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LOG39
尾島さんの反論について1 投稿者:武田徹 投稿日:11月11日(土)19時15分03秒
尾島さん。反論ありがとう。
「がびさんファンクラブ代表」さん(それにしてもがびさんって誰? あとあなたが苦言を呈している相手は「尾崎」じゃないよ(笑))が言うように、斉藤さんの本を読んでから書いて欲しかったけれど、書き込みを発見してすぐに行動に出ざるを得ないほど、余裕がなかったということかもしれない。だとすれば、すぐにでも書きこまざるをえないと思ってはやる気持ちに抑えずに対応してくれた真摯さををぼくはまず評価したいと思う。
さてさて、
>私が申し上げたのは
>「ウラ(裏付け)はあるのか。相手は(警察庁)はその事実を認めているのか、
>事実は認めないにしてもそれについて何と言っているのか」です。
これは確かに「広報が認めないことは事実ではないので書くべきではない」とあなたが語ったという斉藤さんの書き方とは随分ニュアンスが違う。もしも本当にこの通りだとしたら斉藤さんの書き方には問題があるとは思う。ただ、その場で何が言われたの事実関係については、斉藤さんとあなたしか知らないことで、斉藤さんは斉藤さんの考える「事実」を本に書き、あなたはあなたの考える「事実」を書き込んだ。斉藤さんの考える「事実」とは違う見方がここに示されたことには、とても意味があると思うけれど、これについては、ぼくたちはもはやどちらが本当の事実なのか確かめようがない。テープでも出てこない限り。だからそれについては、今の時点では議論しない。
ただぼくが気になるのは、たとえば、あなたの言うとおり斉藤さんが警察に事実確認をして、広報がその事実を認めなかった場合、そのやりとりをも記事内に含めれば、あなたは斉藤さんの記事を掲載したのか、ということだ。やっぱり「広報が認めないような事実では記事に出来ませんね」で終わらせるつもりはなかったのかな? そうだとすれば斉藤さんの書いていることと結局は同じことになる。これはあなたの心づもりなので、あなた自身が答えることが出来る問題だろう。
尾島さんの反論について2 投稿者:武田徹 投稿日:11月11日(土)19時13分02秒
>私はジャーナリストならばまずは取材することが基本だと考えています。
>取材もしないで一方的に書きたいことを書くのがジャーナリズムとは思いません。
これはその通り、というかあえて今さら言うことですか、とも思うが。たぶん読売新聞時代のあなたはさぞやいい取材記者だったのだろうと思う。でも言っておくけど、斉藤さんも相当に手堅いジャーナリストですよ。それは困難な取材を幾つもこなしている彼の仕事ぶりを見れば分かることだ。そして問題になっている件に関しても、斉藤さんはきちんと取材して書いていたのだと思う。ぼくはボツ原稿自体を見ていないけど彼がプライバシー保護の問題に関しては、日本で一番取材経験のあるジャーナリストだということは知っている。だから取材が基本だという言葉は一般論としては正しいが、斉藤さんの批判になるとはぼくには思えない。
>「ウラを取る」は基本中の基本です。
これもその通り。でも、きれい事で済ませるべきじゃない。先の件について斉藤さんはウラも取っていると思う。ただ、それがあなたの要求するウラではなかったということではないか。あなたはあくまでも警察の公式コメントを取ることを求めた。その結果によってその記事の運命がどうなったかについては、先にも書いたようにあなたの考えの説明を望みたいけど、もうひとつ、あなたの要求するウラの取り方には問題があるとぼくは思う。たとえば警察ではなく、ある大きな企業の問題を発見したジャーナリストが、この確認を広報に取ったとする。広報サイドはそれが事実であり、大きな社会問題になるとすれば、当然、それを調べているジャーナリストの登場に慌てるだろう。そして事実の隠蔽に走る場合もあるだろう。雑誌が出る頃にはすっかり問題が表面上はなくなっていて、こっちが誤報扱いになってしまうことはある。また更にこれはあってはならないことだが、企業側が手を変え品を変え、その事実が公表されないように画策するということもあるだろう。たとえば雑誌発行元の会社に圧力を掛ける(多くの場合は広告出稿を巡る取引になる。闇社会の力を使ってということも残念ながらないわけではない)。そうなるとウラを取るつもりで広報に確認したことが記事を埋もれさせてしまうきっかけになることもあるのだということだ。もし編集部や会社が圧力に屈せず、取材に基づく事実は公表して行くんだというガッツある組織なら良い(ぼくはトレンディはそうあって欲しいと望むけど、どうなのかな?)が、そうでない場合、広報でウラを取るという作業は、ジャーナリストにとって大きな危険をはらむ。「ウラを取るの基本中の基本」なんてことは、それこそ小学校の新聞部記者でも言えるお題目だ(小学生の記者諸君を差別するわけではないですが)。しかし、記事をとにかく成立させるようにうまくウラを取ってゆくしたたかさは大人のジャーナリズムには必要だろう。斉藤さんの一件でそうした視点が果たして盛り込まれていたかもお聞きしたい。
>「広報に聞け」「広報が確認しないことは書くな」などということを言うはずがありま
>せん。そいう誌面になっていないことは、トレンディを読んでいただければわかります。
申し訳ないけど、これは幾ら読んでもぼくにはわからない(たとえばどの部分がその物証なのか教えて欲しい)。もし、それがあらぬ嫌疑だというのなら、ぼくはやはり斉藤さんの記事(その復活が無理なら、警察とまでは言わないまでも、社会的に影響力のある相手に関して、その問題点を正当な取材に基づいて暴いた記事)を広報のコメントをも含めて掲載し、広報が認めない事実でも報道の価値があれば報道するのだと言うことを身をもって示すべきではないかと思うが、どうだろう。
>掲示板とはいえ、多くの人が読むわけですから、
>武田さんもぜひ事実を確認してから書き込んでほしかったと思います。
事実確認という言葉をそう自分本位に安っぽく使ってはイケマせん(笑)。
>トレンディには広報担当もいませんよ。
これはどういう意味か不明ですけど?
武田徹
まず角川の件。 投稿者:武田徹 投稿日:11月11日(土)09時27分09秒
大学で講義した後、知人のお葬式に出席、風邪気味で風邪薬を飲んでいたことと、痛飲で帰宅後爆睡。知らぬ間にちょっと自分の掲示板が面白い展開になっていた!
まず角川の件。昨日、担当編集者から会って説明したいとの旨、連絡があり、今日の昼間の時間に新宿で会った。彼の説明によれば、初出時に関わった編集者は既に社内におらず、往時に著者とどういうやりとりをしたかを確かめることが出来なかった。過去の出版記録をチェックしたところ、編者の荒俣宏だけの記載があり、他の共著者は無印税となっていたという。それはその本の初出がいわゆるムック的な出版物で、コラムの寄稿者へは印税ではなく、原稿料が支払われたからだ。ただ編集者はそれでもぼくのような共著者に連絡をする必要はあると考えていたが、出版記録に記載がなかったために、その後、手当をせずに今にい立てし待ったのだという。
もちろん著作権の考えを原則的に踏まえれば、たとえ当初に著作権使用の印税ではなく原稿料で支払われていても、それを二次使用する場合には、原著者の許諾が必要であり、それをしないで忘れてしまったというのはミスである。しかしそんな言いにくいことを正直に認めて、告げてくれたことをぼくは高く評価する。というわけで事後的だけれど、ぼくはこれまでの経緯は水に流して、通常の経理上の扱いで処理して良いことを告げた。
ただ彼はこれから他の共著者に対しても許諾を得てゆかなければならない。初出時に依頼しているわけではないので、ゼロから関係を、しかも既に刊行されてしまった本に対して、事後的に築き直す必要がある。これはかなり面倒な仕事になるだろうが・・・。
というわけで、話し合いは結構、簡単に終わってしまい、後は雑談をしていたのだが、ぼくは角川の責任は重いということを強調した。おそらく今、最も先を見て動いていて、それを支える経営体力にも恵まれている日本の出版社は角川だろう。今の角川なら日本の書籍流通システムをイジろうと思えばじれるかもしれないし、ベルテルスマンなど外資との関係を深め、出版をグローバル・スタンダードに近づけることもできる。そしてワールドワイドは無理でもアジア圏の広がりの中で出版という作業を考えられる立場にもおそらくある。そんな角川が次に何をするかは、日本の出版の未来を決定する重要な一歩になるだろう。どうすればいいという答えなどもちろんぼくにもわからないが、選択を誤って欲しくないと切に願う。ナンバーみたいなスポーツ誌や、プレジデントみたいな経済誌を出すのが果たして角川の使命を果たすことなのか。もしかして現社長が妙なハルキ・コンプレックスを持っており、兄に出来なかった会社経営者との義務を果たそうと焦るあまりに典型的な法人資本主義者となって、先を見る目を曇らせなければいいのだが。二番煎じの「みたいな」本作りで先行競合誌のパイを奪うことに躍起になるのではなく、パッケージとしては、たとえば新書とか、文庫本の新シリーズというように既存の形式を用いていても、経営体力を生かして、そこに新しい時代の出版に繋がる新しい要素を盛り込む試みをして欲しい。
たとえば、聞けば角川の単行本編集者は今や年間20冊以上を担当するらしい。ぼくは前に他の編集者から年17冊刊行と聞いて呆れるやら驚くやらしたが、多産に更に拍車がかかっているようだった。月に平均2冊の本を出せる仕事というのは、おそらく「現代」を生きている充実感があるはずで、ある面でうらやましいが、物理的に個々の仕事との関わり、思い入れが相対的に薄くならざるを得ないのは事実だろう。実際、本作りに本気で臨めば著者だけでなく、編集者の仕事も雪だるま式に増えて行く。特に著者と共同して一冊を作り上げて行くタイプの編集者は、もしかしたら著者以上にその本について時間をかけ、思いを込めているかもしれない(それを思うと、たとえ社員編集者の仕事であっても編集権を著作権の範疇で認めてあげたいケースは多々ある)。しかし月に2冊ペースではそうしたスタイルの編集は、正直なことろ出来まい。うまく分業したり、力の入れ方を加減するコツもあるのだろうが、忙殺されていると今回のようなことも起きる。その当たり会社側はもっと配慮出来ないのだろうか。作り手の側の良い本を作りたいという意志が軒昂でなければ、本は生き延び得ないことは確かなのだから。。
そうそう、最後になったけど少し前の「自由の風」さん、書き込みありがとう。でもインターネットがあれば自動的に何かが変わるというわけではない。インターネットを含めてやはり「本の未来をどうするのか」考えないといけないと思いますよ。
武田徹
鏡 投稿者:がびさんファンクラブ代表 投稿日:11月11日(土)06時13分24秒
掲示板とはいえ、多くの人が読むわけですから、
是非とも、斎藤さんの文を読んでからの、尾崎様の
回答を聞きたかったものです。
まずは事実確認を 投稿者:尾島和雄 投稿日:11月10日(金)22時26分29秒
日経トレンディ編集長の尾島和雄です。本人です。念のため。
下の書き込みについて反論いたします。
この書き込みには大きな事実誤認があります。
斎藤さんが書いている「広報に尋ねてください」と私が言ったという点が
そもそもまったく事実と異なっています。
私が申し上げたのは
「ウラ(裏付け)はあるのか。相手は(警察庁)はその事実を認めているのか、
事実は認めないにしてもそれについて何と言っているのか」です。
これに対して斎藤さんがおっしゃったのは、
「確認しても事実を認めるわけがない。聞く必要はない」というような内容でした。
私はジャーナリストならばまずは取材することが基本だと考えています。
取材もしないで一方的に書きたいことを書くのがジャーナリズムとは思いません。
「ウラを取る」は基本中の基本です。
私は斎藤さんの文を読んでいないので、
武田さんが下で書かれている通りならば、という前提付きですが、
斎藤さんもずいぶん一方的なことを書かれたのだなという感想を持ちます。
「広報に聞け」「広報が確認しないことは書くな」などということを言うはずがありません。
そいう誌面になっていないことは、
トレンディを読んでいただければわかります。
掲示板とはいえ、多くの人が読むわけですから、
武田さんもぜひ事実を確認してから書き込んでほしかったと思います。
知らない仲ではないわけですし。
トレンディには広報担当もいませんよ。
本来ならばメールや電話でお話する内容ですが、
あえて掲示板に書き込みさせていただきました。
角川の件は解決 投稿者:武田徹 投稿日:11月10日(金)16時06分51秒
角川の件は担当編集者と直接面談の結果、和解に至りました。現在講義前なのですが、結構実りがあったと思うのでまた詳細は報告します。
武田徹
著作権の未来 投稿者:自由の風 投稿日:11月 9日(木)20時27分54秒
武田さんの投稿のように、角川など出版社と著作者が対立することは、少なくないと思います。
音楽家とレコード会社が対立することも少なくない。
米国のグヌーテラ(PC間でのファイル交換ソフト)の創業者が、「著作権制度が無い時代にも、音楽家は居た」と指摘していたのが印象に残っています。
モーツァルトなどが活躍した時代には、宮廷音楽家というような形で、宮廷や資産家が音楽家の活動を援助していたのです。
今の著作権制度は、アーチストの立場よりも、レコード会社や出版社の利益を擁護するという構図になっていると思います。
才能のある女優やアイドルが、デビューするためにプロデューサーに体を売るなどの場面が小説などで出てきますが、これも、アーチストよりも、それをマネジメントする企業の側、デビューのためのパイプを握っている企業の側が圧倒的に強い、美味しい思いをしているということだと思います。
インターネットは、このような構図を打ち破るパワーをクリエイターたちに与えてくれるのではないでしょうか。
本の未来をどうするのか 投稿者:武田徹 投稿日:11月 9日(木)07時54分08秒
角川から手紙と著者用見本2冊が送られて来る。手紙には「手続きが遅れていた。事後承諾し
てくれ」の一文しか入っておらず、これでは当然、承諾は無理。遅れた理由を説明してくれと
の旨を伝える。
この編集者は著作権の根本が人格権であるということを理解していないのではないか。著作権
法とは人間性を守るものなのだ。しかし日本の出版社が総じて権利云々に疎いかと言えば、そ
うも言えないところもあって複雑だ。
たとえば日本の出版界では「版元品切れ、重版予定無し」という状態がしばしば起きる。これ
は絶版か、といえばそうではない。あくまでも出版権は出版社に残っている。
出版契約書を取り交わす習慣は日本ではあまり定着していないが、契約書を作成したケースで
いうと、その効力は通常3年で、以後は著者からの申し出がない限り、契約書の内容のまま自
動更新となっていることが多い。つまり著者からの申し出がないかぎり、永遠に出版権は出版
社に残るしくみだ。で、絶版としないで、版切れ重版予定無しの状態で置いておき、もしかし
たら未来に出版できる可能性を担保しておく。そうした選択を取っているという意味で日本の
出版社は相当権利に汚い(というと語弊があるが、自分の権益を守ることに実に長けている)
面がある。
しかしこうした商習慣がかつてよりも今は大きな問題になる。たとえば既に書店では買えなく
なった本を、ぼくはインターネット経由で公開したいと思うことがある。しかし版権が出版社
に残っている以上、頒布権は著者ですら自由に行使できない。出版社に申し出て版権をクリア
にしておく必要がある。もちろんそれは手間は掛かるけれど、やって出来ないことではないの
だが、欲を出せば、そんな手間を必要とするような出版契約の結び方をこの際、是正できない
かとも思う。残部の報告を出版社は著者に行い、版元品切れになった時点で、重版の意志がな
ければ、とりあえずそこで出版契約を解除する。で、著作物の使い道は著者に任せる。著者は
他の出版社に売り込みにゆくもよし、インターネットで公開しちゃうもよし。少なくとも版元
品切れ、重版予定無しの生殺し状態に置かないことは本の命を無駄にしないために大事だと思
うのだ。そうした必要性がもっと広く認識されるべきではないか。
日販が中心となって版切れ本を電子本として甦らせるプロジェクトが進んでいるというが、
多かれ少なかれ市場に見放された本だからこそ重版されないのであり、それを復刻して商業
的に成り立たせるのは幾らオンデマンド出版の工夫をしても難しいだろう。過去の作品でも
稼ぎたい気持ちは出版社だけでなく、著者だって持つはずだが、商業的な枠組みの中で活路
を見出そうとしいる限り、いつまでも品切れ本復刻は進まないように思う。で、復刻はそも
そも商業的な作業ではないと割り切ってしまい、ボランティアベースで進めて行く方がいい
のではないか。となるとやはり著者なり、著者の代理人的な人がそれに携わって行くという
のが妥当だろう。そのためにも条件が揃った時点で出版権を会社組織から整然と切り離す必
要があり、今の出版契約の慣行は見直されるべきだろう。もしもそれが出来ていれば今回の
ケースでも著者に戻った権利を文庫本化のために再使用する手続きが必要となり、必然的に
無断での転載はありえなくなったかもしれない。
これは一例だけど、本をどうやって残して行くかを考えて行かないと、今後は相当深刻な問
題になってゆくと思う。先にも書いたけど文庫本にすれば残る状況ではなくなった。目先の
利益を求める出版社経営者の愚かさにによって、ここまで出版点数が増えてしまうと図書館
も網羅性ではかなり怪しくなって行く。時代を超えてどうやって記憶を残せるかという瀬戸
際にぼくたちは立っている。前に朝日新聞にも書いたけど「本の未来がどうなるか」と他人
事のように言うのではなく、「本の未来をどうするか」というぼくたちの意志が問われてい
るのだ。
武田徹
参考資料 投稿者:武田亨 投稿日:11月 7日(火)18時32分24秒
国会には、このような発言が議事録に残っております。
第141回国会衆議院「消費者問題等に関する特別委員会議録」平成九年十一月二七日
(社)日本書籍出版協会理事長 渡邊隆男参考人発言より一部抜粋
「書籍は、著作者の創造的メッセージを広く大衆に伝え、長く後世に残すためのメディアでありまして、(再販制度の)撤廃論者の決めつけるような、需要に応じて供給するというたぐいの消費物とは全く異なるのでございます。日本がかつて世界じゅうからエコノミックアニマルと嘲笑されたことがございますが、金の亡者とでも申しましょうか、弱肉強食、熾烈な価格競争を導く経済至上主義や放任的マーケットメカニズムが招く破綻の末路は、歴史を見るまでもなく明らかでございます。」
この書き込みを下に入れ替えていただければ幸いです。
角川書店は海賊版出版社? 投稿者:武田徹 投稿日:11月 7日(火)14時31分12秒
あーあ、どうしてこう呆れることばかり起きるんだろう。
先日、学生からぼくの原稿を読んだと言われた。聞いてみると、ずいぶん昔書いたものだ。
どうやって手に入れたのか聞くと、文庫本を買ったのだという。文庫本? 嫌な予感が
した。その原稿が文庫本に再録されたなんて話は聞いていない。その学生に文庫名を聞い
て書店で確認すると確かにあった。『知識人99人の死に方』角川ソフィア文庫10月
25日刊。そこにそう長いものではないが、ぼくのコラムが収録されている。許諾した覚
えはない。
編集部に電話をした。返事は「手続きが遅れている、原稿料は文庫本なので5万円にさせ
てくれ」とのこと。これはマジキレた。出版しちゃった後で「遅れている」という表現は
どうか。許諾を取るのと編集作業を平行して取りかかっているような場合ならまだ「遅れ
ていた」という言い分が常識的に許容されるだろう。でも出ちゃったんだぞ。それは完全
にアウトです。売ってしまった以上、どう考えても著作権法違反で、抗弁の余地はないは
ずだ。
しかし編集者にそんな認識は感じられなかった。原稿料払えば大人しくなるだろうと思わ
れたようなのも腹立たしい。もはや原稿料ではなく、著作権侵害の損害賠償料の話をすべ
き時期なのに、である。更に聞いてみると、他の著者にも全然許諾したり、連絡したりし
ていないようだ。出版企画が立ち上がって少なくとも数ヶ月はあったはずで、その間に電
話一本かけられないほど忙しかったとは思えない。刊行して10日以上経った後にこちら
から電話をして初めてようやく連絡が取れるというのは、もう「遅れている」じゃなくて
「敢えて連絡しないで済ませた。気づかれなければメッケものだと思っていた」というこ
とでしょ。こうなると全くもって海賊版の出版方法である。日本国は角川書店のような株
式を公開しているような立派な大手出版社でも海賊版を平気で出すような、倫理果つる国
になったらしい。
確かに今は文庫戦争とか言われていて書店にゆくと文庫売場はすごいことになっている。
聞いたこともない文庫本シリーズが出ているし、既存文庫版元も色々別シリーズを出して
いる。おかげで文庫の新刊点数はうなぎのぼりで、そのために書棚スペースを奪われ、昔
の作品を買うのは至難の業だ。安定的に買えることが文庫の良さだったのに・・・・。そして
気になるのは文庫本の書棚が荒れている書店が多いこと。次々に出てメンテナンスをして
いるゆとりが書店にももはやないのだろう。
文庫本で値段を下げれば売れると考えて、皆が文庫に流れてその市場を荒らしてしまい、
売れるモノも売れなくなっている。書店の荒れた文庫本コーナーは出版デフレスパイラルを
象徴する光景だろう。そんな横並びの選択肢しか思いつかない経営サイドの愚かさが心から
悲しいし、そんな上司にして、編集者ありで、おそらく定められた出版点数ノルマに間に合
わせるために、それでも余計な手間を背負い込まないために、著者との関わりを持たず、海
賊版方式でだって点数を出そうとするのだ。つまり本が著作物だという意識が一貫して欠け
ている(権利云々にこだわるのは実は本意ではない、ただ書き手が苦心して産みだしたもの
であることは忘れて欲しくなかった)。
角川の編集者には、なぜ手続きが遅れたか説明する文書を送れと伝えた。原稿料の話云々は
その後でしか聞けないと話した。彼がちゃんと約束を守って文書を送ってきて、そこに納得
できる理由が記されていればぼくは事後許諾になるが、許諾しても良いと思っている(他の
著者は知らない。結構、うるさい書き手が多い。彼らも無断出版を知ったら怒るだろう
なー)。しかし納得できなかったら、どうしよう・・・・。面白い進展があったらまた報告しま
す。
武田徹