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LOG86

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ヤフーBB 投稿者:武田徹  投稿日:11月25日(日)21時26分10秒

このページは我が愛する学生から教えて貰ったんだけど、そこらのノンフィクションより面白いかも。この前、取材にいったときの話では、ヤフーBBの人はぼくの掲示板は読んでいるようだったけど、一企業が功を焦ってどこまで堕落しうるかを記録したこの貴重なページを、グループ会社の無料掲示板への掲載だからということで削除するような姑息な手は絶対に取らないほうが身のためだと思う。誠意を持って対応すること、それしかない(それは取材の時にぼくに応対したスタッフが事態の収拾のためにユーザーに対して今後は真摯な対応をして行くと述べていた言葉を空念仏にしないことでもある)。地に墜ちつつあるIT社会の信頼を回復するためにも。
InternetMagazineとかでは、e-japan構想がどうしたとか盛んに持ち上げているけれど、所詮は仲間内の、利益共同体が広げて見せている大風呂敷のようにしか思えない。高速ネットワークで繋がったIT先進国家とやらを結局は見せかけだけの、森喜郎の名前に似ているシンキロウにしてしまうか、本当に未来の日本にとって意味のあるものに出来るどうかは、個々のケースに誠実な対応するというごく当たり前のことがごく当たり前に出来るかによっている。

http://www.geocities.co.jp/MotorCity-Pit/2699


影響関係・非影響関係 投稿者:武田徹  投稿日:11月25日(日)14時43分43秒

 新作が出来るといつも話題となる岩井俊二を『スワローテイル』のプロモーション時に取材したことがある。映画関係では広報スタッフが見張っていて関係ないことを聞けないことが増えているんだけど、このときは比較的しばりが緩くて、話は彼が以前撮った作品である『ピクニック』に及んだ。精神病院に入院している男女が塀のうえをどこまでもどこまでも歩いて行くという作品だ。チャラと浅野忠温が見初めあった映画でもある。
 その作品についてぼくは「あれは、はちみつぱいの『塀の上で』の影響があるんですか」と尋ねた。『ピクニック』には鈴木慶一が神父役で登場していたし、岩井自身ライダースのファンだと何度も雑誌のインタビューなどで語っていたから。ムーンライダースの前身であるはちみつぱいも当然聴いていると思った。
 しかし意外なことに返事はのNOだった。「そんな曲があったんですか」と逆に聞かれた。
 その時はなぁんだライダーズファンと言っても軽症じゃんと思ってやや拍子抜けしたが、映画そのものにそくして考えてみると『ピクニック』は『塀の上で』とはイメージが随分異なる。『塀の上で』を聴いていたら、その延長上に「塀」のイメージが固着させられて、『ピクニック』は出来なかったかもしれない。影響を受けなかったゆえに出来る作品もあるのだ。
 影響関係は特にビン学などの作品研究の定番的なテーマになるが、非影響関係は論じられない。案外とそこは落とし穴のように思う。知らなかったからこそ作れる作品もある。直接の影響関係よりも調べるのが難しいけど。
 さて、そのはちみつぱいだが、最近、本当に久しぶりに『月夜のドライブ』を聴いた(カフェミュージックの再編集版のブームで日本のロックの再編集版『喫茶ロック』なんてふざけたものが出ている。でもはぴいえんどとか早川義夫、はっちみつぱいなんてクレジットがあるとつい手が伸びちゃうのだ。レンタルですけど)。そして思ったのだが、フィッシュマンズの『ナイトクルージング』は強くその影響を受けている。エコーのかけ方とか、たぶん間違いない。聴いて驚いた。
 しかこちらはおそらくはストレートな影響関係だが、もはや確かめることは出来ない。鈴木慶一が生き延びているのに、佐藤伸治が先に死んじゃうとは思わなかった。

お知恵を拝借 投稿者:武田徹  投稿日:11月23日(金)01時02分29秒

月曜日に国際交流基金で日本語・日本文化研修中の外国人相手に講義。一回切りの特殊講義で日本について疑問点に応え、ディスカッションするのだが、なるべく有意義に進めたいと思って事前に、日本について感じたこと、聞いてみたいことの質問票を出して貰ったら、結構難問揃いで、別の文化枠から出される質問はやはり随分違うんだなと実感。もちろんぼくも準備はして行くけれど、ここにその質問をアップしますので、何か思うところあったら教えてください。

その1
  日本へ来てからそろそろ2か月になるようです。このごろセンタ〜の近くにある
男の人はお手洗いへ行かなく,道のそばに小便することががあります。日本は文明的
な国ですから,このような事をすることが不思議だと思います。それから外来語につ
いて先生の考えを聞きたいんです。たとえば日本人はどうして外来語がとても好きで
すが?外来語はどう言うふうに日本語のなかに入りましたが?外来語について先生は
どう思いますが?等、いろいろ教えていただけませんが?

その2
「日本での〔左側通行の由来、その(社会的)影響〕」

その3
日本に来てもう一ヶ月半になりました。この間、日本の伝統文化の素晴らしさを深く体験しました。でも、ちょっと分からない所を先生に伺いたいと思います。日本の能と狂言の俳優はどうしてみんな男性ですか?女性の方はだめの理由はなんですか?その他に、日本精神についてどう考え
ますか、日本精神と日本の経済成長の関係は緊密ですか?いまの日本精神は変化がありますか?
  いろいろな問題を出しました。どうぞ よろしくお願いします。

その4
今、一つの問題が聞いて頂きたいですが、日本では 今
 少子化が進んでいると共に 離婚率も高くになるかもしれません 教えて頂きませ
んか。

その5
「日本の風俗業は発達しています。マンガ、雑誌から、テレビ番組、ビデオ・テ
ープ、電話、映画まで、いたる所で見られます。ナイト・クラブ、ホテルの広告も
時々見られます。政府からの制限も一切ないみたいです。それはなぜですか。」

その6
ベトナムには風俗はおもに2つあります。それは国家の風俗と村の風俗です。ベトナムの封建時代には、村の風俗は国家の風俗より重要なものです。その時、ベトナムには『天皇の法則は村の律例より必要がない』ということわざがありました。
日本の場合はどうですか 今、日本には村の風俗についての資料はどこに保存していますか。所蔵する図書館またいくつかの資料を紹介してくださいませんか。
 そろそろお正月になりますので、先生は日本のお正月のおもな習俗をいくつか紹介してくださいませんか。
その7
この頃 外来語がだんだん増えていますけど、問題はこうした外来語が日本の中だけで通じるもので、外国人が聞いてもぜんぜんわからないのです。日本の国際的な地位を考え見る時、文化的な普遍性が非常に必要だと考えますのに このような外来語は外国人には気にかかるものです。
第二は、通行方法の違いです。なぜ島国、特に日本、イギリス、オストラリアなどでは他の国と違いましたか。背景が あれば教えてください。」

 投稿者:武田徹  投稿日:11月22日(木)00時41分50秒

↓ あ、ちょっと書き方がまずかったんでしょうか。ぼくが前のめりになると書いたのは、エスカレータの最初のステップに乗る瞬間のことですよ。途中はおっしゃるとおり、角度とか奥行きの問題が大きいでしょう。でも止まっているエスカレータに乗った瞬間に、身体が前にいっちゃうような感覚ってないですか? これは角度の問題じゃなくて、たとえば水平の動く歩道でも故障で止まっていると同じ経験します。ですから、これは視覚から来る条件反射でエスカレータ、動く歩道上での運動パターン(=後ろ向きGに対してカウンターバランス的に動くよう)に無意識に身体を対応させてしまうことの結果だと思う。
そういうことなら合意できそうですか?
武田徹

re;文明は身体を変えて行く 投稿者:しんかわ  投稿日:11月21日(水)22時28分31秒

あのう、ぼくはいつも「つい見過ごしてしまうようなことに気づく」
という武田さんの見識に敬意を払っています。
ただ、エスカレータが故障したときに人は前のめりに登る、
それは文明が身体を変えている、という説には、
率直なところ、「んー、ほんまかいな」と思いました。

たしかにエスカレータに対する慣れも影響しているのだと思いますが、
エスカレータって、ごく標準的な階段よりも、一段ずつの奥行きが広い。
そして、エスカレータは標準的な階段に比べ、傾斜もきつい。
(これは、エスカレータと普通の階段が併設された駅を見れば一目瞭然)
すると、エスカレータをみずから登る場合、
おのずと前のめりになってしまう、というもの。
(ほら、寺社の階段で前のめりに登る人が多いように)
つまり、文明の影響もさることながら、「故障エレベータ前のめり問題」は、
エルゴノミクス的観点から考えたほうが妥当なように思います。

チェーンメールコメント1 投稿者:武田徹  投稿日:11月21日(水)20時41分29秒

ぼくは定期的に自分についてネット上でどう語られているか、検索をかけてなるべくチェックししようとしている。それは自分の立ち位置を確かめたいがためで、若いうちは冴えていた人でも、ボケてくるとそうとは気づかないままヘンな意見を言っちゃう。とんでもない反動的な意見やお説教をを平気で言えるようになる。そんなみっともない姿を散々見てきたので、せめて自分はそうならないために、世間の反応を出来るだけ見ながら、自分を省みようという考えなのだが、明らかに誤解に基づいており、訂正の価値があるように思える反応もみつけてしまう。
これはかなり古いものだが(ADSL化記念でgoogleのキャッシュを普段調べない深さまでみて発見した。全部見るのは大変でまだまだだけど、とりあえず)ちょっと気になったので一言。

随分前になるけど、ある事件があり、こんな記事が出た。

****ココカラ引用(原文はwww.mainichi.co.jp/digital/netfile/archive/200005/31)
「善意」がチェーンメールに 日本医大多摩永山病院で診療に支障
 「血液型がAB型Rhマイナスの妊婦が手術するので献血に協力してほしい」という善意から発信された電子メールが「チェーンメール」となって広まり、献血の申し出や問い合わせが日本医科大多摩永山病院(東京都多摩市)に殺到、診療に支障が出始めた。病院はメールの転送中止を呼び掛けている。
 同病院の関係者によるとメールの発信者は妊婦の家族の友人という。2000人に1人とされる血液型で、血液が足りないということを聞き込んで発信したらしい。手術の時期や必要な血液量などが具体的に書かれていたうえ「周りの友達、家族、親せき、会社関係の人に伝えて」と書き添えられていたため、急速に広まったとみられる。
 19日から病院へ問い合わせが届き始め、以来「毎日何十件もの電話が殺到して他の患者の応対ができないほど」(同病院)。事態を重く見た同病院はホームページに「供血をお願いしていることは事実だが、メール自体は病院が出したものではなく、内容に責任は負えない」という文を掲載。「診療に支障が出ている。善意だとしても、これ以上の転送はやめてほしい」と呼び掛けている。
 「デジタル社会論」の著書がある評論家、武田徹さんは「チェーンメールは原則禁止にするべきだが、短期間に情報発信できるメリットも確かにある。各人がメール内容や配信方法を工夫したり、不確かな情報を一人歩きさせない制度を作る必要もあるのではないか」と話している。
ココマデ引用***

で、この記事に対してこのようなコメントをされている人がいた。

****ココカラ引用(原文はwww.judstyle.com/pg-prv/product/dialy/p_bup005.html ただしキャッシュ以外消滅している。)
5月31日
よくよく調べたのよ、昨日受け取ったチェーンメール。
そしたらメール発信時刻と、いろいろな情報を総合してみる。

・・・・・こりゃ。

メールが送られてくるずっと前に、
一部の大手情報サイトやチェーン・SPAM関連サイトでは
「チェーンメールにつき注意」の旨すでに告知されているではないか。
しかも病院側では5/24には既に関連情報の掲載と
対策の告示がなされてるではないか。
しかもこの病院って、簡単に検索エンジンに引っかかる・・・・。

じゃあ、みんな(俺に送ってきたやつも含めて)が
ロクに情報の真偽も確かめずにCHAIN
してたってことか?

これってしかしアレだな、
「他人の善意(偽善?)と虚栄心を最大に利用する」
という点で、
ウィルスよりタチが悪い
よなぁ。

車の運転中にヒトを轢いてしまうと、
「業務上過失傷害」ということになるのだが、
コンピュータでの問題は金銭的に考えると
交通事故とは比較にならないこともあるだろう。
不正アクセス取締法が成立して、国内でも
コンピュータを操作することが「情報業務」として
認められつつあるなかで、これはあまりにも
お粗末なんじゃないのか?

しっかりしろ!
<続く>

チェーンメールコメント2 投稿者:武田徹  投稿日:11月21日(水)20時40分07秒

と、ここでひとつ、馬鹿者を紹介しよう。
「デジタル社会論」の著書がある評論家、武田徹さんは「チェーンメールは原則禁止にするべきだが、短期間に情報発信できるメリットも確かにある。各人がメール内容や配信方法を工夫したり、不確かな情報を一人歩きさせない制度を作る必要もあるのではないか」と話している。
そんなメリットよりも、デメリットのほうが大きいだろう?
この男のいう通り制度を作ったとしても(それが法制度でも)、
大して効果をあげないのは目に見えてるじゃないか。
中途半端になるのがオチだ。それに対して「小国綾子」(武田註:毎日新聞記者名)氏は以下のように述べている。
▽チェーンメール ・・・ 別の人に同内容のメールを転送するよう要請する電子メールのこと。途中で情報の一部が改ざんされ、不確かな情報が広がることでトラブルを招くことも多い。インターネット技術特別調査委員会(IETF)は善意であるかどうかを問わず、禁じている。
こっちが正しいのは議論に及ぶところではないと信じるが・・・
やはり善意(何度も書くが俺は「偽善」と解釈する)が絡むと
難しい問題になるのだろうなぁ。俺はそうは思わないけど。
人間全体の利益を考えるなら、絶対に小国氏に1票。

ココマデ引用****

正直な感想を書かせて貰うと、この人はずいぶん単純思考だなぁと思った。
まずコメント取材で拾いあげられた部分だけをもとに立論するのは限度がある。それはコメント取材があくまでも断片的になる以上、しょうがない。ただ、そうしたもどかしさを解決するために。ぼくはネットメディアを使えるんではないかと思っている。たとえばぼくはこのコメント取材の後にこんなことを自分の掲示板で5月26日に書いている。他の人も同じ様なことをしているケースがあり、今はコメント取材をうけた本人が言葉を敷衍している可能性もあるということだ。そんな事情まで想定して、たとえば自分の意見をアップする前に検索をかけるなりしてこれを調べる努力して下さったかな?


****ココカラ引用
「RH-の血液が足りない」というメールが行き交い、マルチチェーンメール状態になっている状況について毎日新聞からコメント取材の依頼がありました。僕の所にも複数のルートから届いていて、気になっている件だったこともあり、取材を承け、以下のような内容のコメントをしました。
「善意のメールなので複数ポストしても許されると肯定的に考える人が多くいたためにメールが広がってしまった。人は基本的に<善意>に弱いし、インターネットが人助けなど社会を改善する方向に役立てば良いという期待を抱いていた人は、まさにその時が来たと言うことで転送に精を出したのではないか。そうした事情があって、メールが広がりすぎた時に起きるネガティブな面への想像力に欠けていたのだと思うし、あるいはそうした展開を想像できない初心者がネット社会に増えるタイミングだったということもあるだろう。ただ、こうした状況に対してチェーンメールだから一律禁止すべきと否定的に考えるのも現実的ではない。自分の行為がチェーンメールだという意識がない人にはその主張は通じないし、実際に血液が足りなくて困っている人がいるのであれば、禁止することが正義だとは言い切れない。現実的な対応として、ネガティブ結果を極力導かないように、メールを出す人が内容や配信方法に工夫したり(具体的には自分を信頼して貰えると思われる人に限って配信する。それでも相手が信頼してくれるかどうかは問題が残るが、会ったことすらない相手も含まれる自分の持つメールアドレス全員に送るような方法よりは遙かに堅実な伝達になるだろう。数打てば当たるという発想は数に足を取られる場合がある)、不確かな情報が一人歩きしないよう社会的制度作り(たとえばアドレスと個人のバインドをもう少し強くして、後からメールの流れたルートを確実に辿れるようにし、事故の場合の調査を可能にすることで、恒常的に不確かな情報流布の抑止効果を狙うなど)をしてゆく必要があるのではないか」。
と、少し一般論的すぎたかも知れませんが。こんなことを話しました、記事になる場合は1週間以内にということでした。
さて、この一件、「既に血液は足りた」というメールがその後を追うように流され、ネットの世界では落着していますが、記者のかたと電話で話して仕入れた知識によると、実はメールの文面からは分からない色々と錯綜した事情もあるようです。それは毎日の記者の方が取材したことなので彼女の記事を待ちたいですが、ネットが絡むことで社会は一段と複雑な動きをするようになったなぁと思うことしきりでした。以上、ご報告まで。
武田徹
****ココマデ引用
(続く)

チェーンメールコメント3 投稿者:武田徹  投稿日:11月21日(水)20時37分44秒

ここにも触れているが、もちろん記事に書かれなかったこともある。「確認しなかったのか」と先に引いたコメント氏は言うが、むしろ転送の前に真偽を確認しようとするメディアリテラシー度の高い人が多かったから、電話が殺到して病院の業務はパンクしたらしいことは付記しておきたい。このコメント氏のところに届いたのは、そうした一連の経過の後らしいので、WEBでも確認できたという意味で書かれておられるのだが、確認が全面的に正義だとは言えない事情がある。
そして、こちらはぼくは掲示板に書いちゃったけれど、記事にならなかったことだが、事態を修復するためにも実はチェーンメールが使われたのだ。「血液は足りた」という情報をチェーンメールの回路を通じて再び流すことでしか事態の収束はできなかった。このコメント氏のところにはそうした作業の後にもメールが届いているので、完全に火消し作業は出来なかったようだが、チェーンメールが爆発的に流れたのは彼のところに到着するもう少し前のことのようだ。
しかもーーー。これはぼくは記者から聴いたことで、記者は記事にしなかったのだがもう時効だし、インターネット社会を考える上で重要なので書いてしまう。その「血液足りた」メールが流れているときに、実は血液は足りていなかったのだ。それはあくまでも事態を終息させるために病院(に近いスジ)側から意図的にウソの情報が流された。
実際にはネットなどとは無関係な献血ルートで血液は集められ、無事手術は終わったと記者の人から聴いている。それを信じるなら「良かった」と思えるが、それに対してまったくイケてないのはネット社会のていたらくである。
この一連の経緯を考えて欲しい。それでもなお「チェーンメールは絶対禁止」と言いうるのかどうか。もちろん迷惑なメールは困る。ぼくはマルチ請のようなチェーンメールにはかなり強硬な手段を取って対応して来た。しかし、それでもなお「原則禁止」としかぼくが言えなかった事情を、ある程度、理解して貰えるのではないか。
チェーンメール問題には、言うまでもないことだが、それをチェーンメールと見なすか否か、それを善意とみなすかどうかなどの価値観が絡み、チェーンメール行為の結果としてもたらされる効果の価値をどう測定するかの判断が絡む。「人間全体の利益」なんて問題は、ぼくを批判している人が考えているほど簡単じゃないとだけは少なくとも言えるのではないか。単純思考が一番危険なんだとぼくは思う。

日付のある写真  投稿者:武田徹  投稿日:11月20日(火)22時23分32秒

西井さんのことを書いたので、もうひとつ。彼が編集していた『20世紀の記録』のホロコースト編は非常に高い強度に仕上がっていたが、巻頭写真を見て、これだけは残念だと思った。西井さん自身の撮影で、写真自体はしっかりと構図を押さえた手堅く、非常に良いものだが、全てのカットの右下に日付が入っているのだ。
日付が入ってしまう事故をぼくも一度経験している。あるロックミュージシャンの取材をした時、撮影を頼んだ女性カメラマンは、インタビュー中の邪魔にならないようにと気を使って(本人談)EOS100を使っていた。たしかにEOSは1よりも100の方が作動音が低い。しかしその写真が仕上がって唖然とした。素人の記念写真のように日付が写し込まれていたのだ。EOS1のようなプロ用機にはデート機能はないが(コンタックスRTS3にはあるが、コマの中ではなく、コマとコマの間に写し込む)、100にはそれを望む消費者に期待に応えて日付が打ち込める裏蓋が用意されていた。そしてカメラマンはその作動をマニュアル操作で消すのを忘れたのだ。
日付の入った写真を雑誌で使うのはなんともみっともなく、そこをトリミングして使えるカットのみを使用した。
『ホロコースト』もその種のミスだと思った。西井さんにしてみれば、自らポーランドのオフィシエンティエムまで取材に出掛け、自ら撮影したカットであり、ホロコーストの歴史的意味の重さを深く受け止めているからこそ、その特集号を出しているのでもあり、こうしたケアレスミスは痛恨事だったろうと思った。シリアスの極みとなるべき写真が、素人の記念写真のようになってしまい、なんか痛々しいなと思った。
しかしーー、国境なき写真家旅団のWEBページにもアウシュビッツ2(ビルケナウ)の、一部分だけ残された運搬用レールの端から写した管理棟ビルの写真が使われており、そこにももちろん日付が入っているのだ。それをみてもしかしたらこれは確信犯だったかと思った。西井さんは自分がそこを訪れた刻印を残そうとしたのではないか。今となってみると、その刻印の重さが伝わってくる。89・9.28。西井氏が確かにそこにいたのだという事実がぼくの心を打つのだ。バルト的な、人を棘のように刺す写真の力。しかし、それは佐内の新作のようにだらしなく写された弛緩した写真ではないことが異なる。
・・・・・それにしても、なぜ日付が入った写真をぼくたちはそれだけで素人臭いと思ってしまうのだろうか。写真が記録であれば、いつ撮られたかは重要なはずだ。しかし、なぜプロの写真家や、プロ指向のアマチュアの写真の殆どに日付は入らず、素人の写真にだけ日付はあるのか。我々は写真に、その性格に反して、出来ることなら、なにか超時間的なものを望んでいるのだろうか。だから写真に多くを求める人ほど日付の刻印を嫌うのか。しかし刻印が棘となる写真もある。

西井一夫氏と佐内新写真集  投稿者:武田徹  投稿日:11月19日(月)22時05分54秒

西井一夫さんの近況を書評用の本を探していて見つけた新刊『20世紀写真論・終章』で知った。病床にいらっしゃるとは全く知らなかった。ぼくは同業者との間で仕事以外の交流をまったくもたず、業界情報も殆ど耳に届かない。それを今度こそは残念に思った。
西井さんと仕事をさせていただいたのは『20世紀の記録』シリーズにおいてだ。西井さんからすれば甘ったれた若造に過ぎなかっただろうぼくに、西井さんは何本か原稿を書かせて下さった。発表の場を与えてくれた、のだと思っている。編集部で一度だけお会いした。部数不振にもめげずにシリーズを完了させて、毎日新聞社を退社。その送別の会にもぼくは用事で出られなかった。発病はその後だったようだが、お会いしてお礼を言っておかなかった悔いが残る。毎日新聞社を辞められてから立ち上げた国境を越えた写真旅団のWEBも更新が滞ったままだ。
写真が、あだ貧しかった中からフォトジャーナリズムが生まれ、コンポラ写真が育ち、日本ではプロヴォーグの運動が導かれる。そんな状況の中で『カメラ毎日』の編集に携わり、やがて訪れたビジュアル文化の隆盛の時代がむしろ写真文化をやせ細らせる、そんな逆説の中で『カメラ毎日』の最期を見とった西井さんにしてみれば、フォーカスの休刊は既視感を感じさせるニュースだったのかも知れない。藤原新也がフォーカス休刊に寄せた記事への徹底的な批判が新刊書では痛烈な印象を残す。

西井さんの本と同列に佐内正史の新刊写真集『俺の車』が平積みになっていた。もしも気鋭の写真家として評価の高い佐内の名がなければ、これは素人写真以下でも以上でもないだろうし、印刷され、製本され、配本されて書店で平積みになることもなかっただろう。佐内が才能ある写真家だというのは認めるが、少なくとも今回の写真集に彼の才能のたまものと思わせる作品は一葉もなかった。
ヒロミックスもそうだが、確かに彼らの写真(今回の佐内の作品も含めーー)はかけがいのない瞬間を写し停めており、それが過ぎて行く時間だったと思えば切ない。しかし、それがかけがえがないのは、ブレッソンの決定的瞬間とは決定的に意味合いが異なっていて、写真がその存在として担う刹那性ゆえにだ。それは誰が撮ってもせつないのだが、写真集にならないと多くの人は人はその切なさに気づかない。写真集が出せるというとことに商業の関与があると言うことは気づかないままに。
しかしそんな切なさの訴求力が写真の力ではないはずだ。

1ch.tvの記事  投稿者:武田徹  投稿日:11月19日(月)09時45分38秒

 以前にお知らせした1ch。tvの記事です。先週の読売新聞に掲載されたもの。
それにしても、取材、受けてよー>西さん 日本のITはあなたの申し子だと言っても良いんだから。なぜその「今」が、今のようにあるのか、振り返って、遡行的に語ることは、巡り巡って「未来」のためにも意味があると思いますけど。

****ココカラ


 アスキー元社長(現・特別顧問)の西和彦氏がプロデュースするインターネットの掲示板サイト1ch.tvが旗揚げされ、話題を呼んでいる。
 誰でも自由に投稿できる掲示板サイトには事件の目撃者や事情通が真相を直接書き込む。こうしてマスメディアがカバーしない情報が掲示される点が魅力で、「2ちゃんねる」のように日に数百万アクセスを集める人気掲示板サイトも育っている。だが名前を記さずにも書き込めるために無責任な発言や、誹謗中傷も多い。実は1ch.tvが立ち上げられたのも、西氏自身が2ちゃんねるで酷評されたのがきっかけの一つで、「荒れない」掲示板作りの必要性を氏は感じたという。具体的には編集者を置いて無意味な投稿や嫌がらせは削除。各自が発信する専門知識の価値を広く共有するための掲示板を目指すとされていた。しかし開設後一月が経って、その理想の高さとは裏腹に、削除方針へ反発する感情的な発言ばかりが目立つ。将来は閲覧を有料化するというが、前途は相当に険しそうだ。
 そんな1ch.tvの苦戦に掲示板サイト運営の難しさを改めて思う。その原因は、そもそもネット社会自体が「信頼」を欠くことではないか。たとえば電子掲示板の問題として匿名性の高さがよく指摘されるが、実は本名で投稿しても事態は全くは改善されない。マスメディアへの露出の多い著名人が実名で発言したとしても、それが本当に本人かは確認が難しい。「なりすまし」があり得るからだ。このように実名で登場した発言者のアイデンティティすら疑わしくなる「信頼」性の欠如があるからこそ、多くの人が安全のために匿名を隠れ蓑にしたがるのだし、その結果として「書き捨て御免」的な発言も増えて掲示板が荒れてしまう。
 その点、従来のマスメディアは違っていた。情報の受け手はそこでなされている発言が本人のものかまで疑わなかった。こうした「信頼」は、マスメディア機関が獲得して来た歴史的地位や、発言者が発言の場を得るまでに担当者との折衝が必要で「なりすまし」がほぼ不可能なことなど幾つもの要素が絡まって成立するものだが、それこそが建設的な言論活動を可能にしていた事情は留意に値しよう。
 社会学者ルーマンの説によれば「信頼」は、それが妥当かどうか以前に、我々が安定した日常生活を営むために必要な「複雑性を縮減する」機能を発揮する。確かにそれなくしては疑いが際限なく膨んでコミュニケーションどころではなくなるのだ。
 たとえばネット社会でも戸籍名とアドレスを結びつけるような法制度を作れば不確実性は減少するだろうし、気心の知れた身内だけにパスワードを渡して運営すれば、モグラたたきのように問題発言の削除を続けなくてとも電子掲示板の危うさが消えるだろう。しかし、そのような強制や、内に閉じる解決法は望ましくない。開放性や表現の自由を守りつつ、どうやって全ての基礎になる「信頼」の文化を構築して行くかーー。ネット社会ではいつも話題が先行し、こうした原理的な議論は立ち遅れがちだ。

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