武田徹Official Web Site--オンラインジャーナリズム掲示板
LOG132

戻る


オンラインジャーナリズム掲示板:期間限定「ネットジャーナリズムはジャーナリズムをいかに変えたか」

期間限定(7/30まで)で「ネットジャーナリズムはジャーナリズムをいかに変えたか」を議論する場とします。7/19書き込みに説明があるので参照してください。 


r e : ではどうするか 投稿者:jian  投稿日: 7月23日(水)04時21分48秒

『たとえば』にあります「NPOでやっているメディアウォッチみたいなものをWEBで.....」というのは面白いし、たいへん意義があるでしょうね。

ただ、ウェブ上の.....というコトであれば、1つのチャンネル(権威の有無によらず)で発信されるのは、とっても効率が悪いんじゃないでしょうかね。


えぇ、余談(?)ですが、ワタクシメが書きました「匿名、信ぴょう性」「玉石混淆.....」あたりのコトは『オンライン上のジャーナリズムを考える(実践と考察)』(http://member.nifty.ne.jp/t-takeda/special.htm)に、的確かつ適切かつ簡潔にありましたね。すみません、お恥ずかしい(笑/恥/汗)。
編集済

もう一つの具体例 投稿者:本多 和治  投稿日: 7月23日(水)04時14分02秒

寝ようと思ったのですが、一つ思い浮かんだことがあるので書き込みます。
少し前の事件ですが、super freeについて。
このサークルについては、2chのスレは見てないんですが、一般の人でも見れる掲示板に
危険性を警告するような書き込みが警察の摘発前にあったようです。でもいわゆる既存の
マスコミは黙殺していて、この情報はそれほど広がらなかったようです。問題になるのは
このような情報ではないでしょうか。警察が容疑者を摘発するまで無視。大々的に報じられるようになったら、悪口を書き連ねて原稿料をもらえば良い。下のほうで出ていた勝谷氏のようなライターさんにとってはそれでいいのかもしれませんが、当事者にとっては後の祭りではないでしょうか。一人だけの書き込みだと真偽がわかりませんが、今回のような集団的で継続的な違法行為の
場合、関係者の声が集まればある程度の目安になると思います。例えば関係者が書き込むための
掲示板に実際に関わった人たちを誘導して書き込んでもらったり、その内容を今後関わりそうな人に向けて発信したり出来れば、被害の拡大の抑止に役立つかもしれません。

仮想報道(週刊アスキー) 投稿者:本多 和治  投稿日: 7月23日(水)01時21分45秒

今回のテーマを考えるには、次のサイトのコラムが非常に参考になるでしょう。
http://wam.ascii.co.jp/regular/kasou/
仮想報道と言う週刊アスキーの創刊号から続くコラムで、ウェブ上で全部読めるようです。
ネットニュースの信頼性をどう担保するかという話もバックナンバーの272でちょこっと出ています。掲示板に関しては酒鬼薔薇事件の時に主な問題点は出尽くしたという立場のようです。(量が膨大なので、どこかに言及されているかもしれませんが)
 私自身の考えとしては、例えばヤフーオークションを普通に利用する人にとっては、ヤフーのような比較的政治的な偏りの少ない団体と一般の読者が信頼性を評価すれば、とりあえずはいいのではという感じがします。(かつての東スポが裏の取れない記事で人気を集めたように、確証がない
記事は、確認できていないということを明記して載せればいいだけの話ではないでしょうか。)
 でも本当の問題はアスキーのコラムのような少なくとも情報を収集しようという意欲が旺盛な記事が人気がなく、武田氏の言うようなアームチェア(マッサージチェアでしたっけ)の機能を果たす記事が多くの読者を獲得するということでしょうか。

ジャーナリズムは非営利で成立しうるか 投稿者:上田 勝  投稿日: 7月23日(水)01時10分32秒

インターネットが発展しもたらされた変化の中に、コミュニケーションがマスからパーソナルへと劇的な変容があったように思います。それ以前には同報性に優れたマス・メディアを通じて企業と顧客の関係が維持されていた。今や消費者と個対個のマーケティングを積み重ねないと個別多様化する消費者のニーズを推し量れないようになっています。しかしながらジャーナリズムは本来的にニーズありきではなくシーズが先にありきですから、基本的にはマスへの情報提供が主流であることには変わらないのでしょう。

ネットが情報収集手段としては最適でも、報道媒体として果たして優れた伝達手段であるのか、正直言ってよくわかりません。「情報請負業」として、知りたい情報のみを個別に提供してくれるというのであればネットの双方向性は活かせるように思いますが、そもそも報道に双方向性が本当に求められているのかがよくわからない。提供された情報にクレームをつけたり反論したりがオンデマンドにできるということにどれほどジャーナリストがメリットを感じるかと言うと、むしろそれをデメリットとして捉える場合が多いのではないかと思います。

ジャーナリズムも所詮は営利であろうと考えるのですが、ネットジャーナリズムで営利を追求しようとするとそれは会員限定でしかありえず、それでは紙媒体に転写された情報を購入してもらうことで伝達するオールド・ジャーナリズムと全く変わらない。かといって2chなどのように根拠の定かでない噂話ですらまことしやかに語られる場においては情報の信憑性が確保できない。ある意味ジャーナリズムにお金を支払うのは、その情報が信頼しうるという評価が前提にあってなされることです。一次情報の解説や解釈だけであれば、それはジャーナリストではなく評論家が増えていくということでしかありませんし、苦労して得た一次情報を非営利の活動に提供するというのは現実的には困難ですね。

そういうわけで、ネットジャーナリズムを従来のジャーナリズムと対等かそれ以上の存在に仕上げていくには、武田さんのご指摘されたような「NPO」的ジャーナリズムがインターネットにおいて最も親和性が高いということになるんでしょうね。非営利でありながら信頼性を確保しようとすると、多くのジャーナリストがそこに集い、社会的信用を背景に活動していくしかない。

しかしあえて言わせていただくと、やはり営利が確保できないと発展はしないと思います。ネットジャーナリズムがジャーナリスティックな活動のいわばポータルサイトとして成立し、情報毎に取材した人間のみならず、事件に遭遇した当事者が自身をソースとして情報を提供する。その要約を見てマス・メディアがその情報を購入したり、出版契約を結んだり、より掘り下げた情報を求める人々に有料で提供する。その一方でマス・メディアにおいて編集上の制約から漏れ出た情報にアクセスする機会を提供できるなら、ネットジャーナリズムという新しい「媒体」がマスとパーソナルをつなぐ役割を得て確立できるような気がします。マスかパーソナルかというより、マスとパーソナルをいかにつなぐかが議論されるべき部分かと。

http://www.d5.dion.ne.jp/~twenty/


たとえば 投稿者:武田徹  投稿日: 7月22日(火)23時34分16秒

慶応の草野厚さんがNPOでやっているメディアウォッチみたいなものをWEBで出来ないでしょうかね。あれもリアルワールドでやると審査委員の傾向でバイアスが入るので、そういうのを排除出来るような自己浄化力というかダイナミズムをネットの世界で持たせる。ネットがビジネスモデルの問題で恒常的な取材力を持つのが難しく、報道された情報に対して二次的に、つまり評論家的にしか関われないのだとしたら、こういう関わりもマス+ネットのありかたかも。ただ2ちゃんのようにみんなが勝手に言う、面白いことだったらお祭りにするというのだと、やはりマスジャーナリズムとはまだうまく「接続」できない(今までそうした批判力が有効には機能してきていないように思える)ので、ある程度、きちんとして組織形態にする(それでも必要な運営に関するリアル部門はやはりNPOでもいいですね。それが母体になってwebを経営するとか)。そこでメディアウォッチを行い、その批判や指摘とかが権威を持てるように求心力を持たせる。ってのは夢ですかね

↓↓ 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月22日(火)21時53分26秒

どうも、「ネット・マス」の全体的な構築物を目指すような立体構造的な方向性を、先に仮構でも提示して置かないと、前に進みませんね。2ちゃんねる的な、又は東浩紀的なものを回避するなら、ばんまいさんの言う“神様”“核酸”か、チョムスキー的(具体的にはわからない)なものか、それとも、養老孟司さんの言うような“常識”で、変幻自在に仮構して置くのか、そこは押さえておくべきではありませんか?

失礼、話が逆行しそうになった。 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月22日(火)21時09分52秒

そうか、武田さんは前の書き込みで東浩紀のデーターベース型はフラットで意味への深みがないと疑問符をつけていました。失礼、そうすると、チョムスキーのメロディーラインを模索することが、より、大事なのか?

ノイズ・ミュージックに耐えられるか 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月22日(火)20時54分59秒

Pochiさんの認識は私も大賛成です。チョムスキーの表現の自由を守るという闘いは、その思想に左右されるものではない。皆さんも、この格律を肝に銘じているのでないか?
「物語」は二項対立の構図にならないと、多数の人々は見向きもしないでしょう。公正中立のアイテムで「ストリーライン」を考えたって何にも生まれない。あらゆる言論が共存する「メロディーライン」を模索すると、ノイズ・ミュージックに行き着くのでしょうか?でも、私はノイズにミュージックであっても耐えられる自信がない。チョムスキーはどんな音楽を聴いているのであろうか?
そうすると、東浩紀のデーターベースからの出し入れによる工学的な音作りに「ネット・マス」戦略のヒントがあるかもしれませんね。私は東浩紀がず〜と、気になっているのですが、彼の周辺から、人文科学的な鍵を拾い集めてみたいが、もう私にはそんな忍耐力がないと、溜息ついてます。

なるほど 投稿者:武田徹  投稿日: 7月22日(火)18時39分21秒

>巨大掲示板の右傾化は(あえて単純化しますが)たんに朝日新聞に代表される反権力とい
>う権威へのアンタイであって、そこにある危機として見ることで逆に脅威が実体化する可
>性はありますが、興味はむしろあらゆる言論が共存していることに、日本の言論人は耐え
>れるのかというところにあります。表現の自由を守るという闘いは、その思想に左右され
>ものではないというチョムスキーの格律の試金石として巨大掲示板は重い課題なんじゃな
>のかなあ。
確かにそうですね。始まっていることは右傾化ではなくて、もっとラディカルな状況なのでしょう。ネット+マスの図式を作る上でもそうした認識は大事だと思います。

結局 投稿者:Pochi  投稿日: 7月22日(火)18時08分50秒

どうあがいてもスカイネットの支配は実現してしまったわけですが(映画ネタ)、

>巨大掲示板はどちらに向こうとしているのだろう。

「右傾化に魅せられた人々」(山本賢蔵著、河出書房新社、2003年)p223より、
パリ政治研究所所長ギィ・エルメの予言。

>私は確信している。ポピュリズムの長い時代が始まる。

>それは一時的な危機といったものではない。新しい状況の始まりなのだ。

最初この本の副題「自虐史観からの解放」を見て、なんだつくる会の宣伝かよと思ったら欧州極右政党のルポでした。そうだよなあ、グローバリズムの浸透と反動が21世紀のグランドデザインなんだよね。
巨大掲示板の右傾化は(あえて単純化しますが)たんに朝日新聞に代表される反権力という権威へのアンタイであって、そこにある危機として見ることで逆に脅威が実体化する可能性はありますが、興味はむしろあらゆる言論が共存していることに、日本の言論人は耐えられるのかというところにあります。表現の自由を守るという闘いは、その思想に左右されるものではないというチョムスキーの格律の試金石として巨大掲示板は重い課題なんじゃないのかなあ。

経済活動と非経済活動 投稿者:町屋の半端者    投稿日: 7月22日(火)16時14分54秒

拙文にて失礼します。この企画内で文脈の中で読み取れる内容は、概ね経済活動でのアクションとか、またリ・アクションかまたは、非経済活動に於いて市民的立場での、リ・アクションに分かれる。その旨では、先に提起されている、ばんまいさんがおしゃる「二つの要素」とは、この事の意味も指している気がする。だとすると前者は、特に気を集中しながら事物なりをもう少し明確にした方が専門家らしい評価がありそうだ。現場に行って見た=成る程。そうなった=成る程。経済の循環に近い評価でありそこには、本質に至る経緯が示されず仕舞いだ。実は、ここでは、絞込みが必要ではないのかと考えました。前者と後者では、意味が違うし土俵が違いすぎる大きなギャップが隠せません。もしくは、経済活動の中での媒体に触れる場合の本質・核心があってこそ評価の対象にもなろうかと感じたりします。先に示された自己評価は、何かすっきり出来ないのは「jian」さんが先にふれる「信頼性」が確保されていない云々。ここに集まる皆さんは、自己の拙い埋もれた壺を拾い上げて貰う気持ちが有ると云う意味では、全員が納得でしょう。違いますでしょうか?
序でにカラオケに付いてですがバブルの関わりとカラオケ普及率とが確かな手ごたえだと思います先ず私達隣人の知識人は、そのシステムは、頭から嫌います。感傷に浸ったりする意味では、好都合のアイテムでしょうけれども?。その時点で残響音がカバーした所で皆シラケテイマスヨ。確かスリー・タイトル程の歌曲がありました?。善悪は別に於いてのはなしです。バブル時代では、其れに乗れない人達がそのシステム環境で商いをし、そこでは、勿論の事、話術も何も無い無いのオンパレードだった。依存性が其処にぴたりと「ニーズ」に答えたネオ物だった。何も無い物がblogと等しい=とは、面白い論理ですが流通の経験が生かされたMASS感覚の感性より生まれた比喩とは、何かMassによる弊害や危害などの反省に裏づけされた根拠がそこには、あると想像してしまいました。何かとご配慮を。経済活動を優先する書き込み板ならあえて申すに至りませんが?。

うわー、間に合わない  投稿者:武田徹  投稿日: 7月22日(火)14時16分21秒

下のレスは葉っぱ64さんへのものです。マルチスレッド方式でないとダメかも。
pochiさんは確かに船の科学館も工作船展示開始後すぐに見に行ってらしたですね。まさに「たくさんの眼でみて報告するネットジャーナリズムの実践」。NHKのファイルも拝見。問題はいかに分散化するネットジャーナリズムを有機的にたばねるか、それと下にも書いたアキュラシーおよび信頼性の確保。

あ、カラオケは 投稿者:武田徹  投稿日: 7月22日(火)14時05分56秒

カラオケはぼくもしないので、RESはカラオケする人に任せます。
『美しい日本の掲示板』を読んだけれど、最終的な結論?は「掲示板は生命のあふれ出る場である」となっていて、東浩紀のデータベース消費=動物的という図式を思い出しました。
「情報化された生命」とまで達観してしまえば確かにそうなんでしょう。そう考えると理解しやすいものが確かにある。しかし、となると、その中で(てるてるさんが危惧するような)政治的な話題に拘泥する傾向は、知識レベルやら批評意識の健全さやら公益性への配慮やらはともかくとして、大枠においては、天下国家論に意味をみていた古い層に属するのかもしれないですね。書いていてあんまり気分がよくないけれど。そういう位置づけは出来るし、敢えてそこまでラディカルな地平にまで降りて考えるべきなのかもしれない。これは宿題。
さてさてマスジャーナリズムの批判は多いけれど、うがやさんがご自分のHPで書いておられますが、アキュラシー(正確さ)への配慮は、マスジャーナリズム、中でも新聞記者はよくトレーニングされていると思います。デスクによるチェックなどのシステムもうまく機能すればいい結果を出すのではないか。ぼくなんかも寄稿者としての立場だけど入稿後に「ここは出典はなんですか」と確認されたり、「ここは誤解を招かないかとか」「この表現の方がいいのでは」と表現の曖昧さを指摘されて、なるほどと思うことが多い。それはさすがというしかない。こうしたチェック体制はOJTとか社内組織の在り方と関わっていると思いますが、TVよりも出版、雑誌よりも新聞が優れていることを素直に認めたいと思います。
なのになんで結果としてそんな新聞も含むマスジャーナリズムがぼろぼろなのかと言えば、色々違う要素が絡み合ってということでしょう。しかし、これを十把一絡げにしたくなくて、いいところを他のメディアが学んだり、他のメディアが補完的に関わることで伸ばせないかなと思います。どうですかね。

プロ野次馬 投稿者:Pochi  投稿日: 7月22日(火)14時02分49秒

有珠山が噴火して四日目に、わたしかみさんと現地に行きました。レンタカーで移動したのですが、虻田市街は規制をくぐれそうもなく、洞爺湖対岸のサイロ展望台に回りました。報道以外の通行はこちらも規制されてましたが、裏道はノーマークだったので。いやあ中継車の台数が半端じゃない。ここが報道の最前線だったんだ。二階の食堂でバイヨ(VAIO)を開いてニュースや掲示板、交通規制情報を検討し、噴煙が高くあがるたびに撮影してました。湖の中央に達する黒色噴煙の風送という雄大なイベントがあったのですが、札幌のホテルに戻ってニュース見たら展望台に降灰して報道陣みなくろんぼになって中継してる。イベントの映像はどこの局もなし。翌日も展望台に行き、降灰の惨状を撮影してひとまず帰京しました。現場から火山学者の掲示板に映像を送れば晴れてネットジャーナリストだったんですが、まだまだデジカメはスナップ用で銀塩がメインだったんですね。

三宅島も噴火警報が出た翌日に、やはりかみさんと東海汽船に乗って現地入りしてます。伊豆岬で報道陣とともに海底噴火かと騒がれた海域を眺めていました。岩場に座っているとマグマの拍動が伝わってきます。噴火が始まってからは、火山学者の掲示板に書き込むようになりましたが、この時期の掲示板はネットジャーナリズムの成果として歴史的評価が始まっています。
http://www.nhk.or.jp/bunken/nl-file/n051-s.html#000

8月末に、こんどは一人で三宅入りして中腹まで登り、18日噴火で壊滅した牧場や死んだ牛の写真を撮影しました。業界情報として、その噴石に遭遇した研究者が精神的問題で入院したと後に聞きましたが、よく助かったものだと思えるほどすさまじいものでした。このとき、火砕流が発生したのか否かで議論があったのですが、その確認作業も行いました。日帰りだったのですが、数日後全島避難のきっかけとなる大噴火が発生したときは、残っていればよかったと本気で後悔したもんです。写真は大噴火の前に有珠山ネット経由で島魂サイトに公開されました。(有珠山ネットと島魂の関係については「報道危機」集英社新書を参考のこと)ある火山学者と相談の上、匿名で公表することにしたわけです。

とにかく現場を見に行くというのがここ数年の趨勢でして、グラウンドゼロも直後の11月と翌2月に(このときはペンタゴンも)行きました。かみさんの都合がつけばもっと早く行きたかったんですが。で、振り返って見るに阪神淡路大震災やオウム事件のときは、むしろテレビの録画に忙しく、青山道場すら見に行かなかった。貴重な映像を、二次加工される前に保存しておきたい。それほど当時、テレビの情報量は多かったのですね。
いま、NHKですらめったに特番体制に入れなくなっている。水俣水害も無視されました。もし行くことができるなら、じかに見たほうが早いという状況です。

http://www.nhk.or.jp/bunken/nl-file/n051-s.html#000


様々な比喩 投稿者:町屋の半端者  投稿日: 7月22日(火)13時46分01秒

互いが与えた影響は、定かではありませんが少し述べさせてくださいませ。
さて産業革命がもたらした豊かさとは、即ち大量生産であった。その大量生産は、「機」では、即ちHATA=機械と云う合理性豊かさを産んだ。現在でも沖縄や能登・新潟などでは、手生みと言われる麻の種類では、苧麻と云われる草で着物が織られている。そこには、産業革命などは届いていないオアシスかもしれない。地機(jibata)と呼ばれる原始的な機織は、とってもデリケートって事です。戦前では、日本各地で織られていたのですが、ある日突然綿糸にや羊毛に転換されて合理性の一言で事は片付けられた。この事実はあまりしられていない。
ここに来て媒体の双方向と云う革命が起きて久しい流れの中で今回の提案がなされた。先人の紺屋の白袴とか灯台元暗しとかカッパの川流れとか猿も木から落ちるとか多くの喩え話の中で意外と本質は、求められていない気がする。例えば白い袴はある種のリトマス試験紙として科学的裏づけとしての成立が本質なのだと、現場直送より思える。藍を還元醗酵させ空気に触れさせ酸化に寄って色が定着する化学反応は、白い袴は、藍が付着した際の結果の合理性に得易い反応だ。毎日生きた藍瓶を管理するに当たり、自分の白袴で試験ができたんじゃない?からを発したもので二極対立の筋書きがある気がします。
さて新旧の媒体が切磋琢磨する今日にあって、スピードやクオリティとは、真実や事実や創造性や支持性のバランスだと思えますが、自由と責任を一言で括ってはどうでしょうか?
媒体の本質を何所に持っていくかが問われていない気がします。殆どが経済システムの中で稼動していた歴史のある媒体に対して直接経済とのかかわりが然程無くても済む媒体と既存現場では、はなはだ驚異の媒体は、その可能性をポテンシャルとして持っている事は誰もが熟知しているはず。
私は、Mixed mediaと捉えこの到来は、個人から2次的発信を容易にした革命でしょう。なかなかいい時期かもしれませんが過信は、機の革命で立証済みだと私見ですが想っています。
PS:ネオで感じる事は、何所でもそうですがクオリティとあわせて全体の意匠の低さが特に色・フォント(タイポ‐グラフィー)のcontrastは、今後どうなるのでしょうか?。

↓↓脱線かもしれませんが、 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月22日(火)10時11分28秒

>ネット+マスの総合得点を上向きに

音痴の私が又、カラオケもなんですが、カラオケは世界市場を相手に普遍性を獲得したわけでしょう。カラオケのノウハウは「ネット+マス」の総合得点に何らかのヒントを与えるのではないか?一方は歌であり、こちらは言語であるが、冷静に商品言語として検証すれば、具体的な戦略が見えてくるかもわかりませんですね。
まあ、私は還暦間近なオヤジなので、具体的なコメントは若い人に任せます。今から、外出です。帰ってきてから、何らかのRESがあれば、嬉しいなあ。
【ネットマス】何て、良いネーミングですね、

カラオケ 投稿者:葉っぱ64  投稿日: 7月22日(火)09時21分05秒

blogは、今の私の理解では「カラオケ」に似ていますね。オールド・メディアを一次情報源として、自分の感性で歌う。エコーやスピカーを通して聴くとまるで、他人の歌を聴くように自分の歌を聴くことが出来るというわけです。私はまだ、紙媒体に信を置くアナログ人間なので、どうしても、本から情報を得ようとする傾向があります。このカラオケも『大人は愉しいーメル友おじさんの交換日記』(内田樹・鈴木晶)の文章を想い出したのです。カラオケであるかぎり他人の非公開日記を盗み読むのとは本質的に違う。公開して聴いてくれる人が沢山いれば、嬉しいし、自己慰安にもなる。
ただ、時には、じっくりと、プロの歌も聴きたいわけですよ。例えば、武田さんの『核論』なり、石井さんの『肉体不平等』なり、お金を払って、CDアルバムを買うようなものです。そして、そのプロの歌い振りに感心したり、マネして、今度はカラオケで歌ってみたりする。ブロードバンド時代を迎えて、紙なり、CDなりの面倒なものでなく、コンテンツだけを有料でダウンロードすれば、問題ないと、そういう流れになっているのでしょう。カラオケも不案内なのですが、通信カラオケは一昔前から流通しているのでしょう。blogをカラオケに重ねると、カラオケ畑から、田中字さんのようにカラオケ名人がデビューしたのかと今、理解しました。
blogはオールド・メディアの情報等を一次情報とするなら、石井さんが、書き込んだ「吉里〜」ニュースソースの信頼性は、あくまで、日垣さんのブランド性に担保を置くものでしょうか?

みなさまはどうなのでしょうか? 投稿者:ぴこたん  投稿日: 7月22日(火)09時16分08秒

すごーく、初歩的というか基本的というかくだらないことで申し訳ないのですが、いつも私が実感していて、皆さんに伺いたいことがあります。
皆さんは、パソコン上で読む文章も紙面に印刷された文章も同じように読んで理解できますか?
私は無理なのです。私の周りにいる人間にも「プリントアウトしてから読まないとちゃんと理解できない」という人はわりと多いです。でも、いちいちプリントアウトするのは時間もインク代もかかるので殆どしません。ということは、PC上の文章は殆ど「ざっと見る程度」で終わってしまっているということなのです。私はこの掲示板が好きでちょくちょく読みますが、やっぱり、よっぽど自分が興味のある話題しかじっくり読むことはできません。今進行中の議論もとても面白いのだろう、、、と思いつつすごくざっとしか理解できていないという実感があってもどかしいです。(でも、いちいちプリントアウトする余裕もないし・・・)

以前、なんかのテレビ番組で、印刷された文章を読んでいる人の脳とパソコン画面上の文章を読んでいる人の脳を比べたところ、活動しているところがかなり違う、という結果がでていて、すごく納得したことがありました。
結構パソコンを多用している人でも、「ちょっと難しいような文章はプリントアウトしなくちゃ理解できない」という人が案外多いので、皆さんはどうなのか、できれば知りたいなぁと思いました。
私個人的には、ネットジャーナリズムが社会的影響力がありそうでいまいちないのは、結構ここがネックなんじゃないかと思ったりもしているのですが・・・どうなんでしょうか?

情報の信頼性 投稿者:石井政之  投稿日: 7月22日(火)09時07分42秒

武田5

なるほど。武田さんのご指摘の通りです。
しかし、勝谷氏と日垣氏、そしてサイバッチの3者が一致して同じ情報を出していると、間違いないのではないか、とかんじてしまいますね。
日垣氏の有料メルマガはとっていますが、朝日新聞記者(匿名)からの日垣氏の質問に答えるという形式をとっていました。

あ、石井さん、すみません。  投稿者:武田徹  投稿日: 7月22日(火)08時55分22秒

あ、石井さん、すみません、画面更新せずに書き込んだので下の発言が間に入ってしまいました。吉里容疑者の父親の件は、かなり早い時点でネットでは知られていましたよね。サイバッチも流したし、勝谷さんも書いていた。しかしひとつ気になることがあって、あれどのていど本当なの? 自戒を込めて言いますがなんか知らないうちに「マスメディアが報じないからきっと本当に違いない」って判断する習慣がついていませんか? 少数意見の方を信じやすい傾向はネット経験以前にもあって、体制と違う意見を取材で間近に聞いてしまったりするとづい信じてしまう。誤解なきようにしたいけれどぼくも小さな声に耳を傾けることは大事だと思う。多数派の見方を形成するときのマスメディアの習性を意識しつつ、情報(やその欠如)に思いをはせることも大事だと思います。でも大事だからこそ、なおさら自分の側でも信憑性をチェックすることが必要なのだとも思います。ネットの場合も、重要な情報はやっぱりチェックできないとまずいですよね。チェックなしに言及したり、典拠して何か発言してしまうのは、チェーンメールと変わらない(日垣さんのメルマガはそのあたりどうだったんでしょうか。ぼくは有料化してから取っていないので読んでいません)。下の発言とも関わるけれど、多様な関わりがあるネット空間だけど、その中で事実関係を遡行して確認が取れるようなシステム設計ってのは出来ないのだろうか。

戻る


[PR]多忙でも今日の特売check:特売情報を無料でGET!