたまらないように栓が取られていた。これは施設が古くてなくなったままなのかもしれないが。

絶食療養1 投稿者:武田徹  投稿日: 9月20日(金)23時08分48秒

今朝からぼくは、ある絶食療養施設に来ている。目的は体験取材。どんなものか正体を確かめたいのと、流行り始めているらしいので、その理由を考えてみたい。で、来月にでもその原稿は書くのだが、その前に、まさに備忘録的に今日起きたことを書いておく。名前は聞いていても絶食療法が何かまだ知らない人も多いだろうから少しは役に立つのではないか。ただし、まだ仕事の途中で最終的な評価は下せないので、実名は出さない。その代わり、原稿になった時には落ちてしまうディテイルや偽りのない当事者の感覚も書き込めるので、その意味でも読む人にも少しは面白いのではないかと思って書く。
お昼過ぎに駅まで来てくれていた施設の送迎車に乗り込む。その前に、列車の中で食べた昼食が最後の普通食になった。『タイの僧院にて』で青木保氏は修行に入る前に食い納めだと、うどんかなんかをたくさん食べていたが、ぼくは大人しくサンドイッチ。車内はあまり食べる気がしない。おいしい駅弁にも出会えていないし。
送迎車は一般の利用者二人と同乗。40分くらいかけて高原の施設に着く。プレスキットなどではCIに細かく配慮した会社が運営している印象があったが、現地の施設はやや興ざめ。古いのだ。古くて、閑古鳥が泣いていた観光ホテルをリニューアルして絶食療法施設にしたようだ。周囲の景色はなかなかなのだが・・・・。ただ部屋はツインの一人使用で、面積自体も広い。設備は古いけれど、ビジネスホテルの息苦しさが無くてすくわれる。今日から3日ここに缶詰なので、仕事机が広いのも助かる。たくさん仕事を抱えてきているのだ。
最初のメニューはメディアチェック。体重身長を計って心電図を取る。ここでは医師はおらず、看護婦?が作業を行う。
少し時間があいたので経営者への取材。空腹感のない絶食療法を目指しているそうだ。絶食道場は多くあるが苦行のイメージが強い。そうではなく、もっと朗らかな気持ちで絶食ができるように考えているという。しかし絶食ホテルではないのだという。ホテルと絶食は相容れない。ホテルは客が自分のしたいことを実現する場所、ここは客にメニューを提供してこなしてもらうところだからだとか。
栄養士にも取材。空腹を感じさせないこつは、唯一摂取を許される野菜ジュースなどを、体内への吸収速度を考え、ゆっくり徐々に吸収されるように成分を設計することなのだという。
しかし・・・問題発生。空腹は感じないが、頭痛はするらしい。絶食中の典型的な症状だとか。そのときはなぜ、頭痛がするか説明を聞き忘れてしまった。なにしろショックだったもので。ここでどれくらい仕事が出来るかが、大袈裟だけど、ぼくの今後の命運を左右するのだ。他にやることがないだろうから、仕事がたんまり出来ると期待しすぎたか。頭痛の理由としては、血液中の糖分がなくなり、脂肪を分解し始めるので絶食療法はダイエットにもなるが、脳は血糖を大量消費して活動いるらしいので、燃料切れの症状が頭痛になるのかもしれない。
夕方に今日、入所した利用者と集って近所の医院へ。近所と言ってもクルマで25分ぐらいかかった。絶食療法は危険もあると聞くが(危険を承知の上で参加したという同意書を書かされる。人当たりはソフトだが、リスク管理はしている)、これだけ医療機関と離れているのはやや不安。医師が在住するぐらいで良いと思うのだが、そこまで準備して開業できなかったのか(ここの開業はつい半年前らしい)。
カメラマンを医院に同行させられるか聞くと断られた。あまり良好な関係ではないらしい。しかしこの医院に提携を断られたら最寄りの医療施設まで25分というのが更に遠くなる。どうなるだろう。
診断は血圧を計り、聴診器を当ててラッセルを聞き、胃を触診。問題ないとのこと。

絶食療養2 投稿者:武田徹  投稿日: 9月20日(金)23時07分48秒

で、施設に戻っていよいよ断食メニュー。野菜ジュースのみの夕食だ。名前の書いたグラスに緑色の液体がかなりの量つがれている。一口飲んで・・・、まずい。野菜ジュースがだいたい好きじゃないのだ。しかしこれしかない夕食なので我慢して薬を飲む感覚で流し込む。苦労はしたが、それでも数分でおしまい。夕食が早いのは効率は良いけれど、なんか口寂しい。食堂では利用者が顔を合わせるが、肥満の激しい人は予想外にだれもいない。地味な、おとなしそうな感じというのが利用者の共通点の第一印象。なんなのだろう、この印象は。「健康」指向と関係があるのか。おいおい聞いて行ければよいが。
部屋に戻って仕事。頭痛はまだないので今のうちに頑張る。なぜか無性に柿の種が食べたい。ステーキとかじゃないところが自分でも謎。ここでは「脱走」しないようにクルマできた人も鍵を預かられてしまう。わかるような気も。
21時にメニュー通りに酵素ジュースなるものを飲む。民間療法の健康食品らしい怪しさがつきまとうが大丈夫なのか。一口飲んで・・・・まずい。ひどく甘ったるいし、なんか臭みがある。サイゼリアのグラスワインと同じ一回90mlなのだが、とてもじゃないが飲めない。水で薄めればやや楽になるが今度は量が増えてしまうのが辛い。三度にわけてなんとか飲む。こんな調子では明日が思いやられる。(続)

セキュリティ 投稿者:武田徹  投稿日: 9月20日(金)00時05分36秒

以前、住民基本台帳のコード番号のことを書いたとき、その生成の関数が流出したら悪用されるということを書いた。そのとき例として運転免許書番号のことを書いたんだが、ちょっと新事実を仕入れたので書いてしまおうと思う。
ぼくは今日、運転免許更新にいった。恥ずかしながら一度駐車違反をやらかしているので、一般更新ではなく、違反者更新という扱いになり、2時間の講習を義務づけられる。確か前には違反があってもそんなに長い講習ではなかったように思う。これは最近の道交法改正の結果ではないかと思うのだが、困ったことにと言うべきだろうが、公安委員会の講師たちの方も参加者を2時間も居眠りさせずに話す内容がないらしいのだ。で、ビデオを使ったりいろいろ工夫しているのだが、時間を埋める話題のひとつに免許番号の秘密の片鱗を話すというのがあるらしい(かなり管理されている世界だから、ぼくの講習の担当講師だけでなく、話す話題の内容として一般的にカリキュラム化されているのではないかと思っている。で、状況を知りたいので、自分も講習会でその話を聞いたというひとがいたら教えて欲しい)。で、最初の2桁が免許証交付公安員会の区分コード、その次の二桁が取得西暦年、最後の一桁が再交付回数だといううことは、確か前にここでも書いたのだが、今日はもうひとつ新情報が提供された。最後から二桁目はチェック用の数字で、個人番号の部分をなんらかの演算処理をして出てきた数値をある決まった数字で割ったときの余りがその数字になっているらしい。

ぼくは更新講習でそのことを聞いたのは初めてだったのだが、もしこれを更新にきてやはり2時間の長丁場の講習を受けている人の誰もが聞いているとしたら、かなり問題だと思った。だって、そこまで聞いてしまえば結構なことが分かってしまう。たとえば100枚免許書を集めて最後から二桁目の数字をすべてチェックすれば、そこに出現する数とその大小の広がりの範囲から最後に割算をした分母の数はおよそ見当が付く。そして更にサンプル数を増やし、コンピュータを駆使して推理すれば個人番号からどういう演算をした結果として、チェック用の一桁の数字が出ているかも分かるだろう。まだコンピュータ性能が低い頃に作られた番号システムであり、そんな桁数も多くないので、暗号を破るのはおそらくそう難しくはないはずだ。このへんは暗号学者の意見を待ちたいが、やる気になれば、少なくとも数種類のアルゴリズムにまでは的を絞れてしまうのではないか。そうだとすれば、あとはトライアンドエラーの積み重ねで正解に至れる。偽造がばれてつかまったアルゴリズムを消去法で捨てて行けばいい。
ということは、更新に来た人の中によからぬ人物がまじっていて、免許証番号の話を聞けば、少なくとも番号部分では簡単に免許証の偽造が出来てしまうということだ。この種の公安情報は実はバレバレで、『ラジオライフ』とかでももう紹介されていたのかも知れないが、運転免許取得者の数、裾野の広がりを思えば、やはり更新講習でそれを話題にしてしまうことの影響は大きいと言わざるをえない。今まで知らないでいた人が知る可能性は確実に、かなり高まるのだ。現実的には国家レベルで通用する身分保証書である免許書の唯一性を脅かしかねない話題を、なぜ誰が来ているか分からない更新講習で「日本の免許証は偽造が少ない、その理由は・・・」云々と得意満面で言うのか理解に苦しむ。おそらく、悪事に利用される可能性まで配慮して、それを更新講習の話題にしてはおそらくいなかったのだろう。ことほどさように安全講習の講師レベルにまでセキュリティ意識は行き届いていないということなのだろう。
同じようにセキュリティ意識の低い人が住民基本台帳のコード化作業にもきっと関わっていて、「面白い話題」としてその内実を少しでも漏洩してしまい、それを聞く人が聞いてしまえば、住民基本台帳コード番号はすぐに幾らでも生成可能なものとなる。セキュリティなんて所詮そんなもの。いかにシステムを整合的に作っても、ヒューマンファクターで綻び、破られて行くのだ。

ただ、もしかして更新講習で語られる免許証番号のおおまかな演算内容は嘘だという可能性も絶対にないわけではない(個人番号の末尾にチェック用の符号を入れてという手法はあまりに当たり前とも言えば言える)。(そんな当たり前な情報で顔色が変わるこれまた低級な)偽造集団(や、ぼくのような半可通)を混乱させるためにガセネタを撒いているのかも。あるいは既に暗号として破られていて守る意味がない? いずれにせよ、あの得意顔は演技? どうなのか。

サルガド 投稿者:武田徹  投稿日: 9月18日(水)22時03分07秒

 渋谷文化村でセバスティアン・サルガド展覧会をやっている。
 サルガドの写真はドキュメンタリーなのだが、宗教画のような神々しい印象がある。これは彼の機材に依るところが大きく、ライカのレンズが光源を画角内に入れると盛大なフレアが出て画面の中に光が回る。その光に溢れた雰囲気が後光をサブモチーフにすることの多い宗教画を連想させるのだ。構図の端正さではブレッソンにも近いが、ブレッソンは逆光をそれほど多用しない。逆光がタブーだった時代の写真術をブレッソンは身につけている。サルガドは違う。彼はマルチコーティング技術と、とんでもないレンズ枚数を必要とするズームレンズでもコンピュータでフレアを出さずに押さえ込む光学設計技術の適用が当然となった時代に写真を始めている・・・・。云々と、ハードウェアからその写真を論じようと思っていたが止めた。展覧会場で上映されていた彼自身が作品を語るドキュメンタリーでは被写体については饒舌に語っていたが、写真について一言も触れていなかった。被写体とそれに立ち向かう自分の立ち位置だけに関心があり、その間の写真という層には実は案外と興味がないのかもしれないと感じた。ライカを選んだのはフランスで経済学者を辞めてフリーのフォトジャーナリストとして生活しようとしたときに他に選択肢のないチョイスとしてあり(フットワークを確保するため、信頼性、評判など)、その結果としてフレアの多いレンズが付いてきた、だけなのかもしれない)。その神々しいまでの写真の雰囲気のインパクトがサルガドの写真の個性を際立たせ、今の彼の名声を作っていることは確かだが、そんな写真術が決定的に偶然の産物だとしたら、それはそれで興味深いと思う。

書き込みありがとう。 投稿者:武田徹  投稿日: 9月17日(火)06時12分21秒

祖父江さん、書き込みありがとう。本も買って下さったみたいで、すみません。ブッシュの英語に浮いては片岡義男がいいエッセーを書いていました(『日本語の外へ』)。小林信彦と片岡義男、アメリカ文化通の先駆者のような二人ですが、アメリカ文化の中で育ち、もはやアメリカ的なものと自分との境界線がはっきりしなくなっている世代よりも、いい意味で「気骨がある」ように感じます。
上田さん、いつもどうもありがとう。お書きになったこととも少し関係があるように思いますが、一般のマスメディアとは比較にならない深さ、広さで国際情勢を分析し、アメリカの世界戦略についても興味深い発言を連発している田中宇さんという人がいますよね(あっというまにすっかり有名になりました)。ぼくは今、彼ののアメリカ論を分析する作業を手掛け始めました。彼のメルマガも、そこから作られた本も非常に評判がいいし、ぼくも本当に面白く読んだのですが、メディア論の視点からはその分析方法について少し言っておくべきこともあるように思うんです。結果はここでも時々報告できればと思っています。
ではとりいそぎ書き込みのお礼まで。

アメリカという国 投稿者:上田 勝  投稿日: 9月17日(火)01時08分00秒

アメリカという国は、表面だけでは窺い知れない国だと思いますね。それはアメリカ一国に限らずどこでも表面上の建前と本音とは異なるわけですが、アメリカの場合は世界全体の中で自国をどう位置付け有利に維持するかをはるか将来を見据え、極めて冷徹に考えようとする傾向がどの国より強いように感じます。

私はアメリカという国は過去を振り返らず常に視線を未来に向けているという点がその強さの源であると思います。それは多くの宗教、人種、文化が多様に絡み合う中で唯一共通できる価値概念であるからだし、それはフロンティア精神として常にアメリカの中に根ざしている価値概念でもある。従って彼らは容易に変化を受け入れ変化をこそ力にしてきた。

アメリカ以外の他の国、例えば日本やヨーロッパでは、むしろ過去に形成された伝統的価値概念に拘り、変化をぎりぎりまで回避しようとする傾向が強い。そのため常に未来に展望を定めて変化を先取りしていくアメリカに対抗することができず、その対応は後手にまわってしまう。アメリカのユニラテラリズムとは要するに先に動くか後から動くかの違いから生じる場合も多々あるわけで、その一つのケースが対イラク戦に対する考え方の相違でもあると思います。

アメリカが世界に示した「テロとの戦い」ですが、実を言えばテロリズムを世界に育ててきたのは当のアメリカでもあった。テロリズムは反政府活動集団の政治闘争手段であると同時に冷戦環境の中でもっとも効率のよい国家の政治手段でもあった。自国の国民を犠牲にすることなく行われる冷たい戦争。その効果とともに恐怖をも一番よく知っているのがアメリカです。

冷戦当時、世界は東西二つの勢力と、その価値観の隙間にあってどっちつかずの勢力とがあった。後者がイスラム諸国です。イスラム世界は常に東西対立の中で翻弄されてきましたが、二大勢力の一方がソビエトの崩壊によって対抗力を失い、結果としてアメリカを中心とする自由主義世界とイスラム世界とが新たな対立関係に位置付けられるに至った。こうした大局的な対抗関係の中に今のイラクが象徴的に位置付けられています。

アメリカはテロという新たな脅威を設定し自らを正義の側に位置付けようとしますが、そうした単純な二極化こそアメリカが目的とするところです。アメリカは敵を作ることで国民を国家のもとに結集させ、世界に対して二者択一を迫り、世界の中に重要な存在感を得ることに強い関心を向ける。これは冷戦の勝利者となったアメリカの国際戦略上重要なポイントですね。

イスラム社会が制圧されたとき、アメリカは誰を今度は標的にして生き延びようとするのだろうか。大国であることを唯一の国益と考えるアメリカは、21世紀後半に至って世界の敵と見なされているかもしれません。日本はいつまでも安全保障を日米安保条約にばかり頼らずに、独自の安全保障戦略を確立させておくべき時期にありますね。

ブッシュの言語感覚 投稿者:祖父江元宏  投稿日: 9月16日(月)13時35分50秒

はじめまして、武田さん。
武田さんには申し訳ないのですが、お名前は知っていても、一冊も武田さんの本を読んでいませんでした。最近、何気なく図書館で武田さんの本を借りたところ、感覚的な言葉なのですが、はまってしまいました。その後、書店で武田さんの本を何冊も買ってしまいました。

さて本題ですが、新聞等の報道でブッシュが、イラク問題に関して国連に「気骨を示せ」と発言していることを知って、ちょっと考えてしまったんです。ブッシュの「気骨を示せ」という発言は、やくざが気の弱い相手に「根性みせんか」と脅しているのとレベルが同じではないかと思ったからです。
以前、小林信彦氏が週刊文春のコラムで、ブッシュは二流の西部劇の言葉しか持っていないと書かれていました。今回の発言を聞いて、私はそれ以下ではないのかと思います。

書き込みありがとう 投稿者:武田徹  投稿日: 9月15日(日)01時20分18秒

上田さん、Leeさん、内容の濃い書き込みをありがとうございます。こういう、しっかり主語と述語のある言葉を書き込み合う掲示板を理想と考えてきたので、本当に嬉しいです。
どちらも、うなづける点が多かったです。「作品」と「生活の場」の間には質的に相容れない距離があってしかるべきですよね。「恐れ知らず」のヤツにいたっては、特に。そのあたりの問題について、若い世代の建築家はかなり意識的なようにも思うのですが、ストレートに言うのははばかられるのか、あまり言説として浮上しないというのは事実だと思います。
アメリカこそがテロ国家であるというのは、チョムスキーも過去の歴史から証拠をあげて、何度と無く力説していますね。論理的に言えば、なんら否定できない話だと思います。

建築のことなど 投稿者:Lee  投稿日: 9月15日(日)01時01分16秒

ここ2ヵ月くらいの書き込みを一気読みしました。クローン問題から目覚まし時計まで、武田さんの日々の思考の原形みたいなものがラフにあらわれていて、いつもおもしろく読ませていただいてます。

以前、環八のマツダのM2というバブル建築の遺物、ひいては建築家の社会的責任について書かれていましたよね。ああしたまっとうな建築家批判が、どうしてもっと出てこないのか不思議です。建築雑誌やデザイン雑誌は紹介記事オンリーだから無理だとしても。せいぜい「サイゾー」の連載ばかけんちく探偵団(ちょっとうろ覚え)みたいに軽くおちょくる程度しかないのかな。
つねづね、施主のお金で建てたものを建築家が「作品」と呼ぶことになんとなく違和感を感じていましたが、恐れ知らずの「作品」だらけの街で暮らすのも難儀なものです。野外彫刻のほうがまだつつましいたたずまいだったり。
数寄屋建築家の吉田五十八さんのエッセイ『饒舌抄』には、トイレを鬼門に配置したばかりに屋敷を安く値踏みされた人の例をひいて、こんなことが書かれています。

「一体話は違ふが建築家が、建築主から家を建てることを頼まれたのは動産を不動産になほすことを頼まれたのと同様である。(中略)この話のやうに便所の鬼門は、建築家がその依頼者の動産をへらしたことになる。」
「高く売れる家を建てるのが建築家の義務で、財産をへらすやうな家をたてた場合、その建築家は当然責められるべきである。」
商業建築ではなく個人住宅についての文章(商業建築は責任者があるようでないようなものだから、個人住宅よりも甘い、と書いてあります。うーむ)ですが、これくらい当然なことを言える建築家がどれだけいるのでしょうね。

アメリカの正義 投稿者:上田 勝  投稿日: 9月14日(土)19時16分49秒

武田さん、こんにちは。

>ブッシュが開戦宣言してもしなくても条件が変わらないというのは、
>ちょっと前の感覚ではどう考えてもおかしいのではないか。
>湾岸戦争の後、戦争に対する感覚はずいぶんと変わった。
>メディアの戦争の定義も。

今度はテロリズムとの戦いではなく明らかに国家と国家の戦争です。
イラクは現時点でどこかに侵略を企てているわけではなく、単に
核兵器を開発しようとしているに過ぎません。同じく核開発をし
核実験さえ成功させたパキスタンにはお墨付きを与え、イラクの
核開発は許さないというのはどういう考えによるのか私にも理解
できないわけですが、少なくともイラク攻撃は次の大統領戦を
視野にいれればよい得点材料になります。ブッシュの語る正義と
は所詮この程度でしょう。

大量破壊兵器を開発しようとしているということなら、当然ながら
イスラエルなどもとっくに開発を進めているわけです。イラクが
開発しているのにイスラエルが黙って見ているはずがないですから。
核開発なら日本もいつでもできる。韓国もできるし台湾でも可能。
つまりは誰を友にし誰を敵にするかはアメリカが決めるということ。
これではまるでカール・シュミットばりの独裁思想ではないか。

アメリカがもし宣戦布告もなく、フセインの抹殺を目標として軍事
行動を起こすのならば、それは戦争ではなく明白なるテロリズムです。
近頃では「開戦に関する条約」は無視されっぱなしですが、そもそも
この条約違反が日本の侵略戦争の根拠とされたはずですね。東京裁判
における判例をアメリカがどう考えるのか実に注目される部分です。

あのときもアメリカは罪刑法定主義違反の弁論に対して正義の審判を
語ったわけですが、相手に履行を求めるならまず自分も履行して見せ
たらどうかと思いますね。核実験の恒久的停止だとか地雷禁止だとか
国際刑事裁判所設立だとかで。

914 投稿者:武田徹  投稿日: 9月14日(土)00時11分19秒

生活を立て直すなんて啖呵を切ったけど、もちろんそう一朝一夕にはうまくゆかない。とりあえず出来たのは新しい目覚まし時計を買うことぐらいだ(笑)。この種の製品はもう日本で作っていてはコストがあわないらしく、カシオとか国産メーカー製でも中国製とか、タイ製とかはっきり名乗っている。デザインはどれもごてごてで「B&Oのとかないのー」と思わず言いたくなるが、似たような中にもデザイナーの考え方の違いが出ていて面白い。スヌーズという一度ボタンを押してアラームを消してもまた鳴り出す機構を殆どが備えているが、問題はそれをオフにするスイッチの場所だ。スヌーズを簡単にオフに出来てしまうとなると、せっかくのスヌーズの意味がない。寝ぼけながらオフにしてまた寝てしまうに決まっている。というわけで戦略的に不便にする必要があるのだが、便利さこそ正義というイデオロギーは根強いのか、なかなか不便な位置にスイッチがある目覚ましがないのだ。使い方のシーンを考えれば当然のことなんだが、なんでそんなことが出来ないのだろうか。唯一、売場にあった、不便そうな時計を買う。
イラク空爆のニュースが増えている。ブッシュの発言も激しさを増しているし。ぼくの次の出す本の一冊がイラク情勢とかなり関わるので、どうなるが気が気ではない。でも可笑しいと思うのは、アメリカ軍は湾岸戦争が終わってから一度も空爆を辞めてないはずだ。定期便のように爆弾を降らしていたし、時には軍施設や、核関連施設と疑われるものを爆撃してきた。これって開戦しているとはいわないのか。イラク攻撃開始というのは、ブッシュがそう言って、メディアがそう報じてと言うのが必要条件で、そうではないと、空爆はしていても、それを戦争状態とは呼ばないらしいのだ。確かにイラクが抗戦していないというのはあるんだろうけど、ブッシュが開戦宣言してもしなくても条件が変わらないというのは、ちょっと前の感覚ではどう考えてもおかしいのではないか。湾岸戦争の後、戦争に対する感覚はずいぶんと変わった。メディアの戦争の定義も。

913 投稿者:武田徹  投稿日: 9月13日(金)12時32分07秒

今日は本当は淡路島に出張のはずなのだが、今時点でまだ自宅にいる。実は指定席をとっていた朝の新幹線に乗り遅れ、次の便では大阪からの交通の連絡接続を考えるともはや取材可能な時間に到着しないことが明らかなので、日程変更をして貰ったのだ。
プライベートで新幹線乗り遅れは一度経験しているが仕事絡みでは初めて。ショック。色々と事情はあったのだが、最も大きな理由は疲労である。単行本執筆が佳境でそれどころではないはずなのに、雑誌の仕事もなぜか集中していて、それも予定していた対談が相手の情緒不安定でふっとび(>Tさん、あなたは書かないでくれと土下座までし、今回はそれを飲んだが、いつかぼくは見たことと考えたことを書きますよ。一度は受けて下さった対談をその場ですっとばされたことへの私怨とかではなく、あなたとあなたの作り上げた日本のアニメ文化の質の関係について、分析して書いておくことが自分の責務だと思うのでーー)急遽自分で書いてうめあわせないといけないというトラブルまで発生、更に締め切り本数が増えて今週はあまり寝られなかった。昨日も深夜まで仕事をし、あとは今日の移動中の新幹線車内で仕上げようと自分宛に書きかけ原稿を2本メールで送って(出先で携帯パソコンで受信して作業再開するのだ)寝て、起きたらもう列車には間に合わない時間だった。プロとしては実に情けない話で、言い訳はしたくないが、これも身体が信号を出しているのだとは思う。生活を立て直す必要を改めて感じる。

911から一年(と二日)。被災現場をグラウンドゼロと呼ぶ姿勢に濃厚に込められているように、あそこから何かが始まったという考え方には抵抗がある。WTC崩壊は途中過程に過ぎない。その前には長いアフガン内戦があるし、ソ連相手のイスラム勢力の抵抗戦があるし、ソ連のアフガン侵攻の背景には冷戦構造があるし・・・。その意味では、おおげさにいえば戦後政治そのものの中にWTC崩壊があるのだ。実際、アメリカ人だって、少し前々ではニューメキシコの最初の原爆実験場をグラウンドゼロと呼んでいたではないか。1945年7月16日にアラモゴードの砂漠に膨らんだプルトニウムの火球から戦後の秩序が始まったのは確かで、そちらの呼び方の方が歴史認識の表現として誠実だ。
ただ、さすがに911一周年はそれなりの感慨もある。日本テレビの夜の特番は予告も相当していたので視聴率もかなり高かったろう。意外だったのは、日本テレビがスクープ映像と謳って使用したWTC内部の映像を撮影したのが、WTCへ衝突した一機目の映像を撮っていたビデオカメラマンだったということ。消防隊への同行取材をしていてドキュメンタリーを撮影する予定が前々から入っており、まさにその撮影を始めていた時に飛行機の突入があったということらしい。確かに一機目の映像も消防士と話している頭上を飛行機が低空で飛行し、カメラがパンして突入シーンとなっていた。そしてその後もカメラマンは消防隊員と同行し、その撮影映像が日本テレビの特番になったのだ。
意外だと感じたのは、そうした偶然でもなければあのシーンは撮られなかったのかということだ。観光客の多い街であり、あのときに同時進行的にNYで回されていたビデオカメラの数は朝早かったとはいえ、かなりのものだったと思う。それでもあのシーンを撮影していたカメラは他になかったのだろうか。あの突入映像に関しては、画角の異なる映像が幾つかあっても分析にどの程度役立つかはわからない。だから一種類の映像しかないことで実際に問題はないのだが、もっと微妙な意味を持つ事件では、多くの角度から撮影されていることが事実の究明に役立つケースがきっとあると思う。デジカメやビデオカメラを多くの人が携行するようになるのは、覗き趣味が増えたり、あるいは相互監視型の息苦しい社会を形成する可能性もあるが、一面的な報道を切り崩す可能性もある。しかしNYで、あのときに異常な低空飛行に「なぜ?」と感じ、カメラをそちらに向けた人がもしも他にいなかったのだとしたら、それはカメラを携行していても、それで撮るのは記念撮影であり、歴史的瞬間を記録したい、しなければならないという意識は低かったことの証明だとも考えられる。だとすれば巡り巡って市民参加型のラディカルな多視点型の映像ジャーナリズムの成立も夢なのかと思ったりもする。
一機目の衝突映像は多くのメディアで使われた。だが、その後のカメラマンの映像が一年後まで封印されていたのは、日本テレビが独占使用権を買ったから?なのか。一周年番組で独占的にレイトを取るという発想と、あの惨事との組み合わせにはさすがに違和感が残る。

 投稿者:武田徹  投稿日: 9月10日(火)17時53分30秒

上田さん、説明ありがとうございます。
今後ともよろしく。

定期借家権 投稿者:上田 勝  投稿日: 9月10日(火)00時15分20秒

さらん--けえ さん、こんにちは。

>今後、契約時に何の説明もされずにこの定期借家権で賃貸契約
>させられるわけで、これだと、更新時に家賃の値上げを先様に
>いい出されやすくなります。

これは誤解ですね。定期借家権にはそもそも更新の概念が無い特例ですから、更新料がありません。また、契約時に何の説明もなければそれは宅建業法違反ですし、書面に契約事項として書かれなくては定期借家権として認められず、通常の借家契約になります。

定期借家権の場合問題になるのは、更新ではなく「再契約」が可能かということですが、よほど賃借人に問題がない限り、再契約を拒否されることはないだろうと思いますね。ただ、当初から長期出張等でその間を借家として貸したいという賃貸人の場合はそうはいかない。ですから借りる物件がどういう性格のものかは確認しておく必要があります。

たぶん普通のアパートとか賃貸マンションの場合、わざわざ定期借家契約にする必要性がないですから、全部が定期借家契約になるとは言えません。契約時には必ず説明される事項ですから、それほど深刻に考える必要はないでしょう。

確かにこれまでより賃借人の法的保護の面が定期借家契約では後退するわけですが、同時に賃貸物件の掘り出し物も多くなるはずですし、賃貸人側も事業上のリスクが少なくなりますから賃料の手ごろな物件も増えていくと思います。この特例の目的は不良賃借人から事業資産を守るためですので、優良な借り手はどこでも大歓迎されますから、再契約できないというのは取り壊し予定があるとか賃貸経営を廃業するとか特殊な場合でしょうね。

ハースト 投稿者:武田徹  投稿日: 9月 9日(月)12時51分51秒

デヴィッド・ナッソー『新聞王ハーストの生涯』日経BP社を版元から送って貰ったのでそれについて。とはいえ分厚くて、今、手元にある仕事を片づけなければちょっと手が出そうにないので、ハーストの評伝ということから思ったことなど。
アメリカのジャーナリズムの強さを語る人は日本に多い。特に高く評価されるのがベトナム戦争当時の反戦報道だ。ハルバースタムが健筆を揮い、ケネディ政権から圧力を掛けられつつもニュ−ヨークタイムズが掲載を続けたことなど、逸話が多くある。ニクソンを辞任させるまでに追いつめたウッドワード、バーンスタインの仕事もまた評価が高いものだ。
そんなアメリカのジャーナリズムが、湾岸報道ですっかり政府御用達になってしまうと、また911以後、ブッシュ政権への批判能力を失ってしまうと、「どうしたアメリカのジャーナリズム」という声が出る。そんなはずではなかったのに、という論調である。
しかし最近ぼくは「どうしたアメリカのジャーナリズム」的な見方は一面的ではないかと思っている。たとえばベトナム戦争報道も歴史的に精査されれば色々な評価が下され得るものだろう。本当にアメリカのジャーナリズムは強いのか? アメリカ独特の言論の自由の概念に下支えされた強さ、ハルバースタムに代表されるような知的にも体力的に強力な書き手の存在など、評価されるべきものは数多くある。だが、アメリカのジャーナリズムもまた一つの流れに乗り始めた時、自己批判を忘れがちな弱さも持っている。湾岸戦争、911以後に批評意識を失ったとよく言われるが、実はベトナム反戦報道の頃にも批評意識はなかった。ただ論調が反政府的だったか、政府迎合的だったかの違いがあるだけで、反政府的な論調さえ唱えれば「いいジャーナリズム」だと判断してしまうのは日本のジャーナリストの多くに共通する問題である。権力監視は確かにジャーナリズムの果たすべき課題のひとつだが、権力監視することは即ち反政府的で、反政府的なのはら良いジャーナリズムというのは短絡的に過ぎる。これは革命勢力は反政府的だから民主的だという論理と同じくメチャクチャだ。
要するにアメリカのジャーナリズムも世論の動きの中でしか報道をなしえていない。あの時期のベトナム戦争報道で反戦的論調が成立したのは、それを世論が求めていたからであって、ハルバースタムの力量を評価してと言うことだったかは疑わしい。そんな構図は最近流行している気配のあるポピュリズムという言葉を引いて、ジャーナリズムは所詮はポピュリズムの産物だからだと言えばそれで済んでしまうのかもしれないが、もう少し近代ジャーナリズムとポピュリズムの関連の内容は分析されるべきだろう。
そんな分析の対象としてハースト(とピューリッツァー)はやはり重要だろう。まさにジャーナリズムがポピュラージャーナリズムになることに貢献した新聞人の思想史的な研究が必要であり、数多いハースト本の中でも網羅的な内容のこの本はそうした研究へ多くの情報を与えてくれるのではないか。

ヤフーBB 投稿者:武田徹  投稿日: 9月 7日(土)16時09分30秒

最近、仕事の連絡はメールか携帯電話が多くなってしまい、家の音声の一般回線の電話は勧誘が半分以上になっているが、今日はヤフーBBから勧誘。忙しいので少し会話してすぐに切ってしまったが、その後、なんとなくひっかかるものを感じたので書く。
すぐに切ってしまい、詳細を具体的には聞いていないのだが、ヤフーBBで「ADSL経験しませんか」的なものだったと思う。もしかしたらBBフォンも内容に入っていたのかも知れないが、うちが既にADSL化していることを告げたらそれまでのしつこさが急に消えたので非ADSL家庭をヤフーBBでADSL化させるのが主眼の勧誘だったのだと思う。で、気になったのは「無料体験ですし、気に入らなかったら着払いの宅急便で(モデムなどを?)返却できますが」というセリフだ。無料だ、自分の側にはリスクがないと聞いて申し込んでしまう人がいるのだろうが、そこには言葉の詐術があって、ユーザー側は無料でも電話局工事などをしないとADSLは開通しない。ヤフーが工事費をドブに捨てる覚悟で無料体験キャンペーンをやっているかといえばもちろんそうではなくて、一度使い始めれば結局はそのままになる率が高いことを見込んでいる。
しかし、今や高速回線の選択肢はヤフー以外にも多くある。もしADSLの便利さを知った上で冷静になって(それはメディアリテラシー的には望ましい)、もっと自分にあったサービスを選び、辞める人が出たらどうするのか(無料だからその可能性は高い)。工事をしてしまった電話交換局内の設備はそのまま残されるのではないか? その設備はヤフーで無料体験をして一度はやめた人が、後にADSLをヤフー以外で再開する場合どうなるんだろう。(局内工事部分はヤフーのものであり、そこで相乗りが出来るかどうかは、ぼくはADSL業界の内部事情は知らないので分からない。ただヤフーは規格的に事実上の日本標準となっている規格とは異なる仕様でADSL事業をしているはずなので乗り入れは難しいのではないか?)。もし前の設備を外さないといけないとして、ヤフーが財産権を主張して、後のADSL業者の工事を拒否したり、あるいは後から工事をする業者が設備の改修を申し出ても、お得意のノロノロ体制でなかなか応じなかったりしたら・・・・、一気にシェア拡大を狙った無料キャンペーンがかえってADSL普及のボトルネックになるなんてことはないか。実際、無料キャンペーン後に乗り換え組が多発したらヤフーBBの収益構造は悪化しているはずで、設備撤収の負担は大きくなり、減速する可能性が高い。つまり無料キャのペーンは悪循環に陥りやすい、極めて危険な賭けなのだ。
かつての携帯電話の普及では、激安キャンペーンが大きく貢献した。光通信のような、目先の利益のためならなんでもする会社がなければ、ここまで急速な普及はなかっただろう。無謀すぎるビジネススタイルの結果として光通信は傾いたが、多くの人が携帯端末を手にした。これはダグラス・ラミスのいう根源的独占という視点からすれば非常に罪深いことだが、もう少し近視眼的に見れば、多くの人がネット接続の恩恵を被れるようになり、ネットメディアを「マスコミュニケーションメディア」として手にすることが出来るようになった。そうした変化を用意したという意味では、その価値の評価は未来に委ねられるとしても、少なくとも歴史を変える力は持った。
しかし最近のヤフーBBはどうなんだろう。光通信がこけても携帯電話が残ったというようには何も残らない。むしろ局内ADSL設備という厄介ものが残る、そんな構図になっていないか。孫正義氏が今でも大金持ちのイメージを持っている人がいたらそれは大間違いで、たとえばITバブル崩壊後にそれでも相対的には最も価値があるだろうアメリカのヤフーの持ち株率はもう7%ぐらいしかないと聞いた。そこまで切り売りしているのだ、と(要確認)。で、日本ではもはやヤフーBBしか残っていないに等しい状態だから、不退転の決意で捨て身攻撃中なのだろうが、自転車操業は見ていて辛い感じがする。気にくわないと、イーアクセス相手にそうだったみたいにすぐに訴えようとするのも焦りの結果だろう。ここも危ない(笑)のでこの辺にしておくし、あと、エンドユーザーには見えない回線設備部分の技術的な事情は専門ではないので、もしかしたら誤解もあるかもしれない。そこは詳しい人に教えて欲しいが、言いたかったことは、孫氏の非難では全くなくて、日本の未来を私物化し、更にそれと心中するようなことはして欲しくない、ということだ。そんな顛末は本人にとっても本意ではないだろう。しかし、ヤフーBBの動きを見ていると、従来の拡大路線から降りるつもりがないどころか、より破滅的な方向にアクセルを踏み込んでいるような気配が濃厚にしてしまう、だから気になるのだ。

近況 投稿者:武田徹  投稿日: 9月 5日(木)11時49分28秒

朝日新聞で書評を書いた中公新書『言語の脳科学』が紀伊国屋のオンライン書店の週間ベストセラー2位に入っていた。広く手に取られることに貢献できたようで書評者としては嬉しい。ただこの本はぼくの書評の印象よりもかなり手強い。かつて『構造と力』を買った10人のうち読んだのは一人だとか、100人に一人しかページを開かなかったとか言われるが、この本は表現で奇をてらうがゆえの難しさではなく、純粋に内容的に重量級である。チョムスキー理論の思想史的な位置づけを理解していれば、そちらの関心で読めると思うが、そうした補助線を引く視点がないと、専門外の人には読み通すことがなかなか厳しいかも知れない。
インタビューがあるので青木富貴子『FBIはなぜテロリストに敗れたか』を読む。911一周年でTVでも類似企画が多く、物量作戦で取材するTVジャーナリズムの前で、一人で取材に回る活字ノンフィクションはやや厳しいかとも思う。もちろんきめ細かな取材で、大砲巨艦主義ではない道を行くことは出来るが。
ニューヨークタイムズから取材依頼。こちらはテロではなく、ゲームへの指向性を巡って日本の子供世代の傾向について。そう強いところではないので受けるかどか迷う。

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