
武田徹Official Web Site--オンラインジャーナリズム掲示板
LOG83
狂牛病(BSE)とクロイツフェルトヤコブ病(CJD)のデータは
http://www.cdc.gov/ncidod/eid/vol7no1/brown.htm
これが良いようです。英語のデータしか見当たりませんでした。
先の2件の書き込みは誤解を招きかねないので消去してください。
お手数とご迷惑をおかけしました。
炭疸菌の感染者数が増えていることを刻々と報道している。しかし、狂牛病もそうだけどなんとなくパニック狙いによる視聴率狙い的な感じもしないではない。あとアメリカの方はテロリストの極悪さを強調し過ぎている感も。
もちろん生物兵器テロは許し難いけれど、ここは冷静に。感染と発病はまったく違う。免疫がまったく機能しない菌が相手の場合は、放置すれば感染がそのまま発病に帰結するが、炭疸菌はそうじゃないだろう。ぼくは専門ではないけれど、炭疸菌が生物兵器に使えると言うことはおそらく感染率はある程度高い菌種なのだろう。逆に言うと、感染源が投入されればこの程度の感染者数は出てごく自然ではないか。だが、それがそのまま発病率の高さではない。実際、アメリカでも発病者はまだ少ない。実際に人体に被害が出るのは発病からであることは言うまでもない。このあたりの数字の推移のしかたには冷静に対処する必要があるように思う。
戦場の過酷な状況で生物兵器が使われるのとアメリカの飽食文化の中で使われる能登では危険率は全然違う。衛生状況も栄養状態も良いアメリカ人は感染してもそう簡単に発病しないし、ましてや死なない(逆に亡くなった方はどういう状態だったのか、詳報が望まれる。予想外の炭疸菌感染だったために診断ミス、初期の治療ミスがあったのではないか)。その意味で栄養状況、衛生状況の悪い戦場での生物兵器の使用ではなく、基本的な平和な状態の大国へのゲリラ的な生物テロの恐怖を過剰に感じるようだと判断を誤る。
ハンセン病の時も感染率や発病率を全く考慮しないでわき上がった恐怖心が患者を隔離に追い込んだ。病気を相手取る時は感染から発病にいたるメカニズムを知った上で、いまどのような危険が実際にあるのか、ないのか、リアルに把握することがなにより大事だ。そうした冷静へにリードするようにマスメディアは振る舞うべきだと思うが。解説記事が少ないのではないか
掲示板のルールを知らずに投稿してしまい、申し訳ございませんでした。
そしてお答えいただきどうもありがとうございました。
「永世中立国」っていうとなんか(言葉の響きからか)聞こえがよかったので、ちょっと勘違いしていたのかな。やっぱり難しいですね。
わたしは、政治などよく知らない、それどころじゃない、一般の人たちが亡くなってしまった(とタリバーンは言ってるみたいですが)現状がつらくて、それに日本が加担するなんて・・と思ってしまいました。もちろんアメリカ人の被害者の方とご遺族のことを考えるととってもつらいのですが・・・。ありがとうございました。
北原さん、下の文章でLOGに残って良いんですか? 余計な心配かも知れないけれど、書き込みをしてくれた人が自分で設定して使える削除キーがないのがこの掲示板の欠点だと思っているので老婆心ながら。
ニュージャーナリズムについてはアメリカの60年代から70年代のルポルタージュライティングのことをさすようでございまして、わかりましたでございます。武田先生。それでございますがですが、僕のホームページ、直接は無理みたいなものですんで(打ち込んだURL自体はあっていますです。技術的な問題みたいです。失礼しました。)http://www.gateway.ne.jp/moomoo、という「モーモ―プラネット」というコミュニティーがございまして、ここの「本」というところがあるのですが、「本」をクリックしていただいて、たくさん、ホームページがずらりと下に続いていくのですが、(かわいらしいおうちがあったりして。)TAKESHI KITAHARA、というホームページ、ウェブサイトがありますんで、緑のおうちの入り口辺りを見付けられましたら、クリックしていただいて、BBS(書き込み)Diaryなどを是非ごらんください。武田先生、そして、先生のウェブサイトに訪れの皆様、よろしくお願いしますです。話は変わりますけれども、昨日、タイミング良くテレビをつけてすぐあたりでTBSの筑紫哲也のニュース23でビル・ゲイツと筑紫さんの対話を身ましたが、ビル・ゲイツさんは10年後も見詰めておられていて、信じている、という「信じている」ということの力は凄いんだなぁと思いました。ビル・ゲイツさん。凄いなぁ、と思いました。そうでございます。ホームページ、とりあえず下記からお願いしますです。TAKESHI KITAHARA‘S WEBSITEへ。
書き込む欄がせまくて、見直すときに見落としやすい、というのもあります。
どうして、投稿欄は、こんなに字が小さくてせまいのかしら。
特に長い文章を書くと、見直しても、どうしても、見落としやすくなります。
本来、簡単なメッセージを書くための仕組みなんでしょうが。
↓書き込みありがとう。浅羽については何度か書いてきたので内容的にはそれ以上にとくにいうべきものを持ちません。好きなことを存分にやるのはいいことです。
で、本文とは関係ないんだけど、前から少し書きたかったことを。下の文のコピペの前の部分の「依然」は「以前」ですよね。ぼくもひどいけど、なんで掲示板って誤字が多いんだろうか。
オンラインで書く時の焦りとか気が急く感覚とかの結果だろうけど、FEPの仮名漢字変換の学習能力との兼ね合いも考えてみるに値するんじゃないかと思います。FEPって普段自分の書く文章の中で学習して、変換効率を高めている。使い手の方もこの語句ならこう漢字に変換されると言うのはなんとなく分かっていて、あまり確認しないで安心しながら書いている。
それが掲示板ではかえってあだになって、予想していたとおりに変換されないまま気づかずに書きすすんでしまう。そして後で発見してあちゃーとなる。もちろん先の「依然」を例にしてここまで言えるかは微妙で、見落としだけとはいえるかもしれないけれど、少なくとも「イゼン」を「依然」と変換する文章を書いていた段階から、急に「以前」を要求する文脈に移ったために誤字を書いただろうわけで、そこには文脈のワープがある。そうした文脈のワープをより普遍的な問題として考えてみることはできないだろうか。というのも、そうした誤字の出現は、普通の文章から掲示板というふうに書く場所を変えたときにより多く出現するように思うのだ。特にぼくのように普段は原稿を書いている人間が急に直接的に誰かに話しかけるふりをする掲示板の文章や、実際に相手が居るメールの文章を書くとFEPが通用しなくて間違うことは多い。そこでは普段と違う言葉使いを無意識のうちに使おうとすることが多いせいで誤字が増えるのではないか。つまり、それは掲示板は(というかサイバー空間は)別の言語空間?ってことのひとつの現れ? 確かに言葉の在り方が普段とは違うし、それによって繋がる人間関係も違う。そういう言語空間の違いがFEPの学習能力が裏目に出るという具体的な結果になって現れているってことはないか。些細なことなんだけど、少し考えてみると面白いかもと思っている。
突然失礼します。イベントの告知にきました。浅羽通明氏が出演されます。依然、BBSで浅羽氏が取り上げられているのを拝見したので書き込みました。興味のある方はぜひぜひどうゾ。
企画名 「大学とは何であるべきか−21世紀の大学哲学−」
出演者 浅羽通明氏(思想家)
阿部謹也氏(元一橋大学学長、共立女子大学学長)
高橋世織氏(早稲田大学政治経済学部教授)
その他最近早稲田を騒がしている学生たち
企画日時 11月4日(日)午後1時から午後3時まで
企画場所 早稲田大学西早稲田キャンパス15号館202教室
アクセス ■JR山手線 (高田馬場駅 徒歩20分)
■西武新宿線 (高田馬場駅 徒歩20分)
■地下鉄東西線 (早稲田駅 徒歩5分)
■都バス(学バス) (高田馬場駅 - 早大正門)
■都電荒川線 (三ノ輪橋 - 早稲田 徒歩5分)
主催者 ワセダアカデミック
URL http://w-academic.hoops.ne.jp/
連絡先 wacademic@hotmail.com
書き込みありがとう。
↓確かにこれは圧巻ですね。権利関係はどうなっているのかとつまらないことを考えてしまいます。
日本のオンライン版新聞だと産経新聞が社説で他社新聞の写真に横断リンクを貼っているだけでも話題になるのに。こう横断的に読めると違いがあっても面白いし、同じになっちゃうものも面白い。
ただPDFファイルでもダウンロードは結構大変。回線を早くしたいなと少し思いました(仕事柄ブロードバンド化していると思われがちですが、実はうちはひどい環境なのですよ)。
みなさん、はじめまして。ここのページはたまに目を通してます。
ところで、ポインターというフロリダのジャーナリスト学校があって、
そこのウェブサイトに興味深いページがあります。
9月11日と12日付け全米各地の新聞一面を網羅していて、
あまりの数の多さ(各日とも200近く!)にそれだけでも圧巻なのですが、
おまけに、PDFですべての記事が読めるようになってるのですよ。
もちろん、全部に目を通すには膨大な量ですけど、
ちらっと拾い読みしただけでも、各紙の視点がそれぞれ違ってて、
あちらのジャーナリズムの厚みが目のあたりにできます。
さらにいうと、そのページは、あの日の貴重なアーカイブになるに違いない。
以下の書き込みはアドレスがないので削除しました。ここはそういうルールになっています。お気を悪くしないように。
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(無題) 投稿者:ルミ 投稿日:10月16日(火)00時14分29秒
はじめまして。こちらの過去の書き込みから興味深く拝見させていただきました。
勉強になりました。ありがとうございました。
ひとつ教えていただきたいのですが、スイスは永世中立国ですよね。
仮に日本が永世中立国になるとすると、どのようなことになるのですか?
この考えが非常に短絡的なことはわかるのですが、ぜひご教示くださいませ。
アメリカ同時多発テロに関して、まだ私は混乱しております。
報道を信じるのではなく、インターネットでいろいろなご意見を拝見してみると
イスラム世界もなかなか複雑なようですね。
わたしは20代ですが、学校ではたしかイスラム教徒は6億人とならいましたが
現在12億もいるようです。日本の立場は非常に難しいですね。
アメリカへの対応も、イスラム世界への対応もまちがっては大変です。
わたしは、テロリストを処罰することにはもちろん同意するのですが、戦争には反対です。
日本の戦争協力にも反対です。
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ぼくは国際政治学者じゃないので、どなたか他の方にもっと適当なコメントをつけてほしいですけど、分かる範囲で書くと、永世中立は「他のいかなる国に対しても戦争をはじめてはならず、また、他の国の間に戦争が勃発(ぼっぱつ)した場合、いずれの交戦国にも援助をおこなってはならないことを条約によって義務づけられた国家の法的地位」ですよね。つまり国際法上の規定であって、自分で宣言してすぐになれるわけではなく、国連なり、個々の周辺国との間の折衝なりで、永世中立を認められないと成立しない。相手国あってのこと。外交の産物だと言うことですね。戦後日本の場合はサンフランシスコ条約以来、西側圏の中に入ったわけで、もしそこから離脱して永世中立を実現するのはもはや難しいでしょう。
ただ注意すべきは永世中立国でもスイスのように絶対的永世中立国と呼ばれるものは、自国が攻撃を受けた場合にそれを排除するため協力する保障義務を承認国と結んでいる。そういう意味では集団的自衛権の概念を前提にしている、実は少々キナ臭いものでもあること。それは忘れるべきではないですね。政治的に中立ではないということでしょう。だとすれば日米安保条約とどう違うのだろうと、とくに日米安保条約+憲法9条の位置づけは、もちろん西側に所属しているとい意味では偏りはあるけれど案外永世中立国よりもラディカルかもしれないですね。ラディカルと言う言葉には色々な気持ちをこめていますが・・・・。
武田徹
北原さん。ニュージャーナリズムはアメリカの60−70年代のルポルタージュライティングを指す言葉として使われることが多いので、一般的に「新しい」ジャーナリズムという意味で使うと誤解される恐れがあります。そこはちょっと配慮を。あとリンク切れてる?
武田先生が仰られるような個別分散化な個人メディア、ウェブサイトの興隆に、おいてニュージャーナリズムが台頭して来ている。個人間相互の連絡もとれ合える、ニュージャーナリズムの状況が、大手ジャーナリズムでは描けない細部、ディテール、所作、身体における指示系統的所作、などの所作など、とにかく、権威的なものに、その利益誘導お約束的同調圧力に一切構わずに主体形成的に伝えることが出来ることが、非常にポストモダンの加速した状況を現しており、武田先生の仰られたニュージャーナリズムは状況として、ポストモダン・ジャーナリズムと書き換え可能なわけで、個人間相互コミュニケーションと共に主体形成的なジャーナリズムの台頭が新たな左翼的ポテンシャルをわずかでではあれ秘めながら、厳然と闘いを挑む、といったポストモダンの加速した「小さな物語」という各個人の状況をジャーナリスティック、ジャーナリズムにおいて発言することにより、次の大きな物語の分散化した小さな物語状況における、相互間コミュニケーションの革命、IT革命が、大きな可能性をここでは形式を与えた、と言えるのでしょう。ポストモダン・ジャーナリズムの可能性。
7時のNHKニュースでもやっていた、ニューヨークタイムズが生物兵器テロの対象になった?という知らせは、なんとも複雑な気分になる。ベトナム戦争の時にはハルバースタム記者(いまや大先生。原稿料世界一だとか)を擁して反戦報道の砦になっていたわけだし、ランド研究所のダニエル・エルズバーグ博士が作った史上最大価値の無断コピー文書「ペンタゴン白書(国防総省のベトナム作戦戦略文書」のリーク先も確かにニューヨ−クタイムズだったと記憶する。要するにアメリカの現政権に対するチェック機能を最も的確に果たしてきた新聞だったのだ。もし本当にテロの対象になったとして、それがどんな記事を「恨んで」のことだったのかまではわからないが、国防総省、WTCに続いてNYタイムズという優先順番は少なくともかつてならなかったのではないか。
NBCはテロを批判したニュースキャスター宛の郵便物が炭疸菌に汚染したと言うが、昔からたいして志ある報道はしていないし、会社自体を80年代後半からはGEが所有しているはずで(手放したんだっけ? 今はマイクロソフト資本が入っている? 合併とか買収の動きが激しいのでわからなくなっちゃったよ。しかし、いずれにせよM&A大好きな巨大なグローバル企業の傘下だ)、ある意味でアメリカの繁栄の産物だったので、個別攻撃ではなく、WTCと同じ流れというのでも分からないではない。しかしNYタイムズが狙われるようになったというのはなんとも情けないというか、なんというか・・・・。これでどう出るかが見物。政府寄りだった(と思われているらしい)報道姿勢を省みるか、怖がって何も報じなくなるか、更に報復支持の論戦を張るか。
ぼくは考える作業自体が好きなので、より多く考えさせてくれそうなテーマの仕事の依頼だとしっぽ振って飛びついちゃう習慣がある。で、自分の過去の仕事の延長上からはかけ離れていたり、全然関心のなかかったものにむしろ惹かれる変態っぽいところがある。もしこうした習慣がなくて科学ジャーナリズムとか政治ジャーナリズムとかひとつの専門に安住できたらもっと安楽な人生だったかもしれないけど、スリルがないと手応えもなくてつまんないですよね。
で、今、書いているのは・・・・GLAYなのだ。昨日までテロ関係とか書いていたので相当ギャップがあるが、締め切りなのでそろそろ実作業に着手している。
GLAYははっきりいって全然気にしたことがなかった。20万人とか集めてコンサートしているのはもちろん知っていたけどなんだか別世界のような気がしていた。しかし改めて考えてみるとなんでそんなに人気があるのかわからない。で、原稿依頼の打診があった時に、ちょっと考えておこうかなと思った。しかし手がかりどころかどこから考え始めて良いのか全然わからない。そこでファンだったという人に聞き取りをしてみて、ようやくなんとなく見えてくる。GLAYってビルドゥングスロマンなんだな。メンバーの人格的陶冶の過程がファンを魅了する大きな要素になっている。確かに小説がビルドゥングスロマンとして機能しなくなっている時代に、なにかそれに替わるものは必要だったのだろう。
そう思って聞き直すと確かに結構、感じるものもある。たぶんぼくがもっと若くていろいろ悩んでいたら、心に沁み行って、それを踏み越えてゆくことで大人になることを自分なり確認するような言葉が多くある。たとえば小室の歌詞は一部の例外を嘘くさくって、流行の魔法が解けちゃったら、あれ、なんだったんだろうと思うようなものが多いけど、GLAYのファンだった子達は、時間が経ってから、たとえ音的には古く感じても、その歌詞に感じたせつなさをつい昨日のことのように思い出すのかもしれない。そういう音楽が持てることは悪いことじゃない。生きる手応えのひとつになるものだからだ。その人気の理由がわからない大人が簡単に否定すべきものではない。
10日は代官山のタウン誌+WEBを作っている人の取材。戦争が始まっている時期にオシャレな代官山って気分じゃないぁなとか思いつつ、話を聞いていたが、そのうちにだんだんと思い出してきた。自分が『偽満州国論』を書いていた頃のことをだ。
『偽満州国論』は国家デザインに関する本だが、かなりの分量で都市について論じている。都市共同体と国家共同体を対概念として呈示もした。それぞれが現実の都市と国家に対応するものではなくあくまでも理念形だが、都市共同体とは人と人が生活の地平において互いに利害調整をして共生しようとする水平的な共同体であり、国家共同体とはイデオロギーを体現し、市民へ命令を下す国家という装置を上部に戴くことで秩序を維持する垂直的な共同体だとされていた。なんでそんな対立項を立てたかというと満州のことを調べていて、生活のレベルだと五族協和はあんがいとうまくいっている話をよく聞くのだ。中国人のお手伝いさんが引き上げの時に助けてくれたとか。ところが国の看板を背負い込むとぎくしゃくする。支配民族たる日本人と被支配民族の関係が先に立ってコミュニケーションが取れなくなる。
生活の地平でぼくたちはなんとか他者と共に生きようと務める。もめごとを起こすと自分も暮らしにくくなるので、違う宗教の人や違う世界観の人ともなんとか対話のきっかけをみつけ、互いに許容できる範囲を見出して、違いをまるく収めて一緒に生きようとする。力をもって他者を押さえつけることが出来ないことを前提として共生への努力が自然と選ばれる。
しかし一度、力が使えるということになるとそうした努力が蔑ろにされる。力に近い人が主となり、遠い人を従える構造が固定的になる。
そうした二つの人間関係の在り方が満州国のような場所だと明らかに見える。で、『偽満州国論』で垂直的な国家共同体を批判し、水平的な都市共同体の可能性にもう一度注目すべきだと書いた。
都市の在り方を考えることから国家を考える。そうしたアプローチがあっていいと思う。代官山は住民、消費者としての来訪者、来訪者を迎える商売人等々様々な立場の人がそこにいて、しかし、あんがいとうまく秩序を保っている。その利害調整のシステムは何か。それを考えることを国家や国際関係を考えることに拡張することで、国家論や国際関係論が空虚な抽象に傾くことを防げるのではないか。
夏に軍艦島取材を行った時に案内してくれた元島民の坂本道徳さんから以下のメールが来ました。
ぼくはもし高島町が本当に端島を買うとしたら観光資源化するしかないと思うので、方向性はともかく軍艦島は残ると思います(逆に現状では観光資源化はとても危険で出来ないので、それでも買うのかなと疑問を感じます)。そこが坂本さんと予測を異にするところですが、推測でものを言っていてもしょうがないので。もし軍艦島に興味があって、その保存に賛同される方がいたら書名で協力してあげると良いのではないでしょうか。
*****
すべて憶測からの出発ですが
現在さまざまな憶測が飛んでいます
今年中に「九州の唯一の炭鉱」の池島炭鉱が閉山するかもしれません
また軍艦島が三菱マテリアルから高島町に売り渡されるかもしれません
そして高島は多分この軍艦島を解体するかもしれません
すべて憶測です
しかしかなりの信憑性があります
今日10月10日の長崎新聞に「三菱マテリアル2500人削減」の記事がありました
そして不動産などの不採算部門からの撤退を検討。。
この不況の時期ですのでマテリアルが「軍艦島」を手放し高島に売る公算はあると思
われます
買った高島町がこの軍艦島をどのように使うかは未知数です
しかし買う以上はその経済効果を考えての事だと思います
島への憧れや、故郷を思うそんなセンチメンタルでは経済は潤いません
それは事実です。。すると結果この島の解体も視野に入れておかなければなりません
われわれのふるさとですが今までは無断で立ち入ってきた島が
完全に行政のの中に組み込まれていけばわれわれは手の出しようがありません
憶測がどうであれ「私は」この島を今のままで存続することを望んでいます
日本の炭鉱の歴史が徐々になくなっていく昨今ですが
この島には「島」と言うことで残された財産があります陸地と違って駐車場やアパー
ト、マンションになることも無く
今まで閉山30年過ぎても当時のままで残されています
こんな場所が世界のどこにあるでしょうか
これを文化的な財産と見ることにどう躊躇すればいいのでしょうか
私は宣言します
この島を現状のままで残すことを
そして世界遺産、文化遺産として建築、文化、時代として残すことの
市民運動を提言します
私の考えに賛同していただける方はぜひ署名をお願いします
インターネットの署名は
http://www3.ocn.ne.jp/~doutoku/
からの
http://www3.ocn.ne.jp/~doutoku/isan1.htm
で受け付けております
もちろん直接メールでもかまいません
今は何から手をつけて言って良いかは
分かりませんが
一つ一つできるように努力していきますので
皆さんのご協力をお願いします
事務局を作りますので
事務局のメンバーになっても良いと思われる方は
ぜひお願いします
今後メール等で状況を逐一連絡します
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doutoku
メールアドレス
doutoku@galaxy.ocn.ne.jp
gunkan@dotoku.com
ガブさん、Iwamotoさん、書き込みありがとう。
マッカーサーの記事がデアシュピーゲルに出るって言うのは象徴的でしょうね。ヨーロッパの紙メディアは第三者性を確保することへの強い執念と志をもって作られたものが多いと思います。発行元が株式会社でなく、志を同じくする人たちの共同出資からスタートしたというところも多いのではないでしょうか。
湾岸戦争の時のメディア批判の記事もフランスのヌーヴェルオプセルバトワールに出ていました。その記事は翻訳されて朝日ジャーナルに載ったのですが・・・・。そのシュピーゲルの記事を載せる媒体は今はあるのかな。
日本のメディアの中で印象的だったことは、ぼくの経験だと読売は9月20日前後に「報復」の言葉は使わないようにしようということになっているようでしたよ。ということは傘下の中公もだめなのかな。そこは今回は書いていないのでわかりませんが、中公なんかがシュピーゲル記事の翻訳先としては一番合っているような気がするので読売買収は果たして良かったのかどうか。その一方で素朴な反米記事を書かせたがる編集者もいて、二極分化的です。
武田さん、初めてお便りします。1年くらい前から、この刺激的な掲示板、時々訪問させていただいています。今日、ドイツのニュース誌シュピーゲルのウェブ版で興味深いインタビュー記事「これはプロパガンダだ」を発見しましたので、お知らせしようと思いました。
ハーパース・マガジン誌の発行人であるジョン・マッカーサーへのインタビューです。マッカーサー氏には湾岸戦争時の報道規制を批判したSecond Front. Censorship and Propaganda in the Gulf War(New York 1992)という著作があるそうです。
彼によると、著名ジャーナリストは現状ではブッシュを批判しないと公言しているようですし、メディアの自粛はすさまじい模様です。ブッシュ批判を書こうとした中小新聞のジャーナリストが解雇される、ということも起こっているそうです。マッカーサー氏は「現在アメリカで起こっているのはジャーナリズムではない、プロパガンダだ」「軍がジャーナリズムを行っている。誰しも、軍の報道が正しいか否か、確認することはできない」と述べています。報道規制は湾岸戦争時の比ではないようで、軍がジャーナリストへの情報を全て管理しており、客観的な報道は全く存在しない状態だということです。アメリカが犯すであろう失敗も、決して報道されないでしょう。世界中の人たちに、兵士たちに、真実はもう伝わらないのでしょう。(要約の言葉が拙くてすみません)
マッカーサー氏が、CNNやFOXがテレビ画面に米国旗を多用し、愛国心を煽っていることを批判するや、「あなたも9月11日にWTCにいたらよかったのに」といったメールが100通も届いたということです。
http://www.spiegel.de/kultur/gesellschaft/0,1518,161318,00.html
みなさんはじめまして。さっそくですが,今回のアメリカ同時多発テロを目撃して,私は胸がスッーとしました。不謹慎であることは分かっています。でもそう思ってしまう自分がここにいます。テロリスト達は私の代わりにやってくれたのではないかと・・・皆さんの心の奥底にも,もしかしたらそういう感情があるのではないでしょうか。先日、鳥肌実氏も同じような発言をされていて,そう思っているのは自分だけではないのだと思いました。