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LOG131
オンラインジャーナリズム掲示板:期間限定「ネットジャーナリズムはジャーナリズムをいかに変えたか」
期間限定(7/30まで)で「ネットジャーナリズムはジャーナリズムをいかに変えたか」を議論する場とします。7/19書き込みに説明があるので参照してください。
問題点は結構出てきたと思うんですね。もちろんそうした指摘は今後も歓迎です(し、ネットメディアにおけるマスメディア批判がしっかりした主語と述語のある文章で展開されることは多くなかったように思うので、これも十分に意味があると思います)が、一方で「こうしたら新しいネットジャーナリズムとマスジャーナリズムの関係が取れてネット+マスの総合得点を上向きに出来るのではないか」という提言のようなものも出してゆきませんか。そうしたのを同時並行的に出来るかどうかがここの新しさになるように思います。たとえば具体的な提案が出ればそれに基づいたNPO的なジャーナリズムサイトも出来たりするわけで。
ps「たとぺば」はないですよね。誤字修正。
ジャーナリストの日垣隆さんのメルマガで、渋谷の少女監禁事件の吉里容疑者の父親が朝日新聞の記者で、社内のいじめが原因で自殺しており、その長男(吉里容疑者の兄)も自殺。そして今回の吉里容疑者も自殺したということが明らかになっています。
こういう情報はネットならではですね。
犯罪加害者にせよ、被害者にせよ、マスコミがその家族に突撃取材しないときは、マスコミ関係者が家族にいるんだろうな、と想像しておくことが重要かもしれません。
ネットの情報を玉石混淆とはよく形容されていますが、なんか贅沢っつーか「楽し過ぎじゃない?」なんて自戒も含め思ってしまいます(笑/恥)。
ひと昔ふた昔前は刑事ドラマじゃないですけど、「ネタ(情報)は脚で稼ぐんだ!」って感じじゃなかったですか?!(笑)
で、オールドメディアというモノに対しての私見なんですが、ここのトコロ目を疑う、覆いたくなるモノがゴロゴロしています。
18:00時ころのニュース番組(tv)の女性キャスターが戦地取材をしてきたジャーナリストをスタジオに迎えて、その取材地とスタジオでの中継ビデオ(戦地で人が居るであろう建造物を爆撃している)を背景に流しながら「●●さんの中継時はキャッチーなんですよね♪」なんて嬉々として話してる。楽屋ネタとしてはアリなんだろうけど.......(苦笑)。
他局(他メディア)もたいして変わらないように思います。結局はそれらの集合(企業)体の考える(営業)方針によって、視聴取(購買)者をたくさん獲得したいだけなんだろうか? と思ってしまうのです。
視聴取者は各々の趣味趣向を満足させられるブランド(メディア)を選ぶ.....まるで『今年のプールサイドは、モノトーンでシックなタンキニ(※1)が大人のオンナを演出!!』なんてコピーを「これ、イイわねぇ・」みたいな(細かな差異を執拗なまで.....)ノリなんじゃないかなぁ、と(笑)。
いずれにしても(?)、審美眼を磨かないとダメなのでしょうかね(汗)。
なんか稚拙な書き込みをしちまいまして、板汚しをしちまってましたらごめんなさい。削除してくださいませ、お手数かけます。すんません(滝汗!)。
↓ ※1 タンキニhttp://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%BF%A5%F3%A5%AD%A5%CB&jn.x=35&jn.y=6&kind=jn&mode=0
報道の信ぴょう性なんて、そもそもあるのかなぁ.....と思います。特にそれが企業の場合。カネを得たり名声(名誉)を得たり出来るというような‘欲’がありますから、少なからずその‘欲’によって、幾ばくかは‘元の在り方のままの報道’ではなくなっていると思います。
逆に‘匿名’だからこそ、それらの‘欲得’が無い(それらに影響されない)分、全てが.....とは決して言ヲないことは当然なのですが、元の在り方を知るコトが可能な情報を発信したり、受信したりすることが出来うるのではないでしょうか。
故に、匿名発信(受信)出来て、大多数が受信出来るメディアは有効なモノだと思います。
私もヤフーニュースを利用します。
サイエンス、臓器移植はこまめに見に行きます。
気になるニュースは、さらに、朝日、毎日、読売、などの全国紙と地方紙のサイトで確認します。
そのほかのニュースは、ヤフーニュース→2ちゃんねるニュース速報板、というコースが多いです。
熊ネタとか、亀ネタとか、金魚ネタとか、動物ニュースは、ニュー速板が楽しみです。
今は阪神ネタがいろんな板にあって、楽しませてもらっています。
やっぱり最後は2ちゃんねるの話になってしまった……
2ch論は確かに重要なテーマですが、
葉っぱ64さん、Pochiさんが論じて下さったテーマはもっと注目されても良いと
個人的には思います。
武田氏の興味とはずれるかもしれませんが、今回のテーマではヤフーニュースについての
検証は必要でしょう。過去の週刊アスキーによると、日本語のニュース関連のサイトでは、
アサヒドットコムなどの既存のマスコミのサイトより、ヤフーニュースへのアクセスのほうが
多いそうです。そういう私もニュースサイトで一番使っているのはヤフーです。個人的に良いと
思う点は、全国紙だけでなく、韓国などの外国の新聞の日本語版やIT関連など特定分野のニュースサイトの記事にもリンクされていること。外務省や外国公館などの公式見解や元になる統計資料
のページへリンクを貼ってある場合が多いこと。用語や経過を解説したホームページの参照が容易
といった点です。ハイパーテキストのメリットを生かすという点では、ずっと紙媒体で通常のテキストを書いてきた既存のマスコミに対して一日の長があるという気がします。
自分で問いを発し、答えるのも可笑しな話ですが、blogについて良いテキストを見つけました。そうだったんだと、イメージを捉まえる事が何となく出来ました。私よりPC体験は豊富な方ばかりなので、紹介するほどのこともないと存じますが、念のため、又はblogの議論が出てきたとき、私にとっての参照の意味でも、このテキストを貼り付けます。恥ずかしいですが、本当に知らなかったのです。
http://ascii24.com/news/inside/2002/11/11/639851-000.html
「じゃあ、みなさんで一度集まって意見交換会をやりませんか。その方が効率的だし」などと考えるのは、やはりオールドな発想なのでしょうか……。
流れが速すぎてついていけない!(笑)
オールドメディアの病弊を17年間見続けた小生としては、言いたいことが山ほどあるのですが、これまでの意見をふまえて発言するとあまりに膨大で困ります。力不足お詫びします。発言する以上はオールドメディアでぼくが見聞したこともふまえておきたいので……。
オールドメディアは擁護するにはあまりに機能停止状態にあります。ぼくは「存在するだけで機能しない」という本来の意味で「インポテンツ」状態と呼んでいます。おそらく、内情はみなさんが想像されるよりもっとひどい。
それでも、インターネットもオールドメディアに替わるほどの信憑性を得るという段階でもない。それが非常にはがゆいです。
発言は少ないですが、ちゃんと読んでます。ごめんなさい(笑)。
毛色の違う(最少で)二つの要素が「全体的な構造物を目指す」とか「立体
構造的な方向性」を見出すには、 これらの要素において何らかの共通点が
あり、しかも各要素へと強烈な支配力を持つ”神様”みたいな存在が必要で
あると思います。
何だか余りいい例が挙がりませんが、sociology+biologyでもって
sociobiology などというものが提唱された根拠は、sociology もbiology
もDNAを持つ生きものを扱ったことで、現行 sociobiology での”神様”は
核酸であると私はみています。
同様に、ネットメディアとオールドメディアでの”神様”が明らかなら、これ
らは「全体的な構造物を目指す」かもしれない、というのは如何でしょう?
報道媒体各要素間における”神様”て、何でしょう? メディアリテラシイ?
ヒトの真理への意志? カネをもたらす読者様?
しかも、先のsociobiology の例からこう思うのですが、毛色の違う要素が
「全体的な構造物を目指す」’必要’は、真理への意志の充足のためには、
無いと感じます。 だから、「立体構造的な方向性」がネットとオールドとの
間に無さそうという感覚は、武田さんの19日付けの投書『期間限定』にある
「出力側は、図式的には」という図式に疑問を投げかけているのでは? そう
ではなくて「図式」を重視するなら、「立体構造的な方向性」を感じられない
ことは、上述”神様”が意識されていないことをあらわしているのでは?
ばん まい 拝
ふむふむ、ネットの情報空間はオールドメディアで重要だった「時間に沿った線形性」が崩壊している点に注目すべきだと。しかし、かといって相互に参照はするものの、全体的な構築物を目指すような立体構造的な方向性ももってはいないように思えます(たとえば高円宮スレッドをネットジャーナリズムの本領発揮と考えるが、例外的な在り方と考えるかで評価が変わりますが、ここでは作業仮説的に「例外」とみなして、それ以外を2ちゃn的なもの、更にはネットージャーナリズム的なものの本質とみてみます。あくまでも作業仮説ですよ)。東浩紀的に言えばデータベース型になっているのかな。しかし、データベース型のジャーナリズムってありえるんですかね。ジャーナリズムって、現状においては真実を目指すーーーー真理への意志ーーに支えられた、フーコーによれば極めて近代的な欲望の産物ですよね。「強度」ではなく、「意味」へのこだわり、指向性が強いわけで、データベースのフラットな情報の在り方とは水と油のような気もします。引き続き、ちょと考えてみたい視点ですね。
blogは日記サイトのようなイメージで理解しておけばいいんじゃないでしょうか。テキスト中心で、ある程度分量があって、そこそこ統一された世界観があって。と、個々に要素をあげてゆくと別にあたらしくないんですよ。だから逆になぜ今になってblogが注目されているのかという問題設定も出来ると思います。
武田さん、お集まりの皆さん:
こんにちは。 期間限定議論、いいですね。 余りうまく書けないのですが、私
も少々参加させて下さい。
「ネットメディア・ジャーナリズムはジャーナリズムをどう変えたか」
ネットの存在は、報道に触れて感じる時間の流れ/区切り?を、ネットの出現
以前に増して気にさせることに成功しつつある(発信者・受信者の双方に対し
て)、と、私は考えています。 この私の考えは、現時点で、情報の速達を
最も簡単(速達のためにかかる手間が最も少ない)に行える手段がネットで
あろう、という認識に基づいています(ネットが最速の伝達手段であるかどう
か・最も安易な情報伝達手段であるか、ではない)。
速く報じられる内容ほどより重要/非日常的なのだ、という認識はどの報道
媒体でも同様と感じますが、どのくらいの間(duree/duration) 報じられて
いる/いたのかを基に対象の重要/非日常さを短期間のうちに推測/判断/納得
できることは、ネット報道/伝達での特徴と思います。
発信者は「長く続けることで重要さを理解して貰おう」「さっさと取り扱うの
を止めてしまおう」という判断を紙/ラヂオ/テレビの場合よりも早期に下す
(無意識的にでも)ようになり、受信者は、特定の情報がどの程度生き長らえ
るのかを見定めるために、「ことの成り行きをじっと見守る」行為により集中
するようになったようだ、と私は感じています。
また、ネットでの報道や議論では、時間の分節を意識していると即断できる
見かけのサイト作りをすることも特徴として挙げられると思います。 たとえ
ば、この武田さんの夏期企画の見かけ(内容ではない)は、私には余り”ネッ
トぽくない”です。 投稿者が好きな題を付けて好きなことを書いているので
口頭での議論を文章で打って掲示しているように見えて、時間軸に沿った整頓
がされていないと感じるからです。 これらの投書群をツリー表示やスレッド
形式に表示しなおすと、”ネットぽい”です。
つまり、ネットという媒体の登場により、ヒトにとっての(報道に付随する)
時間というものが、水の如くに流れ行くものではなく、カセットというかエレ
メントというか区切りというか、、、そういうものがびっしり並んでいたり
モザイクのようであったり、などと認識されるようになったと思います。
それで、ジャーナリズムに、情報を速達すること(vitesse/nouveaute)
ばかりでなく、報道期間の限定(duree/qualite?)をより強く意識する傾向
をもたらしそうに思います。
たとえば雑誌の記事やテレビ番組が、カセット化というかエレメント化という
か、、、ネット以前よりもまとまり(字数や面積の整頓)が出てコンパクトに
なってきた、ということはありますでしょうか? 報道期間の限定を意識する
こととは、限られた時間内に伝えたいことを盛り込もうとすることと言える
かも知れません。 それならば、表現の仕方(質)を検討せねばならないで
しょうし、また、武田さんの仰るように「たくさんの眼」を揃えて伝達の能率
を上げることを考える必要が出てくるでしょう。
=====
あと、「本とコンピュウタ」という点からは、ネットという道具/手段の登場
で、主に思想・人文科学系の学説本(ペイジ数が多い・文章だらけ)は、記述
のしかたを見直すことになりそうと感じています。 見直しの方向というのは
(私の好みを大きく打ち出すに等しいのですが)上述のように、カセット化・
エレメント化--小見出しがより頻出する?・一冊に全てを書き込んだ大著が
減少?・ひと段落の文章が短くなる?--しそうな気がします。 マシンと接続
したモニタ上でものを読む行為には、その行為に割く時間の制限が自然と付随
しているような気がするから、掲載文書の縮小化や整頓ということを考えるの
かも知れません。 モニタを眺める時間が多くなると、モニタ読みでの限定的
な時間感覚に共鳴して印刷物の様子も変わって来るかな、と考えました。
ばん まい 拝
中卸とは面白い視点ですね。かって、私の家の生業が仲卸で流通革命が進行する中で倒産し、お陰で、三代目にならなくて済んだわけですが、出版業界は取次という仲卸が巨大で、新聞業界も全国紙が系列下と寡占の状況は、やっぱ、再販維持制度に守られているわけですよ、「報道自由」の問題をかような下部構造から、検討すべきではないか?
松下は何故、「ナショナル一家」という方針から軌道修正しなければならなかったのか?
恐らく、ソニーにしろ、松下にしろ、世界市場を相手にしなければ、生き残れないわけですよ、
そうすると、技術、技能で勝負しなければならない。果たして日本のマスコミは世界市場を相手にしているか、武田さんの『戦争報道』でも触れられていた『アジアプレス』のようにアジアを舞台にフリーランスのジャーナリストのネットワークを構築する試みはネットジャーナリストをも取り込んで、可能ではないか?
問題は広告資本から自立した配信は可能か?広告資本を上手に騙しても良いが、どちらにしろ、国境を越えた課金システムによる国益でない公益による信頼の構築を行う。
情報のクオリティを求めて、有料会員になるシステムですか?まるで、ソニーのクオリア戦略になってしまいますが、
私の感触では出版業界は危機意識を持っているが、日本の新聞業界は宅配システムに守られている余裕か、安穏としています。「報道の劣化」を特権化の甘えから検証すべきでしょうね。
blogですか?知らなかったので、検索すると、膨大な数の件数がヒットしました。
誰か、このblogについて、このサイトで関連する範囲内でカキコしてくれませんか?
調べようにも、情報量が多いと戸惑って、判断停止してしまうのです。
2002年11月21日17時40分ごろ、高円宮倒れるの報せに2ちゃんねるの医者板にスレが立ったのが19時37分。23時8分薨去の公表までにレスは490件に達した。2ちゃんではサカオタ殿下としてかくも愛されていたのかと、他の本スレで(掲示板での千羽鶴祈願)知りましたが、ネットジャーナリズムの確かに機能した一例として興味深いものがあります。
当日、報道はあまりにも少なく、見通しが示されない状況下にあって、切実に情報を希求するものが場を設定し、高度救命救急医療(PCPS等々)の質疑応答がなされ、しかもそれは教科書的ではなく実務的で、医師の本音としては生還の可能性はないというところまで踏み込んだ議論に至ります。正統的ジャーナリズムから見た賛否をここで問うことにあまり意味はないでしょう。
情報の受け手とある分野の専門家との応答の場が即時に成立するということは、情報の流通から中卸(職業ジャーナリズム)が排除されたということになります。挑発的な比喩はご容赦ください。
この例をもって普遍的な未来像はかくあるべし(直接仕入れで価格破壊)というのではなく、ジャーナリズムの役割が限定的なものとなる予兆とわたしは捉えています。
皮肉っぽく言うと職業としてのジャーナリストの特権的地位が奪われたということでしょう。
特別な情報源を持ち、立派な意見を主張し、特権的に情報を発信できる。(以前武田氏が書かれていたように報酬面ではまだそれなりの待遇を受けていますが)でも本当に大事なことは記者も知らないことが多いし(公表しないだけかもしれませんが)、事態を深く理解せずに正論を言った気に
なっている。あと電子マネーのようにネットジャーナリズムにとって重要だけれども微妙な
問題については、無視を決め込んでいる。けれどもネットジャーナリズムの普及で職業人としての
ジャーナリストの長所に気付かされることもあって、特にコミュニケーション能力や文章表現力は
簡単には身に付かない技能だと思います。(当事者が直接情報を発信しても十分に伝わらない時に、情報を伝える役割を担っている。)逆に言えば、そうした技能を持たない記者の書く記事はお金を払って買う価値があるものとはみなされなくなるかもしれません。
追伸 テーマとはずれますが、紀伊国屋書店の雑誌 i feelの対談、面白かったです。この記事を
読んでから東京の街を歩くと何か新しい発見が有りそうです。
blogも考えてみないといけないですね。掲示板とは違うスタイル。ここも以前、ぼくが黙々と書いていた頃はblogの先駆みたいだった。