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LOG72
長崎出張の行き先は「軍艦島」でした(前にここでほのめかした後すぐに一部サイトでは早くも正解を言い当てられてた。ご名答!! 余りに見え見え(笑)だったか?)。正式名称は「端島」で江戸時代末に炭坑が発見されて以来、採炭場として高度の発展を遂げてきた場所だ。
周囲をコンクリートで護岸した幅160m強、長さ480m強の小さな島の地下には1000mに及ぶ深さで海底炭坑が掘削され、極めて良質の石炭を産出していた。炭坑労働者とその家族で最盛期には島上に5000人が生活していたという。先に示した島の広さを思えば驚異的な人口密度で、1ha辺り400人超となる(ーー実際には狭い島の約半分は炭坑設備で居住エリアは更に狭くなっているので実際はそれ以上だーー)が、それをカバーしたのが高度の住宅空間の集積化だった。周囲1・2キロの小さな土地の上に日本最古の高層集合住宅を始めとし、最高9階建ての高層住宅を50棟も密集林立させた風景は、通称のごとくまるで巨大軍艦、あるいは香港島中環辺りののミニチュアみたいである。地下に共同浴場と売店、地上に事務所と住居スペース、最上階に幼稚園、あるいは小学校、中学校と階ごとに積み重ねられたビルなど・・・。日本だけでなく、世界でも(それこそ香港の一部ぐらいにしか)例のない建築形態が見られる。
しかし、石油利用への転換が進み、炭坑が閉山となる74年に軍艦島は完全な無人島となる。以来、島内へは立ち入り禁止となっており、今回ぼくが事前に行き先を示せなかったのもそのせいだった(ばれてたけど)。立ち入り禁止には根拠があり、軍艦島はいまだに以前に炭坑を掘削していた鉱業会社の私有地である。許可無く立ち入れば不法侵入に当たる。そこで、もしも事前に海上保安庁あたりに通報されると行けなくなるかもと懸念したのだ。ただ、それは杞憂だった・・・・、と言うべきなのだろうかーー。
今回、軍歌島訪問が実現したのは、かつて島に住んでいた人物と知り合えたから。彼は3年前に中学校の同窓会をした時、飲み明かした後に思いついて漁船をチャーターし、級友達と島を訪ねたのだという。以来、荒れ果てたかつての故郷を見守ろうとするかのように、何度となく島に渡るようになった。軍艦島に興味を持つ有志を集め、島に案内するボランティア活動も始めた。
そんな彼に同行して貰い、垂直に切り立つ防波堤岸壁をよじのぼるようにして島内に入ると・・・、なんとビデオのロケ隊が先におり、かなり大袈裟な機材を使って撮影中だった。昼近くになると大学生風情の旅行者の姿も見掛けるようになった。立ち入り禁止の無人島のはずなのだが、ぼくと同じ日にそこに居合わせたのはおそらく40人ぐらいはいたのではないか。
92年に火事騒ぎがあった直後、軍艦島への立ち入り禁止は厳禁され、警備員が駐在するようになっていたが今はそれもなく、鈴木あみ主演のNHKドラマが軍艦島を舞台にしてからは、その極めて個性的な風景に興味を感じて立ち寄ろうとする観光客が増加、立ち入り禁止は有名無実化しており、小遣い稼ぎのために内密に「渡し」の役目を果たす漁師も後を絶たない。
これはどう考えればいいのか。自分自身もまた法に抵触することをしている。そこまでしても、軍艦島を我が眼で見たかった。どう報じるかの方法は検討しなければならないと思っていたが、なんらかのかたちで島の歴史の意味を伝えたいと思っていた。たとえば以前に小渕が入院していた頃、週刊誌はなぜ新聞が小渕の病状を報じないと批判した。しかし報じるべきだと思えば、自分でやりゃいいのだ。第五福竜丸被爆事故の時、読売の記者は深夜の病院に忍び込んで、患者を面会している。道徳的には許されがたいことだが、何が起きているのか、市民の知る権利に応える行動としてぼくはこれは評価する。(もはや正確には再現できないが資料などによると)患者も自発的にインタビューに答えていたようで、患者のプライバシーの過剰な侵害とは言えなかった。軍艦島の場合ももはや現住民が存在しない以上、不法侵入は何をもって問題とされるのか。かつての暮らしぶりの記憶を冒涜するような作業は問題だが、それを配慮すれば訪問は許容される範囲ではないか、そう思った。
しかし、そうした考えはともかくとして、やっていることは他の上陸者と同じである。そこにぼくの悩みもあるが、違いもある。案内役を買ってくれた人物はかつてそこに住み、地理に通じているし、訪問の経験を積んで島内の危険個所を熟知している。ぼくは彼のような案内役なしにはそこを訪ねなかった。経過時間からしてかなり危なっかそうだったからだ。
で、結果から言えば、その予想は当たっていた。軍艦島は旅行者ぶらりと立ち寄って愉しめる範囲を超えている。高層住宅は至る所で崩壊が始まっており、落下したひさしの舌に居合わせれば命を失うだろう。甘く見てはいけない。廃墟マニアのような人が多いようだが、ここの危険は絵空事ではない。衣装も相当の準備が必要で、裸足にサンダル履きとかの軽装では、倒れた木に刺さっている釘やガラスを踏みつけて確実に足を確実に切る。閉鎖の年度から時間が封印されていると考えれば、破傷風の恐れもあるはずだ。
ここは相当に危ない、それが現地を訪ねて、朝から一日中、汗まみれになって歩き回った結果のぼくの判断だ(結果的に帰りの飛行機の時間が迫り、結局、昨日書いたかつての恩人のところはやはり訪ねられなかった。情けない・・・・)。軽い気持ちで訪れては泣きを見る。実際、案内役の彼の的確なアドバイスなしにはぼくもかなり危なかったと思う。9階で高層棟同士を繋ぐ渡り廊下はコンクリートにひびが入っておえり、ぼくらは余計な重さをかけないように一人ずつ渡った。そんなことも事情を知っている人がいなければ出来ない芸当だろう。
ただ、中には近代日本の歴史の重さを知りたいという真摯な訪問者もいるだろう。実際、見てみるとここの集合住宅は炭鉱労働者向けのものでもかなり進歩的であることが分かる。74年の閉山時には多摩ニュータウンも最初の一部分が出来た程度だが、それと比べれば軍艦島はかなり早くから「文化住宅」的イメージを先取りしていたように思う。高度の集積ゆえにかっての九龍ゲートのような無秩序をイメージする人が多いようだが、それは違っていると思う。学校もプラネタリウムを手製で作っていたりと教育熱心で。開放的で、明るい雰囲気だった。こうしたことも実地で確認しないとだめなので、真摯な興味を抱いた訪問者が自分の眼でみたいという気持ちは理解できる。で、そんな彼らをむやみに危険に晒さないよう、ただ立ち入り禁止を謳うだけでなく、正しく見る人に安全に見れる環境を確立すべく、なんらかの措置に訴えて行くことも今後は必要かもしれない。それについてはまだ考えがまとならないので、また書く(これは第一報告に過ぎない。『グッズプレス』連載『産業の礎をゆく』最終回に今回の軍艦島訪問記を使おうと思うの。でそれが世に出る9月頭までにはなんらかの結論を出すつもり)。
案内してくれた人物は、たとえば雑誌に出るときに自分の名を出して貰って良いという。不法侵入を問われかねないが、自分を介してくれれば的確なアドバイスが出来るという。誠実な人で、彼の案内ならといって渡しに協力する船主もいる。しかしそんな彼らに依存するばかりで良いのかといえばぼくはかなり疑問だ。
ぼくはまだ眼にしていないのですが、フォーカス写真部の切り込み隊長だった人物(既に故人です)の私家版写真集があって、そこには往年の名グラフジャーナリズム雑誌『ライフ』への憧れを綴る献辞があるのだとか(ちょっと不確かです。パパラッチマガジンと思われがちですが、志は高かったようですね。ほかのFとの違いを見る目が必要だと思います。そして一方でやはりフォ−カスはよくもわるくも時代と寝たのだと思う。フォーカス的正義の在り方は時代の拘束を感じます。
武田徹
武田さんのフォーカス休刊に関する下の文章、興味深く拝読しました。
大学時代の友人が、新潮社に勤めて、最初の職場がフォーカス編集部でした。
どちらかというと学究肌の友人が大丈夫かいなと余計な心配をしたものですが
取材で日本各地を飛び回りながら、出先からハガキをよこしてくれる
その文章には、取材する側とされる側のどうしようもない距離に
悩む彼の想いがにじみ出ていたように感じられます。
やがて彼は文芸っぽい仕事へ異動になり、届くハガキは減ったかわりに
文章からは、仕事を楽しんでいる様子が伝わるようになりました。
写真誌に限らず、人が人を取材すると言うことのたいへんさを
垣間見させてもらいました。
そしてそうですか。フォーカス休刊。久々に友にハガキでも
書いてみようかという気になりました。
午後遅めに羽田を発つ長崎行き全日空機は777だった。博多や大阪、札幌でなくとも777でペイ出来てしまう(実際ほぼ満席だった)ほど日本の移動人口は多くなっているんだと改めて感心。
暑いだけあって羽田上空は雲一つない。ハイジャッカーが操縦しても大丈夫そうな視界万全の天候の中、殆ど揺れずに長崎に着く。
長崎はもう何度目だろうか。バスに乗るのも慣れたものだ。九州の空港は博多以外は不便な場所にあって、長崎も市内まで1時間弱はかかる。
長崎にはぼくは一人、知人、いや恩人がいる。『隔離という病』を書いていたときに取材を受けてくれた。それがキーになる取材で、もし彼が受けてくれなかったら本自体が成立していたかどうかすら怪しい。しかし彼はぼくの取材を受けた後、厚生省(当時)から白眼視され、屈辱的な人事を示唆された。結局、異動命令を受けずに、彼は家族と別れて長崎の無医村の診療所の医者になってしまった。この一件でぼくはかなりへこんだ。取材し、報道する仕事は罪作りなことだと頭では分かっていたが、実際に自分で経験して改めて思い知った。「ぼくの言いたいことを伝えてくれたんじゃないか。君のせいではない」。彼と最後に電話で交わした言葉を今でも覚えている。しかし、もしぼくにもう少し配慮があれば、たとえば取材元をぼかすなどの方法を採れていれば、そんなことは起こらずに済んだのだ。匿名で書くのは難しいシチュエイションではあったが、何かやりようなあったはずだと後悔した。
ぼくが高山文彦の『火花』を評価しないのはこの一件と関係がある。彼がそれを書いていた時点で、予防法は廃止されていたが、厚生省のメンツはいまだ健在で、ハンセン病問題は下手に批判すれば実弾が返ってくる状態だったのだ。それなのになぜ北条民雄のように既に枯れたエピソードを掘り起こして良しと出来るのか。なぜハンセン病問題を過去の悲劇のように取り上げて溜飲を下げられるのか。そうもどかしく思った。
その後、長崎に来るたびに彼に会えないかと時刻表を調べる。距離はそう遠くないがひどく不便な場所で、相当時間のゆとりがないと訪ねられない。いつも前後の予定が詰まっている状態で出張して来ていたので、「また今度」と先送りしてきた。しかし、それは本当は忙しさのせいなんかではなく、彼に会うのが、彼が最初に掛けてくる言葉を聞くのが恐いのだ。われながら情けないと思う。
今回もまた宿題は残るだろう。でもいつかは絶対に正式に対面して、わびる。そうしないと終わらないものがある。
以下は読売新聞(ーー東京版では先の)金曜日掲載の連載コラム「カーブミラー2001」原稿のバリエーションです。
というか、実はオリジナルはこうだったのですが、ロラン・バルトの引用が唐突だったということ、『明るい部屋』だけを読む限りではプンクトウムをアダルトビデオ女優写真に使うのは無理があるのではないかという担当者の意見を聞いて、実際の掲載文ではそれが省かれています。
ぼくは担当者の意見はきわめて妥当だと思います。ただ、『明るい部屋』だけでなくバルトの写真論を一貫して読むと、彼がいかに写真の直示的な力と格闘してきたか分かる。その広がりにおいてプンクトウムを理解するのなら、このような使い方もありではないかと思います。
実際、喫茶店などで古いフラッシュやフライデーでAV女優の宣材写真が掲載されているのを見ると、扇情的を通り過ぎて「ああ、この女性はこの時にカメラの前にこの姿でいたのだなぁ」という感慨を覚えることがある。その姿をしたことが彼女なりの人生の通過点であり、その事実の重さ(現実の彼女が誰だったのか知ろうともしないし、知りたがりもしない視線に消費されるあまりの存在の軽さ?)に独特のせつない印象を感じる。それもまたバルトがプンクトウムの内容として示した「かつて、それが、あった」という「過去」の刺激なのだと思います。『明るい部屋』の死んだ母親の若き日の姿の写真に感動するのと通じる感慨なのではないか。
もちろん、こうしたことを示すには、説明が必要で、ポンと新聞のコラムで出されれれば確かに消化不良になるでしょう。ただバルトに興味がある人に、フォーカス休刊をバルト的に見たらどうなるかを示しておきたい気持ちもあるので、以下のバージョンはここで書いた説明を含めて新聞掲載文を補完するものとして読んでいただきたい。武田徹
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『フォーカス』の休刊が決まった。一世を風靡した雑誌の終焉は、やはり一抹の寂しさを感じる。
かつて写真週刊誌を賑わせた男女を追跡取材した『旬の自画像』で井田真木子はスキャンダルの主たちに「舞台」を提供した写真誌そのものについてこう書いていた。「体裁もまさに八十年代的だった。写真と、その下につける短文の情報伝達における地位が逆転したのである。写真誌の誌面においては、写真はつねに文章の”主人”だった」。
しかし、少なくとも『フォーカス』は写真を重視しこそすれ、それを「主」とする雑誌ではなかったように思う。
写真は単体で報道の役割を果たすことが出来ない。そう書くと意外に感じられるかもしれないが、たとえば料亭で企業役員と談笑する政治家の写真が掲載されたとする。その場合、写真だけ見ても何も分からない。政治家への不正献金疑惑が取材で明らかになったと告げる文章が添えられ、初めて写真はスクープとして燦然と輝く。
写真は確かに読んで字のごとく真実を写す。が、それがどんな真実であるかまで示すには、写真を現実の文脈に位置づける作業が不可欠だ。この事情は動画も含め、いかなる映像報道も例外たりえない。『フォーカス』は、そうした報道映像の在り方について自覚的で、最も「活字的」に写真を用いる週刊誌だった。しかし、世間はそうした写真の使い方を必ずしも望んでいなかったようだーー。
先に写真は言葉の説明を伴わずには状況を伝えられないと書いた。しかしその一方で写真には言葉を介さずに一気に人を魅了してしまう危険なまでに強い訴求力も備えている。それを記号学者ロラン・バルトはプンクトウムと読んだ。鮮血飛び散る事故の映像や、エロティックな写真を目の前にした時、わたしたちは、それがいかなる状況で撮影されたか、撮影方法は正しいものだったのか云々を気にする以前に、映像そのものに息を飲んでしまう。
そうした写真の直接的な力に魅せられ、言葉に支えらた報道写真よりも、言葉を介さずに訴えかける扇情的な写真を好む読者層が生み出されて行ったーー。それが映像指向を強めた八十年代以降の文化状況だった。そうした傾向に応えるかのように、ある写真週刊誌は報道にさっさと見切りをつけ、グラビアアイドルやアダルト・ビデオ女優の宣伝用写真ばかりを掲載するようになった。言葉を解さず心を直接刺激する(プンクトウムはラテン語で「棘」という意味がある)ことで写真が単体で商品性を持つようになれば、文章はその添え物に成り下がる。こうして単なる誌面上の占有面積の大小を越えて、写真こそ「主」、文章が「従」という構図が確定してゆく。
そんな状況の中で『フォーカス』は、同じヌード写真を掲載するにもあくまでもニュース性にこだわったし、人権論議必至の問題写真の使用でも、不器用なまでにそれを報道の文脈に位置づけようともがき続けた。
だが、そうした選択が広く支持を得ることはもはやなかったーー。言ってみれば、写真週刊誌『フォーカス』は写真の力に敗れたのだ。そんな逆説的な構図を、その休刊の背景に見るべきだろう。
突然、こんどの土日は出張で長崎に行く予定に。何をしに行くかはまだ秘密。請御期待ですね。ヒント:ビデオカメラ(は、もちろん滅多に入れないので記録用なのだが、それ以外に)、防虫ネット、ペットボトル入り飲料水などを持っていかなければならないところ。さてどこでしょう。ぼくにとっては20年越しの夢の実現でもある。
朝日新聞に書く予定のノンフィクション書評の候補本を読み続けている。短期間に集中して読むのは、またそれなりの面白さがあって、どうしても差が見えてしまう。やっぱり気になるのは取材の精度、表現の密度だ。それに、どんなモチーフでも誠実な書き方って確かにあって、これはやっぱり最後の最後で人間性だな。団塊世代のビッグネームの書き手はこうした見方をするとかなり遜色があるようになっている気がする。編集者に甘やかされている?
ダカーポで吉岡忍が書いていたんだけど、どうも彼にとって「科学」というのは精神鑑定書のことらしい。ぼくにとって精神鑑定書は「制度」であり、「政治」だと思うけど。どうも認識が違う。
前にぼくが少年犯罪ルポについて書いた原稿に対して、彼が朝日で妙な反論をしてきたことがあった(みなさん、ご記憶でしょうか。大朝日の紙面を使って「武田徹さん」と呼びかけられた。歴史的奇文だと思うので、見落とした人は縮刷版で見物するといいと思うぞ)が、科学観の違いが根深いことを痛感。ゴーマンかませてもらうと、精神鑑定書を科学的だと信じちゃうのは(あるいは信じたいからこそ、その恣意性に幻滅しちゃうのは)、理数系に疎い文化系ライターの妄想のように思えてしまう。しかし出版界のブンカ系化は進んでいて、彼のような、裁判自体は社会科学系だけど精神鑑定は自然科学系なんて単純な二分法がまかり通ってしまうのか。そこから科学は頼りにならないなんて言うんだけど、それはそもそも科学じゃないんだってば。
武田徹
日垣対談 投稿者:武田徹 投稿日: 7月11日(水)13時13分38秒
日垣隆氏との対談で今週の週刊SPAに出ている。
扶桑社の雑誌で新聞批判というと、「作る会」と朝日新聞の戦いの代理戦争になっていたらいやだなと思ったが、本屋で立ち読み(まだ送って貰ったのが届いていない)した限りは、比較的冷静な作りのように感じた(ぼくの髪の毛が妙に立っていることが最大の問題か(笑))。
武田徹
ネットでの選挙についてヨブ氏が非常に興味深い指摘をしている(ヨブ氏はそこで指摘対象となっている発言がビデオジャーナリスト神保哲生氏のストリームラジオ番組の中のものなので、発言者が出演していた宮台氏なのか神保氏なのかわからないとしているが、もし神保氏だとすると下のぼくのアバウト発言とも響き合うところもあって、ちょっとおかしい。彼はぼくは愛すべきキャラクターだと思っているけど)。個人認証についての意見はぼくが『デジタル社会論』などで展開したのとやや異なる(ぼくは第三者性の確立とデータ結合を許さない非接続性が確保できる体制ができればネットID認証機関を作ることをむしろ勧めている)が、ネット全能論ではなく現実的な可能性の見切りをという主張は大いに賛成。
パソコン通信時代を知っている、すっかり年増?になってしまったぼくとしては、思い出すのはニフティのあるフォーラムで起きたシスオペ解任事件の事後談だ。あるシスオペがむやみに安売り航空券情報を掲載したということでニフティから解任された(ちょっとその経緯は不透明性があった)。
その後、フォーラムのメンバーから次のシスオペは選挙で選ぼうという声がでて、みんな能天気に賛成したが、さて、いざ選挙しようとなるとどうやっていいのかまったく見当つかず(投票の唯一性をどう守るのかとか、選挙権をどうやって規定するのかとかetc)話が霧散したというお粗末。
インターネットから始めた人はそうした黎明期のドタバタの経験をしていないので、期待ばかりが大きくなって具体性を欠くポジティビスムに結構簡単にはまるケースがある。注意したい。認証などではむしろインターネットはパソ通より後退しているのだ。その後退性をむしろ奇貨としてメディアを進化させてゆく手はもちろんあると思うけど、いずれにせよ、それはメディア特性を知った上でないといかん−です。微妙な認証が必要な作業は難しいというヨブ氏の指摘は100%正しい。
武田徹
http://t-job.vis.ne.jp/Nikki/N0107_f.htm
いちべぇさん
そうなんです、アバウトなんですよね。映像系の人に共通するものももしかしたらあるのでしょうか。ビデオジャーナリストを名乗る人には、他にも同じようにアバウトだなぁって感じられるかたがいます。仕事上。現場にいないと話にならない度合いが文字系のジャーナリストとは比較にならないほど強いわけで、いつもスタンバイ状態で。人と会ったりする約束はついついおろそかになってしまうのかもしれませんね。そうだとすれば一種の職業的な風土なのかもしれません。
たぶん本人は取材の約束を反故にしたこと自体覚えていないでしょう。ま、それは過ぎたことだし、ぼくも転んでは絶対にタダで起きないほうなので。結局、彼が会ってくれなかったことから原稿は別の展開にしました。それはコンピュータ2000年問題の記事だったのですが、あの時のメディアのフィーバーぶりの愚かさをもう一度省みるきっかけになったのは、西へ東へと飛び回っている神田さんの姿を少し距離をおいて見られて、頭を冷やせたことが大きかったようにも思います。何が幸いするかわからないですね。
武田徹
武田さん、リプライ(っていうのかな、掲示板でも)ありがとうございます。
神田さんとは、ボクも面識が少しあります。
ハンディカムもって走り回ってたあの神田さんです。間違いないです。
ボクの知る神田さんは、「直接関係を持つのにはむいていない」人でも
なさそうなんですが、まぁ、確かにアバウトな感じ(悪く言えばオオザッパ)
はありますね。約束破られたことはないです。ってかお会いしたのは2,3度
だしボクは「その他大勢」の一人だったので神田さんは覚えておられないでしょうが。
「関西を代表する」ってのは、まぁ、枕コトバみたいなもんで(^^;
お名前はボクの書き間違いかと思ったのですが「神田敏晶」さんで間違いないです。
改名なさったかはちょっとわかんないです。すいません。
記者クラブに関する書き込みは興味深いですネ。
記者クラブが公権力の情報公開機能として働いている「ありえたかもしれない現在」
を夢想してしまった。
いちべぇさん、情報提供ありがとうございます。
せっかくですが、ぼくは神田さんと一悶着合ったんですよ。前に取材をお願いしたけれど、約束を破られた経緯がありました。行動力はある方のようなので(それが約束違反の理由のように説明していました)、その結果として出てくるものをメルマガなどを通じて知って行くのはいいのでしょうが、直接関係を持つのにはむいていない人のように思っています。
こんなことを書いて気分を害されたら不本意ですけど、ネットの裏の人格についてはなかなか知るチャンスがないだろうから、ぼくが取材経験で知っているかぎり、それを出した方が風通しがよくなるように思って敢えて書きました。ぼくが知らない人の情報も知っている方がいたら歓迎します。
もちろんこの種の直接的な人物情報はあくまでも一面的であり、人格の多様性の中でつき合い可能な部分、メリットのある部分でうまくつきあえばいいと思いますが。
記者クラブ論はそれ単体の問題としているかぎりあまり建設的な議論ではないと思います。ジャーナリズム全体へ開かれた視野があるか。田中康夫はかなりメディアとの濃厚な接触経験がありますから、それだけでもぼくは信じられるんじゃないかと思っています。
記者クラブが公共機関側の経費負担で運営されているというのが問題になっていますが、あれ、新聞協会で、戦後わりあいすぐに「公共機関は記者クラブ施設を提供しなければならない」と決めていた時代があるんですよ。公共機関には情報公開の義務があるのでという文脈だったんでしょうね。そしてそうした公共機関側の負担による取材協力が世間的にも合意される状況があった。ジャーナリズムもいまより高く見られていたということでしょう。
武田徹
ps。神田さんの名前が一瞬、ぼくの知っている神田さんと違うような気がして、人違いの可能性について追加で書き込みましたが、HPを見ると同一のようですので、そちらは削除しました。ドタバタして失礼。すいかし「関西で有名な」ジャーナリストなんですか?
しかしちょっと名前が違う感じも。ぼくが知っている神田さんもKNNは確かで、自分でハンディカムもって取材している人ですが、そっちの神田さんって改名したりしてますか。ちょっと昔の名刺をひっくりかえす時間がないので、ごめんさい、曖昧で。
武田徹
関西を代表するジャーナリスト・神田敏晶さんが発行する
関西InternetPressで、神田さんが田中康夫長野県知事について
触れています。
http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000000122
一連の田中知事の行動は意図的、との見方ですが。。。
そういや、「表現道場」予算認められなかったみたいですね。
最近の行動パターンだと月・火曜日は早く起きる曜日なのだが、必要とされるよりもかなり早く眼が覚める。眠れない時の症状は同じだ。単行本の仕事にとりかかっていない自分がなさけなくて、一度眼が覚めてもう眠れなくなる。今年の夏はまだ幾つか他の仕事が残ってしまうが、それでも少しずつ解放されてゆく。その時期になんとか集中するために今年もまた坊主頭になって自分のカツを入れるのか。
今日は午前中がジャーナリズム専門学校。これはあと3週間分で夏休みだ。しかし夕方から都民カレッジが始まってしまう。これが夏休みに食い込む最後の講義関係になる。ICUが終わった後の月曜日の時間を使ってジャーナリズム論の本を書く勢いをつけられればと思って受けてしまった仕事だが、とっくに終わっていたはずのその前の本がもう足かけウン年でまだ全然片づいていない。
他にも手掛けなければならない仕事、自分の存在証明として残しておかなければならない仕事(って自分でもあたまが古いなぁと思う)が手つかずになっている。今度はスキンヘッドか。
そんな中で『編集会議』の仕事は「大阪にすら取材に行けない」状況だと発覚(経費削減だそうだ)、急激にやる気が萎え萎え。宣言会議社の経営状況(青山のあのガラス張りの新社屋はどうなってるんだ)から考えて、海外取材はともかく、「たかが」大阪取材すら出来ないとはちょっと考えにくい。編集部の経営方針か、あるいは会社の経営方針か、どこかの段階で取材経費をケチる邪な考えが混じっているに違いない。そんな考え方の会社に奉仕するためにぼくは身を粉にして働いているわけではないのだ。担当はイイ奴なのでよけいフクザツ。
いいさ、プチモビクスに送られて元気に出勤しようと思っていたら、いつのまにかプチモビクス2になっていた。今度のは元気が出ないぞ>TBS。ぼよよんってのが良かったのに。
武田徹
ばんまいさん、粥川さん書き込みありがとう。
ばんまいさんの
>それにしても、エシュロンというものがネット通信傍聴の仕組みだというの
>は、何だか余りピンと来ませんね。 本当に通信傍受のためのものなのだと
>したら、名前が、的を射ていないと感じます。 echelonnerという挙動は
>分割であって寸断という感じがないから、今言われているエシュロンという
>ものは、俗には傍受システムなどとされているけれど、存在するのだとしても
>何か傍聴とは異なる機能を持っていそうです。
なるほど、この視点は新鮮です。フランス語源なんですかね。確かにエシュロンもエシュロネも仏語には存在しますが。名詞のエシュロンは軍事用語だと梯隊とか梯陣とかを指すそうです(仏和辞典のお世話になりましたが正確ですか?)。部隊を縦長に配置するという意味だとか。動詞のエシュロネはおっしゃるとおり「分割する」ですね。この分割するが梯隊になるところもいまひとつよくわかりませんが、いずれにせよ、傍聴とのつながりが感じられないと言う指摘はなるほどという感じです。この種のハナシはまともには確かめようもないところから、デマとかフォークロアとかが入り交じりがちで、アメリカの議会で内容が暴露されたりしたとか言われていますがもしかしたらエシュロンの実体は今言われているものと全く違うものなのかもしれません。
まぁ、歴史が証明するでしょう。
武田徹
武田様、皆様、ちょっとおじゃまします。
いろいろと興味深い書き込みがあって、一つひとつに反応したいのですが……。
5月26日の書き込みに、森健さんの『人体改造の世紀』(講談社ブルーバックス)についての紹介がありましたが、拙「日誌」にて簡単な感想を書いておきました。宣伝じみて恐縮ですが、7日発売の拙著と比較してみました。今度とも、よろしくお願いしますm_m。
武田さま、当所を御覧の皆様、こんにちは。
それにしても、エシュロンというものがネット通信傍聴の仕組みだというの
は、何だか余りピンと来ませんね。 本当に通信傍受のためのものなのだと
したら、名前が、的を射ていないと感じます。 echelonnerという挙動は
分割であって寸断という感じがないから、今言われているエシュロンという
ものは、俗には傍受システムなどとされているけれど、存在するのだとしても
何か傍聴とは異なる機能を持っていそうです。
=====
エシュロンのことに限らず、何だかよく判らないことに対する意見を見聞
したときに、私は、何を根拠にその意見を信用するのだろうと考えます。
ある時、大きな学会で、その学界では”バイブル”扱いの教科書の編者が、
これからの学界への展望などと言って六つの提唱をスライドで映して見せた。
あと三年で現職の停年であるという講演者のその提唱に聴衆は釘付け、多く
の者がメモを取っていました。 でも私は、同様の語彙による提唱(何らかの
概念・意見を打ち出すこと)は、もう何年も前に自分の履歴書に書いていた
ので、何だ貴殿もそう考えたか、と思い、メモなどとりませんでした。
似たようなことを発言したとしても、一方は学界の大御所、一方はどこぞの
馬の骨では、後者は信用に足るものとはみなされず、従って、何の評価も
与えられません。 勿論、馬の骨を脱却して確固たる世間の信用を得てから
発言をすれば、後者の論も棄てられずに済むわけではあります。 が、発言
にはタイミングというものもあり、馬の骨からの発言であることにもまた、
意義がある場合もあります。 それで、注目するに値する馬の骨発言を汲み上
げて生かすにためは、聴衆が賢くなくてはイカンと知人は言いました。 あと
勿論、骨は、自分が発言する場を開拓開発する必要もあります。
何かを世に向かって発言したい馬の骨は、自分を信用して欲しい・評価して
欲しいとばかり考えがちですが、きっと、もう少し、他の馬の骨論にも興味
を持ったら、お互いが賢い聴衆になれそうです。 そしてまた、一定の信用を
得ている大御所連は、その信用に満足してものを言い放つだけではなくて、
更なる信用と評価を欲して聴衆の反応に敏感になったら、賢い聴衆を育てられ
そうです。