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LOG111
さきほど年内締め切り分をすべて送稿。最後はたてこんで結構たいへんであった。あー、疲れた。
で、明日(もう今日か)は取材一件と打ち合わせ一件。これで外回りも終わる。筑摩の再校が出るかでないか微妙な状況、出れば年末年始休暇をかけてチェックできるが、出ないと気持ちの準備をしていたこともあって、ちょっと寂しいかも。
もしゲラも出ずに、もうひとつ抱え込んだ単行本系の仕事もたいして手間にならず時間があいたらまだ書いていない上海旅先日記と、2002年の取材中の最大のハプニングだった富野由悠季土下座事件について、をアップしたいところだが、どうなるかな。
本多さん。中国の件ですが、参考になるか分かりませんけれど、ぼくの知っている限りで。まず中国へ取材ビザで入国するのはかなり困難です。ぼくが中国取材をしていたころは、中国政府が認めた日本を代表するメディアと中国を代表するメディア(新華社?)の推薦書がいるというものだったと思います。これでは事実上、大きな新聞社、放送局でないとビザは取れないと考えて良いでしょう。で、ぼくも観光ビザで入国していました。取材ビザがないと政府関係の公式行事の取材とか出来ないのですが、困るかというとそうでもなく、中国人は良い意味でおおらかで、末端の政府とか党関係者はビザの問題など話題になることもなく、問題なく会えました。たぶん、このビザ制度は今もそうは変わっていないはず。このまえ、アジアプレスの野中さんに聞いても彼も取材ビザ取っていないといってました。
で、なにがいいたかったかというと、新聞社、放送局のように取材ビザを取って入国するようなエリートジャーナリストとか、更には特派員などは、逆に政府によって承認されたかたちで滞在しているわけで、当然、管理はきびしいわけです。取材ビザを取ると、行動をすべてチェックされると言うこともあって、取らないほうがいいという話も中国関係ジャーナリストの間ではありました(93−4年ですが、燕吉で北朝鮮からの脱北者を追っている日本人カメラマンに大連で会いました。そのまま同じテーマで続けていたら今は脚光を浴びているはずですが、名前を聞かなくなっているのは挫折してしまったのでしょうか)。特派員事務所は盗聴されているというまことしやかに語られていましたし、それはどうか別としても、問題のある報道を行うと国外退去処分を受けます。ぼくのお師匠さんであるシュピーゲルのアジア特派員も追放されて日本にベースを移していたし、辺見庸さんも妙な言いがかりを付けられて追放されていますよね。というわけで、特に現地特派員からの中国報道はかなりバイアスがかからざるをえないというのが未だに実状としてはあるのではないかと思います。中国報道の価値が高まっている以上、簡単に退去命令を受けるのは損なのでそのへんは自発的に配慮するジャーナリストも多いと思います。
これは一般論。で、インターネットの接続制限ですが、ありえるとは思います。海外経由で少数民族系の独立運動やそれにたいする弾圧の報道とかに接触されるのを避けたいと政府が思うのは今の中国の状況を思えば自然な流れでしょう。中国の場合、インターネット以前にも報道管制の問題はあって、ただ面白かったのは、それぞれの電視台が他の地方の汚職とかは結構報道しちゃうんですね。身内の恥は隠すけれど。だから結果として分かってしまうということもあったようですが、少数民族問題などは全中国的なものなので、なんらかの規制はしたいでしょう。ただ方法はどうやっているのか。LANであれば大元のサーバーでアクセス制限をかけることは出来る(日本だって、やっている会社ありますよね)でしょうし、国内で取りまとめているネットワークも何かできどうですが、たとえば個々人のユーザーがダイヤルアップで国際電話で海外のAP経由でネット接続するような人までも制限かけられるのでしょうか。そこは技術的なところなので逆に詳しい人に聞きたいです。制限をかけたい意向を政府が持つのは推測に固くないし、実際にやりかねないくらい、フリープレスの概念のない国ではありますが、実質的にどの程度やられているのか、出来ているのかは疑問を感じます。国外の華僑ネットワークもあるし。どうでしょう。あと日本のジャーナリストがそれを黙認しているのかも事実関係がはっきりしないのでちょっとわからないです。
上田さん。『核論』で引いたことですが、日本国の憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という文面に対して高坂正堯が「諸国民の公正と信義を信頼して」の部分に「ちょっとだけ」と挿入すべきだといったそうです。ぼくもそれぐらいのスタンスがちょうどいいのではないかと思います。信頼できないとは言わないけれど、根拠無く全幅の信頼をおくでもなくという感じでしょうか。笑顔はもちろん大事ですよね。ぼくも笑顔には自信があります(笑)
武田さん、こんにちは。
>「音楽には国境はない」とか「言葉が分からなくても
>音楽なら分かり合える」ってウソですよね。ウソという
>のが言い過ぎなら、考えの浅い表現というべきか。
似たようなことで言えば「同じ人間なんだからわかりあえるはずだ」というのもある意味ウソだと言うことも言えますね。現在の国際情勢を見る限り。同じ人間であるということは確かに「分かって」いるはずなのに、人種の違いや宗教、文化、政治の違いで国境が引かれる。そして互いに国境の中でしかモノを考えない。この対極にあるのがNGOということになりますが、結局のところ人と人との間に線引きしているのは「政治」に問題があるんでしょう。
例えば日本人と韓国人の歴史認識の違いもそうです。互いの国境の中で考え解釈されたことを前提として「強制連行だ」「いや違う」ともめているわけですから。世界史的な視野で考えるべきことを自国の歴史観の中だけで考えようとしてもそれは確かに無理があるでしょう。こうした微妙な間違いをいろんな国でやってます。
まあ確かに「音楽」とかならなんとなく楽しげだとか悲しげだという印象を伝えることは可能ですから、そうした曖昧な部分に限って言えば最低限のコミュニケーションはとれるということは言えます。身振り手振りで伝えるのならとりあえず相手の笑顔で「良し」としてしまうところもある。ですからコミュニケーションの基本は「笑顔」です。…ってなんのこっちゃ。
いつも的確で、誠実なレスありがとうございます。実は最近気になっていることがあります。
それは中国から一部のインターネットのサイトにアクセスできないということで、中国政府がアクセス規制をしている可能性があると言われています。しかしアクセス規制を示す直接的な証拠はなく、中国の現状ではアクセス規制の有無について調べるのは困難です。このことは一部のサイトでは報告されていますが、いわゆる大手マスコミではほとんど報道されていません。中国のメディア政策というのは重要なテーマだと思いますが、だからこそ報道は慎重な姿勢が求められるということでしょうか。このような情報はどのように扱われる(報道される、報道されない)べきなのでしょうか。素人の私には正直良くわからないので、ジャーナリストの意見をお聞きしたいのですが。
T.Kouyaさん、書き込みありがとうございます。
ぼくもここのところアマゾンチェックも少し一段落です。というのもクリスマスだというのに野暮なはなし、結構忙しくて。ここ数年はクリスマスといえば仏教国というのが恒例で、日本のクリスマスは久しぶり。こんなものだったのかなぁ。
アクシスの取材で新横浜に行った行き帰りでも原稿を書くためにスタバなどをハシゴしていましたが、クリスマスバージョンの紙袋を持っている人が多いのにやや嫉妬。見せ噛み袋かも知れないけれど。
そんなわけでクリスマスディナーなんて縁遠くて、さっき近所のラーメン屋で夕食を食べようとしたら海苔がメリークリスマスなんて書いてあるやつで苦笑。
武田さん,お返事どうもありがとうございます。版元さんの経過報告メールを
読む限り,取り次ぎの在庫状況とAmazonの連携がうまくいっていないということ
なのでしょうか。私は特段,流通やe-business(いかがわしい言葉ですね)の専門
家でもありませんので,Amazonの在庫状況がおかしなことになっているのは,単
純にサボっていとしか考えませんでした。
「『核』論」は,八重洲ブックセンター本店,理工学書の原子力コーナーにあ
るものを店員さんに探し出して貰って本日購入致し,新幹線の中で読ませて頂き
ました。反米でもスイシン派でもハンタイ派でもないことは確認致しました(笑)。
感想は長くなりそうなので,自分のWebページにでも書くことにします。では。
それにしても(って、どういう書き出しなんだ)「音楽には国境はない」とか「言葉が分からなくても音楽なら分かり合える」ってウソですよね。ウソというのが言い過ぎなら、考えの浅い表現というべきか。
「分かり合える」と言うのなら、その前に「分かる」「理解する」とは何かを定義しておく必要がある。ウィトゲンシュタインは「理解する」を、「そのまま同じ規則で行為が連続させられる能力を持つこと」とか「他人に教えられる能力を持つこと」といった、「外部化」出来ることでしか定義できないと考えた。「分かる」「理解する」を心的な現象、「内部」のイベントだと考えるとコミュニケーションが説明できない。心の中を覗けないから。自分の言ったことを理解しているかどうか確認が出来ない。確認するためには、前記のような外部化した行為が必要になる。逆にいうと外部化できない「理解」は社会的には意味を持ち得ない。「分かった」とか「悟った」とだけ言っていても、何を「分かった」か、「悟った」かは傍らではまったく察することが出来ない。
「音楽なら分かり合える」という場合の「分かり合える」は、こうした社会的に意味を持つに至らないレベルでの「理解」を想定して使われている。しかし、そんな「音楽なら分かり合える」という言い方が社会的に流通してしまう逆説もあって、そのあたりは、なんとなく気になったりする。そういう安易な「分かり合える」に依存するから、結局は色々なところでうまくゆかないのではないか。と、ちょっと思いついた雑感を忘れない内に書いておきます。もう考えを少し練りたいところ。
本多さん、教えて下さってありがとう。ぼくは毎日は取っていないので、知らずに見逃すところでした。助かります。11月末の刊行は各紙誌の「下半期の収穫」「今年の収穫」の締め切りからして選ばれる対象になるかどうかのぎりぎりのところ。かろうじて間に合ったというわけで嬉しいです。
毎日新聞12月22日号の’02年「この3冊」で
御厨貴氏が「核」論を選んでいます。以下記事を
引用します。
鉄腕アトムやゴジラから清水幾太郎や高木仁三郎まで、
半世紀にわたる「核」論を考察した武田徹得意の
ノンフィクション。味付けは辛い。
引用終わり
おめでとうございます。
もっと早く出掛けて用事をこなすつもりだったのだが、雨なのでつい億劫になって昼過ぎまで家にいた。手をつけずに貯めていた手紙の返事などを片づけ、締め切りがゆるくて後回しになっていたWEBの原稿をようやく書き始める。ずっとTVを付けっぱなしにしていたのだが、小児ガンの女の子のドラマをみて不覚にも目頭が熱くなる。松浦亜弥が主役だし、他にもジャニーズ系のタレントも出ているような、視聴率狙いの安っぽいはずの番組なのに本当に不覚(苦笑)・・・・。
こんなことは昔は(そんなに)なかった(。少しはあった)。感じ易すぎる心が若い時のものというのは、少なくともぼくにとっては間違いだ。力を入れていた仕事が終わったときとか、頑張っている知人の姿を目の当たりしたりとか、よく感極まってウルウルしてしまう。授業で読んでいるテキストに自分で感動してしまうこともあるのだから自分でも呆れてしまう(必ずぐっと来ちゃうのがハルバスタムの「娘への手紙」と、小松義彦さんが『死は共鳴する』の中で引いていた脳死の女の子の津父親が語るケシの実の話)。ぼく、感じやすいんですぅ(宇野鴻一郎風>笑)。こうやって書いて行くと、自分が特にどの方向に弱いかが分かる。くれよんシンちゃんに感動したのもベクトルが同じだし。気を付けよう。
小児ガンではないけど、前に大学で教えてきた学生が母親をガンでなくしていて、ES細胞を使った人工臓器が出来る世の中であれば良かったのにとレポートで書いていたのを印象的に覚えている。肉親をなくすとそういう気持ちになるのはすごくよくわかる。しかし、だからといって簡単にもっと研究開発速度を進めるべきだとは言えないのが今のバイオとか医療の状況でそこがもどかしい。感傷主義に曇った眼ではそういう問題点が見えずに、カワイソウから「もっと先端医療を進めよう」に直結してしまうのは怖い。さてさて、
こんなヨタ話だけではさすがに恥ずかしいので、ちょっと意外に思った経験について。これもTVと関係あるのだが、ぼくはビデオを資料としてよく使うので、早送りで音声の再生ができる機種を重宝している。それがたぶん誤作動したのだと思うのだが、ドラマを見た後、ニュースをビデオ側のチューナー経由で見ていたら生のTV放送の音声が遅れて出るようになってしまった。一定の時差があるのではなく、映像よりも音声の方が速度が遅くて、映像が変化しても音声が間に合わずに後に残ってしまう感じ。早回し映像再生の音声のみを自然な速度にする装置の逆というか、シフト状態というか、普通回しの映像の音声が遅い速度で再生されているのだ。
これは極めて変な感じだった。生放送のリアリティが極端に薄れる。口の動きと言葉がシンクロしていないだけでとんでもなく嘘っぽく見える。
そんなことでリアリティが総崩れになるというのはTV情報に対する感覚の実態として面白かったが、しかし、今や技術的に結構タイムラグを自在に作れるだとも思った。TVは実時間のメディアだけど、回路次第でかなりの部分で時間軸を延ばしたり、ちじめたりできる。生放送を実時間から引き剥がせるのだ。
これって新しい情報操作に使えないだろうか。生放送を少しずつ遅らせて、たとえばイラク侵攻の開始時間を徐々に遅らせて放送しつつ、それが現在のニュースだと視聴者に信じさせる。で、「生放送」では実は過去を放送しており、映っていない本当の現在時間のバクダットで見ていないのをいいことにいろいろやるとか。うーん、しかし、これだったらビデオを使えば今まででも出来たか・・・・、あまりいい例が思いうかばないが、この時間差生成技術は何かに使えそうな予感はする。
と、思ったら1−2週間で配達に変わりましたね。刻々と変わるなー。こうなるとフォローするのが趣味になりつつある(笑)。問い合わせの返答メールも来ました。
この掲示板読者は著者の人も多いでしょうから、参考までに問い合わせに対するアマゾンからの返答と版元の説明を。
アマゾンからは*****
Amazon.co.jpにご連絡いただき、ありがとうございます。
武田様著書「「核」論―鉄腕アトムと原発事故のあいだ」
について、現在、当サイト上にて「通常1~2週間以内に発送」
のステータスに更新されていますので、ご確認ください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326652721/
情報の更新が遅くなり、ご迷惑をおかけいたしました。
Amazon.co.jpでは取次販売会社他より在庫情報のデータを入手し、
サイトでの表示に活用しております。
そのため、新刊書・既刊書に関わらず在庫情報のデータを
いただいていない出版社の書籍につきましては、
Amazon.co.jpの在庫ならびに取次販売会社の在庫がなくなった時点で
「在庫切れ」の表記になります。
また、在庫データの更新が行われる際には当サイトの情報が変更される
可能性がございますので、
ご了承いただきたく存じます。
今後ともAmazon.co.jpをよろしくお願い申し上げます。
版元からは****
アマゾンの倉庫はだいたいベストセラー物しか入っていませんから、この場合は取次
ぎ倉庫=大阪屋倉庫の在庫切れということだと思いますが、
勁草書房からの在庫情報は毎日大阪屋へ送信しており、先方の在庫有無も毎日確認し
ています。大阪屋のデータも毎日更新されてるはずなので、在庫切れってことはない
はずなんですが・・。
ただ、在庫補充は週に1度なので、動きが急によくなった場合(在庫補充は前週の動
きから1週間もつ程度の冊数を入れています)、在庫補充中の半日とか1日、在庫切
れになる場合はありえますし、そのタイミングでアマゾンがデータをコピーした場合、
アマゾン側の次回データ更新日まで在庫切れになることは考えられます。
が、週末の今日、「1-2週間」に更新されたということは、今週は在庫をきらしてい
ないはずなのです。在庫があるにもかかわらず、なぜ「在庫切れ」という表示になる
のかがまったくの謎なのですが・・・・・
北朝鮮の核については前にも書いたのですが、ぼくはまともなものはないと思っています。
ウラン原爆は間違いなくないでしょう。問題になったウラン濃縮設備と言っても、おそらく日本よりも小さな規模の、実験用だと思う。寧辺の航空写真を見てもそんな感じです。地下施設の可能性はありますが、地表面に変化を及ぼさずに原爆級ウランの巨大な濃縮施設を作るのはかなり難しく(ガス化させたウラン化合物を扱うのですから換気施設とかかなりいるでしょう)、それを米朝合意以後にやっていたとしたらアメリカはもっと早くアクションを取っていたのではないかな。
一方のプルトニウム原爆は確かにかつてはあったと思います。しかしプルトニウムで自己崩壊してゆくので、メンテナンスが必要なんですよ、確か。それをやってく力が米朝合意以後の北朝鮮もあったとは思いにくくないですか。そんなところからぼくは核に関しては北朝鮮は少なくとも今は使えるものはないのではないかと思っていますが、どうでしょうか。
核論は在庫切れのまま、「核論」で検索をかけると売り上げ順最上位に。昨日はもっと下の順位だったので在庫切れのまま何冊か売れたことになってしまいます。へんなの。これもアマゾンのシステムを考える上で注目すべき例かも知れません。それとも瞬間的に在庫所有して、すぐに売り切れたのか?
武田さん、こんにちは。
>それはさておき、やっぱ、著者としては本を売りたいじゃないですか。
実はまだ武田さんの本は読んだことないんです。ごめんなさい。今度買います(笑)。
それはともかく、買った本の著者とインターネットを通じてコミュニケートできるというのは、これはかなり魅力的なことですね。もちろん揚げ足取りのような批判ばかり集中すると著者としてはBBSを開設している意味がないでしょうけれど、そういう批判者にここでお目にかから
ないというのは、武田さんの読者層はよっぽど理性的なんでしょうか。小林よしのり氏の場合、とても自前のBBSなんか作ってられないでしょう。
ところで「核論」をまだ読んでもないので言うべき立場にないですが、アメリカはイラクに対して核攻撃も排除しないと述べてますが、もし核攻撃が現実のものになるとすると既に核兵器保有の疑いが濃厚である北朝鮮に対してだろうと思いますね。
イラクは生物化学兵器で応戦してくるかもしれませんが、北朝鮮の場合は追い詰められれば核兵器を使用しかねない。その可能性が残る限りアメリカはうかうか戦争を前提にした対応はできないし、戦争となれば核兵器の使用も避けられなくなる。そういう差があるのかなと。
書き込みありがとう。
ぼくはアマゾンは立ち上げの時に取材して記事を書いていますし、最近の経営状況も耳に入ってきますので、何が原因でぼくの本が在庫切れになっているのかはわかっているつもりです(ぼくだけが特別というわけではもちろんないですが、おっしゃっている小林よしりんの場合と理由は違うと思いますよ。むこうは数日で、こっちは一ヶ月近くですから。もちろん冗談のおつもりでしょうが、反米だからというのも絶対に違いますよね。内容まで見ている余裕は今のアマゾンの所帯にはないでしょ。それにしても、ぼくの本って反米ですか?)。
それはさておき、やっぱ、著者としては本を売りたいじゃないですか。それに現状ではアマゾンがネットショップでは買い手には一番有利(殆どの場合送料なしになる)なので、ごまめのハギシリで微力ながら「抵抗」した結果が一度の在庫あり状態への変更。しかし力足りずでまたすぐに在庫なしに戻って・・しかしさっきみたら今度は取り寄せになっていますね。ここ数日の状態の変化速度は、取材やむこうの説明ではわかりにくい内部的なシステムの実態がどうなっているか外からなんとなく推測が出来そうで面白いですね>ご専門ですか?
アマゾンですが,「わしズム Vol.4」(雑誌と言っていますが,ISBNコード
が付いています)も発売日の後,数日してからようやっと掲載されていました。
反米の臭いがする本は不利な扱いを受けるのかしら?(笑)
ちょっとデータベースの更新作業が疎かになっている感じはしています。ま
あ,商売が軌道に乗ってしまうとルーチンワーク化して気が抜ける,という
ことはどの業界にもあることなので,別段,アマゾンが特別サボっているとは
思いません。
武田さんの本が特別ではなくて,他にも事例があるということをご報告して
おきます。
『核論』がアマゾンでずっと在庫切れ状態でさらしものにされていた件については、度重なるメールでの問い合わせandクレームでようやく問題解決・・・したかと思ったら、また在庫切れになった。売れてるのか? たぶんバカにされているんだと思う。
そしてアマゾンでは在庫切れ商品は古本サイトへのアフィリエイトプログラム始めたんですな。不埒にももう核論を売りに出すやつがいて(笑)、ユーズトショップには在庫有りになっていた。1200円。ずいぶん安くなっちゃうんだな。
『戦争報道』は初校が出ていて今、校正中。イラクの出方次第でいつでもだせるように(ま、せっかくなので機会に乗じてということですね)ゲラにしておきたいという編集者氏の要望があり、完全に仕上げない荒削り状態で入稿したため、自分が編集者だったら朱筆を入れた作家を思わず殴りそうな、なんかすごいことになっている。
そのうえ結果としては、イラク次第で出せるどころか、もう1月刊行も無理で、2月刊行予定。世界はそのころどうなっているのか。アフガンと同じような地上戦なしの侵攻、反フセイン勢力が決起して首都奪還なんてシナリオなら、アフガンで戦争慣れしている大衆の気分はもうそうは変わらないだろうから、2002年秋時点で書いている今の内容のままだせるかもしれない。しかし、もしも核を使ったら・・・。911が起きてしまってハミルの『新聞ジャーナリズム』の訳がそのままだせなくなり、911以後の新聞ジャーナリズムについての書き下ろし序文が必要になったように、あまりに世界の状況が変わると、『戦争報道』もこのままでは出せないだろう。戦争を抑止するジャーナリズムの在り方を提唱する本が、実際の戦争次第で便乗販売がねらえたり、行き過ぎると出せなくなったりするというのは、なんとも皮肉というか、屈折した状況。もっとも、今回は最悪の場合で『戦争報道』がダメでも、『核論』が売れるかもという、妙なシーソーゲーム状態に著者は置かれている。
ここには書かなかったが最近は毎週、長野に出張していて、今日も日帰りしてきた。この成果は3月ぐらいか。これは今までのぼくの仕事とは全く異質なものなる。作者ではなく、編集者的な関わりをしようと思っている。つまり敢えて署名なしの黒子に徹しよう、と。自分の名前で出す本は大事にしたいと改めて思っていて、今回は版元と取材相手の事情でタイムスケジュールが決まっていて自分の納得がゆくまで作りこめないためと、マンネリ化を防ぐために少し新しい姿勢で仕事してみたくなったことから選んだ方法だ。
長野出張の最初の時は一泊でいったので、朝、県庁まで散歩して(隣のホテルだった)、県知事室を見てきた。康夫ちゃん、仕事してた。
昨日は法政のビデオ制作のクラスが締め切り間際なので、夜8時まで編集の面倒を見る(といっても、大学備え付けのリニア編集機はぼくはよくわからないので、技術的な指導はあまり出来ないのだが)。明日も同じようなスケジュールで動きそう。スタジオから出ると高尾の山中はとっぷり暮れていて、冷え切った空気の中、夜空には冬の星座が結構な高さまで登っている。自分が修論を書くために大学に遅くまで残っていた頃を思い出す。ぼくの今は、あの頃、悪戦苦闘しながら『言述の喚起力論』を生みだしたことから始まったのだ。何か作り出すこと、それが具体的な見返りがたとえないとしても、大きな満足と明日を生きる力を与えてくれることを分かって欲しいと思いながら、特別手当の見返りもない(笑)、時間外出勤を続けている。
以下、メアドなしにより削除。日中国交を語る前に投稿規約を読みましょう。これって結構本質的な問題かもしれないですよ。
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■ 日朝国交正常化反対運動のお知らせ 投稿者:四條縄手/鐵扇會 投稿日:12月16日(月)20時21分03秒
鐵扇會では、北朝鮮に拉致された被害者5名の帰国とその後、
北朝鮮に残されたその家族たちの問題などを踏まえ、茲に「日
朝国交正常化反対運動」を提唱展開することと致しました。
これは、日本国民の大多数が必ずしも北朝鮮との国交樹立を
優先する機運にはないことを政府・外務省に示すと同時に、北
朝鮮に対しては拉致被害者とともに日本国民が一歩も引かず筋
を通すことを、また場合によっては憲法を含めた戦後体制から
の脱却を志すことを、気概として持つことを示すものです。
一人でも多くのご賛同・ご協力をお願いするものであります。
詳細は、下記をご覧の上、首相官邸・外務省宛メールにてお願
いできれば大慶至極に存じます。
平成14年(紀元2662年)12月15日
鐵扇會 拝
ゲートキーパーということで少し気になっているものもある。メディア論のゲートキーパーのイメージから程遠いが、ソニーの新製品チャンネルサーバーのコクーンだ。
これは数あるメディアの中から必要そうなプログラムをHDに録画するためもの。録画操作はもちろんマニュアルでも指示できるが、半自動的に機械が持ち主の「必要そうな」プログラムを選んで録画することに任せることもできるところがうりだ。
コクーンだけではない。自動編集プログラムの発想は最近多くのところでみられる。実時間では処理しきれない量のコンテンツが氾濫するようになれば当然、編集して、情報量を整理する必要がでてくる。
しかし今になって機械任せの編集というアイディアを実現する事例が多く登場しているのは、電算処理技術の進化も一方にあるが、同時に編集整理という作業を機械任せできることを疑わない風潮が生じていることも背景事情のひとつだろう。
誤解してほしくないが、機械任せが不可能だと言うつもりはない。現状はともかく条件付けとかフィルタリングソフトを洗練させて行けば、ある程度使えるものは出来ると思う。ただ気になるというのは、今のところ機械がどのようなかたちで嗜好を代理するかの方法が完全なかたちで公開されていないことが多い点だ。コクーンはまさにそうで、過去の録画コンテンツや消去保護設定にしたコンテンツの情報から自動録画するプログラムを選んでくる。結果に満足したか確認するモードもあって、学習もしてゆくようだ。しかし、過去の録画したり、消去保護したプログラムをどう数値化して、次の録画に生かしているのだろう。そこはブラックボックスだ(買ったわけではないので、もしかしたら取り説には説明がある可能性もあるが、どうなのか。ぼくはないと予測するが)。
機械がなにを根拠に、どのようなメカニズムで情報を選別するのか。それを理解しないまま機械任せに出来る感覚は、少なくともぼくには理解できない。選ばれなかった情報のこと、触れずに消えてしまった情報のことが気にならないのか。
その点、選別方法が明示されれば、選別条件に自分の意図をより確実に織り込むことも出来るだろう。そうして初めて情報の選択に「自己決定」が及ぶ。そうせずに自動処理に安易に任せることは自分の望む情報をみすみす見逃す結果にもなるし、知らず知らずのうちに誰かの意図的な情報選別を受け入れさせられる恐れもある。コクーンという名前はどこか不吉な印象があるが、機械の指向するものとの関係をつい考えてしまう。
で、ここで再びメディア論のゲートキーパー論との関わりについて。自動選別プログラムもそうだが、ゲートキ−パ−の存在について油断しがちなのは、ゲートキーパーの仕事の重要性を弁えずにここまで来てしまった社会の趨勢と無関係ではないはずだ。そもそも早くからゲートキーパー役を務めてきた新聞やTVの制作者側からしてゲートキーパーとしての矜持がなかった。情報を誰かに変わって選別することの影響力の大きさ、責任の重さを改めて思い知る必要がある。コクーン(的な機械の現状における登場の仕方)をそんな視点から批判的に議論しても良いのではないか。
書き込みありがとう。74年論以降がマズイかも(笑)。まるさんと一緒にいった取材の成果も匿名化して少し取り込んでいます。
こんにちは。
『「核」論』、昨日、池袋の旭屋書店で購入しまし、1965年論まで読みました。
この週末で読み切りたいと思っています。
ただ、少なくともここまで内容は「スイシン派」の人もよむべきだと思う内容ですね。
それでは、また。