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今日も引用で 投稿者:武田徹  投稿日: 9月23日(日)21時39分43秒

今日も引用で。

読売新聞2001/09/21
世界の危機・日本の危機  山内昌之東大教授

 ……中東を中心とするイスラムと欧米の関係は、例えば軍事力の問題を考えていくとよく分かる。11世紀に西欧が十字軍で侵攻した時は、最終的にイスラムが十字軍を打ち負かした。ところが18世紀末のフランスによるエジプト侵攻では、ナポレオンの前に屈し、力関係の逆転が明白になった。そして第二次世界大戦後の4回にわたる中東戦争、レバノン戦争、さらに湾岸戦争では、米国が大きな役割を果たしてきた。

 かつて西欧を上回っていたイスラムの力が、徐々に衰え、現在は完全に逆転してしまった。この歴史的なトラウマ(精神的外傷)がイスラム世界には非常に強い。しかし、その克服の仕方は人によって違う。トルコのようにイスラムと政治を切り離す政教分離の世俗主義。エジプトのナセル元大統領のように欧米の価値観や考え方を取り入れながら、イスラム的な伝統や価値観も保持する近代主義。そして、いわゆるイスラム原理主義だ。イスラムを徹底的に純化することによって答えが得られるとする立場で、その一番極端な部分から出たテロの動きがビンラーディンだ。

 事件の背景として、我々が直面する21世紀最大の問題との関係も考えておかなければならない。それは環境、人口、貧困という3命題だ。これらが最も集中的に現れている地域が、やはりイスラム世界、とりわけ中東からアフリカにかけての世界だ。

 大変ショッキングだったのは、3命題の最大の被害者であるパレスチナの民衆がテロに拍手喝采する姿を、テレビが流していたことだ。二重の意味で痛ましい。この事件を機に、米国の世論が中東和平におけるパレスチナ人の主張に非常に厳しい態度をとる可能性があり、それは彼らをさらに苦しい立場に追いやる。米国も3命題の解決にもっと努力すべきだ。テロは根本的な問題解決にならないどころか、世界史の問題解決を遅らせるのだ。

 二つ目には、イスラム対キリスト教、イスラム圏対主要7か国(G7)、発展途上地域対発展地域という「対立の構図」にすり替えられていく可能性があり、いわゆる文明の衝突に結びつきかねないことだ。ビンラーディンは実際それを狙っていた。反テロ戦線が形成されるとすれば、そこにはイスラムやアラブ系の国々の参加と支援が欠かせない。この結束という点を見逃すと、ビンラーディンのわなにはまってしまう。……

というわけで、これも見渡しが効くようになるコラムだと思う。で、ただ引用したわけでなく、これは新聞で発見したわけでなく(ぼくは読売は定期的に寄稿しているけれど宅配購読はしていない。これを拾ってきたのは、なんと?アレフ上祐のページからなのでした。もう自分が生理的に許せないもの、道徳的に問題があると思っているもの、そうした価値観を一度シャッフルしてみるつもりでいたほうがいい。イスラムは感覚的にも知識的に遠いのでどうしてもミスリードする可能性がある。

書き込みありがとう 投稿者:武田徹  投稿日: 9月23日(日)14時49分56秒

書き込みありがとう。
今日は東工大でITの話をするという蛮勇を奮ったのですが、帰りの電車の中で読んでいた本にこんなフレーズがありました。

正義はどこまでも普遍的であらねばならないという宿命をおびている。広く行われない正義は空念仏であるし、少数の人間しか共有しない善は独りよがりと呼ばれる。普通、正義を普遍化するには暴力という方法があり、しばしば実行されているように、悪人は絶滅するのがもっとも効率的である。しかし、その悪人が問題の正義を受け入れないままに滅びた場合、それは果たして正義の完全な勝利といえるのだろうか。そうはいえないという微妙なためらいが、私たちが「復讐」という言葉に感じる不快感のなかに暗示されている。現にアイヒマンを裁いたイスラエル法廷は、被告を「ユダヤの敵」ではなく「人類の敵」として告発した。告発がユダヤ人の復讐ではなく、より普遍的な正義の実現であること主張したのだが、それが含蓄していたものは何だったのだろうか。・・・・悪と善の根本的な違いは、悪は孤絶しうるのに善は隣人を欲することにあり、悪は沈黙しうるのに善は自らを語り続けねばならないことである。善がもし沈黙のままに自己を実現しようとすれば、それはかぎりなく悪に近づいている瞬間なのである。
      山崎正和『悪の沈黙』ーー『世紀を読む』朝日新聞社より

ホロコーストを立案したアイヒマン裁判についてのTVドキュメンタリーの評だが、指示されているものを入れ替えてみると、今の状況についても色々と考えさせられる。 武田徹

たびたびお邪魔してすみません 投稿者:ぴこたん  投稿日: 9月22日(土)21時11分23秒

>死者数の最小化を目指すってのはいいですよ。基本の基本だけど、すっごい大事。
ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです。
最近どうも善悪・正義・自由・民主主義という言葉、そして「平和」という言葉でさえ空疎に感じてしまうので、「どうすれば命を生かすことができるか」を基準に考えることにしたんです。空しくならずに、諦めずに考えを進めるには、これが一番良いような気がして。

アメリカが軍事戦略を決行しようとする理由、そして、それを世界の首脳たちが反対しない理由は、実は、経済的な理由が一番大きいのではないか、と思うことがあります。テロで決定的に打撃を受けた市場を復活させるためには「もう、軍需産業を牽引役にするしかない!」という思惑があるのではないでしょうか。実際、軍需産業の株は値上がりしたそうですし。
世界中の民族紛争や宗教的紛争も一枚皮を剥げば、殆どの場合経済格差が理由か、そこで紛争が起こっていることで儲けている人がいるからだといいます。民族と宗教を表に出すのは、民衆を団結させ、扇動するための手段なのでしょう。
私は前回「孤立化」だけを理由にアメリカの軍事活動を支援する日本政府に憤っていましたが、確かに、中東の石油に依存し、食料自給率も低い日本が「孤立化」したら大変なことになる、政治家たちはそれを心配していて、「現実を何も分かっちゃいない平和主義者たち」の声を苦々しく思っているかもしれない、と思いました。
私は戦争反対だけど、果たしてどれほどの覚悟をしているんだろう。世界経済が冷え込むかもしれない、自分の生活が苦しくなるかもしれないことを覚悟した上で「世界平和」を望んでいるだろうか--。

昨日、アフガニスタンで長年医療活動をしていた方がインタビューに答えて、如何にアフガニスタンの市民が苦しい生活を余儀なくされているかを説明し「この現状を知りながら軍事攻撃をかけるのなら、これは歴史上まれに見る大虐殺といえると思います」と語っていました(うろ覚えなので少し言葉が違うかもしれません)。
日本国民である私は、自分の食べもの、エネルギー、そして「自分たちの」人権、平和のために「大虐殺」を後方支援することになるのかもしれない。
飢餓と不安におびえるアフガニスタンの人たちの表情をテレビで見ておきながら。同じ人間として、彼らの絶望と恐怖を想像する能力が(充分ではないにせよ)少しは備わっているはずなのに。

私は今まで、食料自給率の問題や省エネ、代替エネルギーの問題を真剣に考えたことがなかったし、世界経済の仕組みも分かっていないし、軍需産業に頼らずに経済を活性させる方法も分からない。
しかし、今は「理想論」だといわれようと、「私は人を殺したくない」という姿勢を貫いて、戦争反対を主張しようと思う。奴隷産業だって、(表面的に、かもしれないけど)無くなったじゃないか。理想の見切り発車で、現実をどうするかは後から考えることもできるだろう。人間の生き延びる力は案外強いと思うから。
----と、自分に言いきかせる毎日です。やっぱり甘いかな。「平和ボケ」の世代だから。

狂牛病 投稿者:武田徹  投稿日: 9月22日(土)08時22分20秒

狂牛病疑診だった牛は感染が確認されたとか。しかし、ですよ、ヨーロッパであれだけ大騒ぎになっている時に、日本に入っている可能性は殆ど指摘されてこなかった。その問題を追求したい。科学ジャーナリストの人たちは本当に可能性を微塵を疑っていなかったのか。対岸の火事だと思っていたのではないか。だとしたらはっきりいってその職業に就く資格がない。失格である。ヨーロッパでだれも買わなかったチェルノブイリで汚染された食料を商社が安いからと大量に仕入れて儲けを出した前例がある倫理なき日本だったら狂牛病肉骨粉だって輸入していることは想像できたのではないか。そして病気が出なければ限りなくだらしなく応じ、出てしまえばすぐにパニックになる、およそ科学的とは程遠い対応をする国内事情が事実としてある以上、感染が出る前に防ぐ体制を取るように訴えることが、この問題では最も大事だったはずだ。
鬼の首を取ったように言うのもなんだけど、ぼくはどうしても避けられない時以外、ここしばらくは牛肉は食べなかったですよ。TVでは行列焼肉屋の番組を盛んにやっていたし、牛丼とハンバーガーはどんどん安くなる中、自己防衛するしかなかった。
たとえばNHKは疑いの牛が出た時点ですぐに狂牛病関連の番組を作っていたが、おそらくかなり前からだいたいのところーー特にヨーロッパの対応の部分は取材して作っていたのだと思われる。危惧している人はいたのだが、外に出せなかったということか。

情報交換 投稿者:サエキけんぞう  投稿日: 9月22日(土)02時17分22秒

>エシュロンに対する根拠のない脅威論をぼくは非科学的だとずっと批判してきたんだけど、たとえば今度も、なんで防諜できなかったかといえば、これは推測だけど、おそらく向こうは通信を暗号化してたからでしょ。
その件に関して、宝島で取材を行わせていただいた、サエキけんぞうです。武田さん、取材御協力ありがとうございました。今週号の週刊アスキーなどで、ラディン氏陣営がスポーツ系サイト掲示板やチャットなどで暗号化した書き込みで情報交換していた、というほとんどそのへんの若者
レベルでの戦術が書かれておりました。どうも、あながちデマでもなさそうな感じがするのは、
エシュロン問題とリンクしていると思われました。確かに、もちろんエシュロンが正常に機能していたならば、もうちょっと違う展開になっていたような・・。そして現実はさらに日常とリンクしているものなのでしょうか?
なのでしょうか?

http://run.to/kenchan


言葉はミーム 投稿者:武田徹  投稿日: 9月22日(土)00時28分13秒

>一体どうしたらいいんだろう

言葉はミーム。遺伝子(ゲノム)が生物から生物へ伝わって行くようにミームは人から人へと伝わって行きます。そしていつしか風向きが変わる。今、小泉人気調査したらぼくはたぶん相当冷え込んだ数字しかでないと思う。もう一押しなんじゃないか。諦めないで書き続けることだと思う。飽きられないで、ミームとして伝わって行く力を持った言葉を、ね。ぼくは来週から掲示板ではなく、リアルな紙メディアで、ここで書いてきた延長上の話を書き始めます。

書き込みありがとう 投稿者:武田徹  投稿日: 9月21日(金)23時44分02秒

自分で書き込もうとしてサイトを開いて書き込みを発見しました。順番が逆になってしまいごめんなさい。
キャンディを投下するっていうのとはちょっと違うけど、第二次大戦の時に確かアメリカは偽日本円札を投下したことがあったと聞きます。あまり知られていないけど、結構、発想として面白いですよね。これは経済を混乱させる効果を狙った純粋な攻撃だけど、原爆落とすよりよほど気が効いている。これんも含めて人類って退化してるんじゃないかと思うことがある。たとえば報復について書いたもので記憶に残っているのは、随分前に週刊文春が天下の暴論というワイド特集を組んだ時、呉智恵が「仇討ち復活を」というコラムを書いていた。これは(たぶん)冗談の域にあったと思うけど、その後、数年経つと「自分の子供が殺されたら絶対自分で相手を殺す」と言う人が増えてきた。プライバシー問題とか有名な某ジャーナリストまでそう言うので驚いたことがある。こんなこと小学生でも知っているはずだけど、仇討ちの無限連鎖を防ぐために司法に委ねたわけじゃないですか、われわれ近代人は。それがいつのまにか国を挙げて仇討ち容認なんだから、これいかに。
ぴこたんさん。カネを巻くにしろ、経済の流れを止めるにしろ、死者数の最小化を目指すってのはいいですよ。基本の基本だけど、すっごい大事。というか、関係ない人ほどひどい眼にあう。エシュロンに対する根拠のない脅威論をぼくは非科学的だとずっと批判してきたんだけど、たとえば今度も、なんで防諜できなかったかといえば、これは推測だけど、おそらく向こうは通信を暗号化してたからでしょ。暗号技術と防諜技術だといまは暗号の方が強い。ちょっと難しいけど今のノイマン型、万能チューリングマシン構造のコンピュータの原理上絶対にそうなる。だから通信を暗号化してしまえばもう防諜できない。しかしテロが起きて国民の危機意識で公安機能の肥大が進み、防諜能力を高めたとき、防諜の具体的な対象になるのはテロ予備軍ではなく、暗号化もしないでメールをおくる一般人なんだな。空爆でも同じ。プロ中のプロのアルカイーダの連中より普通のアフガニスタン人が多く死ぬ。そういう不公正な構図がある以上、全体の死傷者数を減らすことを考慮すべきなのは当然。テロ撲滅のためにはある程度の市民の犠牲もやむないとかいうけど、「ある程度」どころか一人のテロリストを殺すために50人の市民が死ぬということだったらさすがにとんでもないでしょ。戦略の練り直しがあってしかるべきだ。戦略に対する犠牲の出現率を考えてものをいうべきですよね。そういうリアリズムが欠けてるんではないか。

A2 投稿者:武田徹  投稿日: 9月21日(金)23時13分21秒

徳間ホールで森達也監督の『A2』試写を観る。ビデオカメラが強力だと思うのは、関係の重層性を串刺しに出来ることだ。オウムと住民の関係にしても「情が移った」位相、それぞれの立場を貫いて対峙する位相、関係を絶って個々に戻る位相を横断して記録して行く。殆どの報道映像は、そうした位相のどれかにカメラを固定するが『A2』はまさに回しっぱなしで複数の位相を示す。ここまで描ければ確かにドキュメンタリーは辞められない?だろうと嫉妬した。
手持ちカメラで2時間強というのは、昼間、ずっとパソコン画面を見ていたぼくにとっては辛く、船酔い症状を繰り返す。せめて音楽でもあってくれればと正直何度か思った。いつかビデオジャーナリストになる日?のために最近のぼくは旅行に出たときに記録する映像資料はいつもハンディカムで撮っていて時間が許せば簡単な編集もするのだが、すぐに音楽を入れてしまう。そのほうが見返す分には段違いに楽だ。しかし、音楽を入れてしまうことはひとつの解釈を与えることでもある。音楽の全くない映画をスクリーンで見ながら、それを改めて感じる。森さんはとことんドキュメンタリストであり、映画では事実そのものに語らせたいひとなのだろう。
たとえば河野義行さんの家に詫び?にいったはずのオウム村岡代表のだらしなさは、このわきの甘さがテロへの傾斜を許すんだというのを、幾多のオウム論より如実に伝える。そして、その脇のあまさはオウムに対峙する側にもしばしば散見できるのだが。
 それにしても同時多発テロが起きたタイミングで、テロで世間を敵に回した宗教集団のドキュメンタリを観るというのは因縁めいたものを感じる。映画の最後に森が荒木広報部長に「日本は95年から5年経って確実に悪くなかった。そのひとつのきかっけになったのがオウムであることは間違いない。そんなオウムが表層的に謝罪したり、賠償したりして自分たちの居場所を得て行くというのでいいのかという気持ちがある。しかし、ならばどうしたらいいという答はぼくの中にはないし」と問いかけるシーンがある。荒木も「消えてしまえば良いんでしょうが・・・消えられないですよね」と言ったまま貝のように沈黙する。
決して世界の読み方を教えてくれるわけでもなく、ただ救いのない(かつての)テロ集団と、自己決定と機械的反応を、寛容と不寛容を器用に使い分けられない社会の現実をそのままに示したこの映画は、今だからこそ見るべきだろう。2001年から5年経って確実に世界は悪くなった。その原因はあのテロだったとぼくたちは言うのだろうか。もし、そうなった時に感じる苦々しさがより不快なものになり、自らを厳しく罰することが出来るように、この映画の最後のシーンを覚えておくと良いと思った。(一般上映は来春らしい。上映実現だけでもおそらく相当の苦労の結果だろうから贅沢は言えないが、今観て欲しい作品だと思った。もしかして来春の状況の方がこの映画を観る価値が更に増えているようだとしたら、興行的には良くても世界情勢としてはちょっと問題だとも思う)。

贈与という名の攻撃 投稿者:ぴこたん  投稿日: 9月21日(金)22時52分59秒

「謝罪という名の戦略」の次は「贈与という名の攻撃」ですね!

でも、お金の提供はミャンマーの軍事政権への援助についての批判を思い出してしまうんです・・・
それに、怒りの中にいるアメリカ国民を納得させることができなくて、アメリカ国内で暴動が起こることになるんじゃないか・・・それも、アメリカを内部崩壊させてしまうんじゃないか、と思います。だからこそブッシュさんは何が何でも攻撃をすると言うんだろうけど。

もう、遅いかもしれないけど、私は武田さんの書き込みを読んで、軍事攻撃の替わりに武器と金の流れを徹底的に止め、「タリバンを苦しめて制裁しているんだぞ!」ということで国民を納得させ、金ではなくて、人と食べ物と医療物資を(NGOやイスラム教団体等の協力を仰ぎつつ)提供したら(大体どこのNGOもお金と人が足りなくて、助けたくても助けられない人を目の前にして苦しんでるんだから)、どうにか殺される命を最小限にできるんじゃないかって思いました。
そして、自爆テロを正義と信じる信念に少しずつすきま風を吹かすことができるんじゃないかと。

話は変わりますが、我慢がならないのは「孤立化」と「アメリカにどう見られるか」だけを心配している日本政府。
お偉いさん方のインタビューを見てると本当に、「長いものには巻かれろ」「自分より強い人間にどう気に入られるか」だけを基準にのし上がってきた世渡り上手な人間が日本では偉くなるんだなぁと思う。しかも、そのままのメンタリティーで国際社会での位置をも確保しよう(できる)と考えるとんでもない甘さとずるさが頭にきます。頭にきている場合ではないと思うのですが・・・

一体どうしたらいいんだろう。

興味深い投稿 投稿者:てるてる  投稿日: 9月21日(金)19時57分37秒

武田さんの御主張と同じような趣旨の投稿がありました。↓

http://www.mainichi.co.jp/eye/opinion/03/408.html


「敵のために祈れ」 投稿者:てるてる  投稿日: 9月21日(金)08時45分36秒

という聖書の言葉を思い出しました。↓
>たとえばアメリカ議会が使用を許可したという軍事費をまるごどパレスティナやアフガニスタンの経済復興に投げかけてみたらどうなるだろうか。
>こうした経済援助策をテロに屈したと思う必要はない。それは贈与という名の攻撃だと思えばいい。

いつも読ませていただいています。
森岡正博さんも武田さんの意見に共感を示しています。↓
森岡サイトでは、メイン掲示板、無痛文明論掲示板、なごみ掲示板で、今回のテロについての
投稿が続いています。

http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/tero.htm


公安機能の最小化について 投稿者:武田徹  投稿日: 9月21日(金)00時06分54秒

書き込みありがとう。一人でずっと書いてきたので力づけられる思いです。

前に帝国主義的ユートピア主義云々を書いたときにも触れたけれど、ぼくは暴力行為によって他者に危害を及ばす自由まで認めるほど人好しではない。それを防ぐためには公安権力を行使することは必要だと思う。完全に自由な社会には自由を破壊する自由すら認められてしまうというパラドックスがあって、それを解決するためにも公安権力は必要だと思う。これが前にも引いたノージックの最小国家論の立場だ。少し話がそれるけれど、憲法前文もそうした文脈で読まれるべきだし、そのような文脈で読みやすくするためには改正議論もあって良いと思う。
ただ問題はそうした公安権力を最小限に留めること(だからこそ「最小」国家)。おっしゃるとおり報復すれば、むしろそれで正義が保証されたと言うことで力を得たグループの再報復がありえ、それを防ぐために防諜を強化して・・・・となると公安機能がどんどん肥大してしまう。そうした悪循環は断たれなければならず、そのために何をすればいいかと考えることが肝要。
ぴこたんさんも書いているけれど、おカネについては、ぼくはいっそあげちゃうのもいいんじゃないかと思うことがある(またご乱心とか言われそうだが・・・・)。たとえばアメリカ議会が使用を許可したという軍事費をまるごどパレスティナやアフガニスタンの経済復興に投げかけてみたらどうなるだろうか。武器を購入して、紛争が激化すると心配する人が多いだろうけど果たしてどうだろうか。
実際、マレーシアなどでは経済格差の平準化が民族紛争を解決させた前例がある。報復の悪循環をなくすためにも案外とそんな政策が生きる可能性はあるのだと思う。武器の購入がそんなに心配なら、そうされないように監視・管理するように工夫は出来るはずだし。なんとかお金が大衆社会に行き渡るようにしたら、もともとが相当にまずしい地域で、経済援助のボーナスパワーは相当な力を持って機能するのではないか。アメリカへの反感が溶け、過激な原理主義者が孤立して機能不全に至ることも大いにありえると思う。
こうした経済援助策をテロに屈したと思う必要はない。それは贈与という名の攻撃だと思えばいい。原理主義の牙を折るための。そんな「攻撃」に至るまでの幅で対応を考えられないかと思う。新しい戦争だとかいっているけれど、実は理解しやすいように旧来の戦争のイメージにむしろ閉じこめようとしているのではないかと思うことがある。新しい戦争なんだったら、新しい戦略をもっと柔軟に考えられなものか。
武田徹

テロとの戦い 投稿者:ぴこたん  投稿日: 9月20日(木)23時16分11秒

こんにちは。初めて書き込みします。少し緊張しています。

テロが自由、民主主義への攻撃ってよくいうけど、それはどういう意味で言っているんだろう、と思います。
私は、こう考えます。
報復攻撃をしたら、確実にテロの危険性は増える。
そしたら、テロ予防のために政府は公権力を強化するだろう。そして、いたるところで荷物検査をされても文句は言えなくなって、少し疑わしいと思われたらメールでも電話でも何でもチェックされても文句を言えなくなる。そうなれば、まぁ、自然と否応なく自由と民主主義は崩壊していくだろうな。
イスラエルとパレスティナの衝突が激化している時に(って今もだけど)エルサレムにいた人がテロを警戒するイスラエル市民の異常な緊張感、一人一人がヒステリー状態になっている様子を教えてくれて、このままでは一人一人の精神から社会が内部崩壊してしまうんではないかと心配してました。
アメリカの報復はアメリカ自体を内部崩壊させてしまうかもしれない。
あのようなテロを計画する人が圧倒的な軍事力のアメリカの報復を予期していない訳はないと思う。むしろ、アメリカの報復によってテロが「正義」のための戦いだということをますます主張しやすくなるし、その主張に賛同する人も集めやすくなると思う。
アメリカは予期していない方法で攻撃されて「これは新しい形の戦争だ」と騒いでいるけど、そのわりに提示する報復方法が20世紀型で古すぎはしないでしょうか。このままじゃぁ、どうしてもテロ実行犯の方が一枚うわてに見えてきます。
じゃあ、どうやって制裁すればいいのか?
私が今思いつくところでは、お金の流れをとめる、武器の流れをとめるというのがまず一点。
あと、「生きていても仕方がない」という状況下で生き、自分の今の状況は全てアメリカのせいだと信じている人たちとの対話を、アメリカ以外の国の協力を受けながら実現させていき、「ひょっとして原理主義は本来のイスラムの教えとは違うんじゃないか?自爆テロは本当にアッラーの思し召しといえるのか?」と考えうる環境を作り出し、テロのネットワークを内側から壊していくのはどうかと思うのですが。

書き込みありがとうございます 投稿者:武田徹  投稿日: 9月20日(木)22時13分54秒

書き込みありがとうございます。
タリバンは姿勢の変化が少しあったみたいですね。これでどうなるか。
講談社は現場スタッフはフランクフルト・ブックフェアにゆくみたいです。社長と役員は行かない。

長倉氏の映像 投稿者:月本裕  投稿日: 9月20日(木)18時42分31秒

ここに書き込むのははじめてです。よろしくお願いします。
TBSの長倉氏の映像はぼくも見て感銘を受けいろいろ考えるところありました。
番組を見つづけていたらキャスターが長倉氏の映像をもう一度送ろうと紹介をしました。
ところが、サブから何か指示があり、別のものをやってからその後で、というようなコメントで
コマーシャルにいきました。そしてその後ついに長倉氏のものは放送されませんでした。
単に時間がなかったということなのでしょうか。残念です。今テレビが見せるべき人であり
意見であったと思い感心したのですが。

http://member.nifty.ne.jp/ibet/


日本政府の武器輸送、燃料補行為は憲法の精神に反する給 投稿者:山下 由佳  投稿日: 9月20日(木)18時24分50秒

日本政府は何を勘違いしているのだろう。どうして、ここまで、憲法の精神を理解し得ないのだろ
う。どうして、イスラム過激派同様の自分勝手な解釈を繰り返していることに気づかないのだろう
。武力行使を行う人に、武器を渡す行為は、明らかに武力行使と一体となることです。
憲法9条を馬鹿にした態度で、憲法を尊重すると言い切る精神性の矛盾に気づかないのでしょうか
?政治家には、自らを省みるという客観性は存在しないのでしょうか?
本当に、憲法の精神が理解できていたならば、難民支援等に専念し、国際平和のために貢献できる
はずです。精神や思想を読むということができなくて、どうして政治が行えますか?
アメリカも同様です。自らのテロ行為を棚に上げて、武器製造、使用を続けているのに、どうして
、こうも傲慢に、目の前の現象だけを抗議攻撃できるのでしょう。
対話を拒否するほどの横暴を、亡くなった被害者の方々は、望むと思いますか?
関係破壊、戦争、暴力の連鎖を望むと思いますか?
亡くなった方々の命を尊重する意志があるならば、対話の席に着き、一方的な傲慢な態度を慎む心
が生まれるはずです。
本当のテロ撲滅対策には、そうした、冷静な本物の「命の尊厳」の精神が理解できなければできま
せん。
世界の平和関係に、亀裂をもたらしている自らの行為に気づかないで、どうして、悪を戒め
ることができますか?
「いのち」はすべて、関係内存在としてのいのちとして、つながり、関わりの中にあらしめられています。
。それは、主観を超える「いのち」のあり方を、知らなければ見えてきません。
関わり方を誤ることは、自らの「いのち」を破壊することです。共同体を破壊することです。
平和を破壊することです。
ブッシュ大統領が、北朝鮮を非難して、自国の民の飢餓も救えないのに語っていたことを
思い出します。アメリカにも、飢えている民がいるのに。本当に視野が狭い人ですね。
自分の身の回りだけが世界の現実ように考えている人ですね。
ゴアさんが大統領になっていたならばと悔やまれます。
もっと、真剣にアメリカのための祈りを始めるべきでした。
今からでも、テロリストのために祈りましょう。彼らに気づきをおこさせたまえ。
日本政府を哀れみ賜え。自らを省みることのできない愚かさに気づかせたまえ。
武力と一体となる関わりを悟らせたまえ。
その結果の歴史の現実を見せたまえ。
世界に、私たちに、私に。

続13 投稿者:武田徹  投稿日: 9月20日(木)00時18分59秒

ひとつ、ぼくは注意深く見守っていることがある。「このままでは湾岸戦争の時と同じくカネは出すが、血は流さない日本と言われる」と政府の誰かが、そしてウヨ論断人の誰かが言い出さないかと。
日本人もまた血を流した。行方不明になった人がたくさんいるのだ。アメリカの、原理主義対応のまずさの結果としてそうなった。「血は流さない」というのはそうした犠牲者を余りにも冒涜する言い方だ。そして既に血を流した日本だからこそ出来る国際貢献の仕方があるはずだ。小泉が考えているのは、果たしてそうした貢献なのだろうか。
「血を流さない」と軽率に口にした時に、彼らの本性が今更ながらに明らかになる。彼らが必要だとする国際貢献が、犠牲者を悼む気持ちに発していなかったことを、そしてそもそも犠牲者を悼む気持ちなどなかったことを。だからぼくはそれを聞き逃さないように注意している。

タリバン政府がビンラディン身柄引き渡しの条件として呈示したといわれる「中立国での裁判」は、もちろん中立国をどことみなすかという問題はあるが、そこで言われていること自体はぼくにはしごくまっとうに思える。ぼくはおかしいのだろうか。
みなさんは覚えているだろうか、神田うのをフィーチャーしたCFシリーズで、うのはめちゃくちゃ嫌われている(当時、実際に美川憲一とかにバッシングされていた時期だったように記憶する)。で、うのの味方をするとみな攻撃される(なんのCFだったかは忘れた)。そのシリーズの一つに、うのの恋人のような男が「誰がなんと言おうとぼくはうのたんを守るよ」と言ってふと後ろを振り向くと窓の外にアメリカ軍(と思われる、ハリウッド映画でおなじみの最新型の)ヘリが飛んでいて、機銃掃射の照準をうのと恋人にロックしているというもの。
そのCFの馬鹿馬鹿しい面白さは一人の人間相手に米軍(らしき軍隊)が本気で攻撃しようとしているナンセンスさにあったのだが、このCFはもうワイドショーとかで再映も無理だろうな。ニューヨークでは『イマジン』も放送自粛になっているようだし。

最後にいやでも耳に入ってくるので、ぼくの身近な出版界の動きを報告。ドイツのベルテルスマンはアメリカの出版界の多くを傘下に納めていることもあり、行動は早く、100万ドルを犠牲者救援のために寄付した。日本の出版界はその動きはない。
今秋のフランクフルトのブックフェアにアメリカの出版社は敢えて参加を表明。日本は講談社が既に社長以下全員の出張を取りやめている。これは他の出版社にも飛び火するだろう。リスクマネージメントは自己責任で決定すべきだから、とやかくいうつもりはないし、今、出て行くかどうかは正直いって殆どがやせ我慢合戦に近い側面がある。が、しかし言論機関というのは公共のためにやせ我慢をしてでも勇気を示すべきと考えられている「国際」事情はメディアの人間としては視野に入れておきたい。こうした行動が世界の出版界で後々語り草になるのは間違いないだろう。「あの時、日本の言論機関は出て来なかった」として。
米軍の後方支援するとか、そういうことではなく、国際的に敬意を集め売る行動というのはあるし、国任せではなく、個々人のレベルでできることも多いように思うのだが。
武田徹

続12 投稿者:武田徹  投稿日: 9月18日(火)18時50分19秒

昨晩10時30分のニューヨーク証券取引所再開の生中継には固唾をのんだ。セレモニーの最中にも刻々と電光掲示板のダウ平均株価の数字が下がって行くのはなんとも容赦のない厳しさを感じたが、それでも再開後の推移が暴落ではなく急落の域に止まったのは、それなりに評価できるように思う。ドラマは見る分には面白いが、自分がそこに巻き込まれるのは正直いってかなわない。
で、株価についてはこれからの推移を見守りたいけれど、別の観点から少し気になったことを。いつからぼくたちは国の健全さを平均株価で計る癖がついてしまったのだろう。豊かさはもちろん経済だけではないし、経済の健全さに限っても株だけではかれるわけではない。アメリカのように、団塊世代の平均貯蓄額が10ドル!しかなく、殆どがリスクのある投資市場に流れている国なら、株価がお金の流れのかなり端的なバロメータになる事情もそれなりに認められるのだろうが、それはあくまでも特殊な例のはずだ。
株というか、投資は、独特の原理で動く。株を買う動機は「他人が買うから」だ。その株を買いたい人が多いから株価は上がる。だからその株を自分も買う。そうした構図で動機づけられている。「欲望とは他者の欲望である」と言ったのは、ルイ・マランだったと確か思うけれど、株の世界はまさにその原理が端的に、あからさまなまでに該当する世界である。
問題はそこに買う対象そのものへの評価が伴わずにも株価の高下が成立することだ。景気という名の「気分の景色」が全てであり、たとえば広く気分を決定づけて行くマスメディアによって、その景色が決められれば、その通りに反応するのが株価だ。
そんな株価に国の健全さを示すバロメータの役割を与えて良いのだろうか。少なくともそこには一歩引いた視点が必要ではないか。

最近の日本の消費社会を批評するときに、投資家原理で動くようになったとぼくはよく言ってきた。他の人が買っているから、他の人が好きだと言っているから、自分も買う、自分も好きになる。そうした他者依存の連鎖で流行現象が起きるようになっている。これは使用価値とか、交換価値とか、希少価値とかいった商品の「本質?(ーーというのもそれも共同幻想領域に両足かせめて片足はつっこんだ価値ではあるのだけど)」を離脱して、流行が虚構化するベクトルを孕んだもので、決して健全さを増すものとは言えないはずだ。消費者は本来自分のために商品を買うのだが、そうではなく、他人の動向が「自分のため」の中に写しこまれ、それは合わせ鏡に映るように、それだけで飽和してしまっている。
株価に敏感に反応しすぎる社会というのは、そうした虚構化の洗礼を更に全面的に受けているもののように思う。ニューヨーク証券取引所の再開に世界中から注がれたまなざしの中に果たしてそうした状況への配慮があっただろうか。少なくとも日本のマスメディアにはそれは欠けていたように思う。投資家原理とマスメディアの共振現象、そしてそれに対する歯止めの欠如という事態は、実に危険であることを視野の片隅に入れておくべきだ。
武田徹

続11 投稿者:武田徹  投稿日: 9月17日(月)23時05分20秒

昼過ぎから、井の頭公園のほとりのベンチでようやく原稿を書いた。
家に帰ってTVをつけると長倉洋海氏が映っていた。彼が撮り続けたアフガニスタン解放の立役者マスードは同時多発テロの前々日にTVクルーを装った人物と面会中に自爆テロで死んでいる。タリバンとは敵対関係があったこと、同じ自爆テロであったこと、時期から長倉氏は「わからないけれど」と前置きをしながら「アフガニスタン国内を支配下において、次にアメリカをということがあったのかもしれない」と語っていた。
マスードと長倉氏との間に、単にジャーナリストと被写体の関係を超えて友情があったことは彼の書いた作品、そしてその写真に明らかだ。たとえばソ連軍の撤退が決まったとき、長倉氏はアフガニスタンを訪ね、マスードを再会する。

マスードの新しい執務室で、彼の到着を待った。ジープが止まり、ぎゅうぎゅうづめの座席から、マスードが降りてきた。「生きていたんだ・・・・」。涙が溢れてくる。抱き合い、彼に話しかけようとするが言葉にならない(長倉洋海『地を這うように』新潮社)

しかし、そんな長倉氏が眼を潤ませながら、「哀しいのは分かる、怒りたいのも分かる。でもちょっと踏みとどまって考えてみる、それが出来ないものだろうか」と述べていた言葉は印象的だった。

マスードは決して悲観的になることはなかった。見る影もなく破壊された生家の前で「なぁに、また作り直せばいいさ」と笑った。過去を振り返ることもなく、感傷に浸ることもなかった(前掲書)。

WTCの崩壊を数限りなく反復して見せたTVで長倉氏の映像はその後、繰り返されていない。

続10 投稿者:武田徹  投稿日: 9月17日(月)12時38分15秒

スターバックス広報部とは案の定もめる。ぼくが過去にサザビー総師の鈴木陸三にインタビューしており、そのときにスタバ導入の時の値段設定の話を聞いていたので、それを記事の中に入れたら、確認が取れないのではずせと言う(スタバは取材を受ける際に出版前の事実チェックを条件に出していた)。取材の事実もあるし、話していた事実の内容もあるので、それは明らかにスタバ・サザビーの調査能力不足。過去の取材データを蓄積していないか、蓄積していても確認できないのだろう。そこで当時のインタビューの速記録を送りつける。その結果、むこうが全面的に折れた。
たかがスタバにそこまでと思うかも知れないが、ぼくはスタバのようなグローバル企業と、その導入のパートナーにあんるサザビーのような会社の在り方に基本的な疑問がある。
『レクサスとオリーブの木』に黄金のマクドナルド理論というのが出てくる。マクドナルドがある国同士は戦争しないというのだ。ユーゴ空爆で若干の修正を余儀なくされたがこの理論は概ね正しいと思う。グローバル企業の参入を許した国の国民は、戦争によってそれらの企業の商品が買えなくなることを嫌う。そこで政府に戦争という手段を選ばなくさせるのだ。
戦争がなくなるのはいいだろうとひとまず言える。しかし問題はグローバル化がローカルな文化に対してどのように振る舞うかだ。多くの場合、ローカルな文化を押しつぶす形でグローバル化は進む。マクドナルドだけでなく、今や多くの国でブランドショップが集まっているようなショップイングマートがあるが、そうした地域に行けばぼくたちはもはや何も迷うことはない。品質は保証されているし、買い方もワールドスタンダードだ。
しかし国際企業の大きな資本力で進行する影でローカルな価値観は確実に圧力を受けてゆく。たとえばイスラムの習慣の多くが遂行不可能になる。イスラム圏に出展したファストフードは自分たちの料理がきちんとハラルしていることを宣言しているが、眼に見える部分、対策に着手できる部分はわずかだろう。効率化と同時進行的に価値観の奥深いところで確実に何かがかわってゆく。そしてそれを自分たちのアイデンティティの危機と感じる考え方が生まれる。それがグローバリズムが原理主義を育ててしまう構図だ。
WTOの活動を妨害する反グローバリズム運動はどこか狂信的な臭いがするが、それでも一方でグローバリズムととローカリズムの確執に問題があることは正気の範疇で認めなければならないだろう。そのあたり、たとえば日本でグローバル企業の展開を進めている当事者たちはどのていど意識があるかーーー、その疑問がスタバに対するぼくの問題意識に繋がる。実は鈴木陸三のコメントが実在するかどうかとかいう問題ではないのだ。スタバは日本(の豊かさ)をどう考えているかが問題なのだ。それを考えさせる記事にぼくはしたかったのだ。
そんなことを考えつつ、スタバの広報とやりあっていたし、同時多発テロもあって、結構アドレナリンを使ってしまい、いまはそのリバウンドで抑鬱状態なのだろうか、やる気がしない。朝から何も出来ずにいる。妻は今のところ、秋のヨーロッパの出張にゆくつもりだという。ヨーロッパで育った彼女は「小さい頃からテロなんかたくさんあったから平気だ」と言う。それは彼女なりの使命感の産物としての発言であり、決してテロの危険を軽視しているわけでないことは分かっている。ないしろミュンヘン5輪のテロも身近で経験しているのだから。その勇気を見習いたいと思う。

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