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上下分離? 投稿者:武田徹  投稿日:11月16日(土)01時49分16秒

猪瀬直樹は、TVでも分かるように見るからに態度がデカい(笑)。団塊世代のステレオタイプみたいな人だ。たとえば、小泉首相と懇意であることを機会あるごとに話すのも権力志向の強さの現れなのは事実。で、敵は多いし、嫌う人も多い。でも一方で小泉から電話を貰ったと嬉しそうに話さずにはいられないという意味では、とても稚気に充ちた人でもある。猪瀬が嫌いな人、敵は骨の髄までいやなのだろうが、ぼくは変わり者なので、そんな彼の子供っぽい一途さを憎めずにいる。で、この間も論戦型ではなく、ご意見を拝聴しましょう的な対談してしまった(>11月26日発売NAVI来号参照のこと)
猪瀬直樹といえば道路公団民営化だが、民営化委員に加わった当初こそ公団の「天敵」の登場として期待を集めたが、最近はあまり良い話を聞かない。公団、道路族に寝返ったとか、「自民党にもう一軒事務所ビルを建ててやる」と言われて買収されたとか、ま、諸説出ている。ことの真相は分からないが、ひとつだけ、『日本国の研究』増補版で示された猪瀬案は上下分離方式ではない。その意味で政府の意向とは異なっている。それは確かで、そうした違いが無視されて「寝返り」と言われているところは弁護してやるべきだろう。猪瀬の縄張りと思われていた文芸春秋まで桜井よしこの反論記事を載せたが、こうした上下分離について浅い理解のまま論を展開していて民営化論としては内容に乏しく、結局は猪瀬が他人(特にマッキンゼーの女性民営化委員の話を聴かない悪い男だという、妙なフェミ論的な部分しか印象に残らなかった。猪瀬憎しは分かるが、天下の公論として繰り広げるべきではないものだった。週刊朝日の上原隆の批判記事もそうだけど、まず事実関係の整理が出来ていないし(ファミリー企業の実態と示し、交通量予測の詐術を見破った猪瀬の功績は少なくとも評価できると思う。彼らしく強引にやってのけたのだろうが、今までそこがはっきりせず議論すら出来なかったところを可視化してくれたのは事実。猪瀬憎しの論調はそこを無視して進めようとするから机上の空論、理念ばかりの論になるのだろうか)、民営化に対して実現可能なプランを出せていない感じもする。そうした批判の幼稚さはなんとかしてほしいし、また民営化が国土交通省ラインの上下分離で行くことが決まりかけている中、その流れを止められるのは、一見、上下分離に見えるし、そうも誤解されている猪瀬案しかないという逆説的な事情もあるので、一応、書いておきたい。
猪瀬案が上下分離方式だと言われるのは、道路保有機構なる独立行政法人を作るからだ。その行政法人が道路を民営化会社にリースするという方法を採るというスタイルは、確かに公団的な(お上の)ものを残して、(下々の)民間会社に公有の道路を使わせるという国土交通省のシナリオに似ている。しかし猪瀬案では道路保有機構は債務変換までの時限的な組織であるとされている。その一点が大きい。猪瀬案は暫定的上下分離であり、将来的には上下一体に展開して行くものだとされている。
債務返済後は、高速道路は完全に民営化され、民間企業同士の競争原理にさらされつつ無駄を省きながら鍛えられて行くと考えられている。こうした違いは必ずしも理解されていないのではないか。
寝返ったと言われる批判を受けて立つ形で、今後、猪瀬が自分の案を実現させようとするなら、道路保有機構の時限性を法案に具体的に盛り込めるかどうかだ。それがなければ保有機構は第二の公団になって再びファミリー企業を増やして肥大化し、天下りの温床となると同時に政治的に利用され続けるだろう。そうさせず、あくまでも債務返済のための組織として、その活動内容を限定して明確化し、使命を果たして解散するまでのロードマップを明解に法文として記す必要がある。それが出来るかどうか、本気でしようとするかどうかが、猪瀬が本当に国土交通省案と異なったビジョンで民営化を考えていたかどうかを示すバロメータにもなる。そのあたり、具体的に法案が出てくれば分かるが、その意味で彼が公団民営化でどのような役割を果たしたかの評価はもう少し待っても良いように思う。
そもそも元を糺せば、独立行政法人がうさんくさいからいけないのだ。国でなく、私企業でもない、法人格が、うまく定立できない問題がある。国でもない、市でもない、公の担い手がないこと。先に触れた猪瀬との対談でもそこは少し触れている。
編集済

実験 投稿者:武田徹  投稿日:11月15日(金)08時12分15秒

これはあくまでも思考実験なのだが、たとえば産業再生機構で、どの企業を再生の対象とし、どの企業には退場願うかの線引きが問題になる。公正な判断ができ、税金の投入を納得させられる人材を総責任者にしなければと言われる。そこで民間人の起用が、絶対必要のように言われるが、確かに政治家や官僚に任せては納得できない国民感情があって、民間人案も出るのだろうが、そこに消去法以上の意味があるのだろうか。教育基本法案に「国を愛する心」という言葉と「公益」という言葉が両方とも登場するように、国益と公益の区別がついていない価値観があり、国益とは日本の場合、与党政権益、官僚益に他ならず、それは実は私益、共同体益でもあるという屈折した構図がある(ってどこの国でも多かれ少なかれそうだけど、国益とか、公益という言葉の定義はもう少し明確ではないか。そこは「公」とかいう言葉の語感でなんとなく済ませてしまう日本語(文化)の問題もある)。私益という意味では民間の企業人は自分の会社の利益を最大化するのが務めであり、「公」的機関の責任者としてだけそうした私共同体益追求から完全に切り離せて行動できると考えるのはやはり無理があるだろう。私共同体益を含んだ形でいかに公益のために奉じられるかが問われるということだろう。
で、繰り返すが、これは思考実験なのだけれど、こうした公益のために働く必要がある組織の長として、皇族にお出まし頂くというのはどうなのか。いまや最も現世的なしがらみから遠いのが(なんたって「象徴」の一族ですからね)皇族であり、国益と公益の接片において判断を下せるようにも思うし、たえがたきをたえ、しのびがたきをしのんで不良企業には退場願う判断を下して、国民を納得させるという意味でも強力だと思うのだが、こうした空想はどこかに致命的な間違いがあるのだろうか。

メディアリテラシー担当コメンテーターってどうよ 投稿者:武田徹  投稿日:11月13日(水)08時40分05秒

最近の我が家の朝の定番である『とくダネ』で「脱北者の手紙」を紹介していた。こういうものにコメントするとイデオロオギー的に捉えられがちなので気が進まないが、純粋にメディア論的にコメントすると、この「手紙」、ほんものなのかと気になる。内容的にはさもありなんだとは思うのだが、問題は手紙のまさに「証拠能力」そのものだ。
ワープロ書きかどうかという問題ではなく、この種の、絶対に発信者が身分を明かせない内容の手紙・手記・取材談話などの信頼性は正直な話、かなり低いと思う。まったくの捏造の場合もあるし、内容的に一方的な偏りがある場合もあるだろう。とくに、その手紙・手記・談話がニュース価値があり、紹介され、コメントされることが確実な時期にはなおさらではないか。というのも速報性が要求されるので検証している時間がない。出してしまえば話題にはなるので、手柄を取ろうと焦る気持ちがメディア側に当然あるわけで、信頼性を確かめようと言う姿勢は反比例的に弱まる。実際、事実関係のチェックをしようとも、それが断ち切られているか、再取材などが困難な場合が多く、だからこそスクープ的に扱われるのだが、(もう一度繰り返すが)だからこそチェックの努力が必要だし、それが出来ないのなら、事実関係のチェックがなされずに報じられているという但し書きが必要だろう。
受け手のメディアリテラシーが高まればそれに任せることも出来るのだろうが、現状ではそうもいえない。メディア側はTV報道番組に、手記、手紙、談話などが使われたときに、それがどの程度事実確認されたうえで報じられているかについてコメントする、「情報評価人」をスタジオに同席させて必ず発言させるとかしたらどうだろう。ぼくがこんなところでしこしこ書いているより、遙かに効果的だと思う。興ざめではないかと思うかも知れない。視聴率に悪影響すると経営的な発想をする人は考えそうだ。しかし興が乗るかどうかで報道を考えること自体おかしいではないか。目先の視聴率よりも報道の信頼性維持の方が長い目で見たときにメディアのために絶対にあると思うのだが。
編集済

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