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Re: 近況 投稿者:ラッタッタ信玄  投稿日: 3月27日(火)23時39分46秒

久しぶりの書き込みになります。

>バチがあたったんだと思う。なぜファイルが破壊されたのかは不明だけど、少なくともFDの保
>存状態はよくなかった。本当に大事に思っている仕事だったらそんなことはなく、後生大事にし
>ていたはずなのに。昔書いていた単行本のFDが今でも残っているが、何重にもバックアップを
>取っていたので同じ内容のFDがいくつもある。

結局21世紀になっても残っているメディア、フロッピーディスクですが、
やはり怖いですよ。普通においておいても読み出せなくなっていることが
結構あります。(体験より)ではどのメディアが代替するに値するかというと、
難しいですが、今現在で言えばCD-R/RWでしょうか。昔はメディアとドライ
ブとのマッチングが問題になっていましたが、最近は割と安定していると
思いますので。ただ、ノートパソコンにつなげるとなると、外付けになるの
で、購入価格がやや割高になってしまいますが。

それでは。(CD-R動向を書いてあるWebを一応かいておきます。)

http://www.burnup.cx/index.html


専門店 投稿者:武田徹  投稿日: 3月27日(火)00時40分53秒

おソースさん、書き込みありがとうございます。
 確かに「SMAPのCDはその知名度や人気を反映したほどには何故売れない」問題は普遍化できますよね。「専門店幻想」という敷居があって、そこから先にはゆけないという例は現実には多く見られます。
 これも、もしかしたら参考になるかもしれないので、考えがあまりまとまっていない状態で書いてしまいますが、ぼくは専門店化が嫌いで、大学は4年制教養学部だったし、大学院はこれまた比較文化という何をやっているか名称からはうかがい知れないところにいました。で、書き手になってからも何が専門だがかわからない仕事の仕方をしています。ライターも殆どの人が「これ」という専門領域を持つのですが、ぼくはそれがないです。
 ですが・・・・、自分自身の感覚だと、専門店が嫌いなぼくにとっても実は専門はあるんですよ。もしかしたらぼくもライター業界では「得体の知れないもの」に見えているのかも知れないけれど、自分にとっては案外と「得体」はあるつもり。ぼくって保守的なんじゃないかと思うぐらいに、確かにある。というのも問題意識のもって行き方とか分析の枠組みとかは、自分の方法として既にかなり確固として確立されたものがあって、今さら別のことが出来なくて不自由感があるくらいだし、それが良くも悪くもぼくの個性なのだと自分では思っています。
 たとえば満州国と多摩ニュータウン、ハンセン病療養所はぼくにとってそれぞれ似ているところが興味深いし、それぞれを論じる上ではその相似点から切り込むのが有効だと考えています。
ただ世間では満州国と多摩ニューウンは「別の専門店」化しているので、両者に通底するものがあるというぼくの感覚はなかなか理解されません。具体的にいうと本は売れないし、記事は評判が悪い(笑)。
 こう考えてゆくと分類=専門店化というものは確かに評価や売れ行きに関係しているんだけど、それが一番問題なのは、その専門店街に新しい専門店を出そうにも受け入れられないところで、それが、ぼくは息苦しいし、新しいものが生み出されにくい原因になっているとも思ってしまう。
 で、何が言いたかったかというと、ここからは自分の実力はちょっと棚に上げさせて貰いますけど、確かにこれからは専門店街が時流に合わなくなって廃れてゆくように、分類が通用しない社会が来るというのは確かだと思います。で、それまでの分類法では得体のしれないものが闊歩するようになる。その時に、しかし、その得体の知れないののが、専門店を出せたはずの技術なり個性なりの核を持っていたのに分類に拒まれていた得体が知れなくなっていたのか、あるいは本当に得体が知れないものなのかは区別すべきだと思うんですよ。単に「なんでもあり」の社会をそう簡単には認めない手堅さというか、そういうものが大事なんじゃないかと思ったりするわけです。
 田原さんや久米さんは今でも時に政治家よりもいいことを言うでしょう。しかしそれはあくまでも彼らの立場だから言えることではないかと疑ってみる。新しい政治家として専門店が開けるのかどうか吟味してみる。まさにそういうところを評価できないとダメだと思う。村上龍の映画や批評はいくら既存の分類法が廃れてもやっぱり歴史には残らないですよ。沢木耕太郎の写真もダメだろう。しかし中原昌也の小説は残るんじゃないか。そういうところ、評論家臭い意見になっちゃったけど、厳しさをもって見たいと思います。
 SMAPのCDはどうなのかな。作詞・作曲・アレンジなどの作品の音楽性は高いですよね。技術的に歌のうまい下手はもちろんあるけど、それをグループとして個性の使い分けとしてみせるうまさがある。気になるのは、一緒に歌うときにうまく混じり合いにくい声質なんだけど、しかしグループである以上、合唱しないといけないところ、そこがちょっと無理があるかなということかな。そのへんが人気者グループの音楽表現としてどうしても仕方がないところかもしれない。でもSMAPという専門店ではありますよね。CDはそこで扱われている商品のひとつに過ぎないから、ZARDショップや宇多田商店のようにCD一筋の店より売り上げ枚数が少ないのもしょうがないのかな。

武田徹


分類ということ。 投稿者:おソース  投稿日: 3月26日(月)14時31分59秒

こんにちは。その問題、けっこう根が深いと思っているんです。
ぼくは、SMAPがジャニーズファンだけのときからコンサートに通っていたのですが、
この問題については、本人たちも悔しがっていたのを憶えています。
さて、おなじような現象を、もっと極端にしてみると、
「なぜ、ビートたけし(明石家さんまでも)のレコードは売れないのか」と言う問題に、
置き換えられるのではないでしょうか。
さらに言うと、芥川賞をとった池田満寿男の小説が、第2作以後注目されなかったことも、
梅宮辰夫の漬物が、なんとなく「まがいもの」あつかいされていることも、
根は同じであると思うのです。
分類上の『専門店』でないと、ある程度以上は認められないのですね。
SMAPは、「歌手」の分類にないグループなのだと思います。
そして、多くの人々の考える歌手とは「歌がうまい」あるいは「歌手として生計を立てている」という無意識の定義にあてはまる人のことで、それ以外の「歌も歌っている人」の歌は、「遊び」「おもちゃ」という商品として別の流通経路をたどるのではないかと思うのです。
これは、けっこう考えがひろがるんですけど、久米宏や田原総一郎という、テレビの業界の人が、仮に(仮にですよ)「政治についてのすばらしい考え」を語っても「それも、一理ある」以上の評価はされないだろうということとか、麻原ショウコウが元偽薬屋の親父だっという場合には「その教義は偽物だべ」と一気に信用されなくなってしまうこととか、アマチュア野球の評論家がプロ野球の監督になったらおそらくものすごい批判にさらされるであろうこととか、いろんなことを想像できます。
世間で無意識に認められている分類上の「ホーム(出自・本職・生業)」にないものは、
サブの力しか持てないようなのです。
そういう意味では、こんどのSMAPの200万枚は、「歌手」としても世間に認められたという
本人たちにとって画期的なアルバムになったとも言えますね。でも、それが「ベスト版」だったということが、ほんとはちがうんだよなぁとも疑えますが。
ちょっと考えていたことだったので、参考意見として書いてみました。
共同幻想として「他者」をあいまいなままにしておきたくないということなのかなぁ。
所属の不明なものは「えたいのしれないもの」で、えたいのしれないものは食えない、ってのが、人間のわりと自然な認識なのだろうなぁ。
これからは、「えたいのしれないものごと」ばかりになっていくでしょうから、
きっと変わっていくんだと思いますけど。

じゃ、また。


SMAPのCDはなぜ売れない? 投稿者:武田徹  投稿日: 3月26日(月)09時40分39秒

SMAPのベスト盤のことをTVで取り上げていたのを見て、改めて不思議に思うんだけど、なんでSMAPのCDは売れないんだろう。もちろんムーンライダーズの100倍以上は売れる(笑)わけで、それを「売れない」というのは少し語弊があるが、相手は怪物的アイドルのわけで、その割りにはということだ。ぼくが見たTVでも「ダブルミリオンは確実と思われます」とか言っていたんだけど、でも、なぜ、たかがダブルミリオン(200万枚)なの? って思いませんか。あれだけTVにでまくっていて、メンバーそれぞれに固定ファンがいるのに、ずいぶん前にドリカムが既に達成していた300万枚の記録をいまだ破れず、ZARDのベストや宇多田に遠く及ばないというのはおかしい。これは逆に宇多田が「不当に」売れすぎていると考えるべきなのかもしれないけど・・・・。
SMAPはぼくにとって一種の鬼門というか(そんなにおおげさなものでもないんだけど)、人気が出始めた時、小学館の女性雑誌でその理由を分析するという趣旨の取材依頼を受けたことがあったが、当時のぼくはSMAPなんて名前ぐらいしか知らなかった。資料を送ってくれと言ったら、バイク便で大量の雑誌記事が届けられてびっくりした。もちろん殆どが事務所のプロモーションのシナリオにのった芸能記事でまっとうな分析の資料としては役に立たなかったんだけど、ただ稲増龍夫先生が早くからSMAPはいかにすごいかをコメントされていてさすがだなぁと思った。彼は流行現象として早くから注目していたわけで、別段論じるに値しない存在だろうとはじめっから視界の外においやっていたぼくとは大違いである。
たぶんこのスタートラインについた段階で既についていた差が今でも尾を引いているのだと思う。SMAP現象はぼくはよくわからない。あそこまで人気があるのも、逆に人気や知名度の割りにCDが売れないのも。SMAP独特の流行の力学があるんだろうが、ただ、それはギョーカイ独特の商習慣や力関係、超メジャーな存在に対して今のファンが取るスタンスの特性などなどが複雑に反映した重層的なものなのではないかという予感はする。本当に意味のある分析しようとおもったら結構、難しい応用問題かもしれない。
武田徹


近況 投稿者:武田徹  投稿日: 3月25日(日)22時06分46秒

昨日は、晴れていて、温かかったので、夕方、本当に久しぶりに井の頭公園でボートに乗った。6時が営業終了時間なのに、もう5時をすっかり回っていたので、最低単位の一時間の乗船は出来ない。こちらは30分単位で乗れる足漕ぎボートにしろとボート乗り場のおじさんに言われたが、あんな騒々しいのはいやだと、時間が短いのに正規料金でしか乗れない割高を承知で普通のボートに乗り込む。

終了時間が近いから、池面に浮かんでいるボートはほんの数艘だけだ。凪いだ夕方だったので、乗り場を離れて、池の中に少し漕ぎ出し、岸から離れただけで、本当に静かになる。大きな池ではないのに不思議なくらいだ。少し漕いでからは漂うままにまかせる。目線が低いので、カモやおしどりが波紋を広げながら泳いでいるのが、すぐ手が届きそうな近くに見える。岸辺近くに流されてゆき、ようやく僅かに花をつけはじめた桜の枝の下をくぐるーー。
前に書いた西行の歌じゃないけど、死ぬときにこんな景色を思い出すんだろうかと思った。本当にいい春の夕方だった。時間がこのまま止まってくれればいいのにと思った。本当にそう思った。
いいことは続かない。
先に書いたVAIO「逝去」は、その後、予想以上のダメージだったことが分かった。昨夏に坊主頭になってまで集中して書こうとした単行本用の原稿が消失したのだ。これはソニーのせいではない。ぼくのせいだ。ぼくはHDを信頼していないので、普段の仕事は必ずFD上に落とす。単行本の場合は自発的に出先で缶詰になって仕事をすることが多いので、最近は、外に持ち出す場合のメイン機種のVAIOのHDに作ったディレクトリーが作業の主舞台になっていたのだが、それでも頻繁にFDにバックアップを取っていた。
だからVAIOが故障しても最初は心配していなかったのだが、さっきバックアップのFDを読み出して青くなった。そっちファイルも破壊されていて読み出せないのだ。もちろん全部ではなく、二章分だけ。ただ図書館で借りた本を何冊も細々と引用しながら書いてきた部分が多いので、ゼロから再現するにはもう一度調べ直すなど相当な手間がかかる。というか、もう一度熱意を取り戻せるかどうかが自信がなかった。
人のせいにはできない。これはまったくぼくのせいだ。夏から初秋までは本当に熱心に書いていた。そのために他の仕事をかなりセーブもしたのだ。ところがサントリー学芸賞が決まって、お祝いの電話を受けたり、祝勝会に出たりしているうちに、その仕事は中途半端なままでおろそかになってしまっていた。ファイルに最後に手を入れた日時を見ると愕然とする。なにしろ見事に10月の半ばからファイルを開いてすらいないのだ。放置していたという表現が適当だ。ペットだったら死んでいる。ひどい書き手だ。
バチがあたったんだと思う。なぜファイルが破壊されたのかは不明だけど、少なくともFDの保存状態はよくなかった。本当に大事に思っている仕事だったらそんなことはなく、後生大事にしていたはずなのに。昔書いていた単行本のFDが今でも残っているが、何重にもバックアップを取っていたので同じ内容のFDがいくつもある。
しかし今回は、いつのまにか、ぼくはすっかり仕事を忘れて浮かれて舞い上がっていたのだ。そんな自分の情けなさにひどく落ち込んで、後悔しながら、なんとかファイルの復旧を試みる。ワープロがバックアップファイルを取るのでそっちのファイルを試してみたり、スキャンディスクをかけてみたり。で、なんとか完全ではないけれど、部分的に読み出すことには成功した。それだけサルベージできただけでも、本当に有り難いと思った。これを、パズルのように記憶の断片を組み合わせながら、これから直して行く。そして、復旧するだけでじゃなくて、もちろんまた書き始めないとな。たとえどんなに時間がかかったとしても、もしかしたら他の、もっと勢いのままに書けてしまう本に先を越されてしまうかも知れないけど、いつかはきっと「成仏」させて上げたいと思う。書き始めちゃったんだから。
武田徹


VAIO-C1再び逝く 投稿者:武田徹  投稿日: 3月25日(日)19時18分19秒

最近一番出動回数が多かったVAIOーC1が壊れた。どこか、というのはもう慣れっこだからわかっている。ハードディスククラッシュだ。実はこのモデルは前にも二度ほど逝ってしまっている。今回はしばらく間が空いていたけど、症状は同じなのですぐわかる。
そしてこれはHD交換しか治らない。HDにしか残っていない今までの仕事の蓄積などはすべてパァになる。
信頼性低い、んじゃないか、VAIOはーー。前にもそう書いた。実はそう書いたらソニー贔屓の人から反論がメールで寄せられ、すこしやりとりしたんだけど、その人もVAIOは信頼性が低いとは認めていた。
原因はたぶんソフトの盛り込みすぎ。映像処理関係のソフトが多くバンドルされているし、あまり実用的なソフトはないのでどうしても後から足すことになる。結果としてかなりのアプリが入ってOSとのマッチングを含め、システム的にかなり入り組んだ状態になる。そこでフリーズするらしいというのがよく言われている説だ(勝手にOSをいじっているからという説もある、まさかとは思うけど)。で、フリーズしたときにHDにヘッドが咬みっぱなしになってクラッシュする。おいおい、と思う。その結果としてのロスがユーザーにとってどんな大きいか、ソニーの技術者はわかっているのだろうか。たとえば具体的に言えば交換代金は5万から8万円だそうだ。これだったら新しく買った方がと思わせるに十分な額だ。うーん、どうしようか。ということで、大量浪費時代の共犯者になってゆくのだ。
最近のソニーは少しおかしいと思う。大局観を失っているのではないか。メモリースティックとVAIOを媒介にデジタル機器のネットワークを自社製品で完結させ、未来永劫に市場を独占したいと思っているのではと疑いたくなる強引さを感じるが、次々に新モデルを投入する体力を少しでもいいから信頼性を高める方に振り向けられないのか。
そして最近ではパーソナルキャスティングというのか、動画映像配信をウリにしているけど、素人8mmビデオ作品みたいな映像がネット上に氾濫するという状況は考えただけでもうんざりする。今の検索エンジンではノイズとサウンドの区別は出来ない(将来的にもできるかどうかはわからないけど)。そうである以上、ノイズが増えることは目的の情報に辿り着く時間コストを高めることでしかない。そうした社会的損失をもたらすパソコン利用方法を自社の販促のために能天気に謳い上げてしまうというのは、社会性が求められるこれからの企業の在り方として問題があるんじゃないか。
前に伝説的創業者を失ったソニーは新しい神話の創成に躍起になっておかしなことばかりしていると雑誌に書いたら広報からクレームがついた。でも、本当にそうじゃないのかな?
武田徹


ふうまさんへ、そして他の方々へ 投稿者:武田徹  投稿日: 3月24日(土)14時05分38秒

ふうまさん。繰り返しになるけれど書き込みありがとう。
あなたが書きにくいことを言葉にしてくれたことで、きっと力づけられた人がいると思いますよ。
ですが、他でもない、あなた自身にとって、書き込みを続けてくれたことがどのような意味を持ったのか。あなたが「闇」と表現したものの暗さに少しでも外から光を導き入れ、「連鎖」を弱めることが出来たか、あるいはぼくはあなたに献身的な無理を強いてしまったのか、分かりません。前者であって欲しいともちろん願ってやみませんが、もしも後者でしかなかったら申し訳ないと思う。
でも、書き辛い書き込みを続けてくれたあなたの勇気(といってしまうと安っぽくなってしまって困りますがーー)や、それをかんで含めるように本当に分かりやすい言葉で伝えてくれた他者への思いやりは、同じように、制御できないものを奥に抱え込んで生きている人の心をきっと打ったと思います。そういう役目をこの掲示板が果たせただろうことがぼくはなにより嬉しいし、あなたに心から感謝したい気持ちでいます。あなたが指摘して下さったように、それはぼくだけの力では出来ていないことだったようですから。
また何か思うこと、感じることがあったら書き込んで下さい。歓迎します。できれば(というか立場上、絶対と言わなければならないんだけど)今度からはメールアドレスも添えてね(笑)。

**
さて、この書き込みをもって掲示板はもと通り参加自由の状態に戻します。
武田徹


削除 投稿者:武田徹  投稿日: 3月24日(土)00時58分57秒

以下の発言を削除、そして再録。理由は前回と同じ。

***
これ以上は勘弁 投稿者:ふうま  投稿日: 3月23日(金)22時16分39秒

>もうひとつ知らせて欲しいんだけど、その「闇」というのは、いわゆる「トラウマ」のことなのかな。子どもの頃に受けた心の傷とか、社会生活がうまくゆかずに深く傷ついた経験とか。
そしてふうまさんはその「闇」を持つことを辛いと思っているんだろうか。闇の深さを少しでも埋めることを望んでいるんだろうか。

残念ながらそんな劇的な話では有りません。基礎体力の低下とそれに伴うストレスへの防御力低下の連鎖とでも表現すれば理解してもらえるでしょうか。ただし苦しいのは精神的な事です。肉体と精神の関係は周りの環境に依る影響が大きいと考えます。私の知り合いは交通事故で足を骨折したことでそういう状態になってしまったし、私も単なる過労でそうゆう状態になってしまいました。正直に言えば交通事故に有った知り合いは昔の彼女でその当時の私は彼女の苦しみを理解することができず別れてしまったのですが今になって彼女の苦しみを理解できるようになって多少なりとも罪悪感を感じているわけです。ここへの書き込みはそんな自分への罪滅ぼしと言うところでしょうか。
今の状態の自分は何とももどかしいですね。思考力は落ちてるし視野も狭くなったようですし何よりちょっとしたことで強い恐怖心に捕らわれてしまいます。今でこそだいぶ落ち着いてきましたが少し前までは周りに対して攻撃的だった様です。怒りが時として恨みに変わるように闇はねたみという感情を生み出すように思います。しかし、怒りが時として哀れみに変わるように闇はいくつしみという感情も生み出すようです。そのせいか女性や子供に対する情愛はずいぶんと増えたように思います。以前のシャープだが薄情な自分より鈍重だけれども精神的に広がった自分が今となってはいいかなと考えています。

***
ふうまさん、こんばんは。
よく書いて下さいましたね。これであなたのおっしゃりたかったことはよく分かりました。
書きにくいことを書いて下さってありがとう。武田徹


削除 投稿者:武田徹  投稿日: 3月23日(金)00時53分22秒

以下の発言を削除し、そして再録します。理由は前回と同じ。

***
誤解 投稿者:ふうま  投稿日: 3月22日(木)20時22分20秒

>武田徹さんと粥川さんが指摘している点は同じですよ。
なぜ、第三者の目から見ると「三者三様の精神と三人共に間違いをし」となるのですか。
武田徹さんと粥川さんに失礼ですよ。

私が言っている3者とは武田殿、中西氏、アタロー氏です。
そして(言葉が足りなく)してるのは理解されないことが解っているからです。または、中途半端に分かった気持ちになってほしくないからです。闇を知らないことは謝ってもらうことでも理解してもらうことでもありません。知らない人はそれが無いのですから百の言葉を並べても知ることはできないと思います。ただそういう人達がいる事を知っていてほしいのです。そして少しだけ配慮してほしいのです。

****
ふうまさん。こんにちは。
ぼくは「三者三様」は誰のことかは分からないので、特に推測しないで読み流していました。ぼくは言葉のレベルでわからないことは、深読みしても意味がないとあっさり諦めてしまう方です。
ただ他の人が「誤読」されたことで、あなたが誰のことを想定して書いたのかがわかったことは良かったと思います。気になる人は気になるようですからね。やっぱり本人が書いてくれるのはいいことですよ。
で、それは初めから特にぼくには問題ではなかったのですが、今回重要だと思ったのはその先の部分。そうか、だんだん分かってきた。「闇」を持った人がいることを知って欲しいと言うメッセージだったんだ。しかも中途半端に理解して貰うことを拒否しようとした・・・。そうか、それなら最初の言葉の足りない書き込みから始まって全体を通じてスジが通りますね。なるほど。なるほど。そうだったんだ。ストレートに書いてくれなかったとはいえ、そこまで分かって上げられなくて申し訳ない。
で、もうひとつ知らせて欲しいんだけど、その「闇」というのは、いわゆる「トラウマ」のことなのかな。子どもの頃に受けた心の傷とか、社会生活がうまくゆかずに深く傷ついた経験とか。
そしてふうまさんはその「闇」を持つことを辛いと思っているんだろうか。闇の深さを少しでも埋めることを望んでいるんだろうか。
たぶん「闇」そのものがどういうものかはとても個人的なことで他人には計り知れないのだろうし、無神経に尋ねるのはきっと生傷にくさびをうちこむことでもあるのだろうから尋ねませんが、せめてその外堀をなぞるだけのことぐらいはさせて欲しいな。
(しばらく、ふうまさんと向かい合いたいので他の人はちょっと書き込まないでね。)
武田徹


書き忘れました。 投稿者:武田亨  投稿日: 3月22日(木)12時56分07秒

どうもすみません。
書き忘れてしまいました。
お手数をおかけして申し訳ありません。


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