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弱い相手叩きで何故満足してしまうのか 投稿者:武田徹  投稿日:12月19日(火)00時14分16秒

駅から家に帰る途中に毎日新聞の販売店があって、そこには販促用に特別構成された
疑似紙面が宣伝用に使われている。で、なにげなく見たら最近のものは例の遺跡捏造
事件の記事なのだ。
毎日のスクープだったのは事実なんだけど、なんとなく嫌な気分。もっと巨悪を相手に
して欲しいという。、確かに教科書を書き換えなければならなくなったり、大事ではあ
るけれど、実行犯は一人の、しかも、どうも冴えない男なのだ。事実としてはスクープ
を謳われても仕方がないんだけど、心情としては煮え切らないものを感じる。あんな哀
れな男のことはもうほっといてやれよーと思っちゃう。甘いと言われるかも知れないけ
ど、実感としては違う。戦う相手が違うように思うのだ。
たとえば今日、講義で日経新聞記者の機内トイレ喫煙事件を報じた記事を使ったんだけ
ど、あれ、結局どうなったんだろうか。というのも日経記者の処分だけでなく、賠償請
求はどう決着したんだろう。見落としているのかも知れないけど、ぼくは知らない。
もし日経相手だから内々で丸く収めるとかいう結果になっていたら問題だ。週刊誌は結構
バッシング記事を書いていたけど、当事者を責めるだけで終わりにして良いのか。個人
はいかにとんでもない犯罪を犯したとしても一人では所詮、弱い存在だ。そんな弱い者
をいじめるよりも、弱い者を狂わせたシステムを批判して行くように問題を普遍化する
ことは出来ないのだろうか。
そうそう、これも前に気になったんだけど、中川前官房長官の愛人への操作情報漏洩事
件もテレビ各局が録音テープを公開・報道して、結局、辞任に追い込んだ。でも事実性
を争うような展開はなかった。今のテレビ局なんかもうかってうはうはなんだから声紋
鑑定でもなんでもやればいい。そうして中川だけでなく、たとえば森政権を潰すとか、
もっと大きな手柄を立てるところまでなぜ進まないんだろう。加藤紘一の悪口書けない
ですよ、途中でやめてお茶を濁しているようでは。ウッドワードとバーンスタインは民
主党ビルへの不法侵入事件から攻め込んで大統領の首まで取ったんだぞ。
武田徹


共同体は再生されるのか 投稿者:武田徹  投稿日:12月18日(月)09時37分38秒

ぼくの生まれ育ったのは東京の練馬区というところで、今でも両親はそこに住んでいる。
先日ひさしぶりに実家に顔を出そうと帰ったら、以前は民家があったところがぽっかりと
大きな空き地になっていた。聞けば9階建てのマンションになるらしい。予定地の敷地は
相当に大きいので、二棟+コミュニティスペースとかいう、再開発によくあるパターンか
なと思う。
ただ周辺への影響は少なくないだろう。実はそのあたりはそれまでは5階建てまでしか作
れなかったし、そんな基準ギリギリまでの建物は殆どなかった。そんなに人気の高い土地
柄ではないのだ。ところが最近になって規制が緩和され、9階建てが可能になって、なら
ばという着工らしい。おそらくきっかけは西武線が地下鉄有楽町線の乗り入れと同時に高
架になったことだろう。確かにかなりの高さを持つ高架線が出来てしまった今となっては、
5階では全く高さを感じない。感覚的にももっと高くても許容できる雰囲気がある。そう
した状況変化を踏まえて区役所が規制緩和に踏み込んだと言うことか。
しかし高架線を中心に考えればそうだけれど、今までの街区に対してはそれは脅威だ。「●
●さんや△△さんなんか大変だよ」と父親は言う。確かに9階建てから直接見下ろせる位置
にある家は相当に圧迫感があるだろう。もちろん日照権などは補償されるのだろうが、心理
的な影響はある。
で、おそらく上から見下ろされないような建て替えというのが検討されるようになるはずだ。
その時、自分も土地を活かして高層マンションを建てるような選択をする可能性は高い。そし
て自分はその一部に住むか、あるいは権利を売却してどこかに移るか。
もしも高層化の選択をした場合、今の東京で果たして物件が売れたり、借りられたりするのか
大いに疑問で、やっていけるのかという問題もあるが、そこは大過なく過ぎたとしても、かつ
て「●●さんや△△さん」と名前で呼び、顔見知りで暮らしてきた人たちがいなくなったり、
それ以外の顔も名前も知らない人たちの暮らしの中に埋もれていってしまう結果になる。
地域共同体が壊れて行くというのはこういうことなのだなと改めて思った。踏切があると線路
の両側が断絶される。それが高架化で回復する、そういう人もいるが、そうでもない面もある。
高架線の高さが街のバランスを崩してしまうのだ。
小田急の高架化が住民の反対で進んでいない状況を見て、ぼくは住民側も少しは妥協すればい
いのにと正直思ったことがあった。なにしろ朝夕の小田急の混雑はひどいし、下北沢の駅など
は人が溢れている狭いホームに電車が次々に到着し、慣れない人は恐怖を覚えるほどだ。高架
になってそういう問題が改善されるのは公共的な意味合いがあるのではと思っていたのだが、
少し考えを変えたというか、共感できる部分が増えた。反対運動は高架化が住宅地に与える有
形無形の影響まで視野に入れていたのかもしれない。共同体は脆弱である。視線のありようが
変わり、高みから見れるようになっただけでぼろぼろ崩れて行く。
ぼくは地縁、血縁による地域(村落)
共同体の均一性によって社会の安寧が守られている状況は長続きしない、地縁血縁の繋がり
がなく、必ずしも価値観も同一ではない差異性を前提としてなお公共的な秩序を守れる都市
共同体を確立してゆくべきだと今まで主張してきたが、自分の生まれ育った地域共同体が崩
壊し始めている過程を目の当たりにするとやはり胸に迫るものはある。その痛みを正しく踏
まえたうえで都市共同体論をして行かなければと思った。
武田徹





松田聖子という生き方  投稿者:武田徹  投稿日:12月17日(日)17時57分53秒

週刊スパで松田聖子に関する鼎談に出席。といっても最初は石原理沙、宮台真司、ぼくの三人
が出席のはずが宮台氏は来なかったので対談になってしまった。
結果は誌面をということだが、掲載できなかった部分で追加と敷衍を。
ぼくの主張している松田聖子は実像部分(恋愛を中心とする私生活)を虚像化したと述べている
のは吉田司が『虚像が行く』という作品で最初に述べたこと。出典を明示しようと思ったんだけ
ど行数関係で削られてしまった。ちょっと気になるのでここに敢えて記しておきます。
で、内容的に反映されなかった主張としては、松田聖子は境界例(型)人生を象徴している
と思う。これこそ自分が生きてきた目的なのだというものーー恋、結婚、ハリウッドへの進出
などーーを探しては実現し、その時には誇らしげに語るのだが、長続きせずに次に移行して行
く。まさに「自分探し型」。そういうスタイルor傾向性においては渋谷系の若者の生き方を先
取りしたところもあるかも。「聖子と言う生き方に憧れる」とか「自分に素直なところが好き」
いうコメントを若者から取ったりする記事が作られるのはこうした図式を踏まえているのだろ
う(今回のスパはどうなのかな)。
ただ少し時代からういてしまったように見えるのは、境界例型の生き方がそうメジャーで
はなくなったからではないか。自分を探す以前に、自分が極めて濃厚にあって、その処遇に
困るタイプの若者ーー斎藤環なら引きこもり型というタイプーーがむしろ増えている。彼ら
は聖子とは異質だ。そう思うと今、聖子の記事というのもちょっとどうかなと思っちゃうの
だが、それは編集権の範疇ですね。
個人的には聖子周辺の独特の薄っぺらさは嫌だなと思う。以前に自由が丘のフローレスセイ
コに取材に行ったことがあったんだが、バックヤードスペースが全くないのは驚いた。多少
なりとも在庫をしまっておくスペースが普通の店にはあるものだが、それが皆無なのだ。取
材を受けた店員の話を階段で聞いた。要するにトラックから品物を運び込んでそのまま出し
ていたんだろう。これはあまりにもお手軽であって、ちょっと店とは呼ばないものなんじゃ
ないか。でも、そういうことって芸能ジャーナリズムは報道しなかったですよね。今回の原
田信二不倫報道もそうで、あのビデオクリップがあって、あのライブ映像があれば、もう不
倫疑惑番組は簡単に出来ちゃう。で、案の定、キムタク報道が尻切れとんぼになったあとの
閑古鳥が鳴きそうだった時期に散々聖子の「新しい恋」を報道した。それは聖子サイドが新
曲発表のタイミングで仕掛けたものだったはずだが、そこに敢えて乗っちゃって、なんの恥
の感覚もない。ちょっと安直すぎはしないか。不倫報道用にパッケージされた情報があれば
それを使ってしまうというのは・・・・。不倫って倫理にあらざるものであり、そうである
以上、倫理性が問われている意味で、議論にはそれなりの重さはあるはずだが、全然そうじ
ゃない。不倫があまりにもうすっぺらになっちゃったのは、なんだかメリハリを欠いてしま
っていてつまらない。物足りない。ふにゃふにゃで気持ちが悪い。聖子はそういう安直でテ
キトーな時代の象徴ではある。ぼくは90年代を「失われた10年」という村上龍に批判的
だが、少なくとも聖子とその周辺を見ていると、一種の脱力感と虚しさを感じてしまうの
は事実だ。自分探し型独特の「恋愛に自分をかけてます」的な「重さ」の文脈の中で語ら
れるからこそ、ふにゃちん気味の肩すかしされると後味が悪い。チェゲアスとか小室の情
けない煽り系の歌詞もそうなんだけど。
武田徹


地球を眺め返す視線 投稿者:武田徹  投稿日:12月15日(金)21時52分00秒

書き込みを少しさぼってしまって恐縮です。ちょっと忙しかった。家にいれば原稿で忙しく
ても合間に書き込めるんだけど、出掛けている時間が長かったもので。
『プレジデント』に20世紀を回顧するための本を紹介し、批評する原稿を書いた。ぼくにと
ってもこれが20世紀最後の原稿になる予定。なんとなくオセンチな気分にもなったりして。
原稿そのものは雑誌を見て欲しいが、その中の一冊で『フルムーン』を取り上げた。これは
去年出た本で新味はないのだけど、やっぱり20世紀本ということでは選びたかった。内容は
アポロ計画で撮影された写真の再編集である。アポロの写真はそれこそ大阪万博を初めとし
て、何度となく見てきたはずなんだけど、この写真集にはそれに勝る圧倒的な印象がある。
デジタル技術を駆使しつつ、オリジネナルフォルムからスキャニングされ直しており、たと
えばピントのボケ部分もハッセル+プラナーレンズらしいいい味が再現されている。ボケ味
を云々できる宇宙写真なんて、確かに今までは見てこなかった。
その中で一点、特にこれはと思ったのがアポロ16号の月着陸船パイロットが撮影したカット
で、月面に家族の肖像写真を置いて撮っているのだ。月に着陸できるのは科学技術の達成だが
月に家族の写真を持って行くというのは文化的な判断の産物だろう。秒刻みのミッションをこ
なしていたパイロットにも、アポロ計画も16号にもなると若干の自由時間を与えるゆとりが
出た。そして自由裁量が認められたとき、パイロットは家族の写真を月面で撮ることを選んだ。
その写真をみて、ぼくは何か胸に迫るものがあった。パイロットに家族がいて当然なのだが、
今までは何故かそういう要素を忘れていたのだ。訓練によって正確にミッションをこなすロ
ボットのようなパイロットというイメージが強かった。しかしその写真で月面に立った人間
が家族を持つということを改めて思った。そしてその写真の次に月から見た青い地球の映像
を見る。その肖像写真に映っている家族はその青い星に暮らしている。
彼らだけでなく、地球には幾億もの暮らしがある。普段でも当然そのことを考えることがあ
るが、月を経由してその事実を改めて考えるのはいつもと違った印象を感じた。
アポロ計画は人類を月に到達させたことよりも、地球を別の天体の地平から眺め返す視点を
用意したことにおいて画期的だったのではないか。月には到達したけど、それを何かに活用
できるまでにはまだまだ時間がかかる。しかし地球を眺め返す視線は生活に対する感覚を変
えるイアンパクトがある。
エコロジー運動はアポロの地球写真からはじまったという説がある。『フルムーン』の写真
にはもう一度、エコロジー思想を産みだしたような「地球感覚」を導く力があるように思う。
武田徹


東京大学物語が終わる? 投稿者:武田徹  投稿日:12月13日(水)00時02分52秒

江川達也の『東京大学物語』がついに終わりそうな感じ。今週号は今までの物語が全て高校生
・村上の妄想だったというどんでん返しに。で、「夢オチ」を自ら禁じ手にして、次はどうな
る? 『BE FREE』の最終回のドラマツルギーがすごかったので作者も大変だろうけど、
やはり期待しちゃうのだった。
武田徹


これって何なのだろう1 投稿者:武田徹  投稿日:12月12日(火)22時52分10秒

「中央公論」でサイバーエージェントの記事を書いて以来、ぼくはその行く末を見守って
きた。ぼくには少し負い目がある。ぼくの記事がもしもサイバーエージェントのマザーズ
場前に陽の目を見ていたら、その株の暴落で損をする人がもう少し減っていたのではない
かと思うのだ。もちろん古き佳き活版ジャーナリズムの孤塁を守る「中公」の影響力は所
詮多寡が知れており、そう多くが目を通したとは思えないが、それでも上場のタイミング
に僅かに遅れたのは後味が悪い(上場のタイミングで出たのは藤田のあの「時価総額10兆
円を目指す」と威勢良く謳った『ジャパニーズドリーム』だった。他にも彼をベンチャー
の旗手ともり立てるオバカな雑誌記事ばかりがあって、つまりはサイバーエージェントは
進軍ラッパ鳴り響く中で上場し、時価総額絶叫男の実像を示す情報はその時点では存在し
ていなかったのだ。ミュージシャン志望のウソ、伝説の営業マンの虚栄、理念なき経営者
ぶりなどを書いたのはぼくが初めだったはずだ。だからこそ、それが上場時に出ていれば
・・・と思ってしまうのである)。
さてさて、前置きが長くなった。そのサイバーエージェントだが、ご承知のように株価は
下がるは下がる、で、ヤフーの株価情報ページの掲示板などは凄まじい罵詈雑言の嵐だっ
たのだが、ここに来てサイバーの株価は突然連日ストップ高となった。
経営内容に改善があったわけではない。なぜ株価が上がったかというとどうも日経記事ら
しい。「大機小機」というコラムで「現金の預金額が時価総額よりも多いS社というイン
ターネット広告会社があり、これはM&Aの対象に選ばれるのに格好だ」というようなこ
とが書かれた。見る人が見ればS社がサイバーエージェントだと言うことは歴然としてお
り、それに株価が反応した。株式の公開買い付けを仕掛けられた会社の株価が上がるのと
同じで、サイバーの場合は実際に公開買い付けが申し出られたわけではないが、M&Aの
対象になる可能性が高いと日経が書いたことで、それだけ会社に力があると判断されて株
が買われた。その結果としてのストップ高である。


これって何なのだろう2 投稿者:武田徹  投稿日:12月12日(火)22時41分29秒


しかし、これってヘンじゃないか。ぼくが気になるのはその日経の記事は誰に向かって書
かれたのかということだ。そう書くと、「新聞記事は誰かに向かって書くわけではない、
不特定多数の読者に向けた公正中立なものなのだ」という建前論が帰ってくるのかもしれ
ない。では、設問を変えよう。その記事を書いたとき、記者はそれがどのような社会的影
響を持つと考えただろうか。プロの記者なら記事の反応を考えながら書くのは当然だろう。
そして記者はその記事がサイバーの株価を上げることになることも当然分かっていたはず
だ。株価があがってしまうと、M&Aをしようにも買収額が膨らんでしまう。つまり日経
の記事はM&Aに相応しい会社を紹介するというスタイルを取りながら、実はM&Aを困
難な方向に転がすものだ。そう考えると、記事は少なくともM&Aを検討するような人た
ちに向けたものではなかったことが結果から推測される。では誰に向けて書いた? それ
がわからない。一般の読者に対して、その書き方で有用な情報たりえているかといえば疑
問なのだ。

だが一つだけ、これは本当にブラックジョークのようなものだが、推理は出来る。その記
事でおそらく一瞬にしてかなりの収益を挙げた人たちがいる。新聞記事が出る前に底値で
サイバーの株を買い、ストップ高を繰り返した後の株価で売り抜けた人たちだ。で、記事
がその人たちに向けて書かれていたとしたら・・・・。その記事の存在価値は全て合理的
に説明できてしまうのだ。

 立花隆も書いているが、ウラの政治献金を生み出す方法のひとつに株を買わせ、株価を
上げて利益を出すという方法がある。これはうまくやらないとインサイダー取引になる。
しかし今回サイバーの株を買った人は何もインサイダー情報をサイバーから得ていない。
というか、インサイダー情報になるような材料はサイバーにはなかった。株価の上昇は
サイバー自身とは無縁なところで起きている。下落の連続だった株価により失墜してい
たサイバーのイメージが少しでも改善されたというメリットはあったが、それはサイバ
ーのあずかり知らぬところで起きている現象である。今回のストップ高はあくまでも日
経の寄与だ。で、日経と一部投資家との間でなんらかの意志の疎通があったとしたら?
インサイダー取引だと糾弾される恐れもなししに、安全裏に資金を運用し、殖財するメ
カニズムがジャーナリズムを巻き込んで動き始めているということがあったりしないの
だろうか? 利益を得たのは今度も政治家か? それとも?
まさかとは思いたい。しかしどうも何か変な臭いを、その記事と株価の動きに嗅いでしま
うのはぼくだけか。
武田徹





人権救済機構について1 投稿者:武田徹  投稿日:12月10日(日)11時49分22秒

人権救済機構の設立が注目されている。発端は日弁連が人権救済機構設立のための法案
要項試案を発表したことにある。それに噛みついたのはメディア機関だった。というの
もその試案には人権侵害の恐れがあると判断された場合、報道機関などへの立ち入り調
査、差し押さえの権利を救済機構に求めるという項目があったからだ。これでは取材が
出来ないではないか、とメディア機関側は危惧を表明する。そして問題はそれだけでは
ない。法務省もまたこの人権救済機関の設立に積極的だ。で、このままゆくと人権救済
機構は行政組織として設立される可能性が大きい。となると、人権侵害の恐れ有りとい
うのを建前とし、たとえば政府の汚職などを調査していたメディア機関に立ち入り調査
が入り、資料が差し押さえられたりすることもあるのではないかーー。これが日本ペン
クラブの見解であり、猪瀬直樹が同言論委員会委員長の立場で盛んに訴えているものだ。
この問題の難しさは、実際に報道機関による人権被害があり得ているということだ。猪瀬も
それを認めているが、そうした問題のある幾つかの実例をもってして、メディア全体を権力
の監視下に置くべきではないとしている。確かに各論と総論は分けて考えるべきだが、そう
した論理が果たして通用するか。メディアを市民社会は、市民の側に立つ権力の監視機関と
認めているかどうかが問われている。ぼくはそこはかなり悲観的だ。
メディアがプライバシーを暴いたり、見切り発車で少年犯罪の実名報道をしたりして
いるのも需要があるからに他ならないのだが、にもかかわらず需要の担い手である多
くの人が今やメディアは自分達の敵、静かな生活を脅かすものだとも感じている。メ
ディアは市場にへつらって来たのだが、そのためにかえって見切られ、裏切られると
いう屈折した状況にある。そして権力の監視機関というその必要性は全然省みられて
いない(実際、長い物に巻かれることを頼まれもしないのになぜか自分の職務だと考え
て、警察関係の記述は削除することに自らのサラリーマン編集長人生のほぼ全精力を傾
注する誰かさん↓みたいな愚かなメディア関系者もいるからまた厄介・・・・)。そうであ
る以上、この人権救済機構設立の動きを白紙に戻すのはもはや少々無理ではないかと思
ってしまう。


人権救済機構について2 投稿者:武田徹  投稿日:12月10日(日)11時48分51秒

ならばというわけではないのだが、こういう見方は出来ないか。猪瀬の危機感の核にあ
るのは救済機構が行政組織になること。その結果、許認可権や任命権を通じて現政権や
現状の官僚制度の支配下に置かれる可能性が高いということだ。しかし、その部分で制
度的に調整することはまだ可能ではないか。日弁連も行政組織を作ろうという声が多数
派ではないはずなのだから。
ぼくはこの動きを、日本社会がいかに独立した第三者機関を作れるかという問題とみなし
たらどうかと思っている。ぼくの前からの持論に、アドレス、ドメインの発行管理を第
三者機関に行わせるべきだというものがある。そうしたアドレス、ドメインと実人格、
実法人格をバインドさせる。そしてそのバインドのデータは第三者機関のみが保存し、公
開には法的な手続きが必要なようにする。そうすることでインターネット利用に必要な
匿名性をある程度担保したまま、犯罪的な利用に対する抑止力を持たせることが出来るの
ではというのがぼくが前々から何度となくしてきた主張だ(詳しくは『デジタル社会論』
や『IT革命原論』を読んで下さい)。
そんなことが出来るのかと疑う声があるのは承知している。実際、困難はあるだろう。た
とえば現状でもJPNICという団体がドメインの管理をしている。これは第三者機関だ
と名乗っているが、その実態は村井純の傀儡団体で慶応SFC閥だし、特殊法人格を取得
した時に行政側のコントロール下に入ってしまったし、しかも実力はまったくなく、ドメ
イン名の日本語利用に関してもなにをやっているんだかわからない対応をしているし、登
録会員のプライバシー情報は外部に筒抜けだしととんでもない団体だ。第三者機関の名に
まったく値しない。しかしこの例をもって第三者機関が出来ないと諦めてしまうべきでは
ないだろう。
個々人が最大限の自由を発揮し、権利の侵害を最低限に抑えるために社会は最低限の公安
装置を持つ必要があるというノージックの主張はまだ有効性を失っていないと思う。そし
てその最低限の公安装置のひとつのかたちこそが強制権を有する第三者機関なのだ(現在
の警察機構は最低限の公安機構を遙かに越えた「大きさ」と政府行政との関わりおいて
「広がり」を持っている。その意味でノージックの最小国家論は現在の警察・検察システ
ムの延長上で論じるのは無理だ)。そうした第三者機関がぼくの想定するアドレス、ドメ
イン管理組織であり、今回の話題になっている人権救済組織もそうした性格を持つべきも
のではないか。
ぼくたちの社会はそんな独立し、公安諸装置の最小化要件を満たせるような第三者機関を作
れるのかどうか。今度の人権救済機構の問題もそう捉え返すことは出来ないだろうか。日弁
連とメディアがいたずらに対立するのはあまり建設的ではないように思う。
武田徹


尾島氏へ 投稿者:武田徹  投稿日:12月 8日(金)10時13分43秒

尾島さん。『週刊文春』の書評は読んで下さったかな。ぼくはあなたが、対外的なもの言いと
は逆にこの掲示板を必ず読んでいると思う。で、ぼくが昨日その書評のことを書いたので、今
朝はまっさきに、書店に走ってくれたと思っているが、違うかな?
ぼくが書評に書いた「(斎藤さんの原稿)はイデオロギー的に偏っているから載せられない」
について、またあなたは事実誤認があると言うのかもしれない。しかし今度はダメだ。という
のもこれはぼくとあなたの間でやりとりされたメールの内容に基づいており、ぼくはその文
面を保存しているのだ。
互いに言葉で食っている「自称」ジャーナリスト同士のメールのやり取りでる以上、内容
を公開してもまさか通信の守秘義務違反とか言い出すとは思わないが、念のために要点だ
けの紹介しよう。そこであなたは斎藤さんの原稿には「政治的イデオロギーが出ている」
と評した。
そして「それがもとで、斎藤さんとは意見が対立し、3月入稿分、4月発売分の原稿が飛
びました」と、ぼくが求めもしないに説明してくれた。なぜ「飛んだ}のかといえば「原
稿の手直しを提案したところ、拒否されました」とのこと。
 原稿の手直し? ウラを取れと言ったという前回のあなたの書き込みとは随分トーンが
違うではないか。ウラを取ることは取材の補足であり、原稿の手直しとは違う。この手直
しという表現は斎藤さんが『リアル国家論』で再現していたあなたと彼との間でのやりと
りと同じだ。あなたのメールの内容と、斎藤さんの本の内容は一致している。あなたは警
察について批判的に書くような原稿は「政治的イデオロギー」の産物だと考え、その手直
し=削除を求めた。メールの内容はそうとしか読めない。だとすれば、斎藤さんの本に事
実誤認があると言ったあなたの前の書き込みはウソだということになる。
だからぼくはあなたの書き込みを読んで腹立たしく思った。なぜ自分にそこまで都合良く
ウソをつけるのか、と。
そして、もうひとつぼくが腹立たしく思ったことがある。あなたは自分のキャリアが取材
経験豊富とは決して言えないことを自覚していたはずだ。なにしろ読売時代は山梨支局に
いた後、ずっと整理部勤務であり現場には出ていないのだから。取材経験と言うことでは
斎藤さんの方が遙かに豊富だし、彼の専門領域についてはなおさらだろう。そんなあなた
が斎藤さんに取材の不備云々と言うべきではなかった。あなたはおそらく取材が何かを本
当は知らない。だから建前論を平然と語れるのだろう。
このようにあなたの前の書き込みは確かにひどいものだったが、それでもその後にしっかり
とジャーナリズムや取材方法についての議論が出来れば軌道修正は出来たはずだ。だからぼ
くはかつてあなたが書いたメールやあなたの経歴と書き込み発言内容との不整合の指摘はせ
ず、質問をしてあなたの書き込みを待った。しかしあなたは自分の主張だけ体よく書き散ら
して、卑怯にもそのまま消えてしまった。そんなあなたの態度から掲示板は混乱し、論点が
ずれてゆきそうだったので、ぼくはここでの議論をいったん終結させた。
しかし、斎藤さんの新刊書が出たとき、やはりぼくはあなたのウソや、斎藤さんを侮蔑する
ために引かれた薄っぺらい建前論を放置してはおけないと思い直した。それはとてもじゃな
いが認められない内容だ。で、あなたが自分で訂正してくれない以上、ぼくが言及するしか
ないと考えた。
書評にも書いたが、斎藤さんの仕事はイデオロギー的に偏ってはいない。まっとうな現代社
会への危機感の表明であり、異議申し立てだ。それを政治的イデオロギーだと思えるのは、
あなたの方が立ち位置が狂っているからだ。もう一度繰り返す。自分の立ち位置と雑誌を健
全な方向に戻して欲しい。
前にも言ったけれども、ぼくは斎藤さんの原稿の復活か、それが無理でも同じ意味を持つこ
とが近いうちに雑誌上でなされるように望む。それは雑誌ジャーナリズムが長いものに巻かれ
るのではなく、権力を監視する役割を果たすメディア機関本来の義務を果たす姿勢に戻るの
だという決意表明になると思うからだ。あなたはきっとこの掲示板を読んでくれていると思
うから知っているだろうが、ジャーナリズム、特に日経への不信感は著しい。トレンディな
どは商品カタログとしか思われていない。あなたが「広報の意見を鵜飲みにしていないこと
は雑誌を見ればわかる」なんていきがっていても通用しない。意志表明をかたちでしめさな
ければ、特に斎藤さんの『リアル国家論』を読んだ読者の不信感は払拭されないと思う。ぜ
ひ検討して欲しい。そんなことをしたらあなたは自分のメンツがまるつぶれだと思うかもし
れないが、それは間違いだ。逆にあなたのメンツはそうすることでしか回復されないところ
まで来ている。そこを理解した方がいい。
武田徹

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