
武田徹Official Web Site--オンラインジャーナリズム掲示板
LOG73
月曜日、火曜日は教育啓蒙活動が集中していて都心での仕事が多く、至近の締め切り原稿も大量にあるので、移動時間がもったいないのと昼間に少しでもまとまった執筆時間をとりたかったので今日もホテル泊だ。金大中が韓国に拉致されたホテルにいる。
こういう生活をしていると携帯電話の電池消耗が早い。夜、原稿が一段落した時にampmに充電にと九段下の交差点まで出たら、海の近くにいるような感じだった。空気のぬるさと生物が腐敗している生臭さ?のせいだ。温い空気はもちろん暑さのせいだけ、生臭さのほうは果たして錯覚なのだろうか。何か腐っているような気が。
携帯の充電は二回やれば結構使えることを知った。コンビニ充電は初体験だ。ただ時間が20分かかる。スターバックスもマックも終わっている時間だったので、待っている間、資料本を読める場所がなく、地下鉄駅の中でたちんぼうで読書。まるで明かりを求める蛾のような人生。
武田徹
ほっとているさん。こんにちは。
他の記事もありますが、データソースは同じ毎日系みたいですね。
ちょっと分からないのは「燃料棒交換中に落下」というのはどこで落としたんだろう。炉内だったら行方不明というのはおかしくて、炉の下の気候が複雑な場所に落ちてしまい回収できていないというのが的確だろうし、運搬中に行方不明というのだったら、テロリストによる盗難を考えるべきでしょう。そこに言及していないのはなんでなんですかね。他が記事にしていないのはそうした記述がないことからニュース自体の信憑性を疑っているのではないかな。
イギリス国内は本当に報道されていない? BNFL発のニュースですから、もしまともなものなら少なくとも反原発運動家はチェックしていると思うけど。遅れた情報管理統制国家ならいざしらず、イギリスのように、ただれるまでに情報化が進んだ国で、全面的に情報を伏せるのは無理のように思いますが。ま、少し見守ってみるのがいいと思います。
武田徹
武田先生お久しぶりです。時間の都合上、掲示板に書き込みさせていただきました。
知人に教えてもらって、↓に載っているイギリスでの原発事故の事を知ったのですが、
どうもイギリスでは報道された形跡がありません(これも知人談)。この記事以外で日本では報道されたのでしょうか?
イギリスは恐い国です(いろいろな意味で)。http://news.yahoo.co.jp/headlines/mai/010716/int/13300000_maiintc055.html
軍艦太郎さん。こんにちは。ぼくは昨日から自発的に缶詰状態になっていて、手元にないのですが、記憶を辿ると、新潮社と書いたのは間違いのように思います。そういえば岩波の出していた雑誌『よむ』からの転載記事があったか、言及があったような・・・。それに出版界の刊行として岩波のものが新潮から(岩波にないビジュアル文庫化とかではなく)出ることは考えにくいです。となるとこれはお持ちのものと同版ということになりますね。混乱させてごめんなさい。家にかえってみて確かめますが。
阿久井先生の模型は今は明治村にあるんですか? そんなことを編集者経由で聞きましたが。今度、彼には会いますのでいろいろ聞いてみようと思います。もし聞いてみたいことがあったらおっしゃてください。代理で聞いてきますよ。
武田徹
武田さま、お返事ありがとうございます。『軍艦島、海上産業都市に住む』という本は同名の岩波書店版(「ビジュアルブック 水辺の生活史」シリーズの1冊)ならもっています。やはり阿久井先生の作った模型の写真などがあるので、再編集したものかもしれません。まだ人が住んで働いていたころの写真もたくさんのっていて、いい本だと思います。これでしたら、多分まだ書店に注文すれば手に入るのではないでしょうか。私はオンライン書店で新刊を取り寄せました。
軍艦太郎さん。こんにちは。写真洲「軍艦島 棄てられた島の風景」(新潮社)ですか。それは見ていませんが、ぼくは今、ある人から同じ新潮社刊の『軍艦島、海上産業都市に住む』を借りて手元に持っています。これもなかなか良い本ですよ。阿久井先生の作った模型の写真を始めてみて、島の構造がようやく理解できました。高層住宅は階層ごとに水平に展開するように考慮されていたことに改めて感心しています。今の高層マンションは一度下に降りないと上に行けないけど、軍艦島は空間が重層化していたんですね。この本も絶版なのかな。
武田徹
武田様
さきほどは、メールアドレスを入れ忘れ、失礼しました。
再度投稿させていただきます(お手数ですが、さきほどのもどは削除おねがいします)
こんにちは。
私は復刊ドットコムと万能書店という、二つの復刊サイトに
写真集「軍艦島 棄てられた島の風景」(新潮社)の復刊をリクエストしました。
(万能書店はすでにリクエストが出ていたので、1票を投じてきました)
雑賀雄二の写真もさることながら、洲之内徹の文章がとても読んでみたいのです。
(多分、あまり学術的なことは書いていないだろうとは思いますが、洲之内徹が
軍艦島について何を考えたのか、とても興味があります)
もちろん、軍艦島の様子を写真で見るなら各種潜入サイトを見れば
それなりにわかるし、この本にしても、見よう(読もう)と思えば
図書館に行けば可能でしょう。
でも、やはり手元に置いておきたい本というのはあるわけで、
私にとってこの本がそうなのです。
ちなみに、軍艦島関連の本で、いま比較的簡単に手に入るのは
「軍艦島 海上産業都市に住む」(岩波書店)くらいのものではないでしょうか。
先日、「軍艦島実測調査資料集」が復刻されましたが
限定版なのですでに手に入りません。
この本の復刊にご興味がありましたら、
下記サイトをおたずねいただければ幸いです。
この掲示板的に不適切な書き込みであったら、ごめんなさい。
うーん、原稿が書けない。前に書いた朝日のノンフィクション書評。5冊をひとつのコラムで扱うのは難しい。
武田徹
はじめまして。
ウエブサイトやってます。コラム・裸眼凝視というタイトルです。
テーマを決めず、情緒より分析をモットーにいろんなことについて書い
てゆくつもりでして、今まで爆笑問題、広末涼子、村上龍、2ちゃんねる掲示板
宅間守、小泉内閣、田中康夫、そして今回は326や路上詩人について書いてみました。
「安い言葉のリアリティー(326とか路上詩人とか)」というタイトルです
また、長い文章を読むのが面倒くさいという方でもOKなプチコラムという
コーナーもあるので、そちらだけでもどうぞ。
冷やかしでもいいので是非読んでみてください。
いきなり宣伝で申し訳ありません。
アメリカのミサイル迎撃システムの実験成功は果たしてどの程度信頼して良いのか分からないけれど(たとえばユーゴでの中国大使館を誤爆で、人的要素か機械の限界かはわからないがミサイル制御技術が案外と低精度だということは露呈しているーー)、もし本当だとしたらかなりゆゆしきモノだ。相互確証破壊の抑止力で核戦争を防いできたパワーバランスが崩れてしまうことは多く指摘するとおりである。これでアメリカは報復を恐れずに核を使えるようになる。当然、中国も同様のシステムを急遽開発してパワーバランスの回復を目指すだろうが、冷戦の成立を経験したアメリカがそれを許すだろうか。ソ連の核武装はアメリカ政府が核の国債管理を勧める世論に押されてどのような選択をすべきかどうか迷っているうちに達成された。それと同じ轍をアメリカは踏まないようにするだろう。特にブッシュは。
というわけでかなり危機的な状況だと思うのだが、報道にも、情報を受け入れる側の社会にも悲壮感が漂っていないのはなぜ?
こうした状況で日米ガイドライン法案が成立済みであることは未来の日本にどんな影響を与えるのだろう。 小泉が訪米中に「親米」「親米」と繰り返し述べていたことを多くの人がただ聞き流していたと思うが、今の時点で距離感なしに親米を口にする首相を戴き、その発言を定抵抗感無く受け入れる感覚を養ってしまった市民社会というのは果たしてどうしたものかと思ったりする。
武田徹
↓の発言で軍艦島の人口密度が1haあたり400人超というのは間違い。1はあたり1400人でした。九龍城砦が1は当たり2000人を越えていたが、あそこは平地に立地しており、更に学校や病院などの公共機関を外部に依存していたこと、それに対して軍艦島は傾斜地に建物が造られ、下にも書いたが面積の半分が炭坑設備だったことを、考慮すると単に数字的な比較が意味をなさないことは繰り返し言うまでもない。
長崎出張の行き先は「軍艦島」でした(前にここでほのめかした後すぐに一部サイトでは早くも正解を言い当てられてた。ご名答!! 余りに見え見え(笑)だったか?)。正式名称は「端島」で江戸時代末に炭坑が発見されて以来、採炭場として高度の発展を遂げてきた場所だ。
周囲をコンクリートで護岸した幅160m強、長さ480m強の小さな島の地下には1000mに及ぶ深さで海底炭坑が掘削され、極めて良質の石炭を産出していた。炭坑労働者とその家族で最盛期には島上に5000人が生活していたという。先に示した島の広さを思えば驚異的な人口密度で、1ha辺り400人超となる(ーー実際には狭い島の約半分は炭坑設備で居住エリアは更に狭くなっているので実際はそれ以上だーー)が、それをカバーしたのが高度の住宅空間の集積化だった。周囲1・2キロの小さな土地の上に日本最古の高層集合住宅を始めとし、最高9階建ての高層住宅を50棟も密集林立させた風景は、通称のごとくまるで巨大軍艦、あるいは香港島中環辺りののミニチュアみたいである。地下に共同浴場と売店、地上に事務所と住居スペース、最上階に幼稚園、あるいは小学校、中学校と階ごとに積み重ねられたビルなど・・・。日本だけでなく、世界でも(それこそ香港の一部ぐらいにしか)例のない建築形態が見られる。
しかし、石油利用への転換が進み、炭坑が閉山となる74年に軍艦島は完全な無人島となる。以来、島内へは立ち入り禁止となっており、今回ぼくが事前に行き先を示せなかったのもそのせいだった(ばれてたけど)。立ち入り禁止には根拠があり、軍艦島はいまだに以前に炭坑を掘削していた鉱業会社の私有地である。許可無く立ち入れば不法侵入に当たる。そこで、もしも事前に海上保安庁あたりに通報されると行けなくなるかもと懸念したのだ。ただ、それは杞憂だった・・・・、と言うべきなのだろうかーー。
今回、軍歌島訪問が実現したのは、かつて島に住んでいた人物と知り合えたから。彼は3年前に中学校の同窓会をした時、飲み明かした後に思いついて漁船をチャーターし、級友達と島を訪ねたのだという。以来、荒れ果てたかつての故郷を見守ろうとするかのように、何度となく島に渡るようになった。軍艦島に興味を持つ有志を集め、島に案内するボランティア活動も始めた。
そんな彼に同行して貰い、垂直に切り立つ防波堤岸壁をよじのぼるようにして島内に入ると・・・、なんとビデオのロケ隊が先におり、かなり大袈裟な機材を使って撮影中だった。昼近くになると大学生風情の旅行者の姿も見掛けるようになった。立ち入り禁止の無人島のはずなのだが、ぼくと同じ日にそこに居合わせたのはおそらく40人ぐらいはいたのではないか。
92年に火事騒ぎがあった直後、軍艦島への立ち入り禁止は厳禁され、警備員が駐在するようになっていたが今はそれもなく、鈴木あみ主演のNHKドラマが軍艦島を舞台にしてからは、その極めて個性的な風景に興味を感じて立ち寄ろうとする観光客が増加、立ち入り禁止は有名無実化しており、小遣い稼ぎのために内密に「渡し」の役目を果たす漁師も後を絶たない。
これはどう考えればいいのか。自分自身もまた法に抵触することをしている。そこまでしても、軍艦島を我が眼で見たかった。どう報じるかの方法は検討しなければならないと思っていたが、なんらかのかたちで島の歴史の意味を伝えたいと思っていた。たとえば以前に小渕が入院していた頃、週刊誌はなぜ新聞が小渕の病状を報じないと批判した。しかし報じるべきだと思えば、自分でやりゃいいのだ。第五福竜丸被爆事故の時、読売の記者は深夜の病院に忍び込んで、患者を面会している。道徳的には許されがたいことだが、何が起きているのか、市民の知る権利に応える行動としてぼくはこれは評価する。(もはや正確には再現できないが資料などによると)患者も自発的にインタビューに答えていたようで、患者のプライバシーの過剰な侵害とは言えなかった。軍艦島の場合ももはや現住民が存在しない以上、不法侵入は何をもって問題とされるのか。かつての暮らしぶりの記憶を冒涜するような作業は問題だが、それを配慮すれば訪問は許容される範囲ではないか、そう思った。
しかし、そうした考えはともかくとして、やっていることは他の上陸者と同じである。そこにぼくの悩みもあるが、違いもある。案内役を買ってくれた人物はかつてそこに住み、地理に通じているし、訪問の経験を積んで島内の危険個所を熟知している。ぼくは彼のような案内役なしにはそこを訪ねなかった。経過時間からしてかなり危なっかそうだったからだ。
で、結果から言えば、その予想は当たっていた。軍艦島は旅行者ぶらりと立ち寄って愉しめる範囲を超えている。高層住宅は至る所で崩壊が始まっており、落下したひさしの舌に居合わせれば命を失うだろう。甘く見てはいけない。廃墟マニアのような人が多いようだが、ここの危険は絵空事ではない。衣装も相当の準備が必要で、裸足にサンダル履きとかの軽装では、倒れた木に刺さっている釘やガラスを踏みつけて確実に足を確実に切る。閉鎖の年度から時間が封印されていると考えれば、破傷風の恐れもあるはずだ。
ここは相当に危ない、それが現地を訪ねて、朝から一日中、汗まみれになって歩き回った結果のぼくの判断だ(結果的に帰りの飛行機の時間が迫り、結局、昨日書いたかつての恩人のところはやはり訪ねられなかった。情けない・・・・)。軽い気持ちで訪れては泣きを見る。実際、案内役の彼の的確なアドバイスなしにはぼくもかなり危なかったと思う。9階で高層棟同士を繋ぐ渡り廊下はコンクリートにひびが入っておえり、ぼくらは余計な重さをかけないように一人ずつ渡った。そんなことも事情を知っている人がいなければ出来ない芸当だろう。
ただ、中には近代日本の歴史の重さを知りたいという真摯な訪問者もいるだろう。実際、見てみるとここの集合住宅は炭鉱労働者向けのものでもかなり進歩的であることが分かる。74年の閉山時には多摩ニュータウンも最初の一部分が出来た程度だが、それと比べれば軍艦島はかなり早くから「文化住宅」的イメージを先取りしていたように思う。高度の集積ゆえにかっての九龍ゲートのような無秩序をイメージする人が多いようだが、それは違っていると思う。学校もプラネタリウムを手製で作っていたりと教育熱心で。開放的で、明るい雰囲気だった。こうしたことも実地で確認しないとだめなので、真摯な興味を抱いた訪問者が自分の眼でみたいという気持ちは理解できる。で、そんな彼らをむやみに危険に晒さないよう、ただ立ち入り禁止を謳うだけでなく、正しく見る人に安全に見れる環境を確立すべく、なんらかの措置に訴えて行くことも今後は必要かもしれない。それについてはまだ考えがまとならないので、また書く(これは第一報告に過ぎない。『グッズプレス』連載『産業の礎をゆく』最終回に今回の軍艦島訪問記を使おうと思うの。でそれが世に出る9月頭までにはなんらかの結論を出すつもり)。
案内してくれた人物は、たとえば雑誌に出るときに自分の名を出して貰って良いという。不法侵入を問われかねないが、自分を介してくれれば的確なアドバイスが出来るという。誠実な人で、彼の案内ならといって渡しに協力する船主もいる。しかしそんな彼らに依存するばかりで良いのかといえばぼくはかなり疑問だ。
ぼくはまだ眼にしていないのですが、フォーカス写真部の切り込み隊長だった人物(既に故人です)の私家版写真集があって、そこには往年の名グラフジャーナリズム雑誌『ライフ』への憧れを綴る献辞があるのだとか(ちょっと不確かです。パパラッチマガジンと思われがちですが、志は高かったようですね。ほかのFとの違いを見る目が必要だと思います。そして一方でやはりフォ−カスはよくもわるくも時代と寝たのだと思う。フォーカス的正義の在り方は時代の拘束を感じます。
武田徹
武田さんのフォーカス休刊に関する下の文章、興味深く拝読しました。
大学時代の友人が、新潮社に勤めて、最初の職場がフォーカス編集部でした。
どちらかというと学究肌の友人が大丈夫かいなと余計な心配をしたものですが
取材で日本各地を飛び回りながら、出先からハガキをよこしてくれる
その文章には、取材する側とされる側のどうしようもない距離に
悩む彼の想いがにじみ出ていたように感じられます。
やがて彼は文芸っぽい仕事へ異動になり、届くハガキは減ったかわりに
文章からは、仕事を楽しんでいる様子が伝わるようになりました。
写真誌に限らず、人が人を取材すると言うことのたいへんさを
垣間見させてもらいました。
そしてそうですか。フォーカス休刊。久々に友にハガキでも
書いてみようかという気になりました。
午後遅めに羽田を発つ長崎行き全日空機は777だった。博多や大阪、札幌でなくとも777でペイ出来てしまう(実際ほぼ満席だった)ほど日本の移動人口は多くなっているんだと改めて感心。
暑いだけあって羽田上空は雲一つない。ハイジャッカーが操縦しても大丈夫そうな視界万全の天候の中、殆ど揺れずに長崎に着く。
長崎はもう何度目だろうか。バスに乗るのも慣れたものだ。九州の空港は博多以外は不便な場所にあって、長崎も市内まで1時間弱はかかる。
長崎にはぼくは一人、知人、いや恩人がいる。『隔離という病』を書いていたときに取材を受けてくれた。それがキーになる取材で、もし彼が受けてくれなかったら本自体が成立していたかどうかすら怪しい。しかし彼はぼくの取材を受けた後、厚生省(当時)から白眼視され、屈辱的な人事を示唆された。結局、異動命令を受けずに、彼は家族と別れて長崎の無医村の診療所の医者になってしまった。この一件でぼくはかなりへこんだ。取材し、報道する仕事は罪作りなことだと頭では分かっていたが、実際に自分で経験して改めて思い知った。「ぼくの言いたいことを伝えてくれたんじゃないか。君のせいではない」。彼と最後に電話で交わした言葉を今でも覚えている。しかし、もしぼくにもう少し配慮があれば、たとえば取材元をぼかすなどの方法を採れていれば、そんなことは起こらずに済んだのだ。匿名で書くのは難しいシチュエイションではあったが、何かやりようなあったはずだと後悔した。
ぼくが高山文彦の『火花』を評価しないのはこの一件と関係がある。彼がそれを書いていた時点で、予防法は廃止されていたが、厚生省のメンツはいまだ健在で、ハンセン病問題は下手に批判すれば実弾が返ってくる状態だったのだ。それなのになぜ北条民雄のように既に枯れたエピソードを掘り起こして良しと出来るのか。なぜハンセン病問題を過去の悲劇のように取り上げて溜飲を下げられるのか。そうもどかしく思った。
その後、長崎に来るたびに彼に会えないかと時刻表を調べる。距離はそう遠くないがひどく不便な場所で、相当時間のゆとりがないと訪ねられない。いつも前後の予定が詰まっている状態で出張して来ていたので、「また今度」と先送りしてきた。しかし、それは本当は忙しさのせいなんかではなく、彼に会うのが、彼が最初に掛けてくる言葉を聞くのが恐いのだ。われながら情けないと思う。
今回もまた宿題は残るだろう。でもいつかは絶対に正式に対面して、わびる。そうしないと終わらないものがある。
以下は読売新聞(ーー東京版では先の)金曜日掲載の連載コラム「カーブミラー2001」原稿のバリエーションです。
というか、実はオリジナルはこうだったのですが、ロラン・バルトの引用が唐突だったということ、『明るい部屋』だけを読む限りではプンクトウムをアダルトビデオ女優写真に使うのは無理があるのではないかという担当者の意見を聞いて、実際の掲載文ではそれが省かれています。
ぼくは担当者の意見はきわめて妥当だと思います。ただ、『明るい部屋』だけでなくバルトの写真論を一貫して読むと、彼がいかに写真の直示的な力と格闘してきたか分かる。その広がりにおいてプンクトウムを理解するのなら、このような使い方もありではないかと思います。
実際、喫茶店などで古いフラッシュやフライデーでAV女優の宣材写真が掲載されているのを見ると、扇情的を通り過ぎて「ああ、この女性はこの時にカメラの前にこの姿でいたのだなぁ」という感慨を覚えることがある。その姿をしたことが彼女なりの人生の通過点であり、その事実の重さ(現実の彼女が誰だったのか知ろうともしないし、知りたがりもしない視線に消費されるあまりの存在の軽さ?)に独特のせつない印象を感じる。それもまたバルトがプンクトウムの内容として示した「かつて、それが、あった」という「過去」の刺激なのだと思います。『明るい部屋』の死んだ母親の若き日の姿の写真に感動するのと通じる感慨なのではないか。
もちろん、こうしたことを示すには、説明が必要で、ポンと新聞のコラムで出されれれば確かに消化不良になるでしょう。ただバルトに興味がある人に、フォーカス休刊をバルト的に見たらどうなるかを示しておきたい気持ちもあるので、以下のバージョンはここで書いた説明を含めて新聞掲載文を補完するものとして読んでいただきたい。武田徹
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『フォーカス』の休刊が決まった。一世を風靡した雑誌の終焉は、やはり一抹の寂しさを感じる。
かつて写真週刊誌を賑わせた男女を追跡取材した『旬の自画像』で井田真木子はスキャンダルの主たちに「舞台」を提供した写真誌そのものについてこう書いていた。「体裁もまさに八十年代的だった。写真と、その下につける短文の情報伝達における地位が逆転したのである。写真誌の誌面においては、写真はつねに文章の”主人”だった」。
しかし、少なくとも『フォーカス』は写真を重視しこそすれ、それを「主」とする雑誌ではなかったように思う。
写真は単体で報道の役割を果たすことが出来ない。そう書くと意外に感じられるかもしれないが、たとえば料亭で企業役員と談笑する政治家の写真が掲載されたとする。その場合、写真だけ見ても何も分からない。政治家への不正献金疑惑が取材で明らかになったと告げる文章が添えられ、初めて写真はスクープとして燦然と輝く。
写真は確かに読んで字のごとく真実を写す。が、それがどんな真実であるかまで示すには、写真を現実の文脈に位置づける作業が不可欠だ。この事情は動画も含め、いかなる映像報道も例外たりえない。『フォーカス』は、そうした報道映像の在り方について自覚的で、最も「活字的」に写真を用いる週刊誌だった。しかし、世間はそうした写真の使い方を必ずしも望んでいなかったようだーー。
先に写真は言葉の説明を伴わずには状況を伝えられないと書いた。しかしその一方で写真には言葉を介さずに一気に人を魅了してしまう危険なまでに強い訴求力も備えている。それを記号学者ロラン・バルトはプンクトウムと読んだ。鮮血飛び散る事故の映像や、エロティックな写真を目の前にした時、わたしたちは、それがいかなる状況で撮影されたか、撮影方法は正しいものだったのか云々を気にする以前に、映像そのものに息を飲んでしまう。
そうした写真の直接的な力に魅せられ、言葉に支えらた報道写真よりも、言葉を介さずに訴えかける扇情的な写真を好む読者層が生み出されて行ったーー。それが映像指向を強めた八十年代以降の文化状況だった。そうした傾向に応えるかのように、ある写真週刊誌は報道にさっさと見切りをつけ、グラビアアイドルやアダルト・ビデオ女優の宣伝用写真ばかりを掲載するようになった。言葉を解さず心を直接刺激する(プンクトウムはラテン語で「棘」という意味がある)ことで写真が単体で商品性を持つようになれば、文章はその添え物に成り下がる。こうして単なる誌面上の占有面積の大小を越えて、写真こそ「主」、文章が「従」という構図が確定してゆく。
そんな状況の中で『フォーカス』は、同じヌード写真を掲載するにもあくまでもニュース性にこだわったし、人権論議必至の問題写真の使用でも、不器用なまでにそれを報道の文脈に位置づけようともがき続けた。
だが、そうした選択が広く支持を得ることはもはやなかったーー。言ってみれば、写真週刊誌『フォーカス』は写真の力に敗れたのだ。そんな逆説的な構図を、その休刊の背景に見るべきだろう。
突然、こんどの土日は出張で長崎に行く予定に。何をしに行くかはまだ秘密。請御期待ですね。ヒント:ビデオカメラ(は、もちろん滅多に入れないので記録用なのだが、それ以外に)、防虫ネット、ペットボトル入り飲料水などを持っていかなければならないところ。さてどこでしょう。ぼくにとっては20年越しの夢の実現でもある。
朝日新聞に書く予定のノンフィクション書評の候補本を読み続けている。短期間に集中して読むのは、またそれなりの面白さがあって、どうしても差が見えてしまう。やっぱり気になるのは取材の精度、表現の密度だ。それに、どんなモチーフでも誠実な書き方って確かにあって、これはやっぱり最後の最後で人間性だな。団塊世代のビッグネームの書き手はこうした見方をするとかなり遜色があるようになっている気がする。編集者に甘やかされている?
ダカーポで吉岡忍が書いていたんだけど、どうも彼にとって「科学」というのは精神鑑定書のことらしい。ぼくにとって精神鑑定書は「制度」であり、「政治」だと思うけど。どうも認識が違う。
前にぼくが少年犯罪ルポについて書いた原稿に対して、彼が朝日で妙な反論をしてきたことがあった(みなさん、ご記憶でしょうか。大朝日の紙面を使って「武田徹さん」と呼びかけられた。歴史的奇文だと思うので、見落とした人は縮刷版で見物するといいと思うぞ)が、科学観の違いが根深いことを痛感。ゴーマンかませてもらうと、精神鑑定書を科学的だと信じちゃうのは(あるいは信じたいからこそ、その恣意性に幻滅しちゃうのは)、理数系に疎い文化系ライターの妄想のように思えてしまう。しかし出版界のブンカ系化は進んでいて、彼のような、裁判自体は社会科学系だけど精神鑑定は自然科学系なんて単純な二分法がまかり通ってしまうのか。そこから科学は頼りにならないなんて言うんだけど、それはそもそも科学じゃないんだってば。
武田徹