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靖国 投稿者:武田徹  投稿日: 8月 6日(月)23時47分27秒

野中広務がニューステーションに出演し、靖国問題についてかなり踏み込んだ発言をした。これは明日以降かなり話題になるだろう。
テレ朝が野中を使うのは、かつて朝日新聞や、朝日時代の人脈を持ち出してキャスターになった筑紫哲也が後藤田正晴を多用したのとなんとなく似た構図である。とはいえ心情的左の甘ちゃんがむしろ右の内部対立を利用して右傾化を批判させるというのは同じだが、違うところもる。分祀、特殊法人化など野中にしてみれば持論を貫いた形だが、この時点での発言は小泉に大きなゆさぶりをかけられるという具体的で生臭い効果も備えていることだ。果たして使っているのはどっちで使われているのはどっちなのだろうか。
んで、これは何の取材の裏付けもない、推測だが、ぼくは小泉は土壇場で靖国参拝をキャンセルする方に賭ける。なぁに言動が不一致になったって、そんなことは誰も今や気にもしまい。日本人の忘れっぽさはたいしたものだ。それを担保に、アジア関係に波風立てないことを小泉は選ぶように思う。そしてそれは国内対策でもある。人気しか頼めない彼にしてみれば、数の論理は冷厳だろう。自らの過去の言葉に忠実に行動して一部保守勢力の好感を買うよりも、むしろドタキャンで話題と、熱狂の維持を図るのが得策だと言うことくらい計算できるだろう。逆にそんな9回裏逆転が出来なければ、これから先が思いやられるというところか。
武田徹
PS都民カレッジで靖国問題について何かいい参考書はないかと受講生から質問。専門ではないので幾つも書名があげられるわけではないが、とっさに思いついて坪内祐三の『靖国』を勧める。おととしサントリー学芸賞で、東浩紀の『存在論的、郵便的』と争って破れたという不遇(相手が悪い)の書だが内容的にはさすがである。一見、最近の靖国問題の整理には役にたたなそうだが、イオデオロギーに回収された問題だからこそ、そこを離れて切り込む視点が実は力になるのだと思う。政治よりも文化史を。靖国の社会史的な位置づけの大枠が理解できれば、その中で靖国問題を転がせられる?ようになるのではないかと思う。他に・・・、何かなかったかな。

コラムニストはピンキリである 投稿者:武田徹  投稿日: 8月 6日(月)09時45分12秒

『編集会議』を送ってきたので読んでいて、オバタカズユキのコラムには呆れた。
ネタは参院選である。1、マスコミの人たちはなぜ自分が投票した党や立候補者の名前をカミングアウトしないのか。2、マスコミ人は政治を評したりはするが、高見からものを言うだけで、自分はこう投票したと知らせることはない。そのヒョーロンカ的態度にわたしたちは辟易している。3、しかし自分(オバタ)もまた誰に投票したかは言えない。4,それは自分が選挙にいかない人だからだ(選挙に行く理由がわからないから)。5、こんな自分を悔い改めさせるために、マスコミ人はぜひとも本音を聞かせて欲しい。
と、だいたいこんな趣旨だ。選挙に行く理由が分からないなんて今時平然と言っているところが哀しい。そうしたかたちでハスに構えることで格好がつくと未だに思っている男が、他のマスコミ人に支持政党を言えってのは本末転倒というか、なんというか、情けなくなる。ぼくも、メディア上で誰もどこに投票するか語らないのはなんとなく自粛っぽくて気になっており、そろそろ戦略としての自らの選挙行為を語る人が出ても良いんじゃないかと思っていたが、選挙に行く理由がわからないなんてぬかしているオバタにそれを言われると腹が立つ。無頼を気取るなら、人を諫めるようなシミンっぽい立場で語るな、正義を気取るなら無頼を演じるなという感じか。ちなみに「おれを悔い改めさせてくれ」と結ばれるコラムの最後の一文は「腹をくくった<自分の言葉>に対してなら非国民な私でも真摯に耳を傾けたいと思っている」だそうだ。なんかレトリックが空回りしていないか。
この種のコラムの不毛さについては、読者がもっと真剣に考えるべきだと思う。同じようにばかばかしいコラムでも、あるいは同じように庶民派気取りのコラムでも、内容はピンキリであり、出来は月スッポンである。ただ殆どの場合、一人の書き手の仕事の範囲で出来不出来があることはなく、ダメな書き手は終始ダメだし、出来る人はいつでも見るべきところがある。たとえば反骨っぽいのと反骨はまったく違う。そこは見分けないとね。表層的なレトリックとか喧嘩腰の威勢の良さにだまされては行けない。
それにしても編集会議は薄くなった? だから花田に早くガス室問題について謝罪させろってここに書いたじゃないか。表4広告がブリジストンタイヤってのはなんだ。

 投稿者:武田徹  投稿日: 8月 6日(月)00時47分49秒

↓おっしゃる通り。でも面倒なんでもう直さなかったんですね。すまんです。

あのー 投稿者:通りすがり  投稿日: 8月 6日(月)00時28分16秒

川上イチロー→河上イチローじゃないかと思うのですが……。
(この書き込みは削除していただいて結構です)

更に自己レス 投稿者:武田徹  投稿日: 8月 4日(土)11時47分50秒

↓「要」じゃない。「量」。しかしもう呆れちゃうけど、掲示板ってなんでこんなに誤字が多いんだろう。ぼくはオンラインで書いていることが多いこともあるけど、後から読み返して愕然とする回数は想像を遙かに凌駕する。そしてぼくだけじゃない。川上イチローも前に言ってた。
書いているコンテンツに対する意識の在り方の問題かな。ワープロ使うだけでも手がきの時と「心」の場所が変わるというけど、それがオンライン化でさらに変わる? 認知心理学者のテーマですね、これは。短文レス文化だと誤字問題がそう深刻化しないから2chは人気なのか。
武田徹

↓自己レス 投稿者:武田徹  投稿日: 8月 3日(金)07時25分03秒

原発見学会から帰還。なんだか今年は放射線量が多かったなぁ。もちろん直接影響が出るような要ではないけれど。こういうことも自前でシンチレーションカウンターを用意したから分かることであって、ただ見学会にゆくだけだったら低レベル廃棄物貯蔵庫でどの程度線量があるかは分からないままだ。

さて↓を書いてからディズニーはとてもじゃないが独自取材を許さないので映像がディズニー側提供のものを使わざるを得ないのだというメールを戴いた。前にディズニーランドがオープンした時の報道完成ぶりをみてもおそらくその通りだと思う。
しかし不可抗力ではないと思うのだ。独自取材できないんだったら報道しなければいい。少なくともPR映像を使う形で報道する義務はない。いかに話題であってもそれを無視する権利はジャーナリズムの側にある。そうするほうが近未来のジャーナリズムの精度を守れるのだとしたらなおさら報道しないことも選択肢のひとつにすべきではなかったか。
武田徹

だらしない映像 投稿者:武田徹  投稿日: 8月 2日(木)07時06分16秒

デュズニーシーのプレオープンでニュース番組は足並み揃えて報じていた。確かに出来は良さそうで、これでまた全国のテーマパークは赤字化が進むだろう。可処分時間、可処分所得は限りがあるので仕方がないところか。
しかしニュースで使っている映像って殆どがPR映像じゃないですかー。確かに新規取材でさまになる映像を撮影するのは大変で、用意されているものを使うのは仕方ない面もあるけど、取材の実感なしに流される映像は第三者の視点を欠いた全くのきれい事のわけで、問題がある。
PR映像使用の場合はそれを表示するとかきちんとしないとジャーナリズムと広告の境界がどんどん曖昧になってゆく。テレビ東京なんて特に曖昧のような気がする。日経っぽいというか。
どうぜ地上波の民放なんてぜんぶスポンサードされている(広告メディアとして買われている)映像じゃないかと言う人もいるけど、そりゃ現場の報道記者達には失礼な言い方であって、枠の中でなんとか努力もしているのだ。しかしPR映像の垂れ流しはまずい。雑誌でもタイアップはノンブルをつけないとか、識別記号を入れることに腐心していている(暗黙のルールが破られるケースもあるし、破られることになんの抵抗もない編集者もいるが)。
武田徹

明日は原発に行く 投稿者:武田徹  投稿日: 8月 1日(水)22時04分18秒

明日は学生を連れて原子力発電所見学会。毎年やって来てもう4年目。最初は予算の捻出まで自力でやっていて、実現させるだけで大変で、終わったときにはもう感動もの、涙がでそうだったが、途中から経済的負担なしに催行する方法をみつけ、4年目となるとさすがにだいぶ事務的な感じになる。年に一度の行事という感じ。
それでも今年は他学部からも参加希望者が多くあり、その意味ではこの見学会もずいぶん育ってきた。他の大学の友人を連れてきていいかという学生もいて、もちろん全然構わないのでそう言った結果、東大工学部学生までツアーに含まれるという状況だ。東大工学部は原発見られないのか?
「現場」に触れることがとても大事なのは取材を方法として重視しているぼくはもちろん知っている。そして教育機関などでも体験学習や現場関係者を講師に呼ぶ方法を講義内やキャリキュラムに組み込むケースは増えている。これはとりあえずはいいことだ。しかし手放しでは誉められない。直接見たり聞くだけでもダメで、批評的に現象と接させないといけない。うちの見学会の場合、授業に出ている学生は、少なくとも原爆と原発の異同について知っているし、ユダヤ人差別の問題との関わりにおける核エネルギー開発の歴史や、戦後日本史の中での核エネルギーの位置づけは学んでいる。その意味で、電力会社が町内会をまとめて見学させるのとはだいぶん違う。学生達は結構したたかでしろうとっぽい態度で見学しているので案内する人たちもすっかり油断しているが、彼らは巨大事故がなぜファイブナインズ(99・9999%)安全だと言われているのに起きるのかとか、電源三法の社会的枠組みがどのように機能しているのかを知っているのだ。
そうした知識を先に与えているからこそ見学会に意味がありえるのであり、最初から見学会では原発推進広報の流れに乗ること以外の何者でもない(彼らの掌の上でしか見学は成立しないのだ)。体験学習がやり方によっては批判なしに学生を方向付ける危険を持っているものだと言うことは教員は肝に銘じておくべきだと思う。
武田徹

いちべぇさん 投稿者:武田徹  投稿日: 7月31日(火)23時50分03秒

書き込みありがとう。ぼくは最近、週現は読んでいなかったのですが巨泉が連載していたんですか。そんなに面白かったんでしたら今度読んでみます。
今日はぼくはoggiという女性誌でなぜか組まれた小泉人気現象について町山広美さんと語るという対談に出てきました。あまりページは取れないようなのでかなり割愛されてしまわざるを得ないし、発売日が終戦記念日後になると使えない話題が多かったのも事実なのですが、その場での話としては結構面白かったです。
宮崎学はともかく、白川勝彦氏は無念でしょうね。
武田徹

宮崎学と書いて、二本線で消して 大橋巨泉と書いた 投稿者:いちべぇ  投稿日: 7月31日(火)23時04分35秒

日曜の午前10時。
康夫ちゃんのソレと同じように巨泉さんの「週刊現代」の連載コラムを愛読していたボクは、巨泉さん、期待しています。
武田さんは巨泉さんには(にも?)批判的なんでしょうかね。

ちなみに二人のコラムの間にあった渡辺淳一の連載は飛ばしてました(笑)。

小泉 投稿者:武田徹  投稿日: 7月31日(火)11時28分10秒

小泉 ちょい追加。まだダメですねーー。


消費社会(ただし、この言葉は投資家マインドを持った消費者と言い換えるべきかもしれない。理由は後述)と似ている。消費社会ではメガヒット現象、一人勝ち現象があって、それは売れているものが買われる。売れていないものは買われないという同語反復的、無条件反射的な消費行動が主流化しているから。政治もそれと同じ傾向をついに示し始めたのではないか。森内閣は不人気だったから支持しない、小泉内閣は人気だから支持する。同語反復的構図は同じ。行為に相対化の機運が差し挟まれないのも同じ。
そこで気になるのはメディアが人気物(あえて物と書く)と人気物支持(購買)者との間に距離を成立させる働きを果たしていないことだ。
たとえば宇多田の700万枚セールスは眉唾だと思う。あれは相当量の自己消費の結果の数字ではないか。しかしそうした疑いを差し挟んだ音楽メディアがあったか。人気物にぶらさがる構図の中に合った方がメディアも得をするという考え方に立つと流れに乗ってしまう方向を選びがち。
今のマスメディアもそうなんだろうか。tvは小泉、田中でレイトが取れるということはありそうだ。しかし新聞は? 小泉記事読みたさで新たに宅配契約を結びますかね。だったらなぜ割ってはいるような姿勢を取らない? 屋根に上らせておいてあとで梯子を外すという常套手段を取る算段かもしれないが、そもそも屋根に登らせる必要はないし、それは公益に反するのではないか。公益に奉仕することこそジャーナリズムではないか。
そもそもあの支持率のカウントはどうなっているのか。統計が嘘をつくものであることは社会学者であれば誰でも知っているが、たとえば小泉支持率だって、たとえばバイトのリサーチャーに10人に意見を聞いてこいと命じる。そこで意見を聞かせてくれる、あるいはアンケートに応えてくれる人というのは基本的に政治に関心が強い人であり、更に言えば主張のある人だろう。彼らの多くが現段階では小泉支持と言いたい方に属する。そういう人が多くリサーチャーの編み目にかかり、小泉支持のカウントがあがる。つまり母集団が既に偏っており、実際の支持率が60%ぐらいでもアンケート調査の結果80%強なんて結果になる。
それをそのまま報じちゃうことが「小泉内閣は人気だから支持する同語反復的構図」に油を注ぐことになるのだったら、今こそ統計の偏りについて天下に表明すべき時期ではないのか。「アンケートではかくかくの数字が出ましたが、こうこうの理由により、これは実際の支持率よりも高めになっている可能性があります」。そう付言するだけでも「小泉内閣は人気だから支持する」無批判的循環に水を差すことが出来る。それはあえて不支持に世論操作すること言うことではない。正確な事実ーー小泉人気とは実際にはどの程度なのかーーという現実に目を向けさせるきっかけを作るという意味で非常に公益的な報道になると思うのだがどうだろう。

森内閣の末期と比較したくなるのはクリントン政権の末期だ。クリントンの場合もモニカスキャンダルの後、支持率は低迷したがその後盛り返し、退任時には70%とかになっていた。それはメディア批判の結果である。メディアがこれでもかとばかりにクリントン批判を繰り返したことに逆にクリントン同情票が育ってしまった。アメリカの場合はこのようにメディア離れにまで至っており、もはやニクソンをジャーナリズムが辞任にこいつめるというようなことはありえないだろう。日本はそこまで行っていないのだからメディアは市民社会の信頼に応える義務がある。世論調査システムそのものの不備を省みて指摘するのはそうした義務に応える一貫ではないか。



郵政民営化が政策の核ならば、なぜその遂行の要になる総務に郵政民営化反対の片山虎之助を据えたのか。そうした不整合性はなぜ声高に論じられない?


靖国参拝では「首相と記載しても、本人が私人の立場というなら私人(福田)」なんていうシュールレアリズムの詩みたいな論理がなぜ通用する?
↓に続く

小泉 投稿者:武田徹  投稿日: 7月31日(火)11時27分38秒


構造改革の必要性の根拠である財政赤字について。東谷暁『経済再生は日本流で行こう』より
財政赤字がマスメディアに登場するのは96年に武村正義蔵相が中公に書いた『財政破綻宣言』においてである。そこでは武村自身が「私もこんなに悪くなっているとは知らなかった」と書いている。これが財政危機論に火をつけ、橋本政権の97年財政構造改革法につながってゆく。
しかし実際には日本の96年は国民総生産上昇率は4・9%もあった。ところが財政構造改革法成立後、山一、北海道拓殖銀行破綻、株価下落の惨状に至る。これも改革の痛みだったと評されるべきなのか。
武村が財政危機を表明した時、実は日本は世界でも有数の財政健全国だった。第一勧銀山家悠紀夫によると財政赤字は統計的に故意に捏造されたという。数字のトリックは国の財政を示す数値が国によって様々だということ。ヨーロッパは社会保障費を税金でまかなっているのに対して日本やアメリカは社会保障費を徴収して積み立てている。これをヨーロッパと同じ基準で計算するには積立額を上乗せしないといけない。そうすると日本は財政黒字が強調される。そこで上乗せしないと赤字に転落する。政治と大蔵省は上載せしない方法を選んだ。
大蔵省は少子化を見越して今のうちに更に財政基盤を盤石にしておこうと思った。しかしこの「危機の煽り」は聞きすぎた。危機におびえ、改革が好まれる風土との共鳴共振がありえた。財政構造改革法では9兆円の財政収縮が行われたが、その結果生じた景気の落ち込みを回復させるには100兆円以上の財政拡大が必要といわれる。9兆を得るために100兆を捨てた選択だった。

現在、財政赤字は政府の算定額よりも一桁以上大きいという説もある。となるともはや想像を絶するが、それにちても、なにがどうなっているのかは分析してかかるべきだ。


好況幻想、心理不況と言う言葉があるように、いずれも心理現象的な側面がある。不況の心理をいかに払拭するかは政策的に重要である。
バブル崩壊以後の不況は設備投資不況であり、不良債権不況であったとの同時に心理的不況でもあった。
心理的不況だったからこそ、財政赤字危機説に翻弄され、アクセルを踏みながらブレーキオを踏んで更に状況を悪化させる。

これkぁらの構造改革はどうか。
不良債権不況であること、設備投資不況であることは事実である。ITバブルによって更に問題は複雑化、深刻化している。そしてITバブルもまさにそうだったが心理的様相がそこに二重三重に絡んでいる。

ケインズは消費者の心理と投資家の心理を区別した。消費者はアニマルスピリッツ、つまり自分のしたいように振る舞う。それに対して投資家は美人投票的、他の人が一番多く美人だと思う人に自分も投票する。集団心理に陥るのは投資家心理である。となるとそこの解体がかなり効果的だと言うことにはならないか。
消費者と投資家的心理から解放すること。そのために何が必要なのか。先のメディアの自律はそうした面で公益に貢献できると思う。

大丈夫な、わけないか 投稿者:武田徹  投稿日: 7月30日(月)23時02分58秒

結局、寝てばっかりもいられなくて月曜から復帰。まだふらふらするが、そんなの忙しくなれば忘れちゃうだろう。
参議院選挙の結果は、少なくとも現状の民意の反映なのであって、ああ、日本ってこういう民度なんだなぁともう何度となく思い知らされた経験を繰り返すだけだった。縁側でスイカ食って夕涼みして、これが幸せなんだ、これ以上のぞんじゃないけないんだって自分に言い聞かせるしかない(変な感想だ)。
で、もう本当に最後の最後にしたいだけど、明日、某誌で小泉人気論(またかよー)を対談しないといけないので少し覚え書きに書いておく。

まず、痛みに耐えろと言うのは分かるし、耐えなければならない痛みがあることもよくわかるが、耐えなくてもいい痛みもある。もし構造改革をこれから本格的に取り組むんだったら、失業率はあがり、平均株価は下がるんだろうが、それは純粋に構造改革の痛みかってことだ。今や失業率や経済は一国の国内マターではない。セーフガードで一部農家や一部業界を救済しようとしたが、ことほどさように失業者を出すも出さないも国際関係の政策の如何に左右される(今回のセーフガードは集うが長い目でみて本当に国内の失業対策になったかは疑問)し、市場の確保もまたそうだ。セーフガードの扱いや教科書問題で中国市場をみすみす失って株価が下がったりするのは構造改革とはまったく無関係である。というか構造改革で痛みが予想される時期になんでそんなことするのという素朴な疑問がある。靖国公式参拝もそう。そんな目の利かない首相が何で人気なのか。
国際関係の中で経済問題を扱えないと言うのは致命的なように思う。たとえば円だけいじってもだめってのはもう常識でしょ。ドルとユーロとを根回しした上で何かしないと、すこしぐらい経済が回復基調になっても為替差損でふっとぶ。だったら痛みは何だったのかってことになる。そうならない経済政策が塩川、竹中、田中+速水体制で出来るのだろうか。そうしたことまで読んだ閣僚人事だったのか。なんだか支持率アップが最初にして最後の目的なんじゃないかと思えてくる。初めに視聴率ありきで、最後まで視聴率しかないTVと一緒みたいだ。ま、巨泉の民主も大差ないけど。

それに構造改革そのものだって根本は出したと強弁しているが、それは細目は出していないことを自ら認めているわけであって、細目を出さないような首相と内閣と与党をなぜ信任しちゃうんだろう。政策を出さないことが選挙でプラスになるなんて国は果たして他にあるんだろうか。民主主義の定義矛盾のような気もするが。

って書き出したけど、こんなことしか思いつかない。まずい、脳が腐っている。財政赤字がいつから存在したかとかちゃんと調べてみると良いかも(誰か文春新書で書いていたような気が。あれ、最初は捏造だったって。確か武村ムーミン蔵相時代。それを橋龍が真に受けてというか、あの人のくいつきたいテーマだったのでまともに取り上げてむしろ復調気味の景気を握りつぶしたとか)ま、明日までにはいろいろ考えつくだろうけど。なんか智恵があったら教えて下さい>みなさま
武田徹

re:軍艦島続報 投稿者:軍艦太郎  投稿日: 7月30日(月)08時30分03秒

武田さま
軍艦島の墓について、訊いていただきありがとうございます。やはりお墓はなかったんですね。町ようで企業施設のようで、どっちつかずの不思議な場所だなという感を新たにしました。86年に雑賀雄二の撮影に同行して1週間ほど軍艦島に滞在した洲之内徹は「『楽しかりし日々』といった種類の言葉が、あちらにもこちらにもある。学校や組合の黒板には、何年も経ってからこの島を訪れてみた卒業生や、職員の、懐旧の情を記したものもある。」(さらば気まぐれ美術館)書いていて、軍艦島阿久井先生の言う「少なくとも戦後の」軍艦島の状況を感じさせるものがあります。
掲載誌・号がきまりましたら、ぜひ、告知していただければうれしいです。それでは、失礼いたします。

http://ugyaaa.tripod.co.jp/


寝込んだ 投稿者:武田徹  投稿日: 7月29日(日)23時35分54秒

土曜午後から寝込む。横になりながら、ここしばらく忙しすぎたなぁと反省。無事通過できたのが奇跡的な感じすらする。少し涼しくなったので寝ていても楽。開けた窓から風と一緒に、家のすぐ前が投票所なので朝から人手が絶えない様子が音として伝わってくる。
武田徹

軍艦島続報 投稿者:武田徹  投稿日: 7月27日(金)20時58分11秒

今日午後、軍艦島の学術調査をされた阿久井先生の話を聞きました。
やはりお墓は内部にはなく、郷里がある人は島内の寺でお葬式をして、郷里の墓地に埋葬していたそうです。無縁仏だけ隣の無人島に専用の墓地が作られていましたが、閉山が近くなると納骨が遅れがちでお寺にずいぶん残ってしまっていたとか。
高齢者に住みにくい島だったかとお尋ねすると、高齢者にとって必要なのはエレベータではない。周囲の理解と敬意だとお答えでした。階段で手を貸してくれる人がいれば、エレベータなしでも高齢者は楽に暮らしてゆける。軍艦島はエレベータはなかったが、高齢者への敬意と理解はあったのではないかということです。実際、閉山時にも2,3世代同居は多くあったわけで、正鵠を射た説明のように思いました。
下の記憶の話と同様、集合住宅の生活が豊かになるために、緑地や、容積率の低下ではないということを改めて考えさせられるお答えだったと思います。
「少なくとも戦後の」軍艦島は住み難くなかったはずだと阿久井さんはおっしゃいます。それは御自身が74年以降に研究者として関わり、せいぜいが戦後の軍艦島についてしか責任ある発言が出来ないという研究者としての誠実な姿勢だということもありますが、戦前は部外者が軽々に語りにくい重い史実があったことをも暗示した表現でした。多くをここでも語りませんが、廃墟マニアの人たちにはすこしは脳裏に留めて置いていただきたいと思うところです。
武田徹

記憶 投稿者:武田徹  投稿日: 7月27日(金)00時44分44秒

ある研究会で森まゆみさんの話を聞いた。彼女が地域の人へ丁寧に聞き取り取材をしながら谷中・根津・千駄木のコミュニティ誌をやっているのは有名だが、質疑応答の時に「多摩ニュータウン」で同じような活動が出来るかと聞いたら、難しいのではないかという返事だった。
彼女が注文していたのは記憶である。谷中、根津、千駄木には街の中に記憶のよすがが埋め込まれている。これは震災のときの、これは戦争のころの、これは黒豹事件(上野動物園の黒豹が逃げ出して大騒ぎになった)の時の・・・・と思い出を活性化させる痕跡が多く残っている。
そういうものがってこそ、自分たちの生きてきた時間を記憶し、語ることが出来る。多摩ニュータウンにはそうした記憶のよすががないのではないかということだった。
確かにその通りだと思う。
我々はもっと記憶の問題に留意する必要がある。資料があるから、とか、コンピュータでいつでも検索できるからというのではなく、内部化された記憶が必要だし、そうした記憶を常に活性化させるには外部に記憶を補完する刺激的な記号が必要なのだ。
そして、語ってくれた森さん自身もまた記憶の人だと感じた。彼女が樋口一葉などを描き出せるのは記憶が脳内で関連づけられ、ひとつの自立した世界をつくっているからだろう。外部化されている記憶はアーカイブと呼ぶべきであり、それぞれの記憶の断片が関連づけられていない。それでは全体像が構築できない。
内部記憶と外部記憶は質的に異なり、その差がもっとも如実に出るのは創造の場なのだろう。
武田徹

浅羽新刊 投稿者:武田徹  投稿日: 7月25日(水)09時10分57秒

あー、やっと終わった。ここしばらくの原稿のヤマはさっきメールで送ったもので一応一段落。明日(今日)も締め切りは一本あるんだけど、そんなのちょちょいのちょいだと思わせるほど、ここ数日は大変だった。でも猛烈な不完全燃焼感あり。急いでやった仕事はダメっすよ。結局、ずいぶん経費だけがかかった感じ。ホテル宿泊代とかタクシー代とか。自分の本当にしたい仕事を後回しにして、しかも金までかけて、不完全燃焼の仕事をする。なにやってるのかと思う。
で、せめてもの罪滅ぼし?として仕事の副産物を披露します。ケータイの記事が一本合ったので浅羽通明『携帯電話的人間とは何か』を資料として読んだ。よく調べているなぁと言うのは彼の他の仕事と同じ。参考になった。
でも幾つか問題も感じる。
まずルサンチマンが強過ぎる。消費がかげった原因が携帯電話代に可処分所得が費やされたと聞くと、嬉しくなっちゃうんだなこの人は。文面上は自信ありげだけど、80年代的消費社会化に完全に乗り遅れた恨みがあるんだろう。「80年代の本」もそうだったし。ananに乗れなかった永田洋子みたいなものか。で、「オレの嫌いな消費者社会」をやっつけてくれたケータイを最後の最後まで誉めようとするんだけど、それは携帯=善という枠にはめ込みすぎていると思う。初めから結論を決めた上で書き始めている感じが見え見え。携帯だって消費なんだが、それを生産の枠組みの中に逆転させるのは相当無理な感じ。
前に宮台が浅羽に批評されて、事実無根だったので苦情を言いに行ったら、浅羽は最初から「宮台さんは東大でエリートだけど、自分は障害者だから」とか言うらしい(『野獣系で行こう』)。宮台は最初からそこにゆくか、と驚きらしかったけど、やっぱりそういう性格なんでしょう。
あとリアリティがない。たとえば浅羽が自分で女の子にケータイしたことない人でしょ、おそらくは。そういう経験的な部分の薄さが表に出る。というとまたすねるんだろうが。ケータイってなんなのかを肉体感を持って感じた経験がないのではないか。
そういう点を見ると、良い本なんだけど、努力賞以上は上げられない感じ。この前も『野望としての教養』にそんなこと書いたような気がするが、この作者は自分自身の枠を乗り越えようとする意欲が乏しいんじゃないか、だからいつまでも同じ文脈で批判される。
武田徹

はい了解です 投稿者:武田徹  投稿日: 7月24日(火)20時04分25秒

軍艦太郎さん。書き込みありがとう。聞いてみますね。
ぼくが聞いた範囲では確かに墓はなかったように思います。無縁仏は隣の無人島に葬ったとか。そこに火葬場もあったはずで、無縁仏でない場合は、軍艦島ではないところ(生まれ故郷とか、長崎とか)にある墓地に納骨したのではないでしょうか。
逆に出産は島内でしたみたいですね。かなりりっぱな病院があって(手術室が案外とリアルに残っています。あと隔離病棟がある。赤痢とかですかね)、むしろ長崎のそんじょそこら(失礼)の土地よりも設備が良かったみたいですから。
武田徹

それではお言葉に甘えて質問事項です 投稿者:軍艦太郎  投稿日: 7月24日(火)00時29分30秒

ぼくはほけーっと写真を眺めているだけで(基本的に廃墟趣味って分かりやすすぎてつまんないと思うんですが軍艦島は、圧倒的に別格)、軍艦島についてあまり知見とかはないのですが、せっかくの機会なので訊いてみたいことを考えてみました。それで、ふと思ったのは、墓はあったのだろうか、という疑問です。模型を見るとお寺はあるんで、多分そこに墓地もある可能性は高そうだけど、「海上産業都市に住む」では墓について何も触れてないので。もし墓があったとして閉山後は墓参りとかも許可されなかったのでしょうか。お盆とかちゃんとやってない私でも、墓参って、いざ行けないという状態を想像すると、けっこう悲しいものがあります。もし、武田さんのご興味に多少なりとも合致して、かつ時間が余ったら訊いてみていただければ幸いです(もしかしたら阿久井先生のほかの文献とかに当たればすぐに判明するのかもしれませんが、そのさいは失礼ご容赦ください)。

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