武田徹Official Web Site--オンラインジャーナリズム掲示板
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改めて 投稿者:てるてる  投稿日: 1月 6日(日)20時08分11秒

連続投稿で申し訳ありませんが、私にとっては、「非戦」の編集者が、
坂本龍一であっても、宮内勝典であっても、加藤哲郎であっても、森岡正博であっても、
不思議ではなく、誰の編集であろうと、あの内容の本を買っただろうと思います。

メールアドレス 投稿者:てるてる  投稿日: 1月 6日(日)20時04分15秒

メールアドレスを忘れましたので、再投稿致します。

武田徹様 投稿者:てるてる  投稿日: 1月 6日(日)20時03分36秒

「非戦」には、インターネットのあちこちのサイトに載っている文献がまとまっていて、
私にとっては、便利でよい本です。
全部のサイトをコピーしたりダウンロードしたりするのは、たいへんで、どうしても、
見落としがあります。
「非戦」と、あちこちの情報をまとめたサイトと、両方見るようにしています。

龍×2  投稿者:武田徹  投稿日: 1月 6日(日)17時36分07秒

書評用の本を探しに本屋巡りをしていてつくづく思うのは日本人ってなんで村上龍と坂本龍一に弱いんだろうということだ。
あらかじめ言っておくけれどぼくはこの二人はそこそこ才能あると思っている。村上龍は小説家としては良い作品が幾つかあるし、どんなものでもそれなりの価値に仕上げてくる(彼の場合、徹底的に楽理的な能力で、和声とか批正拗音額も含め音階などの知識が該博で、引き出しが多いのでストックを動員してどんな作品でもなんとままとめてしまう)坂本の才能もさすがだと思う。でもそれはそれぞれの本業においでのことで、それ以外ではどうなんだろう。
村上龍はJMNの活動で、ネット時代のイデオローグのような雰囲気を醸し出し始めているけれど、丁寧に読めば村上はまともな状況認識をしているわけではないことが分かる。周囲の論客が優れていたり、際立っていたりするだけであり、村上は(広い意味での)場のようなものになっているに過ぎない。それは彼自身が経済・同時代批評の本を書いたり、インタビューを受けたりするときに露呈するのであってこの前の日経新聞のインタビューも「個の時代」を繰り返す酔っぱらいの団塊オヤジの繰り言以外の何者でもなかったし、ちょっと前の『あのカネで何が買えたか』なんて噴飯モノだったわけでしょ。自分がバブルの時に使ったカネで何が買えたかを精算しようとしないで他人の悪口言おうとしても無理があるのであって、本人のバブリーな指向性はあの本の中での散見できた。小説家としても含めて愚直なところがいいんだが、少なくとも本人は自分の良さを認識していないようだ。
坂本龍一はといえば最近では『非戦』が売れているけれど、ポジション的にはこれも村上といっしょで本人には無邪気な正義感とか参加意欲があるだけで、結局は「場」を提供しているのに過ぎない。坂本は村上のように愚直ではないんだけど、坂本自身がいざアクティビストとして何かしようとすると地雷撤廃運動応援歌とかを作るぐらいのことであり、彼ほどビッグネームになってしまうと、地雷問題ぐらい普遍的なテーマでないとそこで動く人とお金のキャパにそぐわないという宿命があるのかも知れないが、100%正しいメッセージは無意味であるという陥穽に落ちつつあることは事実だろう。怪物的俗物になりつつあるというか。芸大時代の『Disapointment Hatelma』のころから聴いているぼくとしては、ここまで尖ったところがなくなっちゃうとは幻滅を通り越して感無量ですらある。矢野さんが愛想つかしちゃう気持ちも分からないではない。
で、その二人の文明批評的な本がこんなに売れちゃうって、なんだろう。村上さんも気にしている経済問題とか、坂本さんも悲しんでいる世界情勢ということになって初めて購買の手が出るのか。こんなすかすかの大味のものよりももっと読むべ緻密な各論が他にたくさんあるのに・・・・。ということは、結局は坂本や村上をうまく狂言回しに使ってくる売り方にたけた幻冬社と角川に日本人はとことん弱いってことか。もっといえば見城徹的ものにひたすら弱いと言うことか。

吉野家は知っていた?  投稿者:武田徹  投稿日: 1月 5日(土)09時10分23秒

今朝のTV東京の番組に吉野家の安部修仁(表記やや自信なし)社長が出演していて狂牛病対策について語っていた。
同社は96年に完全にアメリカ産牛に切り替えている。実はそれ以前も99%はアメリカ産だったのだが、1%だけはつきあい上国産牛を使っていた。しかし、今日あることは当時も予想できたので100%輸入牛肉使用に切り替えた、というのだ。
96年の時点で今の状況は予想できたというのは、これって興味深い、と思いません? 
もちろん一つの可能性はブラフであること。値下げをしてすぐに狂牛病騒ぎで明らかに減収しており、経営責任をとらされないために織り込み済みだったと、さも先見性があったようにみせているだけかもしれない。
しかしもし本当だったらーー、吉野家のような大手チェーンの立場では、農水省の姿勢の問題点や、肉骨粉の管理などの杜撰さが96年の時点で既にわかっていたというのだろうか。うーん、だったらなんで言ってくれないのという気持ちにもなるけど、それは私企業の領分を超えることだろう。むしろ事情を知っている人から話を聞けなかったジャーナリズムの問題か。
しかし今でも遅くないから、こういうのちゃんと取材でフォローして欲しい。狂牛病対策ではまだまだ表に出ていないことがある。薬害エイズ問題のようにきちんと歴史的に追って、日本の官僚システムや連帯無責任体制がいかに国民を幸福にしないか(ウォルフレン)後付ける仕事が出てくれば、今後の踏まえにはあるのではないだろうか。
武田徹

あけましておめでとう 投稿者:武田徹  投稿日: 1月 5日(土)00時09分02秒

あけましておめでとうございます。2002年初めての書き込みをします。休みも今日までで明日はまた別の単行本の打ち合わせとSPA!の取材を受けます。
で、そのSPA!取材の準備をかねてメモを。取材テーマはネットロアについて。ネットロアというのはフォークロアのネット版で最近では「もしも世界が100人の村だったら」が話題ですね。マガジンハウスから出た本のあとがきにも採話者(なんかへんだな、早いモノがちみたいで)の池田香世子さんがネットロアという言葉を使っている(毎日新聞の記事だと彼女がネットロアと言う言葉の生みの親らしい。そうなの?)。このネットロアを支えているのはネットワ−カーの自発性。誰も転送を頼まれたわけではない。ただ何らかの価値があるから転送する。となると価値があると思うのはどういう情報かということが問われざるをえない。たとえば以前の神田正樹のハゲ映像に関しては価値は面白さだった。この前のビンラディンの「泊めてやってよ」チェーンメールもそうでしょ。WTCビルに旅客機が突入する上で笑顔で記念撮影は「えー、ほんまかいな」というのが情報価値。スタバのミネラルウォーター売りつけ情報はおそらく「スタバならやりそうだ」というある種潜在的に蓄積されていた反感と共振して、義侠心から広く知らせたいと思った。そんな辺りかな。
で、問題は100人の村の話。池田さんはこれが同時多発テロをきっかけとして広まったと解釈している。タイミング的にはまさにそうだし、池田さんのいうように「テロが起きた原因は文明の側にある。貧しい国のことをもっと思いやりなさい」というメッセージがこめられて広まったというのもハズしていないと思うんですね。で、何が言いたいかというと、だとすればメール転送した人はみんな間違っていたんじゃないか。池田さんはテロを貧者の方法と解釈している。ぼくも最初はそう考えていた。でもチョムスキーの『9/11』を読んでふーむと思ってしまった。チョムスキーはグローバリズムなんてビンラディンの視野に入っていないし、彼は貧しくないし、アフガン難民の貧しさも彼にとっては無関係だろうと語っている。他の資料とかも総合するとどうも、さすがにチョムスキーは反戦運動家として年期が入っていてリサーチが行き届いており、この指摘は正しいようだ。
確かに先進国、特にアメリカに富が一極集中する歪みに世界は覆われ始めているし、グローバリズムの暴力性もだんだん分かってきた。それは進歩だ。しかしこの前のテロがそうした文脈で解釈されるべきものだったかというとどうもそうではないみたいだ。しかし、そうした認識はあんまり共有されていなくて、貧しい国が富める国に一撃を与えたとしてこの前のテロを解釈する姿勢が主流になる。そしてテロは犠牲者を出したけれど富める国がかかえる問題を明らかにした結果にもなったと思われている。百人の村のメールもそうした考え方を敷衍するものとして転送を重ねられてきた。貧富問題をメッセージとして伝えるための器が100人の村という話だったといっても良いかも知れない。ドネラ・メドウズ(だったよな)の原作はたしかにそうしたメッセージを持っていたものだった。
しかし同時多発テロはそうした文脈だけで語られるべきものではない。だとすればいまメドウズのメッセージが急速に広まったというのは少々問題で、100人の村のチェーンメールはむしろテロに対してステロタイプの思考法を固着させる機能を果たしているんじゃないか。
これは、ちょっと意地悪い見方過ぎるかも知れない。しかし、100人の村は世界をマクロに見ることで思考の冒険をする面白い試みなんだけど、どこか生きて行く上での真摯さを欠いたイデオロギー的な匂いがする。批評的なんだけど、あくまでも観念であって、その先に具体的な何か生まれるような生産的な批評ではない気が・・・・。
この違和感ってなんなんでしょうね。朝日で「スローで行こう」とかのキャンペーン記事連載を見ても同じ気持ちになる。少し前に出て話題になった『スローイズビューティフル』もそう。実は今度出るぼくの『若者はなぜ繋がるのか』も三部構成で、結論は『スローイズビューティフル』的な「消費価値から生産価値の再発見へ」的なまとめにになっているように読める編集になっているんだけど、自分で書いていてなんだが、「スロー」礼賛のおおよそのものは今の時点ではなんかキモい。ぼくの本では農業改革論者・宇根豊の書評も入れてなんとか体裁は取っているけど・・・・。もちろん経済成長市場主義、消費バンザイには戻りようもないのだけれど、そうした主張の右左(というか成長型か、成熟型かと二分されるべき?)以前にチョムスキーのリアリズムの方がいまのぼくは惹かれる。正直いって。
武田徹

帰国 投稿者:武田徹  投稿日:12月31日(月)10時57分15秒

年の瀬も押し迫った昨晩、帰国しました。最近さぼっていたのを反省して、簡単なものだけど旅行記をアップしていますのでご笑覧下さい(新しくソネットにメモリー容量を確保したので「旅先通信」のコーナーをつくってまとめました。そこに入っています)。
しかし2001年ももう24時間ないのだと思うと感じるものがありますな。タイで読んだ読売新聞に吉岡忍が「01年は何年もの蓄積のように思う。森内閣時代、小泉時代、そして同時多発テロ以降とまったく違う時間が一年の中にあった」というような内容のエッセーを寄せていて同感。来年はどうなるんでしょうか。
個人的には年明け早々にPHP研究所から『若者はなぜ繋がりたがるのか』を出します(書名文責はPHP(笑))携帯電話コミュニケーション論を冒頭において題名をそこから取っていますが、携帯だけでなく、ましてや若者論だけでもない雑多な記事の集積です。こういうまとめ方の本は、ぼくはめずらしいです。ピートハミルの新聞論は本文の翻訳は終わっているのですが、新規に書き下ろしを依頼している序文原稿が着かないので2月以降でしょうか。徳間で連載していた『産業の礎から』も本になるはずです。そして懸案の「核」も。で、新規に取りかかる戦争報道論もスパートをかけてなんとか来年内に。というわけで(一冊も本を出せなくて)不毛だった01年に比べ、書籍に関しては充実した一年になりそうではあります。
みなさまにとって01年はどんな年だったのでしょうか。来年は良い年になりますように。
では。拙雑文と一年間おつきあいいただきありがとうございました。
武田徹

連絡先 投稿者:武田徹  投稿日:12月22日(土)16時12分57秒

前に予告したように少し留守にします。月曜からだと思っていてチケット見たら日曜朝の飛行機だった。あぶなかった。
毎度のことですが連絡先を。
23日、28、29日(バンコク) The Dusit Tahni 662-236-0450(T) 662-236-6400(F)
24、25日(アンコールワット) Angkor 855-63-964302 or City Angkor63-380022
26、27日(プノンペン) The Juliana 855-23-36670
バンコクは国際都市だけど、カンボジアはたぶんネット接続は無理ではないか。さっきGRICで調べたけれどアクセスポイントがないようなので。タイに国際電話してということになるが、そこまでやらないと思う。インターネットカフェがあればニフティから転送しているホットメールは読めますが、まぁもう年末だから急用もそうないでしょ。
武田徹

ジャナ専 投稿者:武田徹  投稿日:12月22日(土)00時48分02秒

ジャナ専について一言。この前、力のある若手を本気で入れるつもりがないようだと書いたけれど、少し印象的な経験をしたのを思い出した。図書室に僕はよく行くので司書の人ともよく話す。この司書の人はすごく熱心な人で、少ない予算をやりくりして良い本を買おうとしている。で、図書新聞とか週刊読書人とかでぼくのような講師が推薦している本をしっかりチェックしているのだ。
その話になって少し考えさせられることがあった。ぼくがあるところで藤井誠二さんの『ひとが殺してみたかった』を推挙していたので、司書の人は会議にはかってくれたらしい。ところがジャナ専の上の人は藤井はやめといた方が良いと言ったのだそうだ。
それはたぶん藤井違いである。藤井良樹がジャナ専で公開講義と称して問題を起こしたのはぼくも良く知っている。
ここに一つの同じ問題点が通底して露呈している。藤井良樹を採用したこと自体がぼくは若い書き手について知識がなかったことの反映だと思う。そして知識がないから良樹と誠二を間違えもする。若い書き手のことは「最近の若手は」でひとくくりしちゃうというのはやっぱり問題だろう。確かに若い世代はメディア親和性が強くなってジャーナリズム志望と言うよりもマスコミ志望の人が増えているとは思う。これは学生もそうだけど、運良く書き手になれた人もそうだ。しかしジャーナリストと呼べる才能だって中にはあって藤井誠二さんなんかまさにそうだろう。それを見落としてしまうことですごくもったいないことをしている。藤井誠二さんなんかは一番今の若い学生に良い意味での刺激を与えられる人ではないだろうか。真摯な調べ方、書き方をしている貴重な人だと思う。それこそ本を図書室に揃えるだけでなく、講師に招いたっていいと思う。
ジャナ専で検索かけたらぼくのヨタ話と一緒に鈴木邦男氏のWEBがヒットした。なんか学生とよろしくやっているようではないか。ちょっとうらやましい(笑)。講師室などのやりとりを見てもそうだけど、イデオロギーがあるとジャナ専に来るような学生はかえって安心するのか。イデオオロギーっていうのはまずそういうものなのかも知れない。ぼくには違和感があるけど。

三点確保 投稿者:武田徹  投稿日:12月21日(金)10時28分42秒

山田広昭氏の『三点確保』(新曜社)を読む。ドイツロマン派と江戸の国学をフランス象徴主義という第三項と対照させつつ、近代国家という仮構物を読みとくという意欲的試み。ほくもソシュールを読むのに江戸の古文辞学派を対照させていた経験があるし、満州国やハンセン病療養所の問題に映し出すことで国家を描く作業をつたないながらしてきたつもりなので、こうした方法の有効性というか必然性はとてもよく分かる。切迫した必然性があるとさえ思っている、学問や批評はアジの開き同様にもっと開かれてしかるべきなのだ。それはジャーナリズムも同じですね。

さてさて、内容はさておき、その本のあとがきにこんな一節があった。

「一週間ほどして日本に戻ってきて新聞を手にしたとき、ふたたび我が目を疑った。なぜあの「事件」が、この国では自衛隊を海外に送り出すための機縁としてだけ、文字どおりの機会原因としてだけ機能してしまうのか。それではあまりではないか。報道の世界に見られる視点やスタンスの違いはまだしも理解できるし、きちんとした距離をとった記事も見かけた。だが権限と責任を有する場所にいて、少しはまともなことを言う人はいないのか。しかし、イチローの活躍にはしゃいで、わたしはピュアイチローだと、ほとんどギャグとも思えないギャグを(その話を聞いたときは、プアイチローの間違いではないかと本気で考えた)口にする人物を首相にいただいていることを、私たちは悲しむべきではないのかもしれない。それが苦笑であったとしても笑っていられる方が、勝手なリーダーシップをどんどん発揮されるよりもはるかにましである。少なくとも彼は重要な貢献をひとつした。イチローに国民栄誉賞なるものを辞退する機会を提供したことである」。

現実批評に於ける蓮実流の伝統は東大に生きている。思わず拳を振り上げたくなることもあるが、こぶしをふりあげること自体に普遍的に潜む危うさを思い起こして、ふりあげたこぶしで頭をかいちゃうようなスタイル。ぼくはこうしたスタイルが好きだ。現状では高踏的(パルナシアンとかカタカナを充てるとよりハスミ的でしょうか)とか言われるのだろうが、それは言っている側が標準的と想定している知的レベルが低すぎる。こうして身をくねらせて安易な結論からすり抜けて行くような身構え、「距離感」を広く取れるようになったら、市民社会はもっとしたたかで強いものになると本気で思う。市民レベルで共有できる健全な強さとはそういうものではないのか。ネットで発言している政治語りの好きな人にはとくにそう言いたい。

近況 投稿者:武田徹  投稿日:12月20日(木)11時53分00秒

昨日の午前中に書いた書評でぼくの2001年の仕事は全て終了した。このあともゲラの処理などはあるだろうけれど、毎年よりも早くおわっちゃった感じか。仕事をしている雑誌の発売日の関係でこのへんは変動があって、今年は年内校了、新年発売のものが多かったので、幾分前倒しになったようだ。年始校了だともう少しだらだら仕事をさせられるんだけど。
で、昨日の午後は休んで身心ともに癒し、今日から自分の仕事に入る。年末年始の時期は稼ぎ時なのだ。旅行にも出るけどそれも「場をかえて気分を変えて」と言う仕事のためという感じが強い。去年もそうだったし・・・・。去年はルアンパパンの秋篠宮夫妻もとまった部屋で清水幾太郎を読んでいた。実はその仕事はまだ終わっていなくて(一年越しだよ!)今年も来週からプノンペンで単行本の仕上げに入る。これからすることは複数のパソコンで仕事しているので、まずファイルの更新日時をみて最新のものを揃えることからだ。
ただ、その前にすることがあって、積んである新聞をまとめて読む(笑)。ぼくはある程度以上忙しくなってしまうと胸がいっぱいいっぱいになってしまって新聞が読めなくなってしまう。気分的に入らないのだ。TVのニュースは見ているし、必要に応じてネットではチェックしているのでだいたいの動きはフォローしているが、論説記事などを読むのは新聞を通じてなのでそれをまず始める。
で、少しその作業を始めて改めて思うのだけど、アフガニスタンはどうなっているのか。というのもTVではどこから出てきたのかと思うような、フリージャ−ナリストが登場してきて、組合問題などがあって危険地帯に取材に行かせられない大手マスコミの弱さを補うかたちになっているが、この人たちはいったいぜんたいどの程度信頼できるのだろうか(出来ないと決めてかかっているのではなく、キャリアとかがわからないので推測しようがない。局づけの人なら局の基準で良くも悪くも落ち着くんだろうけど)。特にぼくが気になるのは、投降したり、拘束されたタリバン・アルカイダ兵への拷問があるのではないかということだ。懸賞金額が膨大なので北部同盟軍などの間でそれが引き金になって自白の強要がなされることは想像に難くないし(生きたまま皮を剥いたりしてないか?)、アメリカ軍はそれこそ自白剤だって使ってもビンラディンやオマルの居場所を探そうとするだろう。
そうした懸念が当然のごとく出る以上、捕虜の扱いなどをもっと伝えて、ジャーナリズムの原点である権力への監視機能を果たすべきではないか。地味なネタ(ってことはないわな。今まではアメリカの武器でイケイケだったーーー考えてみれば今回の戦争はアフガンにしてみればアメリカ製武器の新旧対決だったわけだ。新製品のほうが性能が良かったわけでメデタシメデタシってか?ーー北部同盟の傘の下で取材してきて、いざ、今度はその問題点を取材できないと言うのでは、弱いモノいじめを、さも正義のように描いて、強きものをくじこうとしないへなちょこジャーナリズムだよー)は取材しない、ではいかんのだが。あと自衛隊は何をしているのかが伝わってこなかったように思う。
武田徹

日垣さん 投稿者:武田徹  投稿日:12月19日(水)09時15分47秒

先にここで書いた沢木の『墜落記』については日垣隆氏もメールマガジンで言及していた。ちょっと拝借。

*****
●月刊「文藝春秋」1月号掲載の沢木耕太郎「墜落記 私は死と向かい合った
 170枚一挙掲載」には笑かしてもらいました。尊敬する大先輩ではありま
すが、なにこれ。飛行機が不時着して無事だっただけのこと。それを「予感し
てた」って、あんた一体。「週刊文春」9月27日号の「日本人脱出者 貿易セ
ンタービル 私は地獄の『火砕流』から生還した!」でさえ2ページ弱だよ。
究極のトンデモなるしす〜。
*****
同感ですよ。これを載せちゃうメディア側の問題も気になるなぁ。立花論文もそうだけど人気度チェックはしているけれど内容チェックをしないっていうのは・・・・。

近況 投稿者:武田徹  投稿日:12月19日(水)08時30分48秒

朝までかけて原稿を書き、そのままジャナ専へ。さすがに疲れて足がだるくて歩けず、高田馬場駅からタクシーに乗ってしまった。
ジャナ専は最近寂しくなっている。学生も減っているし、覇気がない。専門学校からマスコミへと言う就職がかなり難しくなっている以上、学校の存在価値自体が問われ始めている感じだ。
しかし、ジャナ専には腕に覚えのあるジャーナリストや、ジャーナリズム出身者が多く講師を務めている。たとえば図書館に行くと蔵書数全体は少ないが、その中で講師の著作物の多さは感動的だ。その点で他の専門とはやはり相当に違う。ジャーナリズムを支えている人たちが支えていた学校なのだ。
そんなジャナ専は、うまくもってゆけばコロンビア大学ジャーナリズムスクール的な位置づけだって出来るはずだ。実務経験者がひととき現場からリタイヤし、改めてジャーナリズムを学び直すための学校に。実際、大学院レベルにしちゃうほうが存在価値はあるように思うのだ。ただ、良い講師が多いと言ったがさすがにご高齢になられている。そして若い講師には門戸を大きく開いていないので、老齢化は激しい。無策のままでは滅びるだけだが、まさか団塊世代と共に滅びて行くつもりではないだろうが。
一度帰宅して共同通信のゲラなどを処理して午後から法政。ジャナ専は来年も数回あるが法政はこれが最後の講義。一年間は長いようで短い。聞き易さを考慮して殆ど一回読み切り的な構成にしているのだが、全体として一つの世界観を呈示することも狙っている。棒暗記できるような内容ではなく、自分なりの考えを付け加えないと完成しない未完成形で講義をしているので、そういうスタイルに慣れていない学生にはきついのかもしれないけれど、何か少しでもーー異様な理解困難さでもいいからーー持ち帰ってくれればと思う。教育は未来に種を植えているつもりにでもならなければ虚しい。
共同通信のゲラは『2ちゃんねる宣言』の書評だった。機能の午前中が締めきりだったのでおとといの深夜に入稿したつもりだったが担当者からは音沙汰がない。特に問題がないからだろうと勝手に合点していたら月曜の夜になって「あの・・・締め切りすぎたんですけど」というメールが。送付したメールを見るとアドレスの中のkyodoがkyoudoになっている。当然、該当するサーバーがないので不達で戻ってきて良いはずなのだが、それはなかった。だからこちらも安心してしまったのだが実際には着いていたなかったらしいのだ。間違ったアドレスに送り、届いていないにも関わらず、不達の連絡が来ないことがここに来て続いている。電子メールがどこかに消えてしまうという東的にいうとまさに「郵便的な」ことがあるのか。

と書いて一度投稿し、すこし書き直そうと思ったところで意識が途絶える。着替えないまま寝てしまい、気がついたら朝だった。電気つけっぱなし、テレビも。情けない。

人 イヌとあう 投稿者:武田徹  投稿日:12月18日(火)06時39分38秒

朝までかけてグッズプレス用ペット対応住宅のルポを書く。ローレンツの『ひとイヌにあう』を久しぶりに再読。文章のうまさに改めて舌を巻く。小原秀雄先生の翻訳だが、原典だけでなく、おそらく翻訳も相当のお手並みなのだろう。で、ふと思い出したが、川端裕人の『ペンギン日本人と出会う』は、このローレンツの古典を意識した題名だったのだ。夏に朝日新聞のノンフィクション上半期ベスト5で選出したときにはそれに気づかなかった。沈んでいる記憶となにが響きあうかは偶然任せだ。うまく響き合いが成立せずに通り過ぎてしまった時には、後から悔しく思う。

べき 投稿者:武田徹  投稿日:12月17日(月)05時16分36秒

書き込みありがとう。「べき論」はこの問題だけでなく、いつも抜け落ちているんじゃないですか。何が報道事故があると、真摯に反省してメディアはどうある「べき」だったかを議論する番組や、紙面が作られますが、その時だけ。「べき」を考える主体が書けているというのが玉木明氏の指摘だけど、ぼくはそれは正しいと思う。

田中康夫vs読売 投稿者:袋小路  投稿日:12月17日(月)00時51分29秒

今のところ田中の方が「勝ってる」ように私には見えます。
私が気になるのはこの間、「権力とメディアのあるべき姿」などについての「べき論」があまり登場してないことなんですよね。

SPAにコメント 投稿者:武田徹  投稿日:12月16日(日)17時07分32秒

今出ている週刊スパに、チェーン店の微妙な差異を発見し、主体的に選ぼうとする消費行動様式についてコメント。これは談話構成ですが、ぼくはチェックしていません。チェックを申し出なかったのは自分だし、別に敢えて言うほど話した発言内容と違うわけでもないのですが、やはり「他人の言葉」感があります。まぁ。ゲラみて手を入れちゃうと話し言葉でありつつ、固くなっちゃうのが常なので(限られたスペースに理路整然とした内容をこめようとすると、どうしてもそうなる。それに対して)誰かにまとめてもらうとそうした「いい子ぶり」を極めようとはしないために読みやすなるメリットはある。この程度がバランス的にはいいのかもしれない。そういえば週刊宝島も(こっちからは頼まなかったので)ゲラ送ってくれないのかなぁ、やっぱり・・・・。

 投稿者:武田徹  投稿日:12月16日(日)10時41分45秒

そうですか、やっぱりチェーンメールの類なのか・・・・。
教えて下さってありがとう。
ただ、それはそれとして、ぼくの感じたことを少し書いておきます。
ぼくは前に報告したようにBADTRANSメールをうっかり開いてしまったためワクチンソフトでは駆除できず、自力でレジストリを書き換え、ファイルを削除する経験を強いられましたが、その作業自体は簡単なものだと感じました(セーフモードにするとか初歩的なところでつまづきましたがーー)。で、その時に、ウィルスだというたびにマイクロソフトの対応版エクスプローラを巨大な情報量に四苦八苦しながらダウンロードしたり、ワクチンソフトを買ってきて対応するしかないと思いこんでいた自分を省みて、実はもっと自力で対応できるのではないかと思った。で、先の書き込みもほんまかいなとは思いつつ、紹介はしたわけです。
もちろん感染の有無は、専門の検査プログラムによるチェックが便利だけど、それにしても今はワクチンソフトメーカーが自社製品の販売に繋げて行く形で無料でオンライン提供している。それはこの種の問題への対応として果たして理想のかたちなのか。もっと違う道があってもよいのではないか。
たとえばこの!0000チェーンメールについても、警告しているのワクチンソフトメーカーのマカフィーなわけですよ。もちろんウィルス問題の専門家だからということはあるのだけれど、そこには利害関係が発生するので、疑う人は疑うだろう。たとえば自分たちのワクチンソフトを売りたいがために民間療法を効果がないと言っているのではないか、と。
そうしたかたちで利害関係が成立する民間企業にウイルスのような問題の対策をさせるのは果たしてどうなのだろうか。そもそもウィンドウズのセキュリティホールが狙われているわけだが、そこにパッチのあたった最新版を通信コストをかけて手に入れる。なんか企業のミスが原因で更に無駄な消費をさせられている感じがしませんか。このままほおっておくとそうした堂々巡りにどんどんぼくたちはのめり込んで行くのではないか。
で、そこから、この種の企業的なものに頼らない姿勢ーーOSの在り方についても、ウィルスの発見、駆除についてもーーの可能性を模索するような動きがあっても良いのではと思いました。たとえば自力対応に限界があり、検査、駆除を支援する組織を新たに作るとしたら、それはぼくがよくいう「公」的なもの、言葉の正しい意味での「第三者性機関」になるべきだと思います。
BADTRANSはNIMDA以上の蔓延ぶりのようで、うちにもまだ1日1通は来ます。皆さんももうすっかり慣れて即座に削除しているのでしょうが、具体的な危害がなくなったからもういいということではなくて、ウィルス蔓延を奇貨として考えておくべきことはあるのではないか、と思います。

!0000について 投稿者:茶兎  投稿日:12月15日(土)23時47分41秒

こんばんは。初めて書きこみます。
ジャーナリズムの端くれにいる者として、こちらのページはとても勉強になります。
さて、もうご存知かも知れませんが、12月9日にお書きのBADTRANS_B対策について、知人に教えて貰ったページをお知らせします。
武田様もチェーンメールの可能性を示唆なさっていましたが、完全なガセではないにしろ、あまり役立つものではないということでしょうか。
http://www.nai.com/japan/virusinfo/virHOAX.asp?v=!0000_Hoax&a=HOAX

田中康夫と読売 投稿者:武田徹  投稿日:12月15日(土)21時33分57秒

京都から帰ったら書き込みが多くて驚き。しかも二つが長野がらみですね。
田中康夫vs読売は、ぼくはあまり興味を持たなかったし、各紙長野支局の動きの細かなところまでは知らないのですが、確かに書き込みを読む限りではおっしゃるとおりだとは思う。ですが、マスメディアと対立する場合、ある種の非対称性ということを考慮しないといけないとも思います。言論戦をするにも一方(読売)が言論機関であり、一方(田中)はそれ自体として言論を広く報じるメディア機能を自分自身ではもちろんもっていない。こうした非対称性の構図の中で戦おう(その戦いが正当なものかはとりあえずおいておいて)としたら、田中知事の場合は、まず読売の取材はうけない(少なくとも読売に相手側の意見も聞いた客観的な記事なのだというスタンスを取らせないためにーー)、そして話題を盛り上げて他のメディアでは取り上げさせて、少しでも自分が有利になるようにするという戦略が必要だと考えたのではないか。これは権力とメディアのあるべき姿云々の「べき論」ではなく、田中さんは一種のパワープリティクス的発想で動いているように感じる。ただ、もちろん袋小路さんのいうようにこれは失策かも知れないです。というのも本人は「べき論」を越えたところで勝負するつもりかもしれないが、公人としての立場を思うとやはり取材保留というのが悪印象を与えることは確かで、そのあたりの事情も含め今後とも他のメディアが彼についてきてくれるかの保証はない。ただ記者クラブ系メディアが「記者クラブ」の意味を捉え返して徒党を組んで田中さんに抗議するような動きも今のところはないようですから、田中さんはもしかしたら、読売だけ切り離すことへの勝算はあったのかもしれないですね。彼は自分の情報価値を伝ってマスメディアを渡り歩くことを今までもずっとしてきたわけで、そういうところは巧みですよ。
ぼくはこの前、大塚英志『江藤淳と少女フェミニズム的戦後』というのを読んでいて、田中康夫のデビューがあまり鮮やかだったと書く大塚の説明に感心しました。確かにそうなんですよ。江藤がなぜ村上龍を許せなかったかを検討すれば、逆にどのような小説にすれば江藤が誉めずにはいられないか分かってくる。田中の『なんクリ』はそこをまさに見事に押さえている。それは田中康夫のは無意識の産物だったのか。あるいは地の感性で作品を作ると江藤の共感を誘えるような天賦の際があったのか。
田中康夫は小説とか読まないし、文藝評論にも縁がなかったはずで、江藤淳の傾向と対策を踏まえて『なんクリ』を書いたとはとても思えないんだけど、確かに大塚も驚いているが、あまりにも見事にツボを押さえた書き方をしているわけです。そうしたところを改めて考えようとすると、ぼくは結構近くにいた方だとは思うのですが、田中康夫という人物がよくわからなくなってくる。もしかしたら相当な戦略家なのかもしれない。どうなんでしょうかね。

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