武田徹Official Web Site--オンラインジャーナリズム掲示板
LOG88

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ある掲示板から。 投稿者:円戸津高志  投稿日:12月14日(金)10時47分58秒

唐突ですが、三浦久さんと言う方のホームページに武田徹さんの同姓同名の方のことが出ています。その方も長野では知られたジャーナリストのようです。また三浦さんは英語の先生をしながらディランやビートルズの著書もあり、なかなか隠れフアンをもつフオーク歌手でも有りCDも出しておられます。今月20日には吉祥寺マンダラAで年末恒例のライブがあります。社会派の60年代のフオークを歌い続けておられます。良かったら同氏のウエブサイトからご覧下さい。http://www.hi-ho.ne.jp/gotta/miura.htm

少年犯罪の匿名報道 投稿者:袋小路  投稿日:12月14日(金)01時35分56秒

ゆきのじょうさんの

>私が気になるのは「男性被告(28)=事件当時19歳=」という報道の仕方です。という
>のは、その次の文章に「犯行時に20歳未満の少年だった被告に死刑が確定するのは」とい
>う解説で既に執行された死刑囚が実名で記載されているからです。ここにおいて匿名報道と
>いうモノがもつ意味性がどうにもあやふやのように思えます。犯行時に未成年なら匿名にす
>る、という決まり事があるのなら、誰がなんと言おうと(つまり本人が実名で公表しても構
>わぬと意志表示をしたとしても)刑が執行されても匿名を貫き通すべきではないかと考えます。

なのですが、この被告、事件当時から実名報道されてました。逃走中で凶悪な累犯のおそれがある場合などには実名報道する、と新聞協会が申し合わせています。で、事件当時から匿名なら、その後も匿名を貫いていると思います。

「少年事件の実名報道は許されないのか」(松井茂記、日本評論社)という本が面白いです。
立憲主義の立場から、匿名報道を批判する、という視点の本です。

about blankの件、私はデスクトップにFavoritesのフォルダのショートカットを置いて、ブックマークをダブルクリックして起動させてます。

田中康夫vs読売 投稿者:袋小路  投稿日:12月14日(金)01時24分01秒

もう旧聞に属してしまいますが、田中康夫の読売への「取材保留」事件って、どう思います?
私はあれは田中の決定的な失策だったと思ってます。
長野版を入れないことを批判するのは構わないし、批判に読売は答えた方がいいと思うけれど、そのこと(長野版を入れないこと、またそのことについて満足のゆく説明がないこと)を理由に取材を拒否するのは、権力側からのメディアの編集権への介入だと思う。で、読売は戦うべきだったと思うし、ほかのマスコミもできれば連帯して戦うべきだったと思う。で、そういうときのためにこそ記者クラブはあるんだと思う。
思い出すのは(ってあとから知った話だが)佐藤栄作首相が退陣のときに「新聞は言ったとおりに書かない」と新聞は追い出してテレビだけを相手に会見したんだけど、だれかが「テレビも一緒にボイコットすべきだった」と言ってたこと、です。

ニコンE5000 投稿者:武田徹  投稿日:12月13日(木)23時54分21秒

ニコンクールピクス5000というデジカメが随分前から発売予告されていて、広角が28mm(35mmカメラ換算で)から始まるズームは魅力的で少し物欲をそそられていた。ボディもカメラっぽいデザインで、光学ファインダーでも撮る気がするし、ストラップで吊った時の座りは良さそうだし・・・・。
で、アナウンスでは13日から発売開始だったが、量販店では12日から店頭に並べており、ぼくも渋谷のビッグカメラで少しだけと試用させてもらっている。でも買わなかった。電動の沈胴レンズの繰り出しが遅くてパワーオンの後、撮影可能になるまでの時間がかかるし、どうも沈胴はやわな感じがして好きになれない。今、しっかりした写真をデジカメで録るときに使っているのはやはりニコンのE990だけど、こっちはレンズがボディの中に入っているのでなんとなく安心。それに動作も速いように思う。なんで後発機がむしろレスポンスが悪くなるのか。
と、不満を感じていたら今日になって発売中止、全品回収だそうだ。ぼくが嫌ったレスポンスの遅さではなく、プログラムのバグらしいが。ということは発売開始前に買った人しか手に入らなかったということになる。へんな話だ。
しかしニコン、大丈夫か。デジカメ市場シェアは今、4−5位なのか。キャノンに抜かれ、ソニーに抜かれ、である。950は良いモデルだったと思うし、990も画素数を増やして他を改良しなかったバランスの悪さがあるが、電池のもちは良いし、そこそここなれたモデルだと思う。回転レンズは便利なんだけど、光学ファインダーが使いにくいのは欠点。そこが改善された5000だったのだが・・・・。
950でもそうだったけど、今度の5000でも販売体制はめちゃくちゃ。ニコンって日本の技術者集団の良心を感じさせるところがあって、安易な需要になびかず、プライドを持って理想のスペックを追う会社だと思っていたんだけど、最近はどうも軸足がぶれている感じがする。銀塩カメラでもF4で達成したサイレント設計をF5やF100で受け継がないとかおかしい。何がカメラにとっての本質なのか見失ってきているのではないか。貧すれば鈍すということなのだろうか。
明日は京都で出張講義。

墜落記 投稿者:武田徹  投稿日:12月13日(木)16時25分33秒

今出ている月刊文春に沢木耕太郎が『墜落記』という作品を寄せている。南米取材中にセスナで墜落した彼自身の経験をもとしたものだが・・・・ 言葉が悪いけれど。打ち所が悪かったんじゃないか。ほんとに。沢木らしい文章のキレがなくて、しかし私ノンフィクション文体で自分の見たこと聞いたことを書き流すので、なんかどこかの掲示板の近況報告(笑)の長いバージョンみたいだ(つまり商業出版には耐えない)。
向田邦子の追悼会に出たことや、カナダ経由でブラジルに行くつもりがテロの影響で散々な目にあったことを「今にして思えば」と自分の事故への前兆のように書くのだが説得力がない。確かにトラブルに多く遭遇しているが、ちょうど同時多発テロの時期だったので混乱は避けられないし、それ以外は偶然でしかないだろう。出来事を連ねて無理矢理ドラマティックにしようとしているが、かえって安っぽく感じる。それともこの程度の脚色でも沢木とあれば感動してしまうほどノンフィクションの読み手はミーハーになっちゃったのか。
確かに今までの沢木は出来事に出会う天才で、彼の多くの作品は運良く(悪く)彼が事件や出来事の当事者になることで書かれてきた(たとえば三浦知良逮捕事件を書いた『奇妙な航海』。写真家もそうだけど、偶然が味方しているとしか思えない人が世の中にはいる。もちろん冷静に分析すればそうした偶然を招き込める立場にあらかじめついていたり、実力で偶然を必然だったかのように表現してしまえていると言うことなんだろうが)。
今回も物書きの立場で墜落事故に遭遇するのは沢木の(悪)運の強さとも言えるが(他にいないからなー)、事故をもっと細部まで描いた方がよほど良かったと思う。一種の臨死体験でもあるわけだし。しかし本人も書いているがショックで記憶がとんじゃってそこまで出来なかったのか。それで「前兆」云々を延々と思わせぶりで描いたのか・・・・。担当編集者の話を聞いたわけでもないので事情が分からないけれど、もしも本気で臨んでこんな散漫な作品しか書けなくなったとしたらちょっと彼の筆力もピンチではないか。立花先生も批判本にあるように最近は確かにちょっとヘンだし、そろそろ世代交代すべきなのかもしれない。若手が舞台を得られると言うメリットもある。沢木なら印税でも相当食えるだろうし、講演とかでファン相手に営業している分には罪はない。しかし不況の出版社としては圧倒的人気のある大家から若手に乗り換えるのも怖いしというところか。
武田徹

安売り眼鏡店 投稿者:武田徹  投稿日:12月12日(水)09時12分00秒

めがね業界でもユニクロ化が進んでいて5000円でレンズ込みで作れてしまう店が増えている。ユニクロのように独占的な地位を占めるのではなく、群雄割拠状態が特徴だ。うちの近所にもチェーン展開中の二店が出来た。興味本位で覗いてみるとやっぱり安い。ちょうど度付きのサングラスをもうひとつ作りたかったので聞いてみるとサングラスでもプラス2000円で出来るという。7000円でサングラスが作れるというのは、ずっとメガネっ子でメガネに大枚を投資してきたぼくにとっては驚きである。それで、出来が良ければ儲けもの(レンズの加工は中心の出し方など案外ノウハウがあるようなのだ)と思って製作を頼んでみた。
ところがそこで落とし穴発見。サングラスだと3週間もかかるのだそうだ。普通のメガネだと一日仕上げなのに・・・・。たぶん中国に注文を出してレンズの色付けをして、もしかしたらむこうでフレームにも組んで・・・とやっているのではないか。そう思ってしまうのは国内レンズメーカーを使っていた今までだったらちょっと信じがたい遅さだからだ。
その店は駅まで行く途中にあるのでぼくは店が潰れないか毎日チェックしている。群雄割拠で過熱競争気味だし、その店は少し繁華街から離れているので客足が遠のいている。店がテナントを出した場所は過去にも100円ショップやらコンビニやらが出店しては撤退したいわくつきの店だということを近所の人間は知っている。で、今度もそう遠からぬうちに・・・とつい思ってしまうのだが、せめてぼくのサングラスが出来てから(笑)にして欲しい。
品物を引き取れないうちに店がつぶれたらどうしようと心配することは今までなかった。店というのはそう感じさえないような安定感があった。つぶれそうなところは雰囲気で分かった。でも今はそうではない。ネットショップは前からそうだったがリアルな店というシステムにまで信頼が欠落し始めている。そんなところにも時代を感じたりする。

近況 投稿者:武田徹  投稿日:12月10日(月)20時36分00秒

ジンジャーについてのコメント記事をNAVIに書く。ジンジャーは「空を飛ぶ」とか言われていたころに呆れ果ててその後はフォローしていなかった。動画映像が流れた日も忙しくてTVを見ていなかったから、すっかり話題に取り残されていた。編集部から電話があって慌てておさらい。
結局、ジンジャーは電気キックボードだったということが分かったわけだが、まだセンサー部分に画期的な技術があるのではないかとか、電池のエネルギー効率に革新があるのではないかと夢を見たい人が多いようだ。ぼくは夢を追うのはもう辞めた方がいいと思う。リアリズムで行こう。重心移動を感知して駆動力を制御する技術は二足歩行ロボットでもう十分に蓄積されたものだろう。それを含めて3000ドルはワンオフのモデルなら安いと思うが、あそまで前評判をあおっておけば数売れるわけで、結構、儲けが出る値段設定ではないか。そしてそれ以外の新技術はおそらくジンジャーにはない。その理由は・・・・、次に出るNAVIを読んで下さい。
今日はあと『音楽誌が書かないJポップ批評』用の原稿を二本書く。ユーミンについて。江藤淳、加藤典洋、大塚英志らを惹いて「アメリカの影を帯びた高度成長期の文学(江藤は田中康夫や村上龍を論じ、そこから加藤や大塚の戦後論が生まれた)」ではなく、「高度成長期の音楽」としてユーミン論を試みるが、まだ収拾がついていない。10枚では無理なのかも。
しかしユーミンは誠実だったなぁと今改めて思う。真摯に不毛さを引き受けたのだから。これについても詳しくは来年出る?同誌をみて下さい。
それにしても一日締め切り三本はきつい。しかも昼間は久喜まで取材に出て、寒風の中で立ちんぼうだったのだ。
武田徹

道路から農業へ 投稿者:武田徹  投稿日:12月 9日(日)20時00分49秒

週刊スパで自動車関係記事を書いている清水草一さんという書き手はぼくは面識がないけれど、自動車ライターには珍しく社会性があると思う(本人はフェラーリに乗っているなど社会性のなさ?をアッピールしているようだが)。
今週の号でも高速料金について書いていた。知らなかったのだが、通行料金を4000円から3000円に下げたアクアラインの交通量は4/3倍になったそうだ。料金収入は3/4になったが交通量が4/3倍になれば収益は変わらない。しかしアクアラインを通過するクルマが増えれば確実に首都高湾岸線と東関東自動車道を通過するクルマの数が減って、ここは渋滞解消による経済効果が出ているはずで、この値下げは大いに評価されるべきだ。更に通行量をもしも2000円に、そして1000円に下げたら、どうなるか。もしかしたら道路料の総収益も上がるような効果が出る可能性はないかーー。そんなことを清水さんは書いている。
確かにその通りだと思う。料金を下げて行き、交通量が最も増えるベストバランスポイントを探る。更には周辺道路の渋滞解消効果も勘案する。そうした作業で通行料金をもっと柔軟に決める制度があっていい。ダメなら戻すことも含めて、もっと細かく値段をいじって良いと思うのだ。そういう細かな対応が出来なくて建設費を償還期限で割るような大ざっぱな計算でしか通行料金が決められていることが硬直化を招いたのだ。
こうした柔軟な料金制度を背景にすれば、もうすこしぐらいは意味のある道路を造れるかも知れない。特殊法人批判もそうした建設的なアイディアを持ち込むべきではないか。
日本が土建国家以外の何ものでもないことは前に書いた。いま公共投資を止めて土建需要を全て凍結してしまうのは危険である(だから、やらないということになる)。だが、このような柔軟な料金システムでもう少し道路建設需要を発生させる。そして段階的に土建立国からの脱却を進める。どこで雇用人口を吸収するかと言えば、農業ではないか。
宇根豊『百姓仕事が自然を作る』の中で一反15万円の米を作る水田の、自然維持効果は金銭に換算して26万円にも及ぶという書いてあった。だとすれば農業を復活させることは生産量だけの経済効果に還元できない意味があるのだ。近代化で人手がいらなくなった農業だが、生物的多様性を回復させながら(つまり26万円の自然維持効果を十分に発揮させながら)仕事をするようになれば人手はもっと必要になるだろう。小さな虫や雑草をきめ細かに相手取りながら農業を行わなければならないからだ。だとすれば土建が吸収した雇用人口をもう一度農家に戻すことは出来ないか。そして一種のリバースエンジニアリングのように日本の山河を戻して行く。そうした長い目で見た列島改造(回復)計画を立てて行く必要があるのではないか。そんなことを国破れ、今度は山河まで失った高度成長期の文学について考えていた江藤淳を読みながら考えた(なんか田舎の自民党政治家みたいか? 農業についてはもうちょっと考えてみたい)。

ウィルス対策 投稿者:武田徹  投稿日:12月 9日(日)02時18分00秒

BADTRANS−Bはまだまだ蔓延中であいかわらず一日数通は頂戴している。
で、その対策なんだけど、こんなメールを送って下さった人がいた(まさかチェーンメールではないよな?)。

****ココカラ
Windows95に対してはMicrosoftが既にサポートを停止して居り、Internet 
ExplorerのSecurity Hole防止策に悩んで居たところ、W32/AlizやW32/BadTrans
のようなMass Mailer Worm(Outlook Expressのアドレス帳に侵入し、勝手に
増殖・発信するタイプのウィールス)をダマクラかす方法を教えてくれた友人が
居ます。本当に効けばメッケものにつき、お裾分け致します。尚、Internet 
ExplorerのVersion5.01SP/5.5SP/6.0をインストールしている場合
には、メールを開いただけ(添付ファイルは開かなくとも)で感染・伝播する事
はないそうです。
1)アドレス帳に「!0000」なる「姓」だけを入力、メール・アドレスは空
欄で登録。
2)すると、このアドレスはアドレス帳のトップに登録される。
3)ウィールスが侵入、自動的に再生・発信しようとする時、このアドレスに最
初に取り付くのだが、「アドレス不全の為送信不能」となって、ウィールス・
メールは「下書き」乃至は「送信トレイ」に入って止まってしまうので、そいつ
を削除すれば、転送は防げる。
****ココマデ

BADTRANSの性格上、これでは駆除は出来ないだろうけど、感染メールばらまきに関しては、なんとなくうまくゆきそうな感じではないですか。うちはもう生きている95マシンがないのでチェックできないですが、ウィルスといえばマイクロソフトのアップデイトに頼り、ワクチンソフトに頼りというのではなく、もしも手持ちの工夫で対処できたら痛快ですよね。お試しの場合は自己責任でどうぞ。チェーンメール化にも気をつけて。
武田徹

近況報告他2 投稿者:武田徹  投稿日:12月 7日(金)23時27分09秒

午後に取材を一本こなした後、芝のダイエービル(別名・軍艦ビルーー、確かに巨大だ。ここまで巨大なビルは海外でも珍しいのではないか)に入っているウェンディーズで少し原稿を書いた後、サントリー学芸賞のパーティへ。去年は自分もここで祝福される側にいたというのがもはや夢の彼方のようだ。今年の受賞者は学者ばかり。完全にアカデミズムの賞だ。去年は全然食事がとれなかったから一年遅れで東京會舘の料理の実力をチェック(笑)。結婚式では来たことがあったけれど。数人と挨拶し、少し話をして早々に会場を離れる。
下で西井本書評掲載は再来週と書いたが、急遽予定変更で今度の日曜日掲載になるよう。今日の夜、携帯電話でその連絡を受け、疑問箇所の確認などをその電話でした。そして、その次かまた次の週にチョムスキーの『9・11』の書評を書くことも決まった。これが今年最後の仕事になるか(掲載が、ですよ。締め切りはまだまだ結構ある。単行本も一冊は年内に校了のようだし。カンボジアに行く前にどれくらい自分の時間がとれるだろうか)。

近況報告他 投稿者:武田徹  投稿日:12月 6日(木)21時13分27秒

朝日新聞に「書いた」と以前に書いた西山一夫氏『20世紀写真論ーー終章』書評はまだ掲載されない。先週の水曜日に入稿しているので今週の日曜日でも出せたはずだけど、来週日曜にも掲載されず、予定は16日日曜だそうだ。うーん、遺族に早く見せたかった気持ちがあって、ちょっと残念。批評に旬があるのは間違いなく、特に新聞書評欄はニュース性があるべきだと思うのだけど。仕方がない。
PHPでまとめる予定の若者とケータイ電話に関する本も東販週報には12月中刊行と出ていたらしいけれど、とてもじゃないが無理です(期待した人がいたらごめんなさい)。今日やっと編集部作成のDTPゲラが出た。問題なしに進んでも1月下旬だろう。あと二冊、本当はもっと早く出るはずだった本が来年に持ち越される。西井さんがなくなったことも関係しているのか、前よりも焦っている感じ。先送りされるのが辛い。
昨晩はNTTのシンポで司会者のつっこみに乗って、言うつもりのなかった主催者に対する批判的発言までしてしまって「子供っぽいなぁ」と我ながら落ち込んだ後、夜はe+bの休刊記念飲み会。編集者3人が吉祥寺まで来た。飲んでも別に節度をなくして暴れるような世代ではないのだが、やっぱり休刊が関わると穏やかでいられない。自分の異動先もまだ不確かなのに、連載が中途半端になったことを詫びられて恐縮する。
ずいぶん前になるけど、講談社のViewがやっぱり休刊になった時に打ち上げパーティで編集者が男泣きしていたのが印象的だった。マスコミなんてへらへらしている連中の集まりだと思っている人には意外だろうけど、出世しか関心のないサラリーマンが仕事の一貫として作っている雑誌もあるが、殆どの雑誌は編集者の熱い思い入れで作られているのだ。もちろんうまくゆかないところもある。上司の命令とか、営業上しかたがなく、作りたくないページを作ることもある。しかし雑誌を通じて何かを表現したいと思う、止みがたい気持ちを持たない編集者など本当のプロの世界ではいないはずだ。
終日、別冊宝島用のユーミン原稿。BGMはレディオヘッドのキッドA。変な組み合わせだけどユーミンを聞きながらユーミンを書くのよりも筆が進む感じ。

書き込みありがとう 投稿者:武田徹  投稿日:12月 6日(木)09時33分44秒

aboutBlank派が名乗り出てくれて力強いです。バナーがべたべた張られていて重くなっている大アクセスポータルサイトをホームページにするなんて、効率化という近代化の原則から最も離れていると思うんだけど、メディアはあまり言わないですよね。CFを自動的にスキップしてTV番組録画できるビデオデッキが一時発売されて、しかし、すぐに販売中止になったことがあったけど、それについて何も言わないのと同じ構図だと思うと嘆かわしいです。広告がメディアを支えている現実は認めるべきで、その意味では広告が悪いというつもりはなくて、ぼくも広告のおかげで記事が書けていることを忘れたくないけど、単に起動直後に繋がる人のアクセス数まで含めて広告料が決まるというのはバブルというか、非合理的というか。それが巡り巡って電通の株価を決めて、電通株のおかげで共同通信と時事通信が経営難に一息ついてとか、考えて行くとなんだか気分悪くなるな(笑)
検索はぼくはsearchdesk.comです。お気に入りにはこれしか入れていません。ここから調べたいキーワードに適性が高そうな検索エンジンに飛びます。searchdeskは独自に調べた検索力順に検索エンジンを並べてくれていて、もちろん検索力調査と言っても全用語に対してなされるわけではなく、客観性のあるものではないのですが、参考にはなります。

私もblankです 投稿者:東天王ヨブ  投稿日:12月 6日(木)07時06分18秒

どうも、お久しぶりです。

私もプラウザの起動時はblankを選択しています。インターネットに繋ぎはじめてかれこれ7年くらいになりますが、
ほとんどポータルサイトを起動時に出すことはありませんでした。少しやってみたこともありますが、非常にうざっ
たく感じ、すぐにやめたことを覚えています。特にその頃はモデムも288でしたし。
そんなわけで私も「ポータルサイト」というものの意義は疑問です。ろくに読まないのにとってる新聞のようなもの
か。

そうなんですっ少数派なんですよっ 投稿者:いちべぇ  投稿日:12月 5日(水)23時08分59秒

こんばんは。風邪が流行っているようですね。

IEのホームペイジを空白ペイジにするというのは、ワタシも3年くらい前からそうです。
ワタシの場合は自己決定という深遠な思慮の元ではなく、単に重いから、だけですが。
ところがっ。ITベンチャーな会社で働いていたときに「へぇー珍しいねぇ」と
多くの社員から言われてしまったのです。こっちのほうがビックリでした。
ほとんどの社員が、YahooかInfoseek、あるいはgooといったポータル系のサイトを
ホームペイジにしていたんです。
それはそれで正しいのかも、という気もしないでもないですが、やっぱ起動するたんびに
外部接続しようとするってのはうっとうしいきがします。

でもまぁ、最近はほとんどGoogleがホームペイジのようになりつつあったりもするのですが、そんな折にGoogleツールバー日本語版が出たので、やはり空白ペイジのままで、検索時はツールバーで、と使えるのでとても重宝しています。

aboutblank 投稿者:武田徹  投稿日:12月 5日(水)10時42分49秒

自分は前からそうで、当たり前だと思っていたけど、他の人に聞くとどうも少数派のようなのであえて書く。エクスプローラの起動ページ(ホームページという言葉は本当はここで使われていたもの)はaboutblankにするといいと思う。なにしろ内容がないので軽い。バンドの広狭を問わず読み込みが早い。行きたいページがあったらそこから飛べばいいのだ。確かに検索サイトとか、自分のパソコンメーカーのサイト、プロバイダーのサイトなどは使う頻度が相対的には高いので、そこからネットに入るという選択をすることはそれなりの妥当性を持っているけれど、たとえば一日何回もパソコンメーカーのサイトに入る必要はない。必要なときには自分から行く。自己決定・自己責任の原則を起動ページでも貫こうではないか。それに、これがいわゆるポータルサイトのアクセス数のバブルを減らす。このポータル・バブルこそがネットバブルの原動力のひとつだったのだ。つまりWinner takes all幻想の供給源。もうバブルもしぼみつつあって、今やEven a winner lost allになりつつあるけど、バブル崩壊の流れにまかせるのではなく、個々人のレベルでも、自分がいかにバブルに加担していたかを自覚した上で、意志を持ってその流れを断ち切るというのがスジではないだろうか。
本当に簡単なこと(インタネットオプションで設定できる)で、起動ページをaboutblankにすることから新しいネット時代は始まる(なんちゃっておおげさですが、でも言いたいことは分かって貰えると思う)。
武田徹

やせ我慢の次 投稿者:ばん まい  投稿日:12月 5日(水)05時27分53秒

武田さんの補足、味わい深く読みました。

人間の内向姿勢が非生命物である無機物に思い入れるという結果をもたらす
ことや、人間意志の自発性ゆえにまた同様に無機物に思い入れるという産物が
生じることも「ひとつの文化だ」と、確かに言えましょう。 やはり我々は
ここで、文化という魅惑の一言に全てを任せず、なぜそのような内向姿勢や
自発性が起こるのか、考えてみる必要があるように思います。

生命を対象とした探求行為は、科学に限らず我々の世界で現在進行中です。
「生命の謎」を解く鍵だとかいうATGC配列は読まれる・何だかコムズカシイ
哲学論は発表される、、、でも、よくよく眺めてみたら金儲けの話だったり、
単に理解不能な言説を並べた紙だったりするようでもあり、かといって、
蛋白質分解酵素の働きに思い入れてみたところで、どうりで生命の姿は見えて
こないワケです。

ここで、「木を見て森を見ずとはよく言ったものだ」などと書きたいところ
なのですが、ナンダ昔の人がもう皆考え尽くしていると思えてしまうので、
止めておきます。

ぼくのセンチメンタルジャーニー1 投稿者:武田徹  投稿日:12月 4日(火)23時14分14秒

ばんまいさん。書き込みありがとうございます。ばんまいさんの掲示板への書き込みも読みました。そして、こんなお答えの仕方をしてみたらどうかと思いました。
まず僕自身がとんでもなくおセンチ(メンタル)な人間であることは告白しておかなければならないでしょう。後ろだけ向いて生きてしまいがちなタイプです。おりにつれ「去年の今日は○○だったなぁ」とか「もうあれから10年かぁ」云々と繰り返し口にするので、家人からは歳時記男と呼ばれております。そうしたルームミラーで後ろを見ながらが走るような自分の傾向がよくわかっていて、つくづく呆れてしまうほどなので、自分の自然な性向に反する「空元気」を奮ってでも前を向こうと思うことがあります。この前に「カメラ売る」決意もそのひとつでした。
で、これは個人的な問題ですが、少し一般論として広げるとどうなるか。
ぼくは生命を相手にする姿勢と、無機物(非生命という意味で)を相手取る姿勢は分けて考えるべきなのかと思います。
文化の遺伝子「ミーム」という考え方がありますが、確かに伝えられてゆくのはDNAの情報だけでなく、文化的な情報もまたそうなのだと思います。思いを込めて、感(センチメント)極まりながら語り継がれるべきものが世の中には多くあり、ノスタルジーがそうした「語り継がれるもの」に向かう意識である以上、それを打ち捨てて行くのは愚かしいでしょう。
ただ、一方で思い入れをすべきではないものもあると思うのです。それを生命と無機物という二分法で考えたい。ジョージ・ハリソンを正当に語り継ぐ記事はあるべきだと思います。センチメンタル(感傷)に流されず、静かに満ちて行く感情(センティメント)を的確に伝える記事が良い記事だという評価は共感できるものです。それはジョージ・ハリソンの生命の残したミームを、記者のミームと交配させながら(ちょっと比喩が過剰でしょうか?)伝えることでもあるのでしょう。
しかし、無機物に対して思い入れるのはどうか。たとえばぼくは父親から貰った時計をかけがえのないものと思います。しかし、それはものを通じて向こう側に父親がいるわけで、無機物そのものに思い入れているわけではない。それに対して最近ではペットロボットなるものがありますが、それに思い入れる人がいる。ペットロボットを通じて、誰かに思い入れるのであれば、ぼくの時計のケースと同じですが、あくまでもペットロボットそのものに対して、擬似的な学習効果であたかの本物のペットのように「慣れ」てきたように感じられるので思い入れる。壊れたら悲しく思う。

ぼくのセンチメンタルジャーニー2 投稿者:武田徹  投稿日:12月 4日(火)23時13分53秒


片岡義男の小説の中にオートバイ乗りが交差点でアイドリングしているときにそのエンジンの鼓動に生命に通じるものを感じて感極まるシーンがあるのですが、ことほどさように人間は無機物にも思い入れることが出来る動物です。それもまたひとつの文化ではあるのだと思います。
ですが、なぜそんな感情が起こるのか考えるべきではないか。ペットロボットの場合は間違いなく、作り手に「だまされ」ています。作り手は感情の高まりを計算して、飼い主が夢中になるようにプログラムしています。飼い主はそのプログラムの上で感動し、思い入れる。しかし作り手が書き上げられるプログラムというのは、生命の原理とは異質なものではないか。遺伝情報はあらかじめ与えられたものだけれど、状況次第で様々な対応がありえ、しかも二度と繰り返さない時間の中で生きて行くために生命の世界は時間を積み上げて変わって行く歴史的なものになる(このへんはばんまいさんのご専門にも近いところですね)。こうした歴史的なものの世界は人のプログラム能力を超えるところにその本質があるとぼくは考えます。少しキリスト教的かもしれないけれど。
で、議論がやや錯綜しますが、要するにプログラム可能な無機物に思い入れることは、生命への思い入れを何か窮屈な器の中に閉じこめてしまう。そしてそこに慣れてしまうと出て来れなくなるような気がするんですね。時間が経っても変わらない(少なくとも人間の生活の時間尺度では変化をしない)無機物相手に勝手に自分の側から思い入れて満足する癖がついてしまうと、生命の世界での交感のようなものへの感度を鈍らせてしまうのではないかと思うのです。
カメラに思い入れているよりも、カメラを持って外に出て、被写体と交感する方を選びたい。これまた告白すると、ぼくは片岡義男の小説の主人公ではないですが、ほっておくと機械やものに思い入れてしまうタイプなんです。それはやはりひとつの内向の姿勢だと思います。意味を持たない、それ自体では語りかけてくることもないはずの無機的な細部に、自分の側から意味を錯覚して見て取ろうとして行く、自発性の産物だと思います。それもひとつの文化だということは先にもかきましたが、個人的にはそこに留まるより、もっと外側に、一時たりとも留まらずに動いて行く生きた世界に触れる方を選びたい、そう思うのですね。で、要らなくなった「カメラは売る」。個人的な話と一般論がここでうまく結びついてくれればいいのですが、勝手な思い入れはいっぱい付着しているんだけど、それはやせ我慢でも吹っ切る。そんなつもりで書いた書き込みだったんですよ。どうでしょう、少し補足の役には立ったでしょうか。

書き込みありがとう 投稿者:武田徹  投稿日:12月 4日(火)07時31分12秒

ばんまいさん、書き込みありがとう。ちょっと今は時間がないのですが、必ずレス付けますからお待ちください。
武田徹

nostalgia sentiment  投稿者:ばん まい  投稿日:12月 4日(火)01時12分17秒

武田さん、当所を御覧の皆さん、こんにちは。

先日の武田さんの書き込み『カメラを売る他』での最後の一言「ぼくは空元気
であってもノスタルジーやセンチメンタリズムを断ち切りたい」に反応して
みます。

ノスタルジアやセンチメントといえば、George Harrison氏の死亡に関わる
新聞記事を、The Times / NY Times / Le Monde のウエブサイトにて
読みました。 英米のものはノスタルジアとセンチメントに溢れていると読め
ましたが、仏国モノにあっては他者よりも突き放した視点から記事が書かれた
ように感じました。 どの記事が最も事実を精確かつ効率よく伝えたかと
いえばやはりLe Monde記事だったと私は判断するのですが、その精確さと
効率のよさの原因は単に突き放した書き方にはあらず、という気がします。

大げさなノスタルジアとセンチメントが記事の伝達の精確さと効率を削ぐ
ことは確かだと思われるのと同時に、Le Mondeの記事は決して空元気から
書かれたものではないと私は思うのです。 ノスタルジアとセンチメントを
断ち切った後が空元気なのでは、その切断はpresentationでしかないと
私は考えます。 Le Mondeにあったような記事は、英米紙の振りまくような
感傷を削いで、できるだけ削いだ後に残ったノスタルジアとセンチメントが
動力源となって書かれたように思います。

sentimentalism/sentimentの違い?

ばん まい・www.cgigame.com/bbs/maiban.html

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