
武田徹Official Web Site--オンラインジャーナリズム掲示板
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帰国 投稿者:武田徹
投稿日: 2月12日(月)13時01分52秒
無事戻りました。旅行中の行状はニューヨーク日記を参照してください。
武田徹
ファックス番号間違い 投稿者:武田徹
投稿日: 2月 8日(木)08時08分10秒
fax番号は212−262−4410の間違いのようです。まだ接続がうまくいかない(現地アクセスポイントが使えない)のでメールはあまり読めないので出来ればfaxで。
武田
行ってきます。 投稿者:武田徹
投稿日: 2月 7日(水)05時50分32秒
あー、しんどかった。でも結局、一本だけ残して締め切りは全部クリア。残りは成田まででなんとかする。人間やればやれるものだなぁと少し感慨深い。
それでは行ってきます。連絡先はSheraton NY
212−581−1000(tel) 212−262−9910(fax)
現地時刻で10日朝までいますので。
武田徹
御礼。 投稿者:円戸津 高志
投稿日: 2月 6日(火)00時35分36秒
武田様
早速なるご指摘、ありがとう御座います。確かにそうです、論語にありますように「過ぎたるは猶及ばざるがごとし」、レトリックもしかり。今後は狭い自分の視野で一般化の言葉、行動は慎みます。
今夜はカーソンの「センス オブ ワンダー」を読む会に参りました。重ねて慎みの態度がじわっと利いてくることを学び。何かしら嬉しくなりました。今後ともよろしく。草々
VS吉岡? 投稿者:袋小路
投稿日: 2月 6日(火)00時23分54秒
吉岡さんの文章、認知科学者(なのかな?)の茂木健一郎さんが「心脳問題メーリングリスト」
で絶賛していました。http://www.freeml.com/ml_view.php?ml=qualia&pg=4949で読めますが、
「精神や経済といった複雑な現象について、今現在「大学」で標準的に研究されている「学問」が
実は砂上の楼閣なのではないかという深刻な懐疑が湧きおこってくることを押さえることができま
せん。」といったことをおっしゃっています。
武田さん、吉岡さん、茂木さんの三者が微妙にずれているような感じもするのですが、認知科学
方面の当事者からの反応としてご紹介しました。
書き込みありがとう 投稿者:武田徹
投稿日: 2月 4日(日)16時09分11秒
円戸津高志さま、書き込みありがとうございます。
おっしゃりたいことは分からないでもないのですが、言葉が通じる若者もいますよ。たとえば、ここにはぼくの学生が時々書いてくれているけれど、なかなかの文章力だと思いませんか。
ディテイルを同じ色に塗りつぶしてしまう一般論化は、たとえ旺盛な批判精神に裏付けられていても、ぼくは危険を孕んでいると思っています。釈迦に説法でしょうが、ファシズム批判がいつしかファシズムそのものになって行く歴史を、ぼくたちはうんざりするほど見てきましたよね。書ける分量が限られている場合には一面的に論旨を強調せざるを得ないこともあるでしょうが、幸いにしてネットは分量的に余裕があります。多面的に現実を見ることがせっかく出来るのですから、それを使わないのはもったいない。
あと、武田亨さんの書き込みの後半部もそうだけど、言及している原典について、「」で引用せずともおよその内容が分かるような書き方をしていただけると、この種の不特定多数に開かれた場に書く場合には理解を助けるし、親切だと思います(じゃ、お前はどうなんだと思われるかもしれませんが・・・・ ぼくはこれでも一応努力はしているつもりです)。
武田徹
30日朝日の記事「分数、、、」を読んで 投稿者:円戸津 高志
投稿日: 2月 4日(日)12時39分51秒
これは二重投稿です。先回ここを訪れたときは、やたら武田徹様の投稿だけでしたので、怖くて逃げたのですが。
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言葉と同時に人間に必要な数概念、量概念が欠かせないものだ、日本では公文式などで数を式で扱うだけで、本来の量とつなげる体験をさせない、風呂で数の暗誦だけさせて算数が出来るようになると信じた教育ママと同じレベル。だから今回の世田谷の一家殺人起こす関係者も生み出しかねないのだが(うらで逮捕を遅らせているのは?これは脱線)。
これからの科学時代に自然に触れない、1立方メートルも1平方メートルも体感しない。そして具体的に物を数えたことも無い子ども達を作り出している日本の教育、「分数」で行き詰まるのは当然、そして高校生で問題演習だけで理解させようとする「教育者?」。これぞ教育公害、対話の少ない家庭から成長(背丈と性欲だけが)した結果、起こる奇妙な犯罪。
政府は本当に教育勅語や管理強化で現在の日本の教育が救えると思っているのか。未だに変わらぬ先生が一方的に話し、それを聞き記憶して、試験に臨み単位時間あたりの記憶力のテスト、幼い時からこれだ、20歳になった時行動(通じる言葉がない彼ら同情するよ)に出ないはずがない。
出来上がった子供は、グロバール社会の中で発言力のない、今の外務官僚はじめ官僚たちのことなかれ、横一線周囲の動きに合わせることしか考えない。独自の所感を述べる勇気も力も無い、日本村の出身者を作っています。思いませんか。行き着く先はファッショ日本、長いものには巻かれろ、だからマカレーナが流行るのか。
「武田さん」と呼ばれて 投稿者:武田徹
投稿日: 2月 4日(日)12時29分13秒
土曜日の朝日新聞夕刊に掲載された吉岡忍氏の反論を読んだ。実は親切な方が内容の概略をメールで教えてくれていたので、あっそうなんだと思って、すぐには読んでいなかった。忙しかったもので。で、本当に眼を通したのは今朝になってから。吉岡氏が文中で「武田さん」と何度も呼びかけて書いていることを知る。ひょえー! 天下の朝日新聞(公称部数800万。でも夕刊はセット割れで部数が減るし、東京学芸部制作の記事は関西では使われないケースが多いようなので、さて、何部刷られたものか)でぢかに呼びかけられていながら、一晩放置してしまった(笑)。
吉岡氏の論点と、彼の新作ノンフィクションについて本格的に書くのは、先に予告したように新潮社の『波』でということになる。ここではとりあえずのレスポンスとして幾つか。
まず吉岡氏は科学主義は通俗に流れると言うけれど、精神鑑定をその例に出すのはどうなんだろう。法制度の枠の中にあり、処罰主義者、人権派、いずれの立場であろうと、法的な鑑定という場において行われる精神医学者の面接や、調書というかたちで提出されるその結果報告に科学一般を代表させるのはやや狭くはないだろうか。
ぼくがあそこで心理学や認知科学と書いた時にはもっと広い視野で科学を見ている。犯罪に至った少年の心理ではなく、犯罪にいたらなかった少年の心理、あるいは「元」少年の心理、そして心理学の範疇を越えて、認知メカニズム一般までを相手取り、その知見の中に参与観察やノンフィクソン作家のインタビューを位置づけて、文化人類学などでいうところのマルチメソッド的な方法論が取れないかと書いたつもりだったのだ。ぼくの印象では吉岡氏は科学をとても狭い部分に限定し、しかも、科学かノンフィクションかという二者択一的な図式で捉えようとしているように思える。論理的に主張が追いにくい文章なのでいくらかの推測含みで言うが、吉岡氏の議論に対して、ぼくの議論はメタ議論的な位置づけにあり、その意味で両者はかみあっていないように思えてしまうのだが、どうか。
そして、なぜ小説を書くのかについては、論理として呈示できる答は結局ない(ゲスな言い方で言えば「書きたかったから書いた、でしかない」ということですか?)というのが結論のようだ。これは吉岡氏には酷だが、彼はたぶんそうなのだと思う。ぼくが前に書いた「ノンフィクション作家のフィクション指向」で想定していた書き手は、実は吉岡氏ではなく沢木耕太郎だったのだ。沢木こそノンフィクションの可能性を、その時点で出来る限り突きつめて、その上でフィクションを選んだ作家だったと思うからだ。沢木だったら、言葉にして言うかどうかは別だが、なぜフィクションかを答えることが出来るだろうと僕は思っている。ノンフィクションでは書き得ない対象があるのだ、と。
吉岡氏もよく取材している。宮崎勤の公判では何度もその姿を見かけた。そうしたねばりつよい取材の結果が今回の新作なのだからその力作を真摯に読んでみたいと思う。その取材は(おそらく現在もっとも力量ある書き手である)佐野眞一を越える深度と強度を持ち得ているか、確かめてみたい。ただ書き手のタイプとして方法を自覚し、方法を究めて行くとどうなるかを常に考える姿勢は吉岡氏にはそう強くないだろう。参与観察とインタビューを越える方法の革新をぼくは訴えたのだが、それはジャンルとしてのノンフィクションを考える抽象的な思考であり、それについて対論をはる相手として吉岡氏が適当だったとはぼくは思わない。えらそうな言い方だけど、ぼくは現場での吉岡氏のねばりや取材へのこだわりへはぼくは大いに敬意を持っているし、取材の限界を彼が察知しつつ悩んでいるのも分かる。ただ、もしもこれからノンフィクションを変えてゆこうとすれば、現状のノンフィクションの限界を論理的に見定め、たとえば科学や小説と言った表現ジャンルとの緊張関係を意識しつつ、可能な限りの総合を試みて行く姿勢無しには何もなしえない、今までのノンフィクションを再生産することにしかならないと思ってしまう。その意味で吉岡氏が悩んでいるのとは違う地平でぼくが問題を議論したかったっと言うことは理解して欲しいと思う。
武田徹
日本経済新聞の記者の鏡は「春秋」か 投稿者:武田亨
投稿日: 2月 3日(土)22時42分03秒
こんにちは、武田徹さん。お久しぶりです。
今日の日本経済新聞の朝刊を読んでちょっと感じたことがありましたので、当所に立ち寄りました。
11面(企業総合)に「主婦の友社が部分再販」という記事が掲載されていましたが、その記事を読んでいて、なんで主婦の友社は率先して独占禁止法に違反する行為をとるのだろうかとビックリしました。問題の個所は「書店は主婦の友社が定める標準価格から自由に値引きできる」というところですが、本(書籍・雑誌)には再販制度が認められているわけですから、「標準価格」という表示を付すと独占禁止法違反になってしまいます。
出版業界全体(出版社・取次・書店)と公正取引委員会の取決めとして、出版社が再販制度を利用して本の小売価格を拘束する場合は「定価」という表示を付す、出版社が再販制度を利用しないで本の小売価格を自由に値引きできるようにする場合は「希望小売価格」という表示を付すと定められています。したがって、本にそれ以外の価格表示を付すことは独占禁止法で禁止されている行為とみなされ、そのような表示を行った場合は違反行為となります。
記事を書いた記者のちょっとした勘違いが原因だったのかもしれませんが、その記事を読んだ後で1面の「春秋」を読んでさらにビックリしました。本音を言えば、身近に、記者の鏡があって羨ましく思いました・・・本当に羨ましいものです。
書き込みありがとう 投稿者:武田徹
投稿日: 2月 3日(土)21時26分31秒
糸井さん。お薬を教えて下さってありがとう。もお忙しいのに、わざわざアドレスや内容など調べて下さって、本当に感謝します。嬉しいし、励みになりました。ただ御心配をお掛けして、お手数をかけさせてしまう結果になったのは、正直言って心苦しく、こういう掲示板でうかつに弱音を吐いてはいけなかったなとちょっと反省してもいます。
菊の花ですか。確かに気分の鎮静効果もありそうで、良さげですね。眼だけでなく、自律神経も失調気味なのかと思うこともありますので。というのも眼をつぶってバス乗っていても酔っちゃう。三半規管とかも弱っているのかも。眼に関してはブルーベリーとかも効くと聞きます。
シマモトさん、感想の書き込みありがとう。場にそぐわないなんてとんでもない。これまた手応えがあって嬉しい書き込みです。そうそう、やたら登録が多かったんですよ。実は試験を受けた人は全体の2/3です。都立大の後期授業の場合、登録が前期試験結果発表前なので、単位が足りなくなる可能性がある4年生がとりあえず登録だけして、履修条件の問題がないことが分かると、そのまま出席しないで落とすという慣行があり、どうしても水増し気味になるようです。が、さすがに200人強の登録数にはビビりました。本当はもっとじっくり書けるレポートにしたかったんですが、こちらにも物理的限界があって、試験形式で、しかも「簡潔に書くこと」をやたら強調することになりました。講義中は出席をいっさい採らなかったのでさすがに減りはしましたが、それでも昨日、試験をうけた人、つまり履修の意志があった人の2/3はほぼ出てくれていたのではないでしょうか。強制されないのに、自発的に聴いてくれる人が多いのは励みになります。
そう、マイクの使い方は最後までうまくならなかったね。ハウリングしやすいのはなぜなんだろう。やたら歩き回るからでしょうか。あと、あれ、近くで携帯電話が着信すると異常を来しますね。大きなノイズを拾って回路が一度飽和しちゃう?のか(たぶんに文化系的推測)、いったんオフにしないと機能しなくなります。あと僻地、僻地と言うけど、ぼくのもうひとつの勤め先である法政はもっと遠いんですよ。では、充実した春休みを過ごして下さいね。
武田徹
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