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シンポジウムのお誘い 投稿者:武田徹  投稿日:11月27日(月)00時52分40秒

東京大学の知人からシンポジウムのお誘いが来ました。ぼくはサントリー学芸賞の授賞式に出なくてはならないので、たぶん出席できませんが(しかしパネリストの中になぜかぼくと同じ賞の審査員も混じっているな。ダブルブッキング?)、都合のつく方は覗いてこられると良いのではないでしょうか。東京大学の情報学環はおそらく今一番刺激的なアカデミズムの拠点でしょうーーー武田徹。
***
学内外の多くの方々のご尽力により、東京大学大学院情報学環・学際情報学府が本年
4月から無事スタートしました。このたび、本大学院の創立を記念し、下記によりシ
ンポジウム《智慧の環、学びの府──情報知の無窮動をめざして──》を催します。
御多忙とは思いますが、ぜひご出席くださればさいわいです。学環・学府でおこなわ
れている研究・教育の一端をみなさまにお示しするべく工夫を凝らしました。会場に
はゆとりがありますので、ご関心のある先生方や学生にもお声をかけていただければ
幸いです。事前予約不要、入場無料です。
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東京大学大学院情報学環・学際情報学府創立記念シンポジウム
《智慧の環、学びの府──情報知の無窮動をめざして──》
日時:平成12年11月27日(月) 
場所:東京大学本郷キャンパス安田講堂
地図:http://www.u-tokyo.ac.jp/map/map01-j.html;
http://www.u-tokyo.ac.jp/map/map01j/e33-j.html)
●パネル展示  午前10時から        
・情報学環の学生が、研究成果や作品を展示します。
●シンポジウム 午後1時から4時まで    
第一部 ビデオ&トーク《学環──過去・現在・未来》
・情報学環の理念とめざす方向、今後の展望などを、学環の設立にたずさわったス
タッフや現在在籍中の学生、学外多方面からの声を交えつつ、御紹介いたします。
 出演:原島博、米沢明憲、濱田純一、小林康夫、ほか
第二部 パネル・ディスカッション《組織の情報論と情報の組織論》
・情報の研究・教育には、どのような組織と視点が必要なのか? 情報を研究・教育
することで、何がひらけてくるのか? 新組織の立ち上げに参画された、幅広い分野
からのパネリストをお迎えして討論します。
 パネリスト:相磯秀夫(東京工科大学)、長尾真(京都大学)、
       美馬のゆり(はこだて未来大学)、鷲田清一(大阪大学)
 司会:西垣通(情報学環)


メールアドレスについて 投稿者:武田徹  投稿日:11月26日(日)16時16分54秒

メールアドレスについてお尋ねがあったので、答えておきます。ここの掲示板の方式では
書き込み時にメールアドレスを記入すると、掲載された時に発言者名がホットリンクになり、
クリックするとメールを送るウィンドウが開きます。カーソルを名前に合わせればアドレス
も確認できます。前に尾島氏が書き込んだ時にも名前にアドレスがリンクされており、そこ
からも本人確認が出来たわけです。ご存じの方には何を今さらという感じでしょうが、書き
捨ては困る、アドレスを書けとぼくが言うけれど、そのアドレスを一般にはどうすれば知れ
るのかわからないという声があったもので、念のため説明。
武田徹


「教養ノート」について1 投稿者:武田徹  投稿日:11月25日(土)15時41分51秒

浅羽通明『教養論ノート』が送られてくる。前作『野望としての教養』を批判的に取り上げた
ので反論が入っているのかと思ったけれどそれはない。単に書評対策用送本リストにぼくの名
があったということか。
読んでみたけれど、この人の著述に対する労力のかけかたにはいつも感心する。「努力賞」
「よくがんばりました賞」を上げたい気持ちは今回の作品も変わらない。でもぼくが浅羽
本を書評紙などの年間ランキング上位に取り上げたことがないのは「よくがんばりました賞」
以外の誉め方がみつからないからだ。
今回の本もそうだが「学問は役に立たない、教養は役に立つ、だから若者よ、教養を」とい
うスローガンを本のかたちにまで膨らませた内容である。
冒頭に比較惑星学の松井考典、解剖学の養老孟司らとビートたけしとの対談集『ザ・知的
漫才 結局わかりませんでした』を浅羽は引く。その中でたけしはこう言っているのだそう
だ。「今、オイラたちは「学問」って言っているけど、本来はむしろ「教養」って言うべき
もんだったんだ。つまり、自分の生き方を考えるうえでの指針のひとつになるべきもの。だ
から、それを考える材料にして、自分の生き方(あるいは死に方)にフィードバックさせて
ゆくのが本当だと思う」。この言葉を、浅羽はたけしが(松井や養老の)学問を「自分の
生き方を考えるうえで指針」にならない、役に立たないものだとみなしたと考える。で、「
結局わかりませんでした」とさじを投げたのだとみなす。そしてここを引いて自分の「学問
」は役にたたない。生きるために役に立つ「教養」を身につけるべきだという説はビートた
けしと同じなのだという。
でもそう単純な図式が立てられるのか。まず一番基本的なことは人が多様であるという当然
極まる事実から、ある情報が役に立つかどうか人によって異なる。つまり役に立つかどうか
は本人が決めざるをえないということだ。そうである以上、たとえば、たけしは松井や養老
の仕事はあまり役に立たないと思ったようだが、その感覚を安易に普遍化するのは危険であ
る。にもかかわらず浅羽はたけしに全く無批判に感情移入し、そうだろう、そうだろう、学
問は役に立たないのだ、と嬉しそうに語り続ける。そんな浅羽にはきつい言い方になるが、
逆に浅羽が役に立つ教養だとして挙げている阿部勤也やアーレントだって、iモード電話機
はどこで買えば安いかぐらいしか「役に立つ知識」として感じてない今の大多数の若者にし
てみれば、松井や養老と大差のない「遠い」学問だろう。
もしちがいがあるとすれば阿部やアーレントは浅羽という解説者に恵まれたということだろ
う。おかげで読み手は自分に引き寄せて考えることが出来、そこから役に立ち何かを引き出
すこともできた。(たけしの場合)松井や養老はそうした中間的なメディエータを介しての
接触ではなかったから、不幸にも関心領域に入り、「役に立つと思う」心の琴線を振るわせ
るには至らなかった。そうした違いがあるだけであり、思想や研究活動そのものの中に「役
に立つもの」と「役に立たないもの」の区別が初めから埋め込まれているわけではない。
にもかかわらず浅羽は「役に立たない学問」と「役に立つ教養」を分けてしまう。その分別が
通じるのは、浅羽と有用無用の価値観を共有する読者だけだろう。そういう価値観を共有でき
る読者層を浅羽が築きあげてきたということでもあるのだが、鶏が先か卵が先かの議論はある
にしろ、それは特定の価値観の共有で繋がった共同体であるという点で、決して、外に開かれ
たものではない。役に立たないと浅羽がレッテルを貼った学問を役に立つと感じる人はあらか
じめそこから排除されてしまう。


「教養ノート」について2 投稿者:武田徹  投稿日:11月25日(土)15時37分58秒

そんな問題意識で読んで行くとそこには随分と矛盾があるように思う。丸山真男のタコツボ論
なども引くが、自分たちの読書共同体のタコツボ性を省みる視点はすっぽり抜け落ちている。
顧客を喜ばせる思想がといいつつも、自分の給料となる学費を払ってくれている学生は排斥
して学外から自分のファンを呼んで講義することを前作に続いて得意気に語っているのもお
かしい。これは前回批判したことだが、本の買い手も顧客だろうが、学費を払う学生も顧客
ではないか。学費を払っている学生を排除して、ニセ学生を招くことは「外に開かれた知」
の在り方ではない。それは単なる職業倫理の欠落の結果であり、一種の寄生的行為である。
なぜそんな簡単なことがわからない。なぜ言葉に言葉を重ねて自らの矛盾を糊塗しようと躍
起になる? 一番の問題はもっとシンプルなことではないのか。
これは自戒を込めていいたいが批評家の批評がもっとも該当する対象、つまり最も批評され
るべきなのが当の自分自身だということは往々にしてある。オタクを嘲笑う批評家がオタク
的な感性の持ち主だったり、権力批判を繰り広げる人が権力志向であったりするぶざまな光
景をぼくたちは何度となく見てきた。浅羽の場合もそうしたぶざまさを体現してはいないか。
浅羽の教養シリーズは売れているそうだが、彼のファンにもそうした(自分の尾を食らう蛇
のような)ウロボロス的状況に意識が及ばない鈍感さを感じる。自己相対化、自己への対自
的なまなざしを書いているために、浅羽のいう「教養」の多くの部分が、残念ながら浅羽自
身が批判している「外に開かれない」趣味のひとつになってしまっていないか。ぼくは阿部
もアレントも大好きで浅羽が解説をしてくれてその読者が広がるのはよいが、同時に松井や
養老からでも学べると思うし、極端な話、松井が語る遠い惑星の自然の話を聞いて自分の生
き方を変えるような人がいてもいいと思う。その可能性をあらかじめ断ってから論じる姿勢
は、ぼくが「本当の教養人」と呼びたい知識人の在り方からは遠く離れて感じられるのだが、
どうだろうか。
武田徹




ラオスの話 投稿者:武田徹  投稿日:11月23日(木)20時46分12秒

前に一度行こうと思っていて、マラリア問題で断念したラオスだが、いよいよ本腰
を入れて再挑戦の計画を練り始めた。
ひとつ問題は飛行機。外務省勧告が出ていて、ラオス航空では一種類の機体を除いて
安全を確認できていないという。で、航空券予約の際にその便の機体が安全な機首で
あることを確かめること、なんて言う。実際、ラオスの旅行記を読むと離陸後、機内
に霧が立ちこめたとか(気密が悪くて気圧が下がり、水蒸気が霧になるのだろう)最
近では滅多に聞かない話が出てくる。
しかし、そう言われても、この勧告が意味を持つのはビエンチャンまで。そこまでなら
バンコクからタイ航空便があるので機体的な問題はない。しかしその先はラオス航空だ
けの運航で、聞けば機体のローテーションはかなり乱暴で、どの便がどの機体になるか
は殆どわからない。外務省の勧告通りにしたら飛行機で国内旅行は実質的に出来ないこ
とになる。で、陸路ならいいかといえば、時間がかかるだけでなく、こっちはこっちで
危険があっておいはぎが出るらしいのだ。数年前にフランス人が殺されている。おいは
ぎやっているのはモン族という少数民族で、ベトナム戦争の時に傭兵としてアメリカに
使われていた。そのため共産化した戦後、彼らは村から追われ、亡命や山奥での生活を
強いられているらしい。そのモン族が時々国道までやってきて人を襲うらしいのだ。ベ
トナム戦争のしわ寄せがまだ残っているのかと思うと、20世紀の問題がまだ生々しく
て感無量なのだけど、襲われるのは困る。モン族の悲劇を世界に伝えるために来たジャ
ーナリストだなんていって通じるとも思えないし(笑)。で、今、旅行代理店と検討中。
もし詳しい人がいたら教えて欲しい。ぼくは外務省勧告がなんとなく共産化した第三世
界の国への政治的なスタンスから出されているように思うのだが、どうなのだろう。
ベトナムが今や日本人旅行客の巣窟になって相当に荒れてしまっているのを見ると、「最
後の東南アジア」としてのラオスは魅力的だし、辺見庸さんが千年紀の終わりを過ごすな
ら世界で一番静かな首都としてのラオスの名を挙げていた記事も印象に残っている。日本
とはなるべく異質なところにいけばいくほど、日本の愚かな豊かさがよく見えるようにな
るので、ぼくとしてもすれたベトナムやタイなかよりやはり惹かれるのだが。さて、どう
なるか。
武田徹


こういう説明ではどうでしょうか 投稿者:武田亨  投稿日:11月23日(木)17時54分03秒

>文化政策的見地からの保護政策の中で立場を同じくする尾島さんが

 上記の根拠みたいなものですね。
 出版物は多様性・個性が重要なのですが、このことからもたらされるものとして、出版物の製作段階から流通・消費段階に至るまで職人的作業が多く用いられ、その多様性にともなうさまざまな流通上のリスクが生じてきます。このリスクを回避する重要な手段のひとつとして、出版社が合法的に小売価格を拘束できる再販制度というものが文化政策的見地から出版物に認められてきたわけですが、この出版物の独占禁止法上の保護政策の対象は、著者だけではなく編者も含まれています。(包括的保護みたいなもの)
 現在、独占禁止法で保護されている著作物は、新聞、出版、音楽しかありませんが、この保護政策の対象の業種となっている「出版業界」に位置しているということで同じ立場と表現したわけです。本来、出版物については、独創性、多様性、繊細性などが強く求められ、標準化は排斥されます。そういう意味で、廃止となった日用品の再販制度とは異なる理由(文化政策的見地)から独占禁止法上の保護を受けてきた出版業界、しかも肝心要の製作側に位置している同じ立場(もっとかみ砕いて言えば、著者側と編者側)と見ています。でも現実的には、尾島さんの対応を見ていると、武田徹さんとは同じ立場にはまったく見えません。ちなみに私は、この問題を再販制度存続の決め手となる「日経トレンディ・尾島事件」と評しています(笑)。

武田徹さん、不明な点がありましたら、遠慮なくご指摘ください。


 投稿者:武田徹  投稿日:11月23日(木)16時28分07秒

「お気になさらないように」で納得してはいけません(笑)。論理と倫理を問わねば。
ただ武田亨さんの書き込みもここはぼくにはよく分からないですね。
>文化政策的見地からの保護政策の中で立場を同じくする尾島さんが
というくだり。立場同じっていつ分かったの?
武田徹


当方からのメールです 投稿者:武田亨  投稿日:11月23日(木)16時08分29秒

下記が、私が尾島さんへお送りしたメールの内容です。

>尾島さん、はじめまして。武田亨と申します。
>徹さんの掲示板では再販問題評論家という立場を通しています。本日、東京都書店商業
>組合が開催するシンポジウムで先行販売される、岩波書店の新刊(11/21)まえが
>きにて、編者から、そのように紹介されているからです。

>書籍は、伊従寛編「著作物再販制と消費者」といい、私が開催している懇談を伊従氏と>一緒にまとめたもので、私は司会者として参加しております。

>さて、本題に入らせていただきます。徹さんの掲示板に書き込んだとおり、私が尾島さ
>んにお聞きしたいことは徹さんの「断絶」という表現をどのように受けとめているのか、>ということです。

>著作物の再販の廃止を主張してきた再販問題検討小委員会、規制緩和小委員会の方々は、
>「適用除外の明確かつ具体的な理由」を五つあげていますが、そのひとつに「適用が除>外される当該商品に固有の理由があること」というものがあります。

>私は、この理由の中には、著作者だけではなく編者の保護も同等に含まれていると考え
>ています。そうすると、武田徹さんの仕事も、尾島さんの仕事も、この固有の理由に含>まれているわけです。

>故に、文化政策的見地からの保護政策の中で立場を同じくする尾島さんが、武田徹さん
>の「断絶」という表現をどのように考えているのか、是非とも回答をいただきたいので
>す。可能であれば、掲示板で答えていただきたいものです。いかがなものでしょうか。


 尾島さんの返信はけっこう早く戻ってきましたし、「掲示板の議論に参加するつもりもありませんし、義務もないと考えています」という氏の回答の後に、「ぜひ、お気になさらないよう」と付け加えてありましたので、まぁまぁ良識のある方だと思いました。ジャーナリストとしてはどうかと思いますけど。仮に、私の書き込みを見ていないとしても、「断絶」という表現をどう考えているのか、ということについては、氏が答えることは可能だったわけですからね(笑)。


 投稿者:武田徹  投稿日:11月23日(木)14時56分55秒

武田亨さんの質問はかなり専門的なので答えるのは簡単ではないとは思いますが、それにして
もメールで聞かれたことに対して「掲示板を見ていないから答えられない」と答えるのは論理
的におかしいですよね。武田亨さんの質問メールの引用されていない部分には具体的に掲示板
の書き込み内容について尋ねるような文面があったのでしょうか? そうでないのならメール
で聞かれた範囲について答えるか、答えられないならその理由を「掲示板見たかどうか」とい
う特殊な文脈ではなく、一般的に納得できるようにきちんと書くべきでしょう。読者に向かい
あう編集長という責任ある立場ならなおさらですよね。ま、本人の気持ちは「掲示板を見てい
ないから」云々の文面を超えて伝わってはきますが、個人的にはそんな官僚的な言い方じゃな
くてもっと体温を感じる、うまい言い訳しろよーと思っちゃいます。この人は万事が建前論し
か言えないんですかね。
それから武田亨さんがおっしゃるように「断然」は彼がそれを見て自分で書き込んだ元の発言
であり、見ていないというのはどう考えてもウソ!(ここ太ゴチにしたいんだけど、この掲示
板は出来なんだよな)ですよ。そしてその後の書き込みに関しても自分で一度書き込んだ後に
どう議論が発展するか見守らないと言うのは(ぼくはそんなことはまさか無いとは思うけど、
言葉通りに受け取れば)、無責任な書き捨て御免の掲示板荒らし野郎と同じじゃないですか、
そこも責任ある大人の態度としてはかなり問題だな。なんか少し鎮まっていた怒りが再燃し
つつあります(笑)。
そんなことを彼が言っていたという貴重な情報を教えてくれて、武田亨さん、ありがとう。み
なさん、このウソ&ゴーマン&建前論しかない対応も参考にしつつ、今までの議論を振り返っ
てみて、感想メールなどを送って下さいね。みなさんのメール活動なども功を奏して日経ホー
ム出版社内でも今回のことがかなり話題になっているようです(だからこそ、見ていない、答
える義務もないとよけい突っ張らざるを得ないのでしょうが・・・・)。おおげさにいえばジ
ャーナリズム興亡の危機がかかっている問題ですので、ここでうやむやに終わらせて後で後悔
しないように、なんらかのかたちで結果を出してゆこうではないですか。ぼくの感覚ではもう
一押しというように思いますけど。武田徹



尾島さんの回答の件について 投稿者:武田亨  投稿日:11月23日(木)13時10分55秒

 みな様、こんにちは。
 尾島さんから頂いた回答の件をご報告します。私の質問の要点は下記のとおりです。

> 著作物の再販の廃止を主張してきた再販問題検討小委員会、規制緩和小委員会の方々は、「適用除外の明確かつ具体的な理由」を五つあげていますが、そのひとつに「適用が除外される当該商品に固有の理由があること」というものがあります。
> 私は、この理由の中には、著作者だけではなく編者の保護も同等に含まれていると考えています。そうすると、武田徹さんの仕事も、尾島さんの仕事も、この固有の理由に含まれているわけです。
> 故に、文化政策的見地からの保護政策の中で立場を同じくする尾島さんが、武田徹さんの「断絶」という表現をどのように考えているのか、是非とも回答をいただきたいのです。可能であれば、掲示板で答えていただきたいものです。いかがなものでしょうか。

 尾島さんの回答は、申し訳ないが、掲示板を見ていないので答えようがない、というものでした。また、掲示板の議論に参加するつもりもないし、義務もないと考えている、とおっしゃっていました。

 私の感想は、恋は盲目だと言ったシェクスピアが尾島和雄さん、恋は明晰でなければならないと言ったパスカルが武田徹さん。著作物再販問題評論家の立場から、著者たちの主体性や多様な個性の保護政策というものを考えていった場合、小林よしのりさんと柳美里さんの論争よりは、こちらの問題のほうが個人的には興味津々といったところですかね。そういう意味では、「断絶宣言」は、尾島さんの書き込みの前に既に書き込まれていたのですが、私自身は尾島さんの回答に納得できました(笑)。

 今月下旬か来月上旬に、ある月刊パーソナルコンピュータ総合誌の座談会(テーマは、著作物=コンテンツの保護問題等)に出席する予定なのですが、差し障りのないかたちで、この問題とメディア社会論研究者の武田徹さんの一面にふれてみたいと考えています。

疑心暗鬼さんへ
 先日の引用については、私の引用の列記の仕方が相当誤解を招くものであったこと、本当に申し訳ないと思っています。改めてお詫び申し上げます。引用については、疑心暗鬼さんの主戦場(パワートダイ)を、98年6月頃からに頻繁に拝読している人たちのサイトを多数知っていたもんで、そこからも使用させていただきました。今後は引用の列記というものには十分に気を使います。ご指摘ありがとうございました。

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