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LOG120
別に何かあったわけではないんですが、しばらく休んでいました。
さぼっていたあいだに何をしたかといえば、ノ−トブックパソコンを新規調達。NECのLavie−Jというのを展示品処分で発見して、つい。
実は数ヶ月前デスクトップをXPマシンに変えたんだけど、98に比べて全然安定していて、これはラップトップも変えたいなぁと思って少しずつ物色を始めていたタイミングだったもので。
ラップトップの方はおなじみバイオC1だったんですが、これが前から98の持病であるフリーズは頻繁にしていたんだけど、パワーポイントのためにオフィスXPを入れてから
最悪に調子が悪くなっていて、さすがにもうだめかと思っていたんです。で、出来ればバイオC1で代替したかったんだけどソニーは最近、モデルチェンジサイクルがなんか変で品切れになってしまうことが多く、C1も買いたくても買えない。そんなときにLavieJを見つけて、無線LANがデュアルモードでこの値段なら一台在ってもいいかと思ってしまった。
しかし久しぶりのNECだけど、トヨタ車、それもドメスティックなモデルを買ってしまった気分。デフォルトで設定されている画面のダサダサ感は思わず絶句してしまったし、独自のアイコンもなんかデザインのセンスが・・・・・。ソニーがだめなら、IBMのX31かなと思い始めていたときの衝動買いなのでイメージと現実との差が結構大きい。とはいえX31のデュアルモードマシンに比べたらおそらく半値以下で手に入ったのでまぁこんなものかと。
で、型落ちなので当然セントリーノ(だっけか)のペンティアムMではないのだけど、あれ、雑誌なんかでは革新的とかほめすぎではないか。しっかり比較テストしないでインテルの広報資料にもとづいて書いちゃうのはどうかと思う。カーグラがわざわざ谷田部に持ち込んで自分たちでテストすることを企画として来たのは、あくまでもメーカーとは距離をおいた第三者的な立場で商品を批評するのだという気概の現れだったと思うんだけど、そういう必要性に思い至りもしないマスメディア人って多くなっているように思う。
さて、今日はこれから深夜に一仕事なのだ。詳細は後ほど。
>上田勝さん、私に関するコメント、有難うございました。
白装束集団は迷走していますね。
坪内祐三の新刊『1972−「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』(文芸春秋)を丁度、読み終わったところですが、
1972年は「あっしにはかかわりのねえことで」と木枯らし紋次郎で始まり、
「連合赤軍あさま山荘事件」が起きた年であり、いわば、新左翼的言説が沈黙して、入れ替わりのように、思想もメッセージ性も無い情報のみの映画情報誌「ぴあ」が創刊された時、であり、
田中角栄の日中国交回復が実現された年でもある分水嶺として坪内氏は認識しているのだが、少なくとも、あさま山荘事件において、記録なり、言葉が残された。
しかし、オウムにおいて、何も記録がないのではないか、麻原は沈黙だし、内部からの検証が頓挫している気がする。白装束集団もその意味において言葉がない気がする。
だから、坪内氏の72年からは、記憶も記録も徐々に、消えていく30年は、
彼と同世代の蓮池薫さんが帰国したとき、むしろ、つい昨日のことのような日本の風景であったのではないかと、1944年にジャングルから出て、28年ぶりに日本の土を踏んだ横井庄一さんの驚き(日本の変貌の凄さ)と対比して論じていたが、1944年、生まれの私にとっても、実感として納得できるのです。当時、街場の本屋で、商売として目一杯、アンテナを広げていましたから、
記憶もない、記録もない、言葉もない、又はそのような痕跡を残さない事件、いや事件以前の諸々が多すぎる気がします。
みなさん、どうなんであろうか?
>武田さん
荒木さんのエロスとタナトスは、そのような、のっぺりとした日常の風景の中で、
卑近な「私」にフォーカスして、生と死にアクセスすることによって、「記憶のある写真」を撮ることに成功したのかもしれませんね。
NHKの番組は見ていません。見たかったですね。
荒木さんは一貫してテーマはエロスとタナトスですよね。ヌードも花も、そしておそらく仏像も。
去年、アラーキーの京都祇園の「花人生展」に行って来たのだが、武田さんの言説で、ユニクロの写真は見ていないが、う〜んと、気になりまた。
今年に入ってからだと、思うが、NHKのアラーキー京都…とかという番組が放映されて、
彼が寺院で撮影し、様々な仏像を撮っていくドキュメントを、面白く拝見しましたが、
見ましたか?
彼も又、仏像に興味を持ち始めたのではないか。
彼の花の写真はフォーカスを過激にやっていますが、花も又、動かないものだからでしょうか?
私は血圧が高いので、病院通いなのですが、自宅で計ると正常値なのに、医師の目の前で計測すると、高くなるのです。それで、先生に『白衣高血圧症』と言われた。
数年前、御茶の水の高台の大学病院に入院した時、快適な病院生活を送る事が出来ました。360度のパノラマで、しょっちゅう、大部屋を移動しました。私のように腰軽く、部屋の移動を喜んで受け入れてくれる患者は貴重なのです。
みんな、定住を好むが、私は移動の人なので、新患者が入院するたびに、婦長は患者同士の人間関係を考慮にいれた部屋割りに頭を悩ますが、私はどこでも、結構、すぐ馴染む。
だから、扱い易い玉突きの玉なのです。
その病院で看護婦(師)達は桃色、緑、白、と三色の制服を着ています。
私はてっきり、地位か勤務体制の識別によって、制服を変えているのかと、思い、
看護婦に聞くと、「その日の気分によって、着替えるわけ」
今日は桃色気分だから、ピンク!と言われた。
病院も進化していると、感心したが、そうならば、医師も昔ながらの白衣一本でなく、他の色も考えたらどうであろうか?
そうすれば、白衣高血圧症も減るだろうし、白で、電磁場の脅威を防ぐと云った妄想の貧困さを中和するかも、桃色、緑色でもいいのではないでしょうか?
今、ユニクロの店頭にデカく引き延ばされた小池栄子の写真がポスターになっている。で、今日、なんとなくしげしげと見てしまったのだが、あれ、どこにもピントが来てない。小判フィルムからのばしたからぼけたのではなく、たぶん全面的に前ピン。相当寄ってみないとわからないけれど、それは逆に効果をねらったボケでないことを物語る。ピンが来ていても良い写真だったのだ。
確かこの写真は荒木経惟が撮影していたはずだ(『噂の真相』に自分で書いていたのを偶然目にしていたので店頭でもつい本格的に見てしまったのだ。ユニクロの人物広告シリーズは全部アラーキーなのか?)。ということはもしかして荒木はもうピンの来ている写真を撮れないってこと? 表情が一番良かったのがピンぼけだったものかもしれないけど、それにしても昔のアラーキーだったらはずさなかったんじゃないか。
スキャンダラス方面で有名になってしまったけれど、彼の写真術は実は相当確かだったように思うが、その意味でアラーキーも老いたのだろうか。
そう考えてみて唐突に土門拳を思い出してしまったのだが、土門は晩年はスナップをやめて寺とか仏像ばっかり撮って歩いていた。半身不随になってからはもちろんそうした静止した対象しか撮れなくなっただろうが、実はその前からもはやスナップは撮れないという諦念があって写真スタイルを変えたのかもしれない。
アラーキーがもはや神業のようにピンの来た写真が撮れなくなっても写真術を変えないのだとしたら、それは彼自身の人間性の問題か、それともそんな荒木の写真でも(見分けられずに)受け入れてしまうギョーカイとか、受け手の問題か。
みなさん、書き込みありがとう。
近藤さんのお尋ねの件。当時の取材テープを聞き直したわけではなく、テープ起こしの
データを確認したわけでもない(古いFDなのでそれを読めるパソコンを作動状態にするのが大変な)のであくまでもうろ覚えの域をでなくて恐縮ですが、日清食品の取材で浅間山荘事件を聞いた記憶はないです。聞いていたら書いていたとも思うのですが、どうかしら。ただ日新食品側都市tれは「警察とか自衛隊に納入した」という中に浅間山荘の一件が含まれていたという解釈は出来るかもしれないですね。いずれにせよ、あまりはっきりしなくて申し訳ないです。ただそれで爆発的に売れたと言うことはないでしょうね。当時、「浅間山荘のカップヌードル」が話題になった記憶もないですから。カップヌードルが市民権を得たのは物価相場が上がって割高感が薄まってからではないでしょうか。ぼくがカップヌードルをごくふつうに食べた記憶があるのは高校の頃(休み時間に抜け出して近く店で買ってお湯まで入れてもらって食べた)で、浅間山荘事件から5−6年は経ています。
パナウェーブ研究所のチラシに「『奇跡の詩人』を糾弾する」と書いてあるのが、テレビに映ったそうです。
それで、2ちゃんねるのNHK板の「奇跡の詩人」関連スレッドで、「奇跡の詩人」を批判している連中は、パナウェーブ研究所の仲間だ、という投稿が繰り返されています。
私、今まで、「奇跡の詩人」批判サイトを作り続けてきましたが、パナウェーブ研究所というのは、ニュースで初めて知りました。
ところで、NHKは、5月17日のETVスペシャル「あなたと話したい〜脳障害児と向き合う医療・教育最前線〜」で、「奇跡の詩人」には科学的根拠がないという批判があったことをふまえて、と述べるそうです。
滝本太郎さんの日記サイトで、このNHKの番組制作にあたっての要請文が公開されています。
http://www2.diary.ne.jp/user/140664/
2003/04/29 (火) NHKが、5.17番組−「あなたと話したい」
葉っぱ64さん、こんにちは。
>行政の窓口にその胸を申告すれば、担当は河川公園課であり、
>やはり、むつかしい。櫻の季節の花見は別段、許可はいらない
>のでしょうと、問えば、担当者はいやあ、あれは【文化】ですから、
>と説得された。
「難しい」と答えたのは特に規則がないから、だと思います。規則がないですから原則自由なはずですが、かといって「役所が認めた」となるとこれもまた困る。公園使用の許可を求めなければ黙認したでしょうけど、許可を求められたら「難しい」と答えざるを得ない、ということではないかと。お役所の論理はなかなかに複雑です。
行政と住民の快適な関係は、まず住民の自発的な取り組みがあり、そこに足りない部分を行政に手助けしてもらう、という関係であるべきだと思います。今の関係は逆でして、行政がその事務手続き上、面倒な部分を住民にやってもらおうとする。例えばやたら証明書類の多い各種申請などその典型で、法律をよく知らない住民がやると大変ですから、国家資格をつくって代理申請させ、自分達のデスクワークを減らしているわけです。変なしくみですよね。
都市空間づくりは全て法律でがんじがらめにされてますので、行政が自ら率先遂行するのはこれはなかなか難しい。法律解釈の大部分を中央官庁に依存してますからね。ですから住民が自分達で自分達の環境を作ろうと、例えば建築協定を作って施行するなどの方が実際的だったりします。
>白装束集団は公衆衛生の陰画なのか。
母体になっているのはカルト教団の一つで、宇宙人とコンタクトできるとか神々とコンタクトできるとかという誇大妄想狂の集団です。マスコミを特に嫌うのは、テレビ受信機が有害な電磁波を出しており、その電波で多くの人々をマインドコントロールしようと企む左翼集団の手先だと思いこむからです。で、教祖をその攻撃から守るためにああしてあちこち転々としている。
いつの時代でも、一つの宗教が生まれる背景にはその社会の世相が反映しているわけですが、逆に言えば現代人は何を「拠り所」にして生きていけばいいのか、それを見つけることが難しいのかもしれません。昔であれば日が昇ったら起きて仕事して、日が沈んだら寝るという自然の摂理に従っていれば全て治まっていたわけですが、今のように職業も価値観も何もかもが多様化してしまうと自分自身で全て意思決定しなければなりませんから、それが苦痛で逃げ出したくなるんでしょうね。
日常の生活の中に癒しや潤いがないために、それを人工的に作りそこに頼らざるを得ない。現代の病理的側面がここにあります。社会の変化のスピードが、人間の精神の発達を追い越してはるか先に進んでいる。カルト教団などはそこから逃げ出した人間に癒しを与えるのではなく、食い物にしていくから余計に性質が悪いんですね。
あさま山荘事件の折、地元の住民からふるまわれたカレーライスがカチカチに凍ったというエピソードは、佐々氏の著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文春文庫)にも出てきますね。
同書ではたしか、それから急遽警視庁よりキッチンカーが現場に手配され、当時まだ出始めたばかりだったカップヌードルを機動隊員らに供給した…というふうに書かれていたかと思います(なんでも現場は最低で零下16℃にまで下がったとか)。
たしかにキッチンカーでならカップヌードルにその場でお湯を入れて直接隊員に支給できるわけで、地元民のつくったカレーのように、調理場→鍋→皿という具合に隊員に支給されるまであいだを置くことはないし、凍る可能性もほぼなくなるでしょう。もしかしたら「カレーが凍った云々」というエピソードは、そのことを強調するべく佐々氏がつい誇張してつくってしまったものなのかもしれませんね。
ところで、カップヌードルとあさま山荘事件の関連について、ぼくは以前から疑問を抱いていたことがあります。それは、あの事件をきっかけにカップヌードルの売り上げが伸びたという話は本当なのか? ということです。たしかにカップヌードルが機動隊員に支給されたのは事実なのでしょうけれど、それをきっかけに売り上げが伸びたというのは、どうも一種の伝説のように(それはたとえば皇太子成婚がきっかけで日本の家庭にテレビが普及したという「伝説」と同様に)思えるのですが…。
実はぼくはそのことを、武田さんの著書『メイド・イン・ジャパン・ヒストリー』中のカップヌードルの章を読んでいてふと思ったんです。
あの本の中ではたしかに、発売当時のカップヌードルは流通業者からなかなか認められなかったので、職域販売として警視庁や自衛隊基地に納入されたという話や、あるいは銀座の歩行者天国にて行なわれた促販デモンストレーションでの実績が流通側にも認められたといった話は出てきますが、テレビなどでよく紹介されるようなあさま山荘事件との関連については一切出てきませんでしたよね?
武田さんが日清食品の方に取材された際、そういった話はまったく出てこなかったのでしょうか。もしよろしければ教えていただけませんか?
中井久夫の『清陰星雨』を読んでいたら、バース図を手書きして、設計にまでかかり、東大分院、神戸大学の精神科病棟等の、「病棟は精神科の唯一最大の治療器具である」とのエスキロールのことばを共通語として関係者全員の知恵をあつめて、建設をやり遂げたと書いてあった。三度目の神戸大学のは、中井久夫なりの「精神医学の卒業論文かな」との自負があったのに、「それでは卒論としては足りない」といわんばかりに地震がやってきたので、答案の採点はまだであろうと、記す。
都市設計は精神科医のメッセージがどの程度、刷り込まれているのだろうか。【癒し】がキーワードとして六本木ヒルズが設計されたとは思わないが、住み心地の良いコミュニティは中井さん等が治療器具としてイメージした病棟のノウハウを都市設計の中に生かせば、安全でとても居住し易い居住空間が出現する気がするが、どうであろうか。
それは安全と自由の問題に接続し、東浩紀のように、そうやって生物(動物化?)的側面で安全を確保することに全力を挙げることは自由の売り渡しにはならない、それは又、別の位相で考察すべきだと、提言しているみたいだが、SARSと云い、パナウェーブ研究所という白装束集団と、隔離、安全の問題は、まず自由とは何かと、検証することから、始める必要があるのであろう。どうも、平和、自由は検証を許さぬ大前提になっているが、その中身を問うことをタブー視してはならない。
数年前、病を期に、気功を区役所の広報で始め、折角、始めたのに継続しなければ意味がないと、20人以上のメンバーで会を立ち上げ、区に登録して、中国人の先生に引き続き、講師をやってもらうことに決めたのだが、文化教室を貸して貰えるが、気功なら、公園なり、外気に当たって、みんな一緒に身体を動かすといいんじゃないかと、思い、行政の窓口にその胸を申告すれば、担当は河川公園課であり、やはり、むつかしい。櫻の季節の花見は別段、許可はいらないのでしょうと、問えば、担当者はいやあ、あれは【文化】ですから、と説得された。成程、中国では許可がいらないのであろう。でも、法輪功?はどうなったのかな…。
発起人となって、折角、立ち上げた気功修練会なのに、あきっぽい私は、東から西へと引っ越ししたが、今はやっていない。でも、東京で会は立派に継続している。テレビでTOKYO大道芸人の特集をやっていたが、慎太郎さんの肝いりで、ライセンスを発行して、公園などを開放する。そのような方式があるかもしれない。行政のサポートが最初にあって、文化として根付かせる。【苗床】行政があっても、いいのかも。
都市は生き物であって、苗から生育する豊潤さを受け入れる過程で自由の問題に突き当たるのであろうが、野生の風、陽に晒せなければ、美味しい果実は食べることが出来ないと、観念すれば、自動調整機能が働いて、住み心地の良い都市空間ができるであろう。
ただ、無理矢理の暴力装置や既得権益者の欲望が自動調整機能を壊さない限りは。
公衆衛生システムは、多分、地球規模で考えなくてはいけないのだろうと、思うが、【見えない敵】を見える形にする情報開示から、一歩を始めるしかないのではないか。白装束集団は公衆衛生の陰画なのか。
婦人公論の田丸美寿々さんの対談ページにゲスト出演。SARSについて。これが新聞だったら戦争報道と同じようにこのあとコメント取材に引っ張りまわされることになっていたかもいれないので、雑誌で発売日が先なのでその心配はたぶんない。
うつされる側の立場からしか論じられていないSARSについて、うつす側の立場に配慮する必要性を主張したつもり。大衆社会を恐怖に陥れないと隔離政策が進まないのはまるでハンセン病の時代と同じではないか。恐怖と差別排除のメカニズムでしか隔離できない社会から、同意と合理によって必要最小限の隔離医療を人権侵害を最低限に抑えた形で適用できる社会にと、なぜ成熟できないのか。
しかしSARSの致死率がむしろ上がっているのはやや不穏な印象。対症療法しかないにしろ経験を踏まえて医療水準は高まるはずで、致死率は減ってゆくと予想していたのだが・・・・。発生数がすでに中国あたりでは現地の医療の能力を超えていて経験が治療に反映できる状況ではないのだろうか。
ただ、現在の感染者数は症状チェックでSARSに典型的なものが複数あった場合に(悪く言えば恣意的に)診断されるもので、抗体検査とか物理的な判定にはよっていないらしい。ということは騒動の全ての核である感染者数がそもそも怪しいということになる。そうである以上、致死率も不確かになるし、治療効果がないとかそういう言説も(もしもひとつの病気を相手取っていないとしたら決定的治療法がでないのは当然で)怪しいことになる。と考えてゆくと実はなにひとつ確かなことはないのだ。にもかかわらず恐怖のみ確かに伝えているメディアはなんなんだ。
北朝鮮と日本だけ感染者なしというのも地政学的に言えば絶対におかしい。どちらも同じシステムで感染が表面化していないだけではないか。抗体検査法の登場を一番おそれているのは厚生労働省ではないか。
対談に出ていたウィルス学者の山内一也さんは公衆衛生の必要性を主張されていた。同感だ。しかしあるべき公衆衛生の方法が今の公衆衛生の方法の延長上にあるかは疑問だ。今の日本の公衆衛生システムは官僚制やらひずんだ国際関係やらにがんじがらめになって破綻していて、もはや一度ゼロから考え直すぐらいのほうがいいのではないか。
NHKでラーメン関係の博学系番組をやっていて販売直後のカップラーメンが割高のためになかなか売れなかったんだけど、それが市民権を得たきっかけになったということで浅間山荘事件が紹介されていた。山荘を包囲していた警察官を寒さと空腹から救ったのが熱いカップラーメンだったという。
で、証言者として出てきたのがおなじみ佐々淳行。彼に言わせれば最初おにぎりを用意したが凍ってしまった。カレーライスも凍ってしまってまるでアイスキャンデーのようにスプーンにご飯もカレーも一体化してついてきちゃうほどだったたとか。
本当かいな、と思う。そりゃ冬であれば軽井沢はスキーもできるわけで夜になれば相当の寒さだろう。しかし、おにぎりはともかく、暖かい状態で出したカレーライスがそう簡単に凍るかな。あるいは凍るとしてもそれはかなり長い時間、外気にさらした結果だろう。それと同じ条件ではカップラーメンだって容赦なく冷めるだろう。いかに発泡スチロール容器だからって、限度ってモノがあると思う。逆に言えば食事が提供された条件が違うはずで、カップラーメンだから警察官を助けたって話の持って行き方は無理があるように思った。
前から気になっていたけれど、浅間山荘とか東大安田講堂攻防に関する佐々の記憶って相当、自分に都合良かったり、話として面白い方向に変形しているんじゃないか。NHKはきちんとチェックしたのだろうか。
少し間が開いてしまいましたが、書き込みありがとうございます。
連休もいい天気でスタートしましたね。話題の六本木ヒルズも予想以上の人手のようです。
アンチコルビュジェについて。森社長と意見が分かれたのは、ジェーン・ジェイコブズの評価についてでしたが、そうした具体的な点ではなく、もっとも大きな枠組みにおいて、ぼくがコルビュジェに違和感を感じるのは、やはり都市観、世界観の違いじゃないかと思っています。
ぼくは都市は人為で作れる相手だと思っていない。人間は自分にできることしかできないので(当然!)いろいろやりますが、都市計画には限界があり、人為的な都市作り、さらに踏み込んで都市共同体作りはなんらかのかたちで当初のもくろみを逸脱して破綻する。そして、そうした破綻をも飲み込んで都市を生かしてゆくのは歴史であり、時間の蓄積なのであり、それは人智の及ばぬものだとぼくは考えます。その意味で、都市計画の限界について決してペシミスティックに考えているわけではないが、オプティミスティックにその可能性を信じるわけにはゆかない。輝ける都市というコルビュジェの概念はぼくにとって反面教師です。
『偽満州国論』『隔離という病』、そして最近NAVIで連載していた『車輪の下のリアリティ』ではそうした考え方をなんらかのかたちで踏まえているつもりです。
安藤忠雄さんの愛犬の名はぼくもどこかで読んだことがあります。彼の場合、相当、したたかな自己演出家でもあるようなので、命名の意図はわかりかねますね。たとえ本人がどこかでそれを語っていても鵜呑みにはできないし。
大阪、京都の中心に電車で30分の街ですが、駅前に41階建てのマンションがもう、オープンです。テレビで特集をやっていましたが、規制が緩和されて超高層ビル建設ラッシュらしいですね。そのため、周辺の旧ビルは空き室が増えたらしいが、六本木ヒルズ周辺は、どうなっているのか?そちらに興味があります。でも、ヒルズという命名は誰が考えたのであろうか、郊外にこんな名を付けて、みんな失敗したのではなかったっけ?
私は最近、長年、住んでいた東京を離れ、関西に帰って来たのですが、学生時代、京都で過ごしたにも拘わらず、その当時は全く、京都の良さが判らず(それでも、茶道をやっていた)、荒れ狂う60年代の風景の中で、茶室から大阪の梅田にあった『チェック』というジャズ喫茶に出入りを始めた。
そこの常連に安藤忠雄がいたらしい。私は知らなかった。
1995年10/12号【太陽】に愛犬コルビュジェの写真を収載したページにエッセイを書いている。彼と私は同年なので、沢山の鬱屈した少年たちの一人として、何を聞いていたのか、良くリクエストで流れていたのはコルトレイーンで、カーティス・フラーの『ブルースエット』は最も人気のあったアルバムである。ニーナ・シモンのボーカルも懐かしい。彼のエッセイによると、ある日、セロニアス・モンクが座っているのを見たと、書いている。
安藤忠雄は私たちの腰の軽い、又は悩めるモラトリアム学生と違って、ボクサーから、転進、69年、大阪梅田の古い長屋が残る一角に十坪ほどの事務所を借りる。三島由紀夫の割腹自殺は翌年である。私もこの前後は良く覚えている。私は関西を逃れ、横浜にいた。本屋の店員をしていたのです。彼の自裁を予感していたのか、私の動きは早く、取次の倉庫から、返品倉庫まで、三島本をかき集めた。本と日常、縁のない人が「三島由紀夫をくれ!」とわけのわからぬ注文でやってきたのでした。
安藤忠雄は60年代を駆け抜け、日本を飛び出て、世界にはばたき、まだ、『永遠の挑戦者』(このエッセイのタイトル)として、彼は言う。−いまだにグルメや贅沢な生活に興味がない。自宅も長屋のようなワンルーム・マンションである。いつまでもガキのようだと、人からイヤな顔をされることも多い。それでも、ガキのように走り続けているときだけが、他人を説得し、自分の夢に巻き込むことができるのではないか。60年代に始まった反逆は、95年の今も、私の中で続いている。−
ドッグイヤーなので、彼の愛犬は寿命を全うしたと思うが、彼自身は今も走り続けているのだろうか。何故、彼は愛犬にコルビュジェという名をつけたのか、誰か教えて下さい。
京都ではヒルズなんて名を付ける感性は理解し難いだろうな。
まあ、世界の六本木だから、日本ではないのであろう。京都の町家を再生した旅館システムは面白いですよ。路地裏にある古い町家をネットワークで結んで、泊まれるようにする。自炊も出来るらしい。
六本木より、新大久保の方がオモロイ。私は建築音痴なので、あまりしゃべると、ぼろが出るが、六本木ヒルズには茶室なんて、あるのかな。
秦の始皇帝が焚書坑儒で言論統制の一貫として、書物を焼き捨てたが、一方、万里の長城、阿房宮と大土木工事を行い、建造物に言葉を封じ込め、いわば、一冊の本として、われわれは万里の長城を読むことも出来るが、どうせ、超高層ビルを建造するなら、
本を足蹴りする位の説得力ある創造物を宙高く起立して、われわれを悪寒させて欲しい。
人の感性は面白いと思ったのは、確か『たんぽぽの国』?を書いた、トルシエ監督(サッカー)の通訳をしていたちょんまげ映画青年は日本で一番好きな場所は新宿の超高層ビル街で、富士山に登った時、自然に触れて、嘔吐してしまったと、恐るべき体験を語っていた。人工的な無国籍の風景でないと、駄目なんですよと、本のエッセイかNHKのインタビューで聞いた気がするが、
彼にとって、六本木ヒルズは生理に叶った理想的な街なんだろうなあ。
みなさんはどうなんですか?森林浴はとても怖くて、ビル街は精神の平衡を保ってくれる。そんなこともあり得るらしい。
六本木ヒルズの会員制クラブともなると、単にお金持ちなだけじゃなく
セレブや文化人の肩書きがないとなかなか入れないんでしょうね〜。
眺めはいかがでしたか?
ル・コルビュジェについては鉄骨とガラスとコンクリートの四角いビルのイメージしかなくて、その思想や都市論についてはまったく不案内です。
個人的には大正〜昭和初期の様式的な建築が大好きなので、コルビュジェというと
なんとなく「戦後の街をつまんなくした元凶」みたいに思っていました。
もちろん、あの四角いビルも誕生した当時はバリバリの前衛だったのでしょうが。
最近、『前川国男文集』や井上章一さんの『戦時下日本の建築家』などを読み、
忠霊塔のデザインコンペやパリ万博の日本館など、
作り手側の意識と同時代の社会とのズレや共鳴の具合がとてもおもしろくて、
日本の戦前・戦中の建築界について興味がわいてきました。
でも、旧様式とモダニズムの世代争いのくだりなどは、
ル・コルビュジェの思想についてある程度知っておかないとダメだと思いました。
武田さんがアンチコルビュジェ論を書かれているのはどのご著書でしょう?
(勉強不足でごめんなさい。「偽満州国論」の都市論でもちらりと触れられていたような覚えが。)
実は昨日、六本木ヒルズ森タワー行ってきました。GQの創刊パーティだったんだけど、締め切りが終わっていないのに出かけたのは、会員制の六本木クラブが会場だったから。会員制のスペースなのでいつ入れるかわからない。で、見に行ったというわけです。
駐車場からクラブまでのコースしか見ていませんが、まだオープン前なので作業中(もちろん時期的には最後の仕上げという感じではありましたが)のところもあって、印象を語ってもはずしそうです。でも作りはなかなか良いとは思いました。森ビルにしてみれば、ふつうの番号付きの森ビル物件と違って、町作りの手並みが問われる、アークヒルズにつぐ大規模物件ですから、プライドがかかっている感じではないですか。
でも男っぽくなるかな。確かに六本木の土地柄がどうでるかですが、ぼくは六本人(ダサいコピー>六ヒルズCM)ではないので勘が働かず、想像がつかないですね。
そうそう、インビテーションで森社長インタビューしました。あれは結構、ゲラチェックを要請してき広報にやられた(笑)。ぼくは知っての通り、アンチコルビュジェなんだけど、社長はばりばりのコルビュジェアン(っていうのか?)で、町作りの手法については話が合わなかったです。結局、本人インタビューなので本人の望むかたちに落としました。
武田さん、皆さん、こんにちは。
武田さんがコラムを書いていらっしゃる雑誌「Invitation」、ちょっと前の号で
六本木ヒルズを控えた森ビル社長にインタビューをされていましたよね(立ち読みでしたが)。
その六本木ヒルズが今日オープンですね。
郊外や湾岸地区に、きれいにパッケージされた街がある日忽然と誕生するのは珍しくありませんが、そういうところは女性・ファミリー層の消費のための街という感じで、概して男性の匂いが希薄です。
都心のどまんなかのヒルズは、おしゃれなだけでなく、男も呼び込む生きた街として成長していくとおもしろいんだけどな、と期待してます。けやき坂におでんの屋台が出たりして。
ところで、朝刊でヒルズのマンションの家賃が報じられてましたが、最低60万円から。
森ビル社長は、郊外から90分もかけて通勤するコストと精神的負担を難じて、職場と住宅を都心に隣接することの効果を語っていましたけど、1カ月60万円以上払える収入の人は、もともと郊外から電車にぎゅう詰めになって通勤なんかしてないのでは〜?
ちょっとひがみまじりですが、連休中にさっそく使い勝手を調べに行ってみたいと思います。武田さんのご感想もぜひお聞きしたいです。
ぼくが伊賀上野を訪ねたのはプリマハム(だったと思います)の女子サッカーチーム取材、ペットボトルリサイクル工場取材見学、そして昨日の防災メーカー取材です。支離滅裂ですね。でも三回もゆくと喫茶店の場所もわかって楽ですよ。
おみやげ屋も勝手知ったるなんとやらで、昨日はウケねらいで手裏剣せんべいというのと、珍しさでみるくはちみつどうふというのを買いました。前者はひとにあげちゃったけど後者は案外おいしかったです。牛肉もいいみたいですね。ぼくは昼はせわしないスケジュールですし、夕ご飯の時間にはいたことがないので試してきませんでした。昨日も同じ条件ですが、いまはぼくは牛肉を食べないのでいずれにしろ関係なくなっていますが。
しかしあそこに一ヶ月滞在する雑誌ってなんだろう。そっちのほうが気になります。
武田様 皆様
はじめまして。
下の「伊賀上野」に反応してしまいました。
私もある雑誌の記者をしていた折、延べ1ヶ月ほど伊賀上野に滞在したことがございます。
かといって取材の成果は芳しくなかったのですが……。
しかし伊賀上野という町には独特の記憶が残っています。
駅前にある和菓子屋(確かいちご大福発祥の地ではなかったかと)、
お稲荷の裏にある、あの池波正太郎御大も絶賛したすきやき「金谷」。
俳優の椎名某の実家の焼肉屋も、目抜き通りにあったと記憶しています。
関西文化と名古屋文化が交わる場所柄からか、
微妙に閉塞感が漂う中に、独特の雰囲気があったと記憶しています。
武田様がどのような内容でかの地に訪れたのか、知ってみたい気も……。