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こんな表現力じゃなー 投稿者:武田徹
投稿日: 5月 5日(土)16時27分10秒
そのサイゾーの編集後記の対向ページ(表3)はBecauseという女性向け商品開発サイトの広告。これは伊藤忠「ネットの森」系なのでぼくは実は立ち上げの時に取材で記者会見に行っている。美・構図という漢字表記まで用意してだっさーっと思っていたが、だめでしたね、やっぱり。
その広告文の中のコピー。「学べるサイトーー企業で活躍中の商品開発者による「アカデミー」では、そのノウハウも学べます。また、「あの商品のあの人」が発信する情報も満載!だからバッチリスキルも身につきます」。
多くは言いませんが一点だけ。バッチリスキルはないでしょ。修飾語は被修飾語の直前に置くのが日本語(だけではないが)の原則。「スキルもバッチリ身につきます」が正しい語順であって、この場合、こうした自然な語順を妨げる理由は一切ない。逆にそうしないために初見で「バッチリスキル」という一つの名詞として読まれてしまう可能性が高まっているのだが、それには気づいていないようだ。そんな基本の基本も守れない、鈍感なコピーライターがいくばくかのお金を取っているのかと思うと嘆かわしい。そしてその広告でつられて、そこに入ってゆく人が(もしも)いるとしたら、鈍感な指導者に指導されて鈍感さの再生産になりはしないか。これはねずみ講の宣伝とは別だが、しかし同じように罪を増殖させる犯罪的な広告だとぼく思う。ITとかの、遙か以前の問題ですよ。
別に難しいことじゃない。単に修飾語を被修飾語の直前におく習慣をまもって文章を書くだけでいい。それで誤読・誤解の可能性はずいぶん減ってコミュニケーションコストは相当軽減される。避けられる範囲での誤読・誤解を避けた上で議論できる体制を整えるーー、こうしてきわめてシンプルな技術的な改善が日本を確実によくする。天皇制がどうしたとか、憲法がとか複雑な議論する以前の問題が、あまりにもみっともなく、あえて言うに値しない低レベルで分厚く存在している。
武田徹
強制収容所までなくされちゃあなぁ 投稿者:武田徹
投稿日: 5月 4日(金)22時53分15秒
GW雑誌まとめ読みから。今回はサイゾー5月号。編集後記である「奥付最終列車」より。
>K そーいや、あの花田紀凱サンが本誌に抗議の電話をかけてきたよーだね。
>I 記事担当に怒りをぶちまけていたみたいなんですが、厳密には一カ所だけ誤記があった
あったので担当は謝ったようです。そうしたら「なんで明るく謝るんだ!」って怒られた
みたい。
>K 「ユダヤ人には暗い顔で謝ったのか!」って言い返さないとね。
これはぼくが「編集会議」担当者から聞いた話とちょっと違う。サイゾーの間違いは花田さんがマルコでしでかした例の「ガス室はなかった」記事を紹介するところで「強制収容所はなかった」になっていた。そこでクレームを付けたと言う。
確かに「ガス室はなかった」でも大騒ぎだったのに更に強制収容所までなくしちゃったら大問題ですよ。花田さんとしてはクレームを付けざるを得なかった気持ちはよく分かる。潔白証明のために訂正を出してほしかったところだろう。
ここで気になるのはもし誤記だとしたら、あまりにも世界史の知識が欠落した間違いだということだ。そんなテーノー記者が原稿を書いているのか、サイゾーは。編集者も気づかないのか。それじゃ、花田さんを茶化したり、笑ったりする資格はないですね。誤植じゃないんだから。
それに、前にも書いたけど、花田氏がきちんとユダヤ人コミュニティ側に自分の編集判断の甘さーーリビジョナリズムへの認識の不足で、いっさいの背景説明なしに、ホロコースト解釈に関する一方的な主張を載せたこと(それは国によってはそれだけで有罪になる行為。そこまでゆくのも問題性を感じるが、事実としてそう)ーーを告白して、その点だけでもミスを謝っていたらかなり事態はかなり改善されていたとぼくは思う。筋を通した手続きをとれていれば、顔は暗くたって、明るくたってどっちでもいい。それが出来ていないことが国際的なメディア社会の常識からみて問題だという認識であり、その点でのこの編集後記には違和感がある。
でもコバ編はそうしたユダヤ問題事情に疎い愚か者かなぁ。アメリカに長くいたと聞いているし、日本語版ワイアード時代にメディアラボなどの関係者に接近した時点でユダヤコミュニティにもふれているはずだ。そう考えると、もしかしたらぼくのネタ元の方の誤解かもしれない。さてさて、サイゾーの花田さん記事で何が間違っていたのか。この号以前のバックナンバーは捨てちゃって今は確かめようがないのだがちょっと気になる。
武田徹
そうそう、もっと書いてとのメールもいただいたので本日のBGMコーナーを忘れずに。
奥田民生『股旅』『さすらい』の「雲のかたちを真に受けてしまった」はすごい一節。
フィッシュマンズ『Aloha!』 ベストなんでちょっとゆるい。
あとACO『Abuslute Ego』
ご案内 投稿者:武田徹
投稿日: 5月 3日(木)11時40分40秒
こんなメールが来ました。興味がある方はいかれたらどうでしょう(ぼくも斉藤さんや粥川さんの話を聞きたいんだけどちょっと難しそう)。しかし長時間。熱心ですね。
> IT社会の深き闇--狙われるのは誰だ?
> 2001.5.6 監視社会とプライバシーを考える集い
>
> とき 5月6日(日)13時から21時
> ところ 渋谷区勤労福祉会館第二洋室
> 参加費 1000円
> 会場の住所 渋谷区神南1-19-8 (地図)
> 電話 03-3462-2511
> 最寄り駅 渋谷駅
>
>
> 第一部 (講演、報告者プロフィール)
>
> 講演 「監視社会とプライバシー」 13時から14時30分 斎藤貴男
(ジャーナリスト)
>
> 第一部 報告 監視社会の実態
>
> 盗聴法 小倉利丸(ネットワーク反監視プロジェクト) 、 山下幸夫(弁護士)
> 住民基本台帳法 白石孝(プライバシー・アクション)
> Nシステム 浜島望(一矢の会)
> バイオメトリックス、ICカードなどハイテク監視技術 粥川準二(ジャーナリ
スト)
> 個人情報保護法案 佐藤文明(戸籍問題研究家)
>
> 休憩とビデオ上映
>
> Nシステムの実態(制作 一矢の会 15分 )
> 職場の労働者監視(制作 米国自由人権協会 英語版 15分)
>
> 第二部 全体討論(フリーディスカッション) 18時から21時
>
> 第一部のまとめと討論のための問題提起 小倉利丸
>
> 問い合わせ
> priv-ec@jca.apc.org
武田徹
ソメイヨシノ 投稿者:武田徹
投稿日: 5月 3日(木)11時37分03秒
この春にはこの掲示板を含め、ソメイヨシノについて何回か書いた(ちょっとしたマイブームだった)。書評とかも多かったけれど、これはその総論的な内容の原稿。掲載先が北海道新聞で一般的には読みにくいので(デジタル版は読めるはずだが、微妙な差異もあるので)、オリジナル原稿をここに再録します。
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三月の最後の週、イタリアに向かった。知人のクルマでアウトストラーダを走った時、白い花をしばしば見た。何かと尋ねると日本通の彼は「あれはサクラだよ」と答えた。おまえの国の花じゃないか、と。それを聞いて、つい苦笑していたーー。
日本でサクラといえば殆どがソメイヨシノだ。しかし、それは、決して古来からあったものではなく、江戸末に東京は染井村(現在の駒込あたり)の植木職人がエドヒガンとオオシマザクラを交配させて作り出した人工の品種だ。どのサクラも凌いで多くの花を咲かせたので好評を博し、あっという間に全国に広まったのだという。
そんなソメイヨシノは一つの特徴を持つ。サクラには自家不和合性と呼ばれる性質があり、同じ樹の中で雄しべの花粉が雌しべに付着しても実を結ばない。そのため交配の結果、一本だけ生まれたソメイヨシノに実がならないのは必然だった。そこで挿し木で増やしたのだが、それらはみな同じ遺伝子を持つクローンであり、自己不和合性はついて回る。ソメイヨシノはここまで増えても実をならすことがない。もしも実がなり、芽が出たとしたら、それは別のサクラとの雑種で、もはやソメイヨシノではない。
こうしてソメイヨシノが全て同じ遺伝子の樹ばかりなのが功を奏することもある。同じ土に植えられ、同じ気候条件下で育てられればどれもがほぼ同時に花を開かせた。遺伝子が同じだから個性の差が出ないのだ。これがソメイヨシノうぃ密植し、大量の花を一斉に咲かせて、その下で酒を酌み交わす花見の宴の習慣を定着させることに繋がって行く。
だが世代交代しながら強い種を残して行く淘汰を経験していないソメイヨシノは、結果として害虫や病気に弱く、短命である。平塚晶人『サクラを救え』(文芸春秋)はそうしたソメイヨシノの寿命の短さに挑戦する樹木医たちの姿を紹介した新刊である。丁寧な取材によって描き出されたサクラを守るためのエピソードはいずれも感動的だが、割り切れぬ感情も読後、同時に残った・・・・。
ソメイヨシノは開花と同じ理由で散花の時期も横並びとなる。その散り際の潔さから集団的な死のイメージが重ねられ、軍国主義の象徴にもなった。この、死のイメージは戦後の平和な時代になっても払拭し切れていない。花見の席で人々はいつにもまして狂ったように酒を飲み交わし、酩酊する。それは日常生活から強引に離脱し、死を擬似的に経験する儀式のように思える(不幸にも実際にアルコール中毒死する人も出る)。そんな儀式へと誘う雰囲気がソメイヨシノにはある。
東京の花見名所の一つに数えられる公園近くに住む私は毎年、この時期になると花見の騒々しさに辟易とさせられて来た。そこで今年は逃避行を試みたのだが、そこでもサクラと出会う。苦笑したのは自分が釈迦の掌上で逃げ回る孫悟空のようだったからだ。種としてのサクラは日本とワシントンにだけあるのでなく、イタリアで遭遇しても不思議はない。
ただ、それがソメイヨシノでないことは確かだった。花数が明らかに少ない。しかし緑萌えるヨーロッパの春景の中で清楚な白い花を咲かせる風情は、なかなか味わいがあった。なにより自然な感じが良い。
それに対して、クローニングによって増え、たサクラが一斉に花を咲かせる光景こそ「至上の美」と讃え、人々が熱狂する日本の花見のさまは、生命の自然な秩序から離れて行くぎこちなさをどこかで感じる。そんな不自然な流れに貢献するしかないのだとしたらーー、もはや救おうとせず、ソメイヨシノには天寿を全うして貰って良いのではないかと思うのだ。なにしろその遺伝子の齢は既に200年を越えている。老化現象が様々に起きて不思議はなく、今後の延命には人工的な操作が更に必要となろう。そこまでして生かすのが果たして植物への愛だろうか。ソメイヨシノがなくなれば、おそらく日本人の感性風土も変わる。日本を改革する力はIT革命より、サクラの方が強力のように思ったりもする。
しかし、もしも更に20年、30年とソメイヨシノが生き続けたらーー、その頃には遺伝子工学を利用し、臓器を移植しながら永遠に生き長らえようとする人も現れるのかもしれない。その時、ソメイヨシノはクローニングで生きる道を示した先駆として、今度は「生の象徴」に祭り上げられるのだろうか。ブラックジョークで終わって欲しいのだけれど。
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ドメイン問題記事 投稿者:武田徹
投稿日: 5月 2日(水)12時29分42秒
前にここでもあるメーリングリストにあげた質問を再録したことがあり、幾つかの貴重な情報を寄せてくれた人がいたので、その時の結果としてかかれた記事をお礼と報告の意味で再掲載します(掲載は読売新聞でほぼ月イチで書いているカーブミラーというコ−ナーの4月分でした。ただし新聞社コードで若干の異同はあります)。情報提供してくれた人には感謝(結局メーリングリストの方は完全沈黙でした。駄目だな、ありゃ。メディア、ジャーナリスト関係のMLとか言っているけど結局、長いものに巻かれる烏合の集と化しているような気がする。それにしてもぼくのところに直接寄せてくれた情報はこんなもんじゃなくて、もっと腹黒い利権集団の話も含まれていた。それはまたおいおい追求してゆきたい)。
ぼくはこういう問題は「小さいように見えて実は大きい」と思っている。まず、なにが問題なのか知ってほしいと思う。
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インターネットにも「住所」がある。ホームページ開設や、電子メール送受信用のサーバーコンピュータに与えられるドメインと呼ばれるものがそれに当たる。メールアドレスで言えば@の後がこのドメイン名だ。
電子メールが間違いなく届くのも、このドメイン名に重複がないから。世界中のドメイン名は国際的な非営利組織によって管理され、各国にその下部組織がある。日本ではJPNIC(社団法人・日本ネットワーク・インフォメーションセンター)が国内の登録業務を担当して来た。
ところが、このドメイン登録の仕組みが今春から変わる。JPNICは(株)日本レジストリサービス(JPRS)を新設、そこもまた登録業務を担当するという。「登録をより簡便にするため」とJPNIC側は説明する。
確かにこれからドメイン登録数はうなぎ登りとなろう。迅速に登録を処理するメリットは大きいし、それを事業とする私企業は極めて前途有望だ。だがドメインが、住所と同じ公共的な情報資源だということを決して忘れてはならない。経済力でドメイン名が自由になるようでは困るのだが、収益拡大を目的とする私企業が、ドメインの公共性を配慮しつつ果たしてどこまで踏ん張れるだろうか。
そして、もう一つ、JPRSはJPNICと異なるドメイン方式を採用する。JPNIC登録のドメイン名はたとえばxxxxx.co.jpとかxxxxx.ac.jp と表記されていた。末尾につく.jp はいわばコンピュータの国籍。co、.ac等の記号は登録者の属性。前者は企業を、後者は大学などの教育機関であることを示す。
ところがJPRSは属性を問わない汎用ドメイン、つまりxxxxx.jpのような、より簡略化されたかたちでの登録を行うという。これは小さいことのようで実は大きな損失ではないのかーー。インターネットが匿名性の高いメディアであることは、よく指摘される。確かに肉声も聞こえず、手書きの字も見られないので、予備知識のない相手からメールが届くと、どんな人物が送り主か分からず戸惑う。
その時、ドメイン名は相手について推し量る、数少ない手掛かりのひとつだった。.acなら学者か、学生だろうと察しが付いた。日本語表記なのに.jpでなく.to(トンガ)などであれば、わざわざ海外で登録した「ワケあり」事情は何かと疑うことも出来た。
汎用ドメイン化は、そうした手掛かりを失う方向に一歩踏み込むものである。そして、これは自然なコミュニケーションから離れることでもある。たとえば、私たちは話を聞きながら相手の表情からも多くを知る。しかし日本のアドレス制度の変更は、そうした豊かな周辺情報を切り捨て、裸のメッセージを突きつける方向への進化だ。
それが望ましい変化だとは思えない。技術の進化や効率化の流れに委せるだけでなく、人間にとってコミュニケーションとはどうあるべきかという観点からインターネット社会を考え直す姿勢ももっとあって良いはずだ。
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まだ治らないけど少し現場復帰 投稿者:武田徹
投稿日: 5月 1日(火)11時43分20秒
熱は下がったけど、まだ喉の痛みが取れない。抗生物質と炎症を起こしている菌のマッチングが悪いのかと思ったりもする。まぁ。そう簡単に治ると思わない方がいいのかもしれないけど。
すこし頭がクリアになったので原稿は無理でも考える作業は少し始めようかと思っている。
下の書き込みはちょっと言葉が足りなかった(というか錯乱状態?)。『東京人』は趣味の雑誌に徹することが出来るかどうかが問われるところで、根っからの言論人の粕谷さんはそれで満足できるかな、そこまで「枯れる」ことが出来るかなと言いたかったんだけどうまく書けていない。
で、『Sight』や『東京人』は言論性の部分をカットオフオペレーションして生き残り戦略を採ってよいし、採算を考えればそうべきだとも思うけど、他の言論誌に関しては、こっちは趣味誌になるのはとうてい無理なんだから、せめて言論界の中だけで物事を考えてほしくないということ。言論界のセンセーは言論誌の編集者におべっかつかいますよ、そりゃ、他に書く当てがないんだし、そこに書いておけば言論界では一応網羅的に読まれているわけだし。で、編集者の方もユーメーどころを担当できたりすればなんとなく鼻高々でおごっちゃう。しかしそれではまずいと思う。縮小してゆく言論誌市場と心中するつもりだったら別だけど、まず月刊宝石が壊滅して、次はどこ?という状況なんだから。今、論じるべき問題がなにか、それを論じるべき著者は誰なのか、既存言論界の力学から離れて考えられないと心中路線をゆくことになるのではないか。いかに広い範囲を見渡した上で問題発見ができるか、問題意識に従って台割構成が出来るか。つまり言論の再構成がいかに可能か示すこと。編集者の器の大きさが問われているのだと思う。
武田徹
風邪引いた 投稿者:武田徹
投稿日: 4月29日(日)12時29分25秒
夜中に目覚めると、のどに刺すような痛み。まずいなぁと思って、起きてうがいをし、体温を測ると39度近かった。せっかくのGWだというのに、というか、用事がなくてぽっかり空く時期に限ってぼくは病気になったり、怪我をしたりする。前も年末の納会後にぎっくり腰になった。忙しいときだと注意しているので、何か不安な予兆があると大事をとる。しかし予定がないとついつい油断しちゃうのだ。
で、今朝から寝込んでいる。症状的にはのどの痛みだけで、あとは身体がだるいという発熱時一般のものだから、すぐに直るだろう。でもしばらくここへの書き込みは勘弁ですかね。
せっかくの休みなのに寝ているだけなのが申し訳なくて妻にすまんというと、「じゃ、熱で洗濯物を乾燥させる?」。おいおい原発じゃないんだってば。
暇なのでたまっていた雑誌の封を切って読む。タイトルはご愁傷様でしたね。今回読んだ美少女2001はちょっとマンネリ感はある(しかし最近、水着アイドルへの寄りの写真って妙になまっぽくないですか? 産毛が残っているほど迂闊なタレントはもういないんだけど、それにしても脱毛処理後の妙なツルツル感が写っているというか。このテイストは小学館『サブラ』からじゃないかと思うけど、撮り方、製版が何か変わったのだろうか)が、バイクやITや韓国の特集は雑誌らしい臭いがしてよかったのに。前編集長・西川(真)の、普段はいかにもジェントルマーンで押さえているけど実は相当にフリーキーな無意識部分がでていたと思う。3万部目標ぐらいであのまま続けてゆけられなかったのか。現編集長・西川(清)版は電車の中吊りしか見ていないが、あえて今出す必要があるのだろうかと思う。売れそうな雑誌が、あえて今出す必要があると思えない雑誌でもある逆説が雑誌界のつらいところ。
『東京人』も独立採算はきびしいだろうな。粕谷さんのふんばりに期待。生き残れるかどうかはいろいろパラメータはあるんだろうけど、最後の最後ではどの程度この雑誌が必要だと彼自身が思っているか、ですね。古巣の『中央公論』ではなくて。ニーチェ、東浩紀的にいうと、いかに「意味」の人から「趣味」の人になれるか。これは日本の言論雑誌がどうなるかを占うことでもあると思うんだけど、『中公』を初めとした言論系雑誌の編集者とかは、自分が学者にちやほやされたり、重用されているのが、他に学者が抵抗なく書ける言論誌がなくなってきているせいでしかなく、自分の力を評価されてでは全くないことに気づかない昼行灯みたいな人が多いので(当然、勉強もしていない。企画の作り込みが印象批評的ーー、これ好き、これは嫌い、でしかない)、こうした変化の文脈にも気づかないんだろうか。
武田徹
『編集会議』記事 投稿者:武田徹
投稿日: 4月28日(土)12時02分28秒
寄稿している『編集会議』がさっき着いたんだけど、使用写真が先月号のまま、つまり別人物になっている。文字部分だけ担当のぼくのせいではもちろんなく、写真入稿を担当しているとはいえ編集者のせいともいえず、印刷所と彼とのコミュニケーションミスなんだけど、間違えられた人の気持ちを思うとつらい。この写真部分は原稿校了ではなく、初稿ですでにミスっており、ぼくは(おそらく編集者も)校正指摘したんだけどなぁ。原稿校了部分は緊張してやるけれど、こうした時間的に余裕があるところを案外、油断するんですよね。関係者にお詫びします。
武田徹
削除 投稿者:武田徹
投稿日: 4月28日(土)10時34分06秒
以下の書き込み削除しました。
***
ちょっとお考えをお聞かせ下さい 投稿者:匿名希望ですいません
投稿日: 4月28日(土)02時13分09秒
全くもって名前を出せないのが残念です。
さて、森派の小泉という人が首相になりましたが、この人って骨の随から自民党
っていうか、写真で橋本とかと写ってると、異様なほどにまとまってるでしょ?
このまとまり方は、三木なんかよりずっと平穏なものですよ。
で、スポーツ新聞なんかに良く書いてあるけど、ヨシキが友達だってね〜
そうすか、公式参拝っすか?って感じですよ。真紀子はその辺を
触れないようにしてるけど、それは頭が良いからであって。でも本気で
どうでもいいのかもね。右かどうかなんて。
でも金は金ですね。その金の流れがどうなるか?ってことなんでしょうけど、
素人にはさっぱりわからないけど「右」という指標は健在のような気がする
のです。まとまりがない文章ですいませんが、ヨシキのあたりでも、ひとつ
解説をお願いします。武田さん。
***
何が新しくなったのか 投稿者:武田徹
投稿日: 4月27日(金)17時37分59秒
ぼくはどうも田中真紀子人気というのが気になる。彼女、要するに父親の敵討ちしようと思っているだけではないのか。経世会憎しの気持ちが、あの毒舌になっているのではと思ってしまうのだ。もし歯に衣着せぬ毒舌が大衆的人気の理由だとしたら、それは本当に「公」の論理を踏まえているのか検証してみるべきではないか。
そして、もしそうだとすると、派閥の論理の橋本派と家族の論理の田中真紀子が戦って、「家族」の側が勝ったという見方も、今回の小泉圧勝の解釈のひとつになりうることになる。それって本当に日本にとって幸福なことだったのか? 「家族主義者」に改革への期待を寄せて勝たせてしまった結果は、本当に日本を改革の方向へと一歩踏み出させることになるのか。こういうかたちでポピュリズムが通用する情勢が前例として成立して、確実に首相公選制への弾みはつくのだろうが、それは芸能人軍団人気で知事どころか首相を選んでしまう、批評精神を介在させないメディア大衆社会の成立へと日本を進めさせる結果にはならないか。
ただ「家族の論理」が、もしかしたらうまく効くかもしれないのは彼女の外務大臣就任だ。中国にしてみれば恩人の娘なのだから。中国、台湾、アメリカの間で翻弄される日本だが、むしろそこにアジア的な「恩人との家族関係」みたいな要素が絡んだ方が一種の緩衝材になって、スジを通すとぎこちなく露呈してしまう問題を曖昧に隠すことにならないか、なんて思ったりする。
ま、このへんは専門ではないので、見当はずれかもしれないが。とはいえ政治評論家のコメントはどうも田中真紀子の大衆人気に逆らうのを恐れるのか、あまりにも一面的なようにも感じてしまううのでついつい口を出してしまった。
竹中平蔵も、人差し指を差し出されるとついにおいを嗅いでしまう猫みたいなものか。宮沢のような内務官僚型型政治家とのコンビで似合ったのは東大出身、通産出身の堺屋だったのが、慶応の小泉だと一橋・慶応の竹中というのはなんとなく予定調和的。しかしIT妄言ということでは、この人の方が実は何も語らなかったに等しい森よりも重罪だったかも。そのへんも批評的に検討した方がいいように思う。
武田徹
本日のBGMは『The Best of Mother Gong』。システム7とかデビッド・アレンと三枚組セットでめちゃくちゃ安かった輸入盤。
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