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W杯 投稿者:武田徹  投稿日: 6月 5日(水)10時10分09秒

「一応スーツ着てきて」。日本ベルギー戦観戦前にそう言われた。サポーターTシャツなら分かるがスーツとはいかに。理由が分かるのはチケットを実際に手に入れてからだった。某国新聞社経由のチケットはFIFA関係者用VIPチケットだったんですね、これが。
で、控え室にはケータリングサービスとかあって、確かにスーツの世界でした。石原慎太郎と羽田コウと松波健四郎などは目撃確認。木元敦子も会った。ベッケンバウアーもいた。平田オリザにも会ったけれど彼は日韓ワールドカップ招致委員会とかの理事していたらしい。あとびっくりしたのは高校時代の名物応援団長にして前回の同期会の総幹事だったキヤマくんにも会った。応援する場にはいるんだと感心した。
試合はもうご存じの通りでした。空席があったのも予想通りか。
なんとなく嫌な感じだったのはVIPのチケットをみせると急に会場整理員がへりくだったような態度になること。石原とかが相手となると無理もないのかもしれないが。しかしへりくだってはいるが、役に立つ情報を教えてくれるかといえばそうではない。行きは一般ゲートから入ろうとしたら「ここではないのですが」と言われて困った。「じゃ、どうすればいいの?」と聞いても答えがないのだ。聞いてきますといなくなったまま帰ってこないとかになっちゃう。帰り道もシャトルバスがあった(一般用ではなく、貸し切りの奴。VIPゲート自体が他から隔離された場所にあるので、逆に言えば実質的にそれしか交通機関がない)ので係員にどこゆきがどこから出るのか聞くんだけど要領を得ない。自分が立て看板を持っているバスが、たとえば恵比寿ウェスティンホテル行きであることは知っているのだけれどそれ以外の知識はない。で、どうやって乗ればいいのか何人に聞いてもダメで迷っているうちにわかったのは、VIPチケット系の人はスタジアムに来た交通手段(タクシー、ハイヤーあるいは都心ホテルからの専用シャトルバス)で帰る決まりになっていると言うことで、それぞれのシャトルバスは復路だけの新規の客は乗せないのだそうだ(ようするに公共交通で来ちゃ基本的にいけなかったらしいのだ)。帰りだけでもとか、そのへん、柔軟に対応してくれればいいのにそれはなし。で、往路は電車で行った僕らは帰りの足がない。
初めからそうわかっていれば仕方ないとあきらめがついたけれど、何人に聞いても「わからない」の連続で、既に相当の時間が掛かっていたので少々アタマに来た。命令系統ぐらいはっきりさせておいてほしかった。はっきりさせるとなるとファッショぽくなっちゃう怖さもあるけど、間を行く道にはないんですかね、この国には。結局、何度も警備員ともめつつVIPエリアを隔離しているバリケートを突破して、浦和美園駅まで歩いた。

赤い悪魔? 投稿者:武田徹  投稿日: 6月 4日(火)01時13分34秒

ちょっと妙なところからチケットが入ったので、今日は日本・ベルギー戦に行ってきます。初めて見るサッカーがワールドカップってのも贅沢ですよね。ベルギーは昔、少し長くいたことがあって、なんだかほんわかした国民性だったので「赤い悪魔」ってヘンな感じ。それはさておき会場で見かけたら声をかけて下さいね。
あと週刊朝日で重松清さんが『新聞ジャーナリズム』を取り上げて下さいました。感謝。

かきこみありがとうございます 投稿者:武田徹  投稿日: 6月 3日(月)00時12分50秒

Leeさん。書き込みありがとうございます。
夭逝した数学者と言えばガロア、アーベルですよね。アーベルが5次方程式に解法がないことを証明し、ガロアが群論で方程式の解法問題一般に引導を渡したという順番ですね。
ぼくも『ガロアの生涯』からガロア群論に興味を持って、大学では代数学を帰国子女と混じって英語で習ったんですよ。数学に関しては日本の高校の方が実力が上で、英語問題こそあれ、授業は最初は楽だったんですが、ある程度やって行くとやっぱり文系の限界が出てきて結局匙を投げてしまいました。
で、その後、入門書とかでずいぶん理解を試みましたが要領を得ませんでした。ゲーデルの不完全性定理の証明もそうですが、一般人に分かり易く説明しようとした本を幾ら読んでも結局は無駄で、数学を一歩一歩ずつ確実に学びながらやってゆくしか結局は理解への道はないのだと思います。
ガロアの決闘死については最近新説が出て、国王派の陰謀によって殺されたとわざと分かるようにして、共和主義者たちを怒らせ、蜂起を導こうとした自殺の一種だったという人も出ています。どうなのでしょうか。
武田徹

読み返しています 投稿者:LEE  投稿日: 6月 2日(日)02時07分49秒

武田さん、皆さんこんにちは。読みごたえのある掲示板、おもしろく拝見しています。

5月26日朝日新聞の中高生向け読書コーナーに、思いがけなく武田さんが『ガロアの生涯』を紹介されていたので、オドロキと懐かしさを感じてしまいました。私も10年以上前の学生時代に、「若死にした数学者」というあたりに文系的興味をもって古本屋で同書を買って読んだのを思い出しました。あまりきちんと読んでいなかったので、さっそく本棚からひっぱりだして読み返しています。
ちなみに、古本屋で買った昭和44年版『ガロアの生涯』、当時の定価680円。ずーっと版を重ねて今も売れ続けているんですね。現在の定価2700円というのは、他の物価の上昇とくらべて高いとは言えませんが、中高生にはちょっと買いにくいかもですね。

評伝とも謎ときドキュメンタリーとも青春小説ともつかない『ガロアの生涯』ですが、読みなおすと、学生時代の初読とはまったくちがう部分におもしろさを感じます。数学の純粋性と革命の理想を語る天才くんが、同時に、ひとりよがりに女に妄想してあっさりふられて、痛いとこつかれて逆上するおばかさんとして描かれているあたり。非情なほど克明に描かれているかっこわるさ、アハハハと笑いを誘うほどです。
武田さんの記事がなければ、わざわざ読み返す機会もなかったと思います。ありがとうございました〜。

以前、書評のための新刊探しが一苦労だとお書きになっていましたが(新刊の回転が早すぎるため、書評のタイミングが合わない、いい本でも時期を過ぎると埋もれてしまう等)、今回のような「思い出の一冊」的な趣旨だと既刊本を取り上げることができていいですね。
現在のような新刊洪水、平台に一ヵ月ももたないような本が多い状況で、書評=新刊だけというしばりに意味があるのかなあと思うことも。もちろん新刊の旬の味を勢いよく伝えてくれる書評はワクワクするし、情報として大切ですが、新刊じゃないからというだけでおもしろい本が取り上げられないのはもったいないですよね。産まれたときしかチヤホヤされないみたいで。

記憶3 投稿者:武田徹  投稿日: 5月30日(木)00時29分18秒

記憶について追記。
「過去を思い起こすことが平和を作る」というのはワイツゼッカー前西独大統領の有名なセリフ。一方で「無知は力である」は『1984』の「党」のスローガン。ちなみにそのスローガンの前には「戦争は平和である」「自由は服従である」の言葉が並んでいた。なんか身につまされる話になってきてませんか。

関連して思い出したのはここにも書いた辺見・チョムスキー対談の一節。有事法制定に踏み込もうとしている日本を憂いた辺見に対してチョムスキーは「そんなことは大したことではない」と言い捨て、「今まで日本がしてきたことに比べれば」と続ける。第二次大戦の戦争責任を果たす上で国民的な運動が何かあったか。東チモールの弾圧に対して日本は何をしたか。チョムスキーは戦後に日本が忘れたふりをし、見ないですませてきたことを指摘し、今更有事法制で大騒ぎしている呆けた姿勢を激烈に批判する。辺見さん唖然。でもこれも記憶(と戦争と平和)の問題。

いろいろ考えさせられる。

『tribute to はっぴいえんど』ゲット。トリビュートアルバムとしてすごく出来が良いと思った。中でもくるりの『あやか市の動物園』と片寄明人+John McEntire『氷雨月のスケッチ』は再解釈大賞か。キセルの『しんしんしん』もいい。これは記憶があったから、それともなかったから?

書き込みありがとうございます 投稿者:武田徹  投稿日: 5月29日(水)00時53分37秒

ばんまいさん、書き込みありがとう。
忘れさせずにいてなお寛容をも導く記憶は理想であり、記憶を作る仕事に携わる者にとって永遠の課題ですね。それを実現できるかどうかに、おおげさですが、人間としての尊厳がかかっているといって良いように思います。で、ぼくが先に書いたのは物騒な記憶を残さないように事なかれ主義で臨む、その意味ではあまりかっこうよくない、いわば尊厳がかからない領域の話。
しかし他人に強制されるわけではなく、あくまでも自分の倫理に従ってあえて書かないというのもなかなか出来ないことではあります。

忘れさせずにいてなお寛容をも導く記録 投稿者:ばん まい  投稿日: 5月27日(月)19時39分57秒

武田さん、お集まりの皆さん、度々こんにちは。

たとえ視聴者には直接関係のない題材を扱っていようとも、記録は、何らかの
形で受信者の既存の記憶と融合して摂取・格納・認識されることを目指して
いるのだから、(現実では、記憶に融合しない=不寛容すら導かないものは
多い)、現象を記録して残す仕事も、作業するからには「忘れずにいてなお
寛容」な状態を導くものが理想的なのだと思います。 書かないことが積極的
な意味を持つのは、不寛容を助長することを恐れてではなく、寛容を導けない
であろうという的確な見通しがある場合だと考えます。

RostandによるCyrano de Bergeracは、あの鼻をじろじろ眺める者にも、
見まいとする者にも突っかかってきたとか。 この態度を不寛容と解釈するの
ではなく、寛容を目指したが故のものであると考えたいものです。

記憶2 投稿者:武田徹  投稿日: 5月27日(月)10時50分35秒

 先に書いた記憶の欠落部分に関しては、やっぱりというか、案の定というか、トラウマっぽいのもあることが次第に発覚。といっても自分が傷ついたなんて格好良いものじゃなくて、他の人に迷惑をかけたのを思い出したくなくてすっかり忘れているのだ。これも一種の乖離なんだろうか。いやはや、なんともまぁ、なさけないというか、なんと申しましょうか。
 そんなこんなで記憶について考えていて、思い出すのはフォンノイマンだ。ゲーム理論と原爆とコンピュータと・・・・などなどの父だが、彼は記憶過剰症だったといわれている。要するに忘れられない。なんでも覚えてしまう。友人が『二都物語』の冒頭部分を尋ねたら、延々とそらんじ続けたという有名なエピソードがある。
 後のノイマンが利己心仮説に基づく、極めて非寛容的なゲーム理論を作り出すのは、そんな記憶王としての彼の資質と無関係ではなかったのではないか。忘れることと寛容さはもちろんイコールではない。忘れずにいてなお寛容にもなれれば理想的だ。だが、それは現実的には難しい。ニーチェが「草をはむ動物は幸福である。彼らは自分たちが草を食べていることすら忘れている」と述べて「忘れられない」ことを歴史病と述べたのは、あんがいとそんな事情まで視野に入れていたのかも知れない。もちろん忘れていることで得られる平静は偽りのものでしかなく、実父をそうと知らずに殺害、実母を妃として、2男2女までもうけたが、やがて過去を知り、真実を見ていなかった悔しさに自分の目を自らつぶすオイディプス王の伝説のように、何かのきっかけに忘れていたことに直面し、強い衝撃を受け、自らを悔いる結果にあることもあるのだろうが。
 ただ、そうとはいえ、繰り返すが現実的には忘れることの効能は確かにあるようにも思えて、前にここに書いたことがあるが、以前に、多摩全生園で取材していて、園内を女子高生がさっそうと何の懸念もなしに自転車で通り抜けて行くのを見た。彼女はハンセン病の差別史を知らない。彼女が生きている文化はそれを忘れている。そんな様子を見ると理性で解消しようとして果たせなかった差別意識を、忘却があっさり癒していることを思い知らされる。両者の「実力」の圧倒的な違い(というのはへんないいかただが)を「事実問題」としては認めることは大事だろう。
 しかしだとすると、僕個人はもう濃淡ありまくり凹凸まだら模様のひどい記憶力で、これはもうみなさまの気分を害してばかりのようなのだが、それはここでは横に置かせていただいて、すこし仕事のことに触れてみたいんだけど、一応ものを書くと言うことは、現象を記録して残す作業に携わっているわけで、これって非寛容な文化を作ることと伏流としてはどこかで繋がっていることを自覚した方がいいのかもしれない。書かないことは、それだけで逃避や敗北を意味しない。書かないことに積極的な意味がある場合もあるのだろう。そんな積極的に書かれなかったことの系譜を辿る文化史も面白いかも知れない。しかしそれを書いちゃったら元の木阿弥か。

中華航空墜落 投稿者:武田徹  投稿日: 5月27日(月)00時10分33秒

 中華航空機が墜落し、200名強の犠牲者出たという。ご冥福をお祈りします。
しかし、今回は空席が多く、それが不幸中の幸いのようだが台北・香港間の便の機体がもはやジャンボが当然という事態には考えさせられるものがある。
以前ぼくは北アイルランドの取材にいって、イギリス領のベルファーストでレンタカーを借りたのだが、そのクルマがアイルランド側の首都のダブリンに乗り捨てできると聞いて肩すかしをくらった思いをしたことがある。だってほぼ準戦争状態のわけでしょう。にもかかわらず国境を越えてレンタカーが乗り捨てできてしまう。しかも職員はそれについて別に何も違和感もない様子なのだ。
実際、乗り捨てはまったく問題なく行われた。当時は和平交渉が進んでいて、その意味ではテロリストも停戦状態である意味、最も平和な時期だったせいかもしれない。国境通過も全く問題なかった(だいたい田舎の方だとカーブの関係でイギリス領北アイルランドとアイルランドの間を何度もいったりきたりするような道だってあるのだ)。ただ検問こそ無かったが国境監視所は生きていて、写真を撮っていると、通りがかった現地の人に「怪しい行動をすると撃たれるからやめろ」と真顔で忠告されたぐらいだから緊張感はそれなりに残っていたと思う。にもかかわらず乗り捨てゴメンである。レンタカーは一例であって、政治情勢とは裏腹に生活的には交流があるんだろう。だったらなんでこんなに殺し合ったりするんだろうというのが当時の感想だった(破壊活動をしているのはIRAやそこから分かれた過激派勢力であり、アイルランド領内のアイルランド人は殺されないという意味では「殺し合い」という言葉は不適当かも知れないが、少なくともベルファーストやロンドンデリーのカトリック系住民は、有名な血の日曜日事件以後も、攻撃的なプロテスタント勢力の前に脅威にさらされつつ生活している)。
台湾・香港便がジャンボというのもそれに似た感覚を覚える。そんなに人的交流が必要なくらい繋がりが深いのだったら二つの中国問題なんかにこだわらずにもっとなんとか出来ないかと思ってしまう。経済のためとあれば東莞みたいに大陸側に台湾の植民地作ることだって許すのに。いや、なんとかならないのは重々分かっているのだが、それでもねぇ。
***
閑話休題、今朝の朝日新聞の「私が出会った本」は、まさに昨晩の高校の同期会で会ったような当時のぼくを知る人たちの中には異論とか、疑問もあるでしょうが、まぁご容赦を。経験自体は事実なんだが、ゆえあって時間と場所がほんの少しずらされています。

記憶 投稿者:武田徹  投稿日: 5月25日(土)20時56分34秒

全く話は変わるんだけど、今日の午後は高校時代の同期会に出た。なんと卒業25周年という相当の年季入りの会で、しかも卒業後初めてである。ぼくの場合、過去履歴をページに上げているため検索でヒットするので、かなり早い時期から開催の連絡をメールで貰っていた。で、立ち上げの時期に「出来るといいねー」なんて言っていた手前、なんとなく巻き込まれて結局、出席してしまったが、もし途中で突然連絡が来ていたら果たして出ていただろうか。正直言ってちょっと分からないところがある。なにしろ昨日書いた原稿だって恥ずかしくて読み返せないのである。そんな25年前の自分に責任なんか取れないですよ(もちろん自意識過剰で気になっているだけで「責任取れ」なんて誰も言わないけど、自分としては気が引けるのだ)。で、逃げちゃうと言うのは安易とは思いつつ、二の足を踏んで出席しなかったような気がするのだ。
会は幹事が頑張って180名も集まった。25年目で180人はなかなかのものではないか。全学年できっと400名ぐらいの高校だったから約半分の出席率だ。
出てみて、もちろん赤面したり、絶句したりすることも多かったけれど、安易に逃避しなくて良かったと思った。やっぱり懐かしい。25年も経つと人はずいぶん寛容になるんだなと改めて思った。25年経った知人に大量に会うという経験はなかなかないので面白い。
で、自分のことも改めて考えさせられた。というのも、どうも記憶の欠落が明らかにあるのだ。記憶に濃淡があるとか言う感じではない。話していて、「ああーそうだったなー」とか「そういえばそうだ」とか合点できるレベルを超えて、全然覚えていない領域、完全に失われた過去像の範囲があることに気づかされた。本当に何も覚えていない。まるでなくなってしまっているのだ。
たぶんこれは記憶をなんからのかたちでカットオフオペレーション(切断処分)しているんだろう。たとえばファイルネームを消すことによってデータを読みとり不能にするように、記憶を引き出せないようにしてしまったのではないか。
と書くと、これはフロイトのトラウマ説みたいだ。しかしぼくが覚えていないのは、今日知らされた範囲では、少なくとも自分にとって心の傷なんていうような代物ではないように思える。なんでそれを選択的に忘れてしまったのかわからない。選択的に忘れようとした自分すら忘れてしまったということなのか。
25年目に改めて上書きされた記憶も含めて、今後、それらはどう失われて行くんだろう。今ひどく愛おしい思っていることでも、あっさり「読みとり不能」にして記憶の底深くに沈めて忘却してしまうこともあるのかもしれない。極端な話だけど、たとえばぼくが棺の中に持って行く「過去像」とはどんなものなのだろうか。記憶が持ち主の思い通りにゆかない結構厄介なものだというのを改めて感じた。

見たくない現実 投稿者:武田徹  投稿日: 5月25日(土)12時25分45秒

沖縄の未来構想で、すぐに「アジアとの連帯」が唱えられることを作家の目取真俊は批判している。沖縄の基地から出発した爆撃機が大量のアジアの人々を殺してきた以上、そして今でもアジアにとって潜在的な恐怖の対象である基地を擁している以上、少なくとも自分たちが加害者でもあるという自覚なしには連帯の緒は開かれないという(『見たくない思想的現実を見る』)。
確かにその通りだ。沖縄の未来構想云々というのは長く基地を受け止め続け、経済的にも自立が遅れた「犠牲者」沖縄の復興案という色彩が強いが、犠牲者としての自己規定では開かれない未来もある。アジアと日本・沖縄・アメリカの関係はそんなに単純ではないのだ。しかしその複雑な加害、被害の織りなしを忘却し、思考を停止させる傾向があまりにも強い。

夢が悪夢と同じになる 投稿者:武田徹  投稿日: 5月23日(木)01時08分30秒

金子勝・大澤真幸『見たくない思想的現実を見る』より。大澤の発言。『変革の世紀』にすっかり当てられた(具体的にどうしたというのではなく、あそこで飛び交う言説についての印象というか・・・・・。立場上あまり詳細には書けないですが、様子をウォッチしてくれている人はなんとなく察してくれるかとも思うのですがーー)ぼくはこんな一節に出会ってほっとする。

*****
体制側も反体制側も、夢を託してコンピュータを作ってきた。でもどうなんだろう。それは世界同時革命への道をひらいたかもしれませんが、世界大恐慌の危険度も高めた。あるいはコンピュータの端末が普及すれば、直接民主制がローコストでできるかもしれない。人々が日々ネットワークを使って意思表明できれば、それをバラ色の民主制と見るひともいるでしょう。でもぼくはそれを悪夢でもあると思う。たとえば、人は気が変わるでしょう。昨日は原発反対だった人が、今日は賛成になる。究極の直接民主制はこの揺れをそのまま透明に反映して、決定が刻々と変わる。このとき、共同体や人格のアイデンティティとはそもそも何なのかが、深刻な疑問になってしまいます。あまりに完璧でスムーズに行く民主制はそれゆえにかえって破綻する。IT革命は、夢を悪夢をほとんど同じものにしてしまうんじゃないかな。

 投稿者:武田徹  投稿日: 5月22日(水)21時35分42秒

うん、確かに自律した文章ではなくなっていましたね。単なるコメントというか、それ以下というか。情報を受け止めて自論を展開するには至っていない。気を付けます。

あのあの、、、 投稿者:ばん まい  投稿日: 5月22日(水)15時28分46秒

武田さん、お集まりの皆さん、こんにちは。

このところの長野話は、字で読む日本のテレビのワイドショウみたいです。
「ワイドショウにもジャーナリズムの本質が云々」なのか?
「所詮ひとはワイドショウ的なものが好きなのだ云々」なのか?

いやいや、そんなことはどうでよいです。

誰だって噂話・詮索話はしましょうが、ココでは読めない方がよかった、と、
私は感じました。 それとも、こういう’何でもあり感’が日本の魅力??

書き込み謝々。 投稿者:武田徹  投稿日: 5月22日(水)01時48分38秒

書き込みありがとうございます。
A2の森達也さん、実は昨日会ってたんですよ。河野さんの話はそのときは直接はしなかったですが、すごく面白かったです。そのことはまだいつか。
A2に河野さんが出てくるのは、オウムが自宅まで謝罪に行くんですが、どう謝っていいのか分からなくなって、その場で相談をはじめちゃうところですよね。オウムのある種の弱さが露呈するシーンで、そんなオウムを相手に、かたくなに突き放すでもなく、だらしなく許すでもなく、人間同士の関係をあくまでも取ろうとする河野さんのすごさが確かに印象的なところでもあります。
さてさて議会は康夫ちゃんのすることには未だになんでも反対なんでしょうから、当然抵抗するでしょうけど、自治体警察の建前を否定するわけにも行かないでしょうから、なんと言うんでしょうね。公安委員は事情に通じた警察出身者にしろとかいったら自滅だし。

失言はありそうですねー。田中さん、好きなんだ、その種の話。
それにしても白色テロルという題名のココロは?

長野 投稿者:袋小路  投稿日: 5月22日(水)00時27分22秒

ていうか、その前に県議会レベルでの抵抗が大きいような感じがします。
みなさんは森達也の「A2」見ました? 河野さんの「清濁併せのむ」といいたくなるような
「大人物」(皮肉じゃありません)ぶりを私はかんじました。

白色テロル 投稿者:いちべぇ  投稿日: 5月21日(火)23時46分05秒

メアド記載もれ失礼しました。

>今回は、河野さん、実際に出てくれるところまで根回ししているんでしょうか

どこで読んだのか忘れましたが、河野さんの内諾は得ているとあった記憶が。

>しかし、警察庁はすさまじく抵抗するでしょうね、これは。
>当然、県警も必死でなんとかしようとする。
>それこそ康夫ちゃん自身が公安にやらえることはないのか。

おっしゃるとおり、ますます敵の攻撃は厳しさを増すでしょうね。
さすがに公務執行妨害ではないでしょうが(あまりに見え見えなことすると逆にメディアから叩かれかねないでしょう)、重箱の隅をつつくような調査が始まっているでしょう。

田中さんはもちろんそれを承知で挑戦なさっておられるのでしょうし、今こそ、支持者たちが声をあげて、田中さんを支援する波を作っていかないと、ということですね。

それにしても、武田さんがご心配なさるように、最大の危険は「失言」でしょうねぇ。そこが一番心配、ってのは、文学者には賛辞になるのか誹謗になるのか。。。

 投稿者:武田徹  投稿日: 5月21日(火)23時15分19秒

ちょっと下の書き込みは誤解を招くかも
公安委員会と(警察庁、あるいは各都道府県警の)公安警察は関係があると言えばいえるけど(警察の執務全体を各都道府県の公安委員会の管理の下に行うというのが戦後の警察機構の建前)、とりあえず(というか組織的にも言葉の上でも)別物ですのでそのへんはご留意を。警察庁が反発するのは、特に講演警察部門は公安委員会の管理の下と言うよりも警察庁直轄で動いている性格が強い。それは公安委員会側も警察庁や自民党の息の掛かった人ばかりが委員をやっていて殆ど御用行政委員会だったから出来たこと。その無風状態を康夫ちゃんがいじって、建前通りにものを言うような公安委員会にしてしまうと警察庁としてはやりにくくなる。
で、抵抗するだろうと言うこと。抵抗の方法として公安警察の調査力を使ってスキャンダルを洗うとか、それこそ公務執行妨害で逮捕するとか、極端にはそういうこともあるし、そうでなくとも、康夫ちゃんはそういう警察のやり口は当然知っているので、抵抗された憤りでそれをどこかで不用意にしゃべって追求されようなことにならないといいのにと書きたかったのでした。

書き込みありがとう  投稿者:武田徹  投稿日: 5月21日(火)20時37分10秒

書き込みありがとうございます。たしかにこれはすごい。
河野さんはなかなかの人物ですね。彼を知る色々の人の話を聞いてそう思います。そのほんのひとつの例だけど、彼は自分を冤罪の淵に落とすことになったきっかけを作り、奥さんを植物状態にした大元の当事者を今でも「麻原さん」と呼ぶそうですね。確かにこういうひとが公安委員にというのはとても良い。
ぼくは個人情報保護法案、人権擁護法案の反対運動が河野さんを納得させられて、彼にもパネルとかに出て貰えるようになれば新しい局面を打ち出せるんじゃないかと前に書いたことがあります。今回は、河野さん、実際に出てくれるところまで根回ししているんでしょうか。最近、やや報道される量が減っている康夫ちゃんの勇み足ってことはないのかな。そのへんがクリアされてゆくとしたら・・・・、しかし、警察庁はすさまじく抵抗するでしょうね、これは。当然、県警も必死でなんとかしようとする。抵抗勢力を批判しようとして康夫ちゃんなんか失言しないかな。公安関係情報は基本的に多くがグレーですので、故意に失言の言質を取ろうとする人に「待ってました」とばかりにやりこめられないか、ちょっと不安。それこそ康夫ちゃん自身が公安にやらえることはないのか。目の前で自分から転んで相手を公務執行妨害で逮捕する人たちだからなぁ。
ところでいちべぇさん、メルアドないよ。前はあってわかりますからよしとしますが。


編集済

長野で 投稿者:いちべぇ  投稿日: 5月21日(火)12時58分21秒

またも激震が起こりそうな。。
http://www.nagano-np.co.jp/cgi-bin/kijihyouji.cgi?ida=200205&idb=179

このニュース、鳥肌たちましたよ。
記者クラブ廃止以上に、革命的でラディカルな事態でわないでしょーか。
本当にすごいですね、田中康夫さんは。

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