
武田徹Official
Web Site--オンラインジャーナリズム掲示板
LOG49
半年間ありがとうございました 投稿者:シマモト 投稿日: 2月 3日(土)21時25分26秒
こんにちは 都立大で半年授業を受けていた学生です。
この掲示板ではあまりそぐわない気がしますが、一応授業の感想などを。
今日は試験でしたが、実は結構登録人数が多かったんですね。採点するのはさぞ目がつかれることだろうとおもいました。授業の最初に簡潔に記すことを強調していらしたのもそのせいでしょうね。
また、いつも授業中マイクの調子がおかしくなるがおかしかったです。
内容としては、この学校では他に受ける機会が無いもので、聴講して得したと思います。
テキストは購入する価値のあるものでしたし。半期ではなくて一年かけてもいい主題だったとおもいます。しかしこんな僻地に一年も拘束されるのは大変でしょうね。
新聞=真実なんていまどき思ってる人は少数だとおもいますが、
そうでなくてもただ漫然と情報の受け手としてのみジャーナリズムを利用しているだけでは
わからなかった、または意識にのぼらなかったであろう問題点が
たくさんあるんだなという印象をうけました。
恥ずかしながら、こういう論点が存在するということを知りませんでした。
この講義で考えたこと、関連して自分で呼んだ本の内容などその他もろもろは
きっと社会に出ていってから身にしみて感じるでしょうが、いまテレビを観、新聞を読むにあたっても参考にできる部分があります。その点でも私には有用なものでした。
法律の勉強ばかり(個人的にはばかりとはいえませんが)していても世の中のことの何分の一も
わからないですね。視野の狭さを意識しました。
また、言葉に対して少し注意を向けてみると、自分の意見を語る言葉が空虚で他人の借り物のようなきがします。何であれ文章を書いて表現することは難しいことだと改めておもいました。
なんだかありがちな感想文のようなイタイ内容になってしまい申し訳ないです。
これからは一読者として応援させていただこうと思います。
お仕事頑張ってください。
眼精疲労の漢方薬 投稿者:糸井重里 投稿日: 2月 3日(土)03時47分11秒
目の疲れに菊の花が効くと聞いたことがあって、
かつて、これを飲んだことがあります。
たしかに効いたと思うのですが、無精なので、その後は飲んでいません。
ただ、効いたという記憶はあります。
漢方薬店には、たいていあります。
車酔いなどについても、関係ありそうに思えます。
検索してみたら、中国直輸入のページにもありました。
http://tensendou.tripod.co.jp/photo/G001.htm
杞菊地黄丸(こぎくじおうがん)
内容量 1瓶200錠入り
単価 \500-
輸入制限量 2ヶ月分7瓶
適応 腎機能低下によるめまい、眼精疲労、涙目、かすみ目、目の疲れによる頭痛・めまい・耳鳴り
用法・容量 1回8錠を1日3回空腹時に白湯で服用
乗り物酔いがひどい 投稿者:武田徹 投稿日: 2月 2日(金)22時56分31秒
ちょっとへばって来ている。というのも電車やバスに乗ると情けないことにすぐに酔ってしまうのだ。体重は減ってくれても良いのだが、全然その傾向はないので大病の兆しとかでは全然なく、単に疲れているのだろう。書き出しライターだった頃も、やたら忙しかったときに同じ症状になったことがある。素人の自己診断だが、ワープロや本とにらめっこしている時間が多いための眼精疲労なのではないか。
忙しいのは理由がある。7日からNYに行くのだ。行くか行かないか決まらないままずいぶん来てしまって直前でやっぱり行くことになった。となると出来れば海外から送稿は避けたいので締め切り以前に仕上げて行かなければならない仕事が増える。そのせいですっかり眼が回ってしまっている。
運の悪いことに、この期に及んで取材を受けたり、期末試験の採点をしなければならなかったり、講演とかも多い。昨日も木更津まで地方営業(=セミナーの講師)だった。帰りのバスの中ではもう資料を読むのも、パソコンを打つのもやめていたのだけど、それでもひどく気持ちが悪かった。
忙しさが増した理由はもうひとつある。前にノンフィクション作家はなぜフィクションを書くのかという一文を朝日に寄せた話をここでも書いたが、あれには事後談があって、ぼくの原稿を受けて小説に手を出したノンフィクション作家の吉岡忍氏が反論?を朝日に寄せるらしい。というかこれは学芸部側の一種の仕込みで、ぼくが書いた記事を受けて吉岡氏に書いて貰うので記事なる前にゲラを彼に見せて良いかという確認の電話が随分前に朝日からあった。どうも話を聞いていると、「若き<ノンフィクション作家>の挑戦を団塊世代ノンフィクション作家はどう受けて立つのか」という構図(?)にしたいらしいのだ(ぼくの肩書きについてもその文脈があらかじめあったのではないかと理解している)。どんな反応が吉岡氏から出るか、ぼくにとっても知りたいところなので、もちろんぼくはゲラの事前送付は快諾した。その吉岡氏の記事がおそらく明日の朝日に出る。
ただ応答の仕方次第ではぼくも再びなんらかのアクションをしたくなるかもしれない。さて、どうしようかと思っていたところに新潮の読書誌で吉岡氏の新作ノンフィクションの書評をしないかという依頼が来た。これぞ待ってましたとばかりに受ける。これで彼のコメントに再反論が必要な場合の発表場所を確保できた。しかし・・・、これは締め切りは、せわしない出張から帰国した後だけど読んでおかなければならない分厚い本が増えて、また余計に忙しくなる。
眼精疲労に良い薬とかなにかないんだろうか。このままの状態で出張に突入するとNYまで12時間はげろげろだー!
武田徹
アクセシビリティガイドについて 投稿者:武田徹 投稿日: 2月 1日(木)21時44分28秒
小滝さん、書き込みありがとう。確かにエレベーターが一番いいですよね。ただ最近の駅などのように最初から着いているケースは良いですけど。改造する場合は、階上階下ともに設置スペースがある駅などはあまりないのでは。最初から設計していないと構造材の配置とかの問題もありそうだし、定員的にも大量輸送には向かないです。妥協の産物になることはあるのでしょうが、エスカレータは階段スペースにつくところが楽ではありますよね。
公共施設のバリアフリー度を調べてホームページで発表しているボランティア団体はありますよ。前に紹介記事を書いたことがあります。全国の人にウェブから声を掛け、自分に調べられる所を調べてそれをまとめ役に報告してもらう。それをもとに全国アクセサビリティガイドを作って行く活動をしていました。それはビジネスユースが主になってしまった今のインターネットの世界では珍しく公共的な知識共有型の試みだと思いました。将来的にはひとつの「中央」サイトにまとめるのではなく、グヌテラのようなソフトをうまくつかって、分散型の知を共有できる仕組みが出来るようになると良いと思います。というか、それがインターネットのあるべきかたちではないでしょうか。余談ですけど、著作権がある情報はインターネットにはふさわしくない。コピーガードを標準装備し、課金も柔軟に対応できるようなシステムを初めから用意した第2インターネットを作ってしまった方がいいように思ったりもします。
さて、投稿者の個人情報ですが、ハンドルネームは別にかまいません。むしろお願いしてきたのはアドレスの記載で、これは何か問題があったときに個別に連絡が取りたい場合があるからです。でもこれはあくまでもお願いであって、アドレスのないものは即・削除ということではないです。ご心配を掛けたようですけど。
武田徹
エレベーターにして欲しい 投稿者:小滝みゆき 投稿日: 2月 1日(木)10時59分04秒
初めて書き込みさせていただきます。読むだけだったのに書く気になったのは、どうせつけるなら
下りエスカレーターではなくエレベーターの方がいいと思うからです。武田さんの大家さんは
まだ少しお若いかと思いますが、動いている下りエスカレーターに乗るのは、杖をつくほどになると
結構厳しいものあります。それにエスカレーターは混んでいて、右側は自力でも登る人、みたいな
変なお約束があって、結局若い人向きになっています。私はたまに年寄りと出かけますが、
エスカレーターの所では、「ゆっくりでいいからね、待っててくれるから」と大きい声で言うことがあります。
焦って転べば本人にとっても、私にとっても、そこにいる人達にとってもいいことはないと思うからです。
元気な人には隣にちゃんと階段があるわけですし。この頃エレベーターがついた駅ができてきて
これだよ、と思っています。車椅子のことを考えると明らかです。後せっかくついていても、場所が
わかりにくかったりするので、その辺の掲示もしっかりして欲しいです。以前に駅の接続マップを
作った方がいましたが、駅のどこにエスカレーターやエレベータがあるとわかるような、掲示板は
あってもいいと思います(もうあるのかもしれませんが)。
最後にこちらは本名、メルアド公開が原則となっているようですが、ペンネーム、メルアド非公開で
書かせていただきました。そぐわなければ削除してください。よろしくお願いします・
下りエスカレーターの必要性に気づくこと 投稿者:武田徹 投稿日: 1月30日(火)17時31分32秒
我が家の大家さんは同じ敷地内の別棟に住んでいるおばあちゃんで、優しく、いろいろ細かな便宜をはかってくれる(留守中に荷物を受け取ってくれる、時々ご飯を差し入れてくれるなどなど)ことに甘えてついついもう10年以上同じ家にいついてしまった。
その人が、こんど田中さんに会うことがあったら伝えて欲しいという。田中さんとは田中康夫のこと。留守中に預かって貰った宅配便や、手紙でうちと親交があることを知っているのだ。
彼女は、田中康夫が駅には上りだけでなく下りのエスカレータをつけろ、と書いていた新聞記事を読んでいたく感銘したそうだ。駅にエスカレータ設置例は増えるが、のぼりばっかり。実際に膝が悪い彼女は、下りの階段の方が実はつらいらしい。田中さんはそこを分かってくれる、優しい人だと彼女は言う。
確かに田中康夫の美点は、実際に膝が悪くなってみなければわかりにくいつらさを思いやれる、細やかな配慮の感覚だろう。たとえば石原慎太郎と比較して、右の石原、左の田中とか、天下国家論の石原と、市民運動の田中とか、対立の構図を挙げることができるかも知れないが、一番大きいのは細やかな感覚が田中にあって、石原にないということのように思う。市民運動勢力はこれぞとばかりに田中をかつぐし、クリントンや、細川政権誕生の時とも似た、「これで日本は変わる」というあまり根拠のない期待を抱いて彼を支援する団塊世代もいるようだが、様々なスキャンダルにまみれながらも田中がなぜここまでやってこれたか、その核にあるものを彼らは見ているのだろうか。彼を本当の意味で支持し、支えてきたのは、イデオロギーや、「大文字」の歴史変換意識の担い手ではなく、下半身マニアぶりに半ば呆れつつも、そのパブリックイメージの底にあるきめ細かな優しさと、虚像を暴いて弱きものの側に最後には立とうとする義侠心に共感し、共振する層だったように思う。
その支持の核が、自然に拡がるかたちで彼の支持者が増えているのならいいのだが、と、少し心配になることもある。田中が、そんなことはないとは思うが、支持層に影響されて「左」であろうと身構えたり、市民運動の代弁者として旧来の行政組織に対抗することを第一義に振る舞い始めるようになると、彼の最良の部分が阻害されるのではないか。
ぼくは今では大家さんが期待するほど田中康夫と親密なわけではない(一時は雑誌の仕事で毎月あっていたこともあるけれどーーー今や掲載雑誌を転々として続く日本の名物対談となった『憂国呆談』がクレアに連載していた頃はぼくがまとめていたのだーー、もう7−8年は会っていない)ので、直接伝えるわけにはゆかない。そこでここに書いてみた。
武田徹
週刊宝島とエシュロンについて 投稿者:武田徹 投稿日: 1月27日(土)18時21分31秒
去年末にサエキけんぞうさんの取材を受けた。週刊宝島で彼が連載しているコラムのための取材だ。いぜんぼくは彼を取材したことがあって、ぼくの方がテレコを出して録音していたのに、今度は彼がテレコをかばんから出す。立場が逆転していておかしかった。
さてその記事がもうすぐ出るらしいんだけど、ひとつ間違いがあることが今時点でわかっている。それはここでも何回か書いたエシュロンのことなんだが、その運営者がNASAになっている。これはNSAの間違い。
実はサエキさんはナマ原稿を見せてくれている。そこでぼくは自分のコメント部分をチェックするのに夢中で地の文にあったこの間違いに気づかなかった。そういえばと思って見直して、メールを送ったのだけど、手遅れだった。せっかくナマ原稿を見せてくれたのに、テクニカルチェック役は果たせなかったのはぼくの力不足で申し訳なかったと思っている。
で、お詫びも含めてエシュロン話を少し補足。エシュロンは最近は一般の雑誌でも言及するようになってきた(ex:今発売中の『タイトル』とか)のでだいぶん有名になったけど、以前はネットおたくのような人がいかにも「おれはこんな重大な秘密を知っているんだぜ」と声を潜めつつ自慢気に語るような必殺アイテムだった。要するにアメリカ政府が通信を傍受している、そのシステムのことである。
で、ネットに詳しい人はエシュロンがあるからネットではうかつなことを書けないんだとか言う。
これがぼくは前々から馬鹿らしくて気になっていた。
確かにアメリカは通信傍受はするだろう。そういう国である。というか傍受しない国の方が珍しい(というか、それは傍受の技術がまったくないのどかな国ぐらいだろう)。日本も警察による傍受事件が色々あった。日本の場合はすぐバレるところが特異なのであって傍受自体はやる気満々だ。残念だけど通信傍受法はその後追い合法化にすぎない。
で、エシュロンなるものがあることは否定しない。しかし「全ての情報を傍受している」はおかしい。ネット上の情報に関して言えば、いかにスーパーコンピュータを並列使用しても、言葉の使われている文脈まで解析して危険な情報をすくいあげることは出来ないだろう。相当のノイズを含んだかたちでしか情報の自動監視は出来ず、その後の選別、評価にいかに人材を投入しようと、現実的な時間内に全通信を傍受することは不可能だろう。もしそうしたシステムで効果をあげようとしたら、あらかじめ怪しそうな通信トラフィックに目星をつけ、そこを重点的にチェックするしかないはずだ。たとえば北朝鮮やイラクでインターネットを使って流された情報を、近隣の友好国のどこかにチェックポイントを設けてそれをNSAに経由させるように流し、「核」とかいう言葉をチェックするということぐらいであれば、あるいは出来るかもしれない(イラク全体ではまだ大きすぎるかも)。今の技術レベルを考えればそう結論づけざるを得ない。
つまり全部の情報をアメリカが監視しているという、オーウェルの1984的イメージは明らかにエシュロンの力を過大評価している。そうした巨大な監視装置としてのエシュロンというのは口割け女とかと等しい都市伝説に近いというのがぼくの主張で、サエキさんはそれを面白がってくれて雑誌に取り上げたのだ。
もちろんどの情報を傍受するかは傍受する側の選択であり、その意味ではわれわれのメールがいつ見られるとも限らない。その可能性は論理的には否定しない。しかし、ですよ。どう考えてもアメリカの国益を脅かすはずのない、全く他愛のないメールを書いている時まで、傍受を恐れて怯えるというのはあまりにも滑稽ではないか。しかもサイファーパンクなんて粋がって傍受されないようにPGPとかの暗号に頼る。しかし公開鍵を確保するために通信回線をつかって、暗号処理のためにパソコンをグレードアップしてと結局、儲かるのはNTTとマイクロソフトだったりする。
いつ自分が見られているか分からないので姿勢を糺してしまうというのはミッシェル・フーコーのいうところのパノプティコン型監視の成果なのだが、エシュロンを恐れて対応するというのはまさにそのインターネット版になっている。それはあまりにもあまりにも「近代的」ですよ。そういう行動パターンからそろそろ脱出できないものかなと思うのだ、単に「監視されても、おれは平気だよ、間違ったことしてないもん」と根拠なく開き直るのではなくて。
パノプティコンにあまりにも弱い滑稽さ、いたずら暗号技術に頼るのではない、新しい社会的決定を選ぶ方向に進めないもどかっさを批判する意味であえてぼくはエシュロンを都市伝説と言っている。エシュロンを意識することこそネット通とか考えている人にこの批判の趣旨がうまく通じると良いんだけど。
武田徹
肩書きって何が良いんだろう 投稿者:武田徹 投稿日: 1月27日(土)10時23分33秒
前に予告したノンフィクション作家のフィクション指向の記事は(たぶん)今日の朝日新聞に出る。内容は読んでいただくとして、ちょっと気になったのは肩書きのこと。
ぼくは肩書きは基本的に相手任せという主義。自分から指定しないで、相手が適当につけてくれるのを受け入れるし、肩書き何にしますかと聞かれた時も「ぼく、何に見えますか?」と逆に問いかけておまかせすることが多い。所属があって決まっている肩書きーー大学の教員とか、会社の役職とかーーならいいんだけど、自己申告系の肩書きの場合、なんだか自分から名乗るのは恥ずかしい。それに加えて自分がどう見えているのか知る面白さもあって、肩書き相手任せ主義を貫いてきた。
で、今回はというとゲラを見た結果では「ノンフィクション作家」になってた。作家ってセンセー系であんまり好きじゃないんだけど、内容が内容なので「若きノンフィクション作家の挑発」的な印象を記事で与えたいんだろうと理解してそのままにした。しかし校了してから、いいんだったんだろうかとちょっと悩む。
相手任せだけど、任された相手の方も真面目な人は一応「市場調査」をして、肩書きを考えてくれる。ジャーナリスト・評論家というダブルネームが最近多かったのは、多数決でそれが主力のようだと理解した編集者が自分のそれに倣ってくれた結果。あと学術系だと「メディア論」とか専攻をイメージさせる言葉を肩書きにするケースもあって、それは媒体の性質上うまく座るものを選んでくれた結果だろう。
ただノンフィクション作家ってのはどうか。最近きちんとしたノンフィクションのルポルタージュをあまり書いていないという負い目もあるし、評論系の仕事をする武田徹と別人だと思われたら困るなぁとも思う(逆に評論家という肩書きがつく時も取材系の仕事をやっている武田は別人だろうと思われかねない事情がある)。インターネットと関わるようになって同姓同名問題に神経質になっているのでついそんなことも考えてしまう。
なにかいい肩書きはないんだろうか。ジャーナリストというのは包括的でよさげなんだけど、新聞社の人の中には新聞社員しかジャーナリストではないと考える人もいて外部の人間がそれを名乗るのには抵抗があるようだ。清水幾太郎が自分をジャーナリストだと規定していた文章を読むとその肩書きがすっと理解でき、自分もジャーナリストと呼ばれるのが一番いいと思う。英語でもそれが一番すわりがよく、自己紹介でぼくの仕事内容(大学での活動も含めてーー)を説明するときに問題なく一番よく使える。だが、ジャーナリスムの定義がしっかりしていない日本の文化では、ジャーナリストの肩書きはどうも落ち着かないようだ。大宅映子のように殆どなにもしていない人も政府系審議会に出るときの肩書きはジャーナリストだし、記者クラブで泥んでいる人もジャーナリストだし・・・。
さてさて、まったく関係ないんですけどモーニング娘。って児童虐待だと海外から思われないんですかね。とくにプチモニ(でしたっけ)。あのプロモビデオはいたいけな子どもに教育もきとんと受けさせないでむやみに働かせているというイメージで、インターネットの日本人ロリコンヌードと同じぐらい(国家も黙認という意味ではそれ以上に)対外的には印象悪いように思ってしまうんだが、ロリコンヌードは国辱だ、浄化すべきだというガーディアンエンジェルスの小田も含め誰もそうは言ってくれない(笑)。
武田徹