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杉原千畝未亡人が『週刊金曜日』にパレスティナ侵攻を止めるようにイスラエルに訴える文章を寄せていた。良い話だと思う人が多いのだろう。ナチに虐殺される運命にあったユダヤ人に本省の命令に背いて日本通過ビザを発給した人道主義者・杉原の未亡人が今度はイスラエルの暴力を諫めてくれるよう請願する。イスラエルもその声には耳を傾けざるを得まい、と。
しかし、構図はそう簡単ではない。杉原が何者で、なんのためにビザを発給したのかはまだ謎が多い。ただそれが単純な人道主義的な行為でなかったことは間違いないだろう。必要があって杉原を調べていて読んだヒレル・レビン『千畝』は面白かった。生き残った関係者を丁寧に取材して回ったレビンは外務省トップクラスのロシア通だった杉原が諜報活動に従事していた事実を浮き彫りにして行く。満州時代もそうだし、リトアニアでも例外ではなく、彼は大島駐ベルリン大使直属の立場で、独ソ関係の表に出ない事情をスパイし続けていた。ただし力関係は相当に複雑で杉原の雇用していた秘書と助手は、杉原に多くの情報を提供したが、同時に杉原を監視するナチとリトアニア政府のダブルスパイでもあった。命のビザはそんな杉原と助手、秘書の手で発給され続けたのだ。
しかし、そんなレビンの仕事でも謎はまだ残る。杉原のビザ発給の当初の目的は自分に協力した諜報網関係者を安全に国外に出すことだったとレビンは突き止める。しかしそれはせいぜいが数十人分であり、結果的に1万人以上のもののユダヤ人に彼がビザを出した理由までは分からない。ソ連の旅行代理店との関係、つまりドルを持っているユダヤ人はソ連の代理店にしてみれば得意客であり、日本に向かってシベリア鉄道に乗ってくれることは旅行会社の懐を潤わせた。そこで杉原を通じてビザを出させたという説も載せているが決定打にはならない。
確かなことは、『知ってるつもり』で歴史を知ってるつもりになってはならないということは事実だろう(番組があったような気がする。波瀾万丈だったかもしれない)。杉原の美談について未亡人や息子の生の証言があるから歴史像が明らかになると言うわけでは全くないのだ。
レビンの本ではもうひとつ面白い発見があった。こちらは陸軍きってのユダヤ通とされていた安江仙弘も、そこでは言及されている。父の名誉を晴らそうと奮闘する長男が取材に応じているのだが、彼は安江がユダヤ人のゴールデンブックに掲載されていることをレビンに示し、ユダヤ人社会でいかに安江が尊敬されているかを語る。この話はぼくも知っていた。安江の長男・弘夫が『幻のユダヤ人国家と大連特務機関』で書いているからだ。そこにはいかにゴールデンブックに名が載るのが偉大なことが綴られていた。しかしレビンは驚くべき事実を記す。ゴールデンブックとは植樹のために基金活動をしていたユダヤ人団体が発行していたもので、その団体に寄付をした人の名前を載せている記録に過ぎないのだ、と。これも身内の証言が歴史像を歪めていた一例か。実は『幻のーー』でぼくはそこから後にタイトーを興すロシア系ユダヤ人ミヒャエル・コーガンのエピソードを知り、『偽満州国論』に彼とスペースイオンベーダの関わりについての一章を書いた。コーガンについてはタイトーの社史なども引いていたから間違いはなかったが、もしその本を信じて安江の話を軽いコメントに留めず(確かぼくも少し触れていたようには思う。手元にないので確かめられないがって、自分の本だけど忘れちゃうものですな)、うかつに引いて、大議論を展開でもしていたら大恥を書くことになっていた。
レビンは日本人のユダヤ人理解は分裂していると書いている。反ユダヤ的であり、新ユダヤ的でもある。一部でやたら詳しいが、基本認識を欠いているとも。杉原千畝が聖人視されがちなのも、ユダヤ人問題への理解が十分でないことが一因だろう。繰り返すが、少なくとも彼は単純な人道主義者ではない。おそらくそれは確かで、更には人道主義者では全くない可能性すらある。となると杉原の人道主義精神をもとにイスラエル軍に撤退を求める未亡人の寄稿はどう評価すべきなのだろう。ぶっちゃけた話、ウソから始まった議論には所詮、意味がないのか。ウソでも良いウソならいいのか。しかしパレスティナ問題の場合、良いウソってなんだろうか。
CXは日本ロシア戦の視聴率が瞬間で81・9%、平均で66・1%に達したことを朝から延々とニュースとして流している。レイトが勲章のTV業界の人に取ってみればたしかに嬉しいんだけど、視聴者はどうなんだろう。なにしろ、これって所詮はコンテンツ次第だったわけで、どの局だってあの試合でいまのブームの状況であればレイト取れただろうし、フジの貢献といったら一種のマッチポンプでしょ。延々と予告番宣してきたわけだし、前夜祭的な番組を多く作ってあんだけ煽ればそりゃ告知力も強大で、サッカーに興味のなかった人もみるわな。
ちなみにフジが抜けなかった戦後最高のスポーツ関係視聴率は東京五輪の女子バレー決勝戦で、瞬間で85%だったといわれている(開会式もたぶんおなじぐらいのレートが出ていたはず)。で、女子バレーに関しては電話のトラフィックが途絶えた、つまりみんな試合に熱中していて電話をだれもかけなかったという伝説があるがこれは本当かどうか微妙。ただ通話が途絶えなくても少なかったはずで、それに対して日本ロシア戦の最中にはおそらくケータイの通話量はあったはずだから、それはそれなりに社会の変化は示しているのではないか。そのへん観賞や、スポーツをメディアとする一体化幻想の在り方の違いとして調べて考えてみると面白いかも。
更にちなみにW杯の経済効果は3兆3000億円だと電通総研は予想していたがそれは殆どがスタジアム建設費で、もう支払い済み。今年の景気浮揚効果は一桁小さい3000億円ぐらいだとか。視聴率81%でそんなものなのか?ま、一億人が一人3000円ぐらい使う。雑誌買ったり、スカパー契約したり、飲み屋で盛り上がったりっていったらそんなものか。
書き込みありがとうございます。簡単にしようとしてかえってドツボにはまってゆくゲーデルについての解説本、あれじゃないないかなと脳裏に浮かぶものがありますよ。
あと辺見さんの件、たとえば『もの食うひとびと』のフィリピン人肉食事件のところで武田泰淳『ひかりごけ』を引いてますから、彼が影響を受けていることは間違いないと思います。
こんにちは。
非合法ドラッグについてって、たしかに電車内で語るのはちょっとアレですよね(笑)。
>>ゲーデルの不完全性定理の証明もそうですが、一般人に分かり易く説明しようとした本を幾ら読んでも結局は無駄で、数学を一歩一歩ずつ確実に学びながらやってゆくしか結局は理解への道はないのだと思います。
ホントそうですね。今、ゲーデルの不完全性定理についてやさしく?書かれたブックレットをがんばって読んでいるのですが、やさしい文章なのによくわからないというのがつらいです。しかも低学年向けの算数の参考書みたいにマンガ風図解なんてされると、かえってわかりづらいんだよ!って気持に。
「矛盾のない完全な数学的理論はありえない」「数学の完全性を数学自身では証明できない」というパラドックスな結論は魅力的でワクワクしますが、数学ゲームの思考に不慣れのため、そこに至る証明の過程がさっぱり。ふう。
以前、辺見庸さんによる「Sin」と「Crime」の区別について触れていらっしゃいましたよね。唐突ですが武田泰淳の『ひかりごけ』を思い浮かべました。あれはまさに「Sin=原罪」と「Crime=法的犯罪」の戦慄的な交錯を描いている小説ですよね。
この前、訳したピート・ハミル『新聞ジャーナリズム』はタブロイド新聞の興亡を描いた作品だが、新刊『マスメディアの周縁、ジャーナリズムの革新』林香里・新曜社にタブロイドについての説明があった。それによればタブロイドという言葉は19世紀の終わりに使われ始めたらしい。もともとは製薬会社の造語でtablet(錠剤)とalkaloid(アルカロイド)の合成語だったという。それが「何かが凝縮されたもの」という意味で使われ始め、当時、『デイリーメイル』などタブロイド版サイズの新聞を発行していたノース・クリフが自らの新聞にその形容を冠したのだという。ノースクリフは1900年の社説において「すべてのニュースを60秒以内で」という見出しをつけ、自らのジャーナリズムをタブロイドジャーナリズムと称した。
これは知らなかった。ハミル本の訳注ではタブロイド版はその小型のサイズによるものという定義しか出していないので、増刷時に新知見を加えたい。増刷実現にみなさん是非ご協力を(笑)。
なお、この記述以外にも林本は新しい指摘、傾聴すべき意見が多く含まれている力作である。東大社会情報研への博士論文らしい。著者は現在はドイツ在住でドイツの大学で講師を務めているようだが、このような重量級の作品をみると日本の大学の(新聞記者あがりの)ジャーナリズム論担当教員の質について改めて思ってしまう。いや、新聞記者あがりだけでなく、アカデミシャンも別の意味で問題があるのだが、この本の著者はロイターで記者経験もあるようでうまくバランスが取れていると思う。
新宿まで本を買い出しにゆく途中の中央線で信濃毎日の電話取材。合法ドラッグについてだとか。ぼくは車内の携帯は必要度に応じて許容されるべきだという立場だけど、取材はそう緊急でもないし、話題も話題なので電車を降りて西荻窪のホームで話す。
合法ドラッグとは何種類有るのかという質問。もしかして専門家だと思われている? まずその誤解をただした上で、どこで合法と違法を線引きするか、どこでドラッグとそうでないものを線引きするかの二重の難しさがあるので、何種類とははっきりいえないのではないかと答えた。これはドラッグ問題の基本認識だろう。どうすべきかについては、感情に訴えるのではなく、現状でわかっているかぎりで効果、副作用などの説明を丁寧に行い、結局は自己責任で対応させるようにするしかないのではと答えた。甘過ぎるという声が聞こえてきそうだが(そういえば以前に合法ドラッグがより刺激の高いドラッグへ人を誘う入り口「ゲードドラッグ」になるという考え方を日経新聞で紹介して、しかし行き過ぎた管理はかえってドラッグをアンダーグラウンド化させて良くないと書いたら、当時のデスクだったKが怒るのなんの(これも知る人には分かってしまうのですが、一応イニシャル)。ドラッグの使用を勧めるような記事をうちの新聞が載せるわけには行かない、と電話をかけてきてがしがし言う。勧めているんじゃないってどうしてわからないんだろう。早稲田を首席で卒業したとかいう自慢話を本人よく聞かされたが、こんな一面的な思考しかできない人が首席の早稲田ってよっぽどひどいんじゃない。ICUだったら留年して貰います)。自己決定、自己責任原則が徹底されれば麻薬的もの、特に幻覚効果のあるものはそう多く使われなくなると思う。意識がとんでしまうと自己決定が不能となり、自己責任が貫徹できなくなるからだ。あるいは自己決定の範囲で麻薬を使用する者がたとえ増えたとしても、意識が失われることを警戒して、閉じられた空間で使い、凶器はあらかじめ排除しておくなど、適当な距離感を持って利用し、他者に危害を与えたり、自傷することは減るのではないかとぼくは期待している。そんなことを西荻のホームで話して、新宿へ。CKオグデンの辞書を買う。これがなんで必要になっているかはまだ企業秘密、そのうちあっという成果を出しますので請うご期待。WEBで調べたら版元在庫がもうないのに紀伊国屋には残っていたのだ。ラッキー!
で、その帰り、甲州街道で5弦ベースを両手のフィンガリングだけで弾いているストリートパフォーマーがいたので思わず立ち止まってしまった。要するに奏法はスティックタッチボードなのだ。ぼくはスティックをイギリスから買ってきながら結局、弾きこなせなかった負い目があるので、つい聞き惚れてしまった。
一通り演奏が終わったので、話してみるとその人ーーー兄蔵というらしいーーも、スティックは手に入れたけれど、結局弾きこなせなかったと言っていた。おどろくべき同じ境遇(って、音楽で生計を立てているらしい方に対してわたしごときがこの言い方は失礼ですが)。やっぱり難しい楽器だったんだとちょっと安堵。CDも買いました。超絶技巧で弾いているところが見えないと、エコーとかディレイなしで弾くと音質的にフレットに金属弦が当たる倍音の多い音になるので、ベースっぽくなく、生ギターをチューニング下げて弦を緩めて弾いているんじゃないのとおもわれちゃいかねないところが不幸かも知れない。
さらんーけえさん、書きこみありがとうございます。日本もTVの黎明期には街角テレビが活躍して力道山の活躍に手に汗握ったんですけど、確かに街頭テレビ的なものは少なくなったようですね。新宿アルタ壁面の大型モニターもW杯関係は放映しないと断っていましたが、確かにそれも権利問題なんでしょう。
韓国人の方が喜怒哀楽が明瞭だというのも平均(をとることに果たして意味があるかはわかりませんが)的にはそうかもしれないですね。印象的に覚えているエピソードがあって、あえてイニシャルで書きますがってぼくの知人間系やご本人夫婦を知っている人にはばればれかも)T大のMさんの奥さんは韓国の人ですが、Mさんがコロンビアで客員やっていてニューヨークに家族で滞在していたとき、スーパーのレジの店員があまりに態度が悪かったので怒って、レジーの上に飛び乗って店員を叱りつけたらしいです。Mさんは「ひえー、こえー」と思って、他人のふりをしようにも出来ずに困ったとか(笑)。昔は日本にももっと沸点の低い人が多くいたように思います。朝ナマで大島渚と野坂昭如の乱闘が芸になるようになっちゃダメですね。声が小さいというのもそうかも。ただ、面白いからって、あまり日本特殊論をやっていてもしょうがなくて(右から左まで特殊論は多くあります)、特殊性と普遍性両方見るべきだとは思いますが。
お久しぶりです。関わっていた夏の劇場「ポケモン2002」がやっと終わったので、ぐたっとしています。武田さんはサッカーの日本戦に行かれたんですね。羨ましい!
そこでといってはなんですが、ちょっと一席。
この時期韓国から来日した人の素直な感想に「日本のワールドカップ色の薄さに驚く」というものがあるそうです。昼のラジオで、昨日来日したという韓国のジャーナリストがそう喋ってました。
その韓国人、暫し考えて、ハッと気がついたそう。
----日本の街には映像が出ていないじゃないか…………。中継映像が氾濫している我が国(韓国)と比べると、それが一番大きな違いだろう…………。
そうなんですよ。軽く想像がつきます。たぶん韓国じゃ街の至る所に大型モニタが設置されて「うぉー…!」「ウガアー…!!」「キャアー…!!」って、やってるね。公衆感の違いといっちゃえばそれまで。じゃあ、それはなんだ? いいことか? 悪いことか? で、そんな「良し悪し」の観点からなにかものがいえることなのだろうか?
解らない。でも知りたい。単純に気になった…。
韓国で人と喋る際は、日本で喋るより十センチは相手の顔が近い。人との距離感が近い。これ、偽らざる実感です。
関係ないけど韓国人同士の争いは二、三十分も口喧嘩が保つみたい。以前、大通りで車が車をクラクションで止め、出てきたドライバー同士がワーワー始めたのを見たんですが、最後の最後まで怒鳴りあい、喚きあい、結局互いに捨てぜりふでチャンチャンとけりを付け、争いを終えた。ああいう場面で手が出ることは稀の稀だそう。韓国人に聞くと、大概そうなんですって。日本に帰ってきて後、韓国関連の本で読んだらそこにもちゃんとそう書いてあって驚いた。
「おい、もっと真面目に喧嘩ヤレー!」って日本人だったらいうかも知れませんが----。
韓国語には悪口雑言の類、これ、日本語に比べて何十倍もあるそうです。要は悪口のバリエーションも豊富。
日本人はすぐ悪口尽きちゃうらしい。鬱屈ばかり膨らむから、終いが早くてパッと手が出る。
韓国人の水際だつ対人術。硬・軟。それに、喜・怒。あれは既に上級の道具になりえている気がするんですが、どうでしょうか。
もしかして、不戦、非戦ってこういう小さいことからの話なんじゃないでしょうかね。不戦や非戦に「争わない心」「平和な心」なんてものを持ち込もうとするから逆に話がややこしくなるんじゃないでしょうか。
日本人は理念的に過ぎるのかもと、俺、思ったりします。
原理原則的? それはうぶってことなの? だったらガキってことじゃないのか…………? 気になり出したら止まらない。
先の韓国人のジャーナリストがいうには、「日本人は真面目すぎますよ」ですって。FIFAの規定に、辻つじで大勢に見せる目的で映像を流すなら、金を徴収するよ、『権利問題だよ』というのがちゃんとあるそう。
「でも、韓国人は気にしません、無視してやっちゃいます。集金に来たら『ちょっとまけて呉れ』くらいはいうかもしれませんがね」とも、最後に笑いながらいってました。
職安通りから大久保にかけての韓国街で、大画面設置して大盛り上がりの様がテレビで流れていましたが、日本人客も呼び込んでの日韓応援大会。俺、そこで一緒に弾けていた幸せ顔の日本人の姿がとっても印象的で嬉しくなっちゃったんですよ。
では、また!