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オンラインジャーナリズム掲示板:期間限定「ネットジャーナリズムはジャーナリズムをいかに変えたか」

期間限定(7/30まで)で「ネットジャーナリズムはジャーナリズムをいかに変えたか」を議論する場とします。7/19書き込みに説明があるので参照してください。 


真理/非真理 投稿者:武田徹  投稿日: 7月25日(金)08時32分15秒

真理/非真理とかいちゃったけど文字になって使われるのをみるとなんかオウムみたいでへんなので、真実/非真実にしましょうよ。ごめんなさい。

↓情報/非情報 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月25日(金)08時07分21秒

>ポスト・モダンな多文化主義を排して

とまるで、優生思想を呼び込むようなカキコをしていた。
誤読される怖れがあるので、追記します。
ルーマンの情報/非情報をポスト・モダンなものとして、捉え、下で大沢真幸に触れた時、三幅対の3】のステージ(多文化主義、多様性)が、1】のナショナル、民族に回帰する危険がある。それならば、宮台真司のようにポスト・モダンを後期近代と捉えて、近代化の徹底をやる。当然、パッチワーク的な言説でなく、手持ちの言葉は記憶と意味に彩られた責任を負う「真理/非真理」的な敵を多く作る生き方になると思う。
多様性の隠れ蓑で、公正中立の犬死言説の弱さの慰安だけで、安住出来なければ、仕方がないと、思ったのです。
ちなみに私の歴史認識が現代をポスト・モダンとつかまえて否やに拘わらず、性向というか、生き方が私自身、情報/非情報的なパッチワーク、八方美人的であると、認識している。下で時々、マスにクレームする友人の事を書きましたが、彼はまさに、私が知り合った高校時代から、「真理/非真理」に拘泥する男であった。
だから、彼によく言われまた。「お前の正体がわからない」
でも、親友であることは間違いない。彼は高校時代、新聞部員で丁度、60年の安保時です。そうそう、フォットジャーナリストの広河隆一氏が彼のメルマガに書いていた。
高校生達が大阪御堂筋をデモしたのです。私はこの季節が終わった二学期に呉から大阪の高校に転校した。友人と広河は同じ高校新聞部員だったのです。私はその事情を去年まで、知らなかった。にも拘わらず、ヒロプレスには登録していたのです。
「高校時代の広河はどんなだった?」と、40年振りに卒業アルバムを発見して、新聞部室内で肩を並べた友人と広河の写真を見やりながら訊いたが、意味深な笑いで、「そう言えば、お前に似ていたな、猪突猛進型でないことは間違いない」。
彼は40年近くも、紛争地帯で写真報道発信してフォットジャーナリストとして確固たる地位を築いている。風来坊の私と比べる彼の皮肉に私は苦笑しました。
ジャーナリストとして、武田さんが紛争地帯に行こうが行くまいが、「真理/非真理」を選択した方が、生き方としてハードではないか?
多分、紛争地帯の場面で生き残るために、「情報/非情報」のスタンスで発信するのがスキルとして必要なのであろう。
丁度、最新の彼のヒロプレス「何故、私はシャッターを押さなかった〜」のメルマガが届いていた。武田さんだったら、シャッターを押したんではないかと、「真理/非真理」の覚悟をみて、そんな風に思ったのです。

葉っぱ64さん 投稿者:武田徹  投稿日: 7月25日(金)07時57分55秒

自分に対してはどう考えるかはまた別の話ですが、他の人に対しては、たとえ不幸にも自己慰安にすぎない書き込みであったとしても、だからやめろというつもりはないです。書き込んで自分を慰め、癒して、自分が活性化されるんだったらそれでいいじゃないですか。自己慰安でなくなるための方法をすこしずつ作っていけばいいんです。そのための議論の場ですので、少なくとも今は遠慮なしに書いてくださっていいんですよ。

気兼ねしないで、思い切った判断をして下さい。 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月25日(金)02時55分54秒

>無様なほどとても近代的な考え方だと思うけれど、その無様さに踏みとどまらないとジ>ャーナリズム自体が存在しえないのではないか

一ヶ月以上前の「犬死に」発言は私の中でも、重く澱となって、いまだに胸底深く沈殿しています。BBSの書き込みは自己慰安であったかどうか、blogのカラオケ説が出るくらいですから、多分にその傾向があったのでしょう。

BBSの公共圏を都合良く解釈して、甘えの書き込みをしたかも知れません。管理人にとって、BBSは時として、リアルな表現媒体と比肩するメディアで、記憶を刻印出来る画面であり得ると確信を持ち続ける事は多大な忍耐力を要するなのだろうと、遅ればせながら、過去ログをピッグアップして拝見しました。
時系列で、スレッドがツリー状になっていなく、トピック毎に読む事が、かなわないのか、忍耐が続かず、途中で完読するのを諦めました。
ひたすら、書き込む武田さんの一生懸命さが伝わってくるが、その流れを無視して、無自覚に飛び込む訪問者が時には出てきて、カキコする。それに対して武田さんは結構、丁寧に対応している。私自身、そのようなカキコをしたのではないかと、自ら顧みて気になったが、「公共圏」とは何だろうと思いました。
思い切って、敷居を高くして、BBSに採用する基準は武田文脈を補完するアイテムとしてのみに限定する。勿論、取り上げるテーマーなり、スレは他の投稿者のものでもあり得る。
その採用を武田さんの責任と自由に任せる。近代化の徹底である(真理/非真理)。
私はBBS体験は数ヶ月で、blogのことも知ったばかりなので、今までどおり、WEB上でお付き合い願いたかったが、残念である。
でも、何年もかような掲示板を運営してきたのだと思うとそんな虫の良いリクエストは出来ないだろう。メルマガ方式もあるが、出来うるなら、ポスト・モダンな多文化主義を排して、私たちの声が武田文脈に回収されても、良しとするシステムを受け入れる。
そんなことも考えました。極論すれば、公共圏であっても武田さんは暴君として振舞、投稿者アップの権限を持つ。そんなマニフェストを提示したらどうだろう?
無様までに近代化を徹底するなら、武田さんの哲学を前景化してやるしかない。

blogは鍛えられていないと思う 投稿者:yama  投稿日: 7月25日(金)00時28分50秒

いつも拝読していた者です。最後の機会になるかもしれないとのことで、
blogはなぜ弱いのかを考えてみました。
月並みな意見ですが、一言でいって消費者に鍛えられていないからではないでしょうか。
誤報のニュースにblogがリンクを張っても、blog管理者は責任をとらないでしょう?

だから、誤報を掲載したblogについては、もっとバンバン抗議をすればいい。
直接抗議メッセージを送るだけじゃなく、他のblogもバンバン攻撃すればいい。

とはいえ、攻撃を受けても、blog管理者はせいぜいが「生きがい」を奪われる程度で
生活手段を奪われる恐れがあるわけじゃない。
「謝って済むなら警察はいらない」という世界にあるのがblogだと思う。
blogはマスメディアほどに、あるいは一次情報を提供するジャーナリストほどに
消費者に鍛えられていないし、blogが趣味の範囲である以上、原理的に
鍛えられないという構造があると思う。

そうじゃない、blogはもっと質的に新しい個のメディアなのだ、というなら、
マスメディアのニュースなどにリンクを張る行為は筋が通らないと、私は
思っています。

弱さについて  投稿者:武田徹  投稿日: 7月25日(金)00時05分43秒

web上にもいい議論はたくさんある。正しい指摘、礼儀正しい意見交換と建設的な止揚もある。身近なところで得たいい情報提供をしているblogもある。でも、どうしてだろう、そこに力強さを感じない。これでマスメディアを変えてゆけるという力がない。アクセスの数ではかれるものとは違う強さ。「怪文書」扱いをさせない強さ、一度見たらその存在感が印象に残って忘れられなくなる強さがネットメディアにはない。ルーマンはマスメディアを情報/非情報の二分法コードで動いてゆくシステムだと考えた。ジャーナリズムシステムをそのシステムとは切り離し、真理/非真理のコードを持ち込まなければだめだとぼくは『戦争報道』で書いた(無様なほどとても近代的な考え方だと思うけれど、その無様さに踏みとどまらないとジャーナリズム自体が存在しえないのではないか)。こうしたシステムの組み替えはネットの力では出来ないのだろうか。余りにも力が足りないのだろうか。
これは物証を持って語れない、本当に印象批評の最たるものだけど、無力感にぼくはいらつく。一ヶ月前ぐらいから「言葉が犬死にしている」と書いた。まさにその感覚。慰戯というパスカルの用語を思い出す。書き手の真摯さが分かるだけに儚さがもどかしい。こうした感覚もあるいは文化の問題で、時が移れば変わってゆくのだろうか。リアルメディアが衰退することで勢力図が変わるのだろうか。
弱さを認めた上で続けるということももちろん出来る。でも、それは他の人に任せてもいいのではないか・・・・と考えてしまうのが掲示板を閉じたくなってしまった理由のひとつ。ここをどうするかは別としても、どうしたらネットメディアが力を持てるのか、可能性ぐらいは指摘したいのだけれど。

本当にお久しぶり  投稿者:武田徹  投稿日: 7月24日(木)19時54分26秒

井上くん、書き込みありがとう! 前も何度も書き込んでくれたし、この掲示板をすっかり私物化してぼくが体調のことで弱音をはくと、知恵をさずけてくれたり、励ましてくれましたね。ありがとう。
「次の世代の脳みそを育てる」と言ってくれるのはすごく嬉しい。でも責任の重大さを改めて思います。その責任をぼくは少しでも果たせてきたのだろうか。
確かにきみたちのように実際に教えた人たちにとって、ここは、社会に出てからも時々立ち寄って、学生時代の気持ちを一瞬思い出したりもしながら、考えを暖めたり出来る場所だったのかもしれない。そういう場所を作り続けたい気持ちはぼくにもある。妥協案として掲示板ではないスタイルの個人的なネットメディアで、という選択肢はうっすらとひとつの可能性として考えてはいるんですが・・・・。

われわれはいかに育ったのか 投稿者:井上 貴文  投稿日: 7月24日(木)18時54分34秒

お久しぶりです。
武田先生の問題提起について私自身の経験を述べます。
この掲示板での論理的なエセーとでもいうべきひとりの表現者の定点観測がもたらしているものは、単に情報提供にとどまらず、考える機会の提供であると思います。
論壇や「知識人」が力を失い(代表的な視座が消滅する一方で)情報が氾濫するなかで、マスコミタブーから(ほかよりは)自由で、同時的である素材を、ひとりの哲人が様々な角度から考えるヒントを提供していることは、事件・事故の初期段階での緊張感という臨場感の重要度が増している現在にとって貴重な場所でありつづけていると思います。
たしかに、戦況を変えることはできないかもしれない。しかし、その無力感も、そのなかで考え抜いた姿勢に参加した経験は次の世代の脳みそをバランス良く、たくましく育てるように思うのです。

廃墟より 投稿者:武田徹  投稿日: 7月24日(木)16時19分06秒

>武田さんは「廃墟の地点」から、「報道の問題」を考えているのだろうと、思っている。

そうか、ぼくのいる場所って廃墟だったのか。なんか格好よさげなのでそう言われると嬉し恥ずかしですが、廃墟に暮らす人の眼に廃墟は果たして廃墟として映るのだろうかなんて考えました。

期間限定はあと6日。で、これは寝耳に水かもしれませんが、この限定期間終了がこの掲示板自体の終了に繋がる可能性があります(まだ未確定ですが、半分ぐらいそうしないといけないかなと思っています。ぼくがそう考えた理由ーーあくまでも僕個人の生活上の物理的変化という外在的な理由ですーーについてはそのうち機会があれば書きますが、逆にみなさんはどう思いますか?と、聞きたい気持ちも。この「期間限定」以前からオンラインジャーナリズムの語を標榜し、ある意味weblog的でもあったこの掲示板に、いかなる価値があったのかは「期間限定」のテーマとも重なるので、話題の一つにしてくださってもいいですよ。その流れ次第では・・・自分自身が考えを変えるのではという期待を自分でしたりもしていて)。
とはいえ、もしかしたら本当に最後の最後になるかもしれないので、昔、書いてくださった人、今までROMだけだった人も書いて、ゲストブックじゃないけど、何か刻印を残して欲しいですね。

 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月24日(木)10時20分08秒

加野瀬さん、

さっそくのRES、有難うございます。
後で、ゆっくりとHPを見させてもらいます。
私はPC初心者で、メカ音痴でもあるので、インフォテックな読解でなく、
野村一夫さんの『インフォアーツ論』で言うインフォアーツ的な読み方しかできないのです。この年になると、情報技術力(インフォテック)の向上は無理でしょう。

ツール問題 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月24日(木)10時04分49秒

>そのへんの現状認識が一致せずに話を始めるとかみ合いにくいのでは、と思いました。
どうもマスジャーナリズムのほうは変わっていないような気もしますし
それはいわばツールの問題に過ぎず、深層部分に変化がないように思うのです
産経新聞が朝日新聞のようにはならないし、
主義主張に与える影響はまだ表層にはっきり現れてきていません。

ツールの問題で、深層部分に変化がないなら、悩む必要はないのですが、武田さんを始め他の方はどうか分かりませんが、極論すれば、サンケイもアサヒもフェーズの顔面が違うのであって、深層で通底しているのではないかという認識があるのです。
別にそれはツールの変革だけによってもたらされたわけでなく、そもそもの、ラジカルな部分がツールの技術進歩によって、見やすくなったということではないでしょうか?
丁度、昨日、手に入れたばかりですが、大沢真幸の『文明の内なる衝突』で、今日、倫理に関する社会哲学は、相互に反目しあう三つの陣営にほぼ整理する出来るとして、
1】コミュニタリアン、宗教原理主義者、ナショナリスト、伝統
2】普遍的形式主義者、虚妄の戦後民主主義者、モダン
3】多文化主義、多様性、相対主義、ポストモダン
分類した上で、弁証法的な三幅対を構成しており、三つの立場は相互に他を批判してあうような敵対関係にあるのだが、しかし、緊密に結びついているとの認識があるわけです。
オウム事件、9/11テロ以降、それが、表層に漏れだして、潜在癌かもしれないが、ITのような先端技術によって、「意味らしい発見」をしているのですよ、
そこまで、精密検査をする必要があるのかと、疑問がありますが、医者であれ、人文科学者であれ、身体を時代を読むわけです。
小林よしのりの反米愛国とか、シビィック・ナショナリズムとか、3】のポストモダン主義者達がより過激な民族主義者に回帰する事情とか、ニューヨークテロはかような幸福な隠蔽を露出させたわけでしょう。
『マトリックス』で管理社会への抵抗運動のリーダーがキアヌ・リーブスに言ったセリフ
「現実界の砂漠にようこそ!」は見たくないけど、無理矢理、外部を見たわけですよ、
勿論、文学者は想像力で外部が廃墟であろうと、そこから、発信するし、ジャーナリストは現場を足場にして、何とか接木の想像力でやり果せようとする。(このあたりの苦悩は武田さんがベトナムの開高健に触れて記述している。)

私は入院生活で介護の監視の下に、本音を言えば、安逸な日々を過ごし、今も患者として、経過観察の暖かい目に守られて、病院通いしているわけです。
フランスのテレビ番組『ロフト・ストーリー』は高視聴率だったらしいですね、
アメリカ映画『トゥルーマン・ショー』の現実版で、沢山の公募の中から選ばれた十一人の若い男女が周囲から隔離された完全設備のロフトに閉じこめられ、すべての部屋にカメラを設置して、彼らの行動は24時間撮影される。テレビ視聴者はこれら参加者の私生活をただ、覗きみるだけである。大沢氏が注目しているのは、高視聴率でない。3800人の応募が第一回にあったということである。
誰かによって仕組まれた虚構の世界の中におかれ、常時、監視されている方が安心であり、快適ですらある。その逸楽は身にしみてわかるのです。(自嘲)

武田さんは「廃墟の地点」から、「報道の問題」を考えているのだろうと、思っている。
文学という表現媒体も選択肢の一つだと思うが、あくまで、ジャーナリストとして「やってみよう」という一人一党の振舞を感じるから、
私はこのサイトに御邪魔し始めて、饒舌にカキコをしているのだと思う。
書きすぎて、御免なさい。

Weblogとジャーナリズムについて 投稿者:加野瀬  投稿日: 7月24日(木)09時05分59秒

自分のサイトで書いたのは感想程度のものだったので、
議論の邪魔になると思い、こちらの掲示板には書きませんでした。

Weblog関連については、いい機会なので整理してみます。

まず、Weblogとは何か?
現在Weblogツールを使ったサイトを「Weblog」と呼ぶ傾向がありますが、
これは狭義のものです。
広義のWeblogは「繁盛にテキストが更新されるサイト」でして、
このWeblogを楽に管理するツールとしてWeblogツールが登場したのです。

そして、マスメディア上において、Weblogとジャーナリズムを結びつけて
語る論調をよく見かけますが、これは日本国内のネット事情を知らずに
語られていることが多いです。
もともと個人サイトが注目されていなかったアメリカと、
個人サイト文化が発展している日本を一緒に語ることはできません。
日米の差に関しては、こちらが詳しいのでご覧ください。
http://www.zdnet.co.jp/news/0305/07/cjad_horikoshi.html

以上をふまえたうえで、Weblogとジャーナリズムに関して簡単にまとめると
「Weblogツールの登場によって個人が商業ニュースサイトのように
見栄えのよいサイトを楽に作れる環境になった」
ということだと考えます。

ビジュアルデザインはメディアに対する信頼性を高めるものの一つです。
活字と手書き文字だったら、活字のほうが信頼性が高いように感じます。
また、しっかりレイアウトされた印刷物と、ワープロで印刷しただけのようなものなら、
レイアウトされた印刷物のほうが信頼度が高く見えます。
以前は一般人が印刷物を作ろうとしても、低コストで見栄えのよい
印刷物を作るのは難しかったですが、DTPの普及によって、
商業出版物と変わらないものを作るのは簡単になりました。
Webでも、商業ニュースサイトのように記事をジャンル分けしたり、
常にトップに最新テキストが置かれるような形態のサイトを作るのを
手作業でやると大変面倒なので、企業は高価なツールを開発して使っていました。
それが、無料で配布されているWeblogツールでできるようになったのです。
印刷と似たことが、Webパブリッシングでも起きていると考えると
わかりやすいかと思います。
しかも、Webの場合は印刷よりもコストは大変低いという利点があります。

どういうことができるのかというわかりやすい例として、
自分のサイトを新聞社のサイト風にしてみました。
見出しはわざと新聞のようにしています。
これは記事のデータ自体は何もいじってなくて、
表示するテンプレートを変更したものです。

新聞社のサイト風
http://artifact-jp.com/news.html

オリジナル
http://artifact-jp.com/

JANJANには驚いた^^; 投稿者:上田 勝  投稿日: 7月24日(木)00時30分54秒

JANJANというのはまさにNPO的ジャーナリズムの先駆けですね。市民派感覚のインターネット新聞という印象。経営主体の日本インターネット新聞社の取締役には錚々たる人物が並んでます。そのメンバーの顔ぶれに対して、市民記者の書く記事を発信するという一見「青臭い」形態とが今一つ噛み合わない気がしますが、このJANJANの設立目的って一体何なのでしょうか。

内容を見る限り、一般紙の「読者投稿欄」をそのまま新聞にしてしまったような感じですね。インターネット新聞だけなら資本金は一億もいらない気がしますが、月刊誌も発行する予定ということですから、この月刊誌の発行が経営上の主目的と見るべきなんでしょうか。

武田さんや他のジャーナリストの方々は、この「市民記者」という考え方についてどういう印象をお持ちなのでしょう。これまでなら、情報を持つ個々人に取材し、記事を書いて媒体に掲出するのが主な仕事なんですよね。ところが「市民記者」という考え方でいくと、情報を持つ人々が自ら記事を書き発表するという媒体と情報提供者が直接結びついてしまうことになります。

もちろん、ジャーナリズムを報道のみに限定するとボランティア中心の「市民記者」が増殖しても一向に問題はないのでしょうけれども、本多さんが触れられたように、職業人としてのジャーナリストの地位が揺らいでいく一つのきっかけになっていくのかもしれない。どうも昨今はその「職業人としてのジャーナリスト」への不信感が広がっているようにも思われます。その原因を作ったのは多くの場合、既存のマス媒体の経営上の硬直性にあるんでしょうけれども。

ロムっているだけでもおもしろいですね 投稿者:pipi姫  投稿日: 7月23日(水)22時34分33秒

こんばんは、
こちらでおもしろそうな議論をされていると聞いてやってきました。
しかし、やってくるまでに3日かかりました(汗)。
なにしろ大量の書き込みがあるし、リンクは張ってあるし、で、
読むのにえらい時間がかかってしまいました。

さて、議論のタイトルが
「ネットジャーナリズムはジャーナリズムをいかに変えたか」なので、
ネットがジャーナリズムを変えた、という結論がまずあるのですよね。

そのへんの現状認識が一致せずに話を始めるとかみ合いにくいのでは、と思いました。
どうもマスジャーナリズムのほうは変わっていないような気もしますし。
変わったのは記者たちの情報収集の方法(図書館からネットへ)であって、
それはいわばツールの問題に過ぎず、深層部分に変化がないように思うのです。

というのも、ネット社会になったからといって
産経新聞が朝日新聞のようにはならないし、
主義主張に与える影響はまだ表層にはっきり現れてきていません。

ツールの変化が記事の文体や内容そのもの、
主義主張思想性にまでどのように影響を与えたか、
それのへんの事情を武田さんをはじめとした
ジャーナリスト方々に分析していただきたいと期待します。

ネットの普及は単なる「ツールの変化」以上のものを
ジャーナリズムにもたらしているというのが
武田さんの現状認識でしょうから。

葉っぱ64さんのblog=カラオケ説はおもしろいですね。
わたしはカラオケ大好きなので(そのわりにしませんが)、
秀逸な比喩だと思いました。

あとですね、2ちゃんねるのような掲示板までジャーナリズムの一種だとは
わたしには思えないのですが。
あの掲示板は頭が痛くなるのでほとんど読みません。

ネット上の情報は一過性のものだと思って読んでいるので、
あまり印象に残らないことが多いです。
そういう、「同じ文章を読んでも記憶にひっかかりにくい」という
Webの特質も、情報発信(受信)の一つのネックになっていると思います。
似たようなことをどなたかが書き込んでおられましたね。

まとまりのない文章で失礼しました。
単なる感想文に過ぎませんが、あと一週間の議論を楽しみにしております。

http://www.eonet.ne.jp/~ginyu/


ARTIFACT 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月23日(水)18時31分45秒

blog=カラオケ説に反応がなかったのかと、思っていましたが、
偶然、ネット・サーフインしていたら、加野瀬未友という人のサイト『ARTIFACT』(人工事実)で、書き込みがありました。
http://artifact-jp.com/
かって、新聞投稿を浅羽通明氏がカラオケと比べて論じたことがあったような気がすると書いていました。言われて見れば、な〜るほどと、思いました。
若い人らしく、このサイトで面白い論争が書き込みされているが、
新聞はやっぱり、縦書きの方が読みやすいと思っている世代の人達が主に参加しているので、
ボクのように横書きが良いと思っているものにとって、ちょっと、違和感があるみたいな事を書いているが、この場に直接、書き込んで欲しいです。
BLOGから見たネットについて訊きたいなあ。

JANJAN 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月23日(水)13時23分28秒

そう言えば、本多さんが紹介してくれたhttp://www.janjan.jp/index.php
去年、発足されたばかりなんですね、NPO型のインターネット新聞として、
どんな、評価と実績を残しているのであろうか?
概要によると、●『JanJan』の経営形態

1−『JanJan』の性格はNPO型市民メディアです。
  ただしNPO法人は設立等に認証機関として政府が関与する余地があり、独立性を保つため、経営はNPO型株式会社『日本インターネット新聞(JIN)社』があたります。
2−『JanJan』の運営は次の委員会が担当します。
  ・編集委員会 『JanJan』の編集に関すること
  ・記者委員会 市民記者の募集、研修に関すること
  ・アドバイザー委員会 アドバイザー会議に関すること
  ・サポーター委員会 サポーターの募集に関すること
3−『JanJan』の運営経費は、出資金、協賛金、広告収入で賄います。
 資本金は一億120万円ですか、結構、大きな組織ですね。
 このJANJANとの対比と検証から、武田さんの「ネット・マス」の具体像が見えそうな気がします。
 まず、本多さんにもっと、詳しく教えてもらいたいものです。

RE:カラオケ 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月23日(水)09時57分09秒

>一次情報の解説や解釈だけであれば、それはジャーナリストではなく評論家が増えていくということでしかありませんし

多分、偽カラオケ・ビジネスは素人評論家に場所を提供してカキコし、投票判定したり、プロの評論家に講評してもらうというWEB報道カラオケ道場なのでしょう。自分でカラオケのRESをやってしまいました。
上田さんのカキコで私の中で問題のありようが、ある程度、明確になりました。
重要な検討すべき点がピックアップされていますね。

ヒール役かヒーリング 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月23日(水)09時21分32秒

「報道物語」であっても、物語つくりの基本は「しあわせ」についても、「不幸せ物語」を通してしか表現できないし、いじめ/いじめられ、(○/×)で、ヒール役を捏造するしかないのをリアルに直視することは必要でしょうね。本多さんの言うように一方で、マッサージ・チェア(ヒーリング)の機能を果たす記事に対する需要はある。悪役の登場しない「寅さん映画」ですか、プロレス/寅さん、でもない報道の出力でアクセス数を増やすのは確かにムツカシイ。ところで、武田さんの「お約束」(信条)は『暖かい義理』だと思うが、どうなんですか?

ではどうするか、の先 投稿者:jian  投稿日: 7月23日(水)05時02分08秒

>「NPOでやっているメディアウォッチみたいなものをWEBで.....」というのは面白いし、たいへん意義があるでしょうね。

なんて言っておきながら.....なんですが、
いわゆる‘報道’なんてのは、個人なり共同体なりの‘お約束(思想・信条etc.)’が前提にあってのモノだと理解しています。

だからヒール役的な(?/笑)極論を言ってしまえば(大汗!)、
‘正確さ’および‘信頼性’の確保なんかよりも「どれたけの共感を得られるか」なんじゃないでしょうかね(滝汗!)。
編集済

r e : みなさまはどうなのでしょうか? 投稿者:jian  投稿日: 7月23日(水)04時38分25秒

> パソコン上で読む文章も紙面に印刷された文章も同じように読んで理解できますか? 私は無理なのです。

ワタクシメもなかなか苦労しています(笑/恥)。でもこれって以外と単純な理由で理解しづらいのではないかなぁ、と思ってます。

‘プリント・アウト’する時って、ワープロ(文書エディター)・ソフトで、文字の大きさや書体、改行位置や行間を直したり、1行の文字数なども読み易く調整してたりしますよね。
これがwebの.....殊に掲示板なんかだと、システムに依存する条件と、書き手の任意による記入方法ですから、尚のコト理解しづらい傾向にあるかもしれませんね。

新しい作りのサイトなんかですと‘スタイル・シート’とかいうモノで、文字表記の各種設定が細かく出来るみたいです。デザイン・センスのある方が作ったページは、テキストも読み易く=理解しやすく思いますね。


> 印刷された文章を読んでいる人の脳とパソコン画面上の文章を読んでいる人の脳を比べたところ、活動しているところがかなり違う、という結果がでていて、すごく納得したことがありました。

縦書きされた文書と、webページで主流といえる横書きの文書、同一の内容での脳の状態や理解度の違いなども興味が湧いてきました(笑)。
編集済

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