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LOG108
↓番組名は『ガイアの夜明け』でしたね。他のMLで発見。
さて、懐かしさについて。岡本太郎はこんなふうに書いている。
「人間がいちばん辛い思いをしているのは現在なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは現在のこの瞬間にある。それを逃れるために<いずれ>とか<懐古趣味>になるんだ。懐古趣味というのは現実逃避だ。だから過去だってそのときは辛くて逃避したかったんだろうけど、現在が終わって過去になってしまうと安心だから、懐かしくなるんだ。だからそんなものにこだわっていいないで、もっと現実を直視し、絶対感をもって問題にぶつかって、たくましく生きるようにしていかなければならない」
太郎が言うと説得力ある。絶対感というのも彼の表情あってこそ肉体感を持つ言葉ではないか。
ぼくは生前の岡本太郎の話を一度だけ聴いたことがある。大学で毎週講演者を呼ぶコンヴォケーションという時間があって、彼が講演に来たときに聴いたのだ。そのときの衝撃は忘れない。岡本太郎はなんの準備もしていなかった。最初から「では質疑応答をします」だった。舞台の縁までやってきて、胸を張って彼は観衆からの質問を受けた。
そのときぼくは彼から力を貰ったのだと思う。今になって、岡本の言葉を引いていて、反応して発熱する温度を心の奥に感じた。それは幽かだが確かな温度だ。ぼくも誰かにそんな話を出来るのだろうか。そんな言葉を書けるのだろうか。
クレヨンしんちゃん『大人帝国の逆襲』をビデオで観る。これはなかなか出来が良い。日本アニメの良い意味での実力を感じさせる。劇場では家族連れで観られたものだろうが、むしろ親の方に考えさせるものがあったのではないか。
まずは70年万博を懐かしがったり、過去のヒット商品をリバイバルさせてばかりいる時世への痛烈な皮肉がある。懐かしがることしかできなくなっている大人たちに対して、懐かしがるもののない子供を批判的存在として対置することから物語を作り出す。
そして「懐かしさ」とは何か。「進化」とは何か。「進化」が「懐かしさ」を生むのか。「進化」の先に到達した今が耐えられないほどダメな場合、過去を懐かしがる以外にどのような選択肢がありえるのか。そんなことが問われているファミリーアニメ作品は珍しい。
もちろんそうした設問に対して問題解決の方法が具体的に示されるわけではない。そのあたりは「たかが子供向けアニメ」であり、許容すべきだろう。『プロジェクトX』の、今を生きるエンジニアを根拠も具体的な方法の提示もなく励まそうとする姿勢のほうがよほど病的のように思う。作りの緩さはこの場合、悪くない。。
ただ問題解決の単位となる可能性が「家族」にあるという視点はそれでも示される。ファミリーアニメというカテゴリーと物語の重なる部分で引き出された視点ではあるが、しっかり概念設定をしないまま、家族を礼賛しちゃうのはちょっと危険かもとも思う。
それとも関連するが主人公家族のがんばりをみて「思い出街」の人たちの思い出に浸る気持ちが薄れ、21世紀を20世紀に戻す思い出ガスの圧力が減ってしまった(ガス抜きされてしまった)という設定はやや唐突か。というのも子供は大人よりもこういう整合性のなさが実に気になるものなのだ。子供に後味の悪さを残すようでは、いかに内容的に作り手の意欲を感じさせても、作りとして誠実ではないとも言える。
アニメということでは国際的なキャラクタービジネスを扱ったテレビ東京『ガイアの時代』を見る。日本製品が国境を越えることで欣喜雀躍してしまう気持ちは分からないでもないが、輸出する側は、輸出する製品の質について責任を負うべきで、果たして日本のアニメは世界化するのに値するものなのだろうか。上のしんちゃんは出来は良いが、おそらく海外では理解されまい。この番組ではハム太郎が取り上げられていたが、どこが受けているのか。国境を越えて理解される部分は何なのか。そういうところをきちんと押さえておかないと、文化帝国主義的な輸出になる危険もある。
AXIS誌で連載している『微に入り、細に入りのデザイン』の取材で羽村のカイジョーという会社に。ここは超音波を利用した探知機を作っている。民生用品ではないので一般にはあまり知られていないが、地方自治体や気象庁などには大量に機器を納入している大きな会社だ。
カイジョーの向かいにはカシオがある。実はここも以前に別件で取材したことがある。帰りに入構用バッヂを返さないままタクシーに乗って帰ってしまい、後になって警備員室から電話を貰い、送り返した思い出がある。あと羽村には東芝のワープロ関連の開発研究所・工場があってそこも取材で訪ねた。日本最初のワープロJW−10が展示しており、操作させてもらった。600万円もして今のワープロソフトよりも単機能だったが、キーのタッチなどはさすがに高級機の感触だった。これも思い出深い取材だった。
というわけで羽村市にある大きな工場施設は、ぼくは全部取材しているのだ。長く仕事をしているとこんなことにもなる。少なくとも東京の近郊の駅であれば、たいてい一度は訪ねたことがあるというのも自分で言うのもなんだが、なかなかのものではないか。スタンプラリーで降りたわけではない。何やかやで仕事があってそうした駅を使ってきたのだ。専門を決めず、媒体も固めずに、仕事をしてきた結果だ。
そうした、ぼくが今までこなしてきた仕事の経験はすべてぼくの体の中に記憶として残っている。それがぼくの財産であり、新しく何かを書くとき、体内の引き出しから記憶を持ってきて参照しながら書ける。若い頃は日本経済も好かったこともあって、毎日は締め切りで、次に休めるのは数ヶ月先なんて時期があった。その当時は忙しくてきつかったし、書き殴った記事にはお恥ずかしいものが多く、頼まれ仕事ではなく本当に自分の仕事としてまとまったものが書けていなかった負い目もあるが、それでも忙しかったおかげで大きな財産を作ることが出来たと今では思っている。今の若い書き手は仕事が出来るメディアが少ないし、経費もかけられなくてフットワークでかせぐような仕事自体が減っているので、ぼくと同じ量の経験を積める人はそう多くないはずだ(全くいないかもしれない)。もちろん今の書き手は今でしか出来ない経験を積み上げているのだろうが、仕事を始めたタイミング次第でその後が大きく変わってしまう事情は間違いなくある。
そのAXISの担当編集者は今年いっぱいでやめてベルギーに行くらしい。当てがあってゆくのではなく、全くの武者修行的な一人の滞在のようだ。断片的に聞いただけなので全貌を把握していないのだが、彼は「人形劇」に表現として注目している。そのために民話研究が渡欧の目的らしい。成功を祈りたい。未来は未知だが、その中に自分の意志で選べる部分があることも確かである。上に書いたこととも関係があるが、当時のぼくは忙しすぎて、自分の意志で自分の人生を決められなかった。ごく僅かの単行本を除けば、何をするにも、どんなポストにはまるにも、相手がもってきてくれた仕事だった感じがある。話があること自体恵まれていたわけだし、そうした仕事の数々はうまくぼくのことを今ある場所まで引っ張ってくれたと思っている。だからそれについては後悔はない。しかし自分の意志で留学などを選んで行く人を見るとやはりうらやましい。ぼくの人生にはもうそこまでフリーハンドのスペースが残っていない。選択肢の幅がだいぶん狭くなってしまっている。
パスポートを取りに行って、収入印紙まで貼った引き替え用紙を提出したが差し戻された。係員がいう。「これ、出来るのは明日からですね」。
ひえー、そういえば用紙にも明日の日付が入っている。しかし、なんで間違えたかと言えば、パスポートが出来るまでの日数がなか7日から、ようやくなか6日に短縮されたというニュースを覚えていて、なか6日はちょうど一週間後の同曜日になるので、水曜日に申請したパスポートは次の水曜日に出来ると思い込んでいたからだ。今回はなぜなか7日になっているかと言えば、4日が祝日なのでそれは作業日に入らない、なか6日はあくまでも6作業日後ということなのだそうだ。
しかしパスポートなんて、実は簡単に出来ていて、外務省で作っているわけでも何でもなく、旅券課のウラに記入前のものが山と積んであって、その場で作っていると聞いたことがある。なか6日でももったいつけていて本当は一日でも発行できるのだとか。で、一日早く出してくれませんかと言ってはみたが、さすがにちょっと通じなかった。中国のビザ取らないといけなくてむこうは10日かかるらしい、で、出発がぎりぎりなんですけどとか言うと、頼めばもっと早く出ますよと言う。だったら自分だって早く出してくれればいいのに。
今回、パスポート更新で焦るはめになったのは、前回5年旅券を作ったからだ。もう10年旅券が取れた時期だったので、10年にしておけば少なくとも今年どたばたすることにはならなかった。で、なんで10年ではなく5年にしたかというと、証紙代をけちったわけではなくて、パスポートは早めに更新して行く方が何かと得だと思っていたからだ。
実際、先週無効になったパスポートもインドに行ったときにジャーナリストビザを取っているので、入国時にそれがみつかると色々面倒なことになる国があったはずだ。で、そんなパスポートは早めに終わらせられたほうがいいのでせめて10年ではなく、5年旅券にしたのだが、そのせいでまた明日、相当にタイトなスケジュールで都庁まで再訪である。
今日も都庁に行っていたので時間が遅くなって、大学に行く途中で粗大ごみ(壊れた電気ストーブ)を市の清掃局に出そうと思ってクルマに積んだものの、時間が無くてそのまま出勤してしまった。で、学生のビデオ制作実習につきあって夜遅くまでパソコン室にいて、プレミアと格闘した後に、クルマで粗大ごみと一緒に帰る。わびしい秋の夜(笑)
学園祭の講演はなんとか無事終了。開始前に謝礼を頂いてしまい、ボランティアのつもりだったのですっかり恐縮し、頑張らなきゃと改めて熱心に話した(つもり)。やや時間は足りなかった(後半早口で少しはしょり、内容も少し間引いて400字60枚分ぐらい話し、それでも質疑応答時間が15分ぐらいしか残らなかった)が、それはスタート時間が遅れたからで、もし定時に始まっていたら400字80枚でちょうど90分ぐらい話し、質疑応答にも持ち込めていたように思う。ニクラス・ルーマンのジャーナリズム論も用意していたが、話せなかった。そのへんがアカデミズムの人たちには一番興味がありそうなところで、大学院の連中を前に話す機会でもあったので惜しかったが、学園祭では一般聴衆(ってほどはやはりいなかったけど。でも寂しい幹事ではなかった。20ー200名の範囲には下の方ではありつつも、収まっていたように思う。休みの日の午前中なのに出て来てくれた人には感謝)を相手にするので仕方なかったとは思う。
大学院の院生と話して、そうなのかと思ったのは、国立大学の大学院重点化で定員が増え、学生数全体は減っているので、進学希望者のうち多くは今や旧帝大系の大学院に行けてしまうのだそうだ。殆ど無試験に近い状態だとか。昔は自分のところの学部を出ていないとかなり狭き門の設定にしていて、特に私大から国公立の大学院への進学は難しかったが隔世の感がある。ただ無試験で入れてしまうというのはどうなんだろう。基礎学力がないままに進学してというのでは、大学院重点化の目的にかえって反することにもなりかねない。そして、これは私大の大学院を深刻な悩ませるようになっていて、旧帝大系の大学院に行けるとなれば、そっちのほうがブランドだし、進学後に苦労せずにどこかのポストにありつける可能性は高いし、学費は安いしと言うこと無いのだ。となると私大の大学院に進む人など、よほど殊勝な心がけの持ち主以外にはいなくなる。ぼくの出身大学院も難しい状態にあるようだ。ぼくのように、ゆっくり考える時間が欲しくて隠遁するように大学院に進学したような院生には、プロの研究者を育てるレールが敷かれていてせわしない国公立の大学院よりも、自分の裁量で時間の使い方を選べる場所の方がよかったのだが、確かにそれは特殊なケースだろう。
帰り道にローバーJAPANの工場に寄ってクルマの修理。このあいだ猪瀬直樹氏の取材に行ったとき、西麻布周辺はひどく混雑していてコイン駐車場の空きが見当たらず、僅かに空いていた路側の空間に無理矢理縦列駐車したら、ステアリングに無理がかかったのか、ハンドルを切ると盛大な音が出るようになってしまっていたのだ。ステアリングのガタを締め直すことでとりあえず音は出なくなったが、ラックピニオンの摩耗は結構進んでいるようだ。老骨にむち打って走っているクルマだからこれも仕方がないか。
家に一度帰ってから、妻の薬を取りに杏林大学病院近くの調剤薬局に出直し、その後、日本テレビの取材を受ける。明日早朝のニュース番組用のコメント。IP電話について。家で収録したがっていたが、それは断った。で、テレビ局側が吉祥寺のインターネットカフェと話をつけてくれ、そこで収録。わずか数言のコメントなのだが1時間強はかかった。なかなか自分の原稿にかかれない。なんとも忙しい文化の日だった。
明日の午前中、ICUで講演「戦争とジャーナリズム」。学園祭に出身の比較文化の大学院から招かれて。知っている人が来ると照れくさくてメロメロになるので、いつもと同じく直前告知です。
内容は『戦争報道』から。同盟通信とオーウェルとインターネットのところを掻い摘んで話す予定。無責任な比喩だけどアルバムが出る前にライブでやってみる感じでしょうか。そう言えばダークサイドオブザムーンが出る前にピンクフロイドが箱根アフロディテで演奏していた。そのときの演奏をライブに行っていた四人囃子が聞いてフルコピーして、フロイドのアルバム出る前に(つまり箱根で聞いていない人には何の曲かも分からない時期に)自分たちのライブで演奏していたという伝説もあるが、果たして初演奏のダークサイドはどんなもんだったのだろうか。シンセはちゃんと鳴っていたのだろうか。
こっちも語り初めなのでどうなるかは極めて不安。さっき原稿を用意していて、はて90分は原稿用紙何枚なんだろうと悩む。時間が余ったらどうしようという不安からいつも多めに用意して、最後にいっぱいいっぱいになって質疑応答の時間を飛ばすとか、もうこの種の前科は限りない。一番酷かったのは。話が長くなって会場の入ったビルが締まる時間になって、警備員に「皆さんすぐに退去して下さい」と言われて講師、観客とも蜘蛛の子を散らすように帰ったこともある。それもこれも自分の話し方が分当たり何ワードか分からないのだ。今、400字80枚なんだけどこれってもしかしてとんでもなく多いのでは?
呼んでくれた担当者は観客数予想として20−200名と言っていた。こんだけ幅広く取ればたいていの予想はあたるのだろうが、予想通りにならないところではぼくは自信がある。たぶん10名ぐらいじゃないかな。いや、それぐらいを正直期待してもいるのだが。
Jポップ批評でサザンの記事を一本書かなければならないので、昨日からバラードのベスト盤を聞いている。サザンのベスト盤は活動期の長いバンドらしく二枚組三セットになっている。一枚目が77−82年、二枚目が83−86年、三枚目が87−00年だ。
聞いていて最初のセットは思いで深い曲が多いのだが、二セット目は殆ど印象がない。77−82年はちょうと大学時代で、クルマとか乗り始めた頃でもあり、貸しレコード屋でサザンは借りてはテープに落としていたように思う。一応押さえておかないといけないアイテムだった印象がある。二セット目は、大学院時代でサザンどころじゃなくなっていたから印象が浅いのか。それだけでなく、この時期は不調だったんじゃないかな、バンドも(というか桑田も)。曲自体の力も一番弱い。で、三セット目になるとまた聴いた曲が多くなる。この時期にぼくはサザンのCDなど全然タッチしていない。聞いたのは主にTV経由だ。ドラマの主題歌への採用が多くなっている。ただ三セット目はカバー期間が前の二つより全然長いので、それだけヒット曲だけ選りすぐり集めているとも言える。
しかしーー、なんかサザンって書きにくい。テーマも思いつかなかったので、最初は執筆を辞退していたのだが、なんとなく書くことになってしまった。どうしよう。ユーミンほど時代性って感じもしないし、それがまさに「サザンの時代」の特性なのかな。もし『勝手にシンドバッド』で、いち早くJポップバンドとしての地位を確立していなければ(『歌謡ベストテン』が懐かしい。黒柳徹子と桑田の掛け合いはあの番組の初期の伝説だ)、その後の曲でメジャーになれただろうか。いとしのエリーも、あれがデビュー曲だったらシングルヒットしただろうかと思う。最初にいち早く繁殖して、後から入ってこようとする他の種を排除する動物のような感じ? 先行者利得?
強いて言えば、はじめてちゃんと聞き込んで、桑田のボーカルの旨さに改めて気付いたのは収穫だった。わざと節回しを変にしているので見逃しがちだが、高音まで奇麗に出せる喉なんだな。その意味で作曲家としての桑田の、枯渇しないで多彩な曲を書く能力だけでなく、表現力でも天性のものはあるのだと思う。でも繰り返しになるが、こんなに長く第一線で活躍できるほどの強度はさすがに感じない。声が良いったって井上陽水のような突出したものではないし。で、なんでサザンがビッグな存在になったのかと言えば、これまた繰り返しになるが、よくわからないのだ。どうしよう。締め切りまであと?日しかないというのに。
小熊英二『「民主」と「愛国」』新曜社を送っていただいた。
読むのはこれからだが、読まずに分かる歴然とした事実がある。この本、なんと966頁もあるのだ。小熊さんの場合、デビュー作といえる『単民族神話の起源』の時点でずいぶん厚い本だなぁと思ったが、それでも400頁台だった。そしてあの分厚く、内容も重かった二作目『日本人の境界』にしても800頁弱。で、今回は900頁超。本の外見の印象は変わらない感じなのだが、頁数はどんどん増えている。これは紙が薄くなっているのか。ちょっと不思議。
しかし今回の本が900頁超と言うことは『流行人類学クロニクル』は破られたということだ。ページ数なんか比較していてしょうがないが、王貞治の気持ちがすこし分かったりして(笑)。
小熊さんの仕事ぶりはぼくは信頼している。そしてその仕事が大きなボリュームの中でこそ生きるものであることも。その意味では、大きなスケールの本作りを実現させてきた新曜社の姿勢には頭が下がる。内容に相応しい形式を与えること。その実現のために収益構造を含め、全てを組織化することがメディア産業の使命だと思う。
しかし、これはなかなか出来ないことで、現状の収益構造を不可侵のデファクトスタンダードとみなして、その中で成立する形式まずありきの発想が根強い。そして不況の中で並の作りでは売れないので、ますますスキャンダリズムに染まって行く悪循環に落ちる。TVもそう、出版もそう。で、現在のマスメディア・システムが、そういう悪循環を宿命的に背負うものであるなら、マスメディアシステムではないところに、新しいメディアの可能性をみないといけないというのは、同じ新曜社から出ている『マスメディアの周焉、ジャーナリズムの革新』で著者の林香里さんが書いていたことだ。ぼくもそれを次に出す予定の『戦争報道』で引かせて貰った。
音楽ネタもうひとつ。最近、ある企業の新商品開発を手伝っていて、守秘義務契約があるので言えないのだが、都内の新しい高層ビルに出掛けた。で、いつもは多くの人が乗り合わせるエレベータに一人で乗って初めて気付いたんだけど、すごく低いボリュームで音楽が流れている。エレベータに乗っている間だの数十秒だけしか聞いていないので断言できないけど、メシアンじゃなかったかな。チェロとピアノの曲。「鳥の音楽」だっけか?
エレベータの中に何人も乗っていると、誰かが話しているわけでもなくても人間は衣擦れとか足音とか結構なノイズ源なので音楽に聞こえない。気付かない。逆に言えばそれくらいの音量だと言うことだ。そうした気付かれないほどの音量で無限に天上に昇って行くようなメシアンの曲?を流す(他には誰の作品が流れているのだろうか? でもよくあるリラクゼーション系のやすっぽい環境音楽ではなく、メシアンを選んだこと自体、なかなかセンスいいですね)「贅沢」さはぼくは悪くないと思った。中国人にはたぶんまだ出来ないだろう。日本の場合、そんなところで贅沢できるようになって、しかし、実際に個々人の生活は全然豊かになっていないところが問題なんだが。表層のゆとりが、言ってみればセゾン文化的って感じか?
10月後半のぼくが元気がなかったとしたら、その原因のひとつはこの映画だ。劇場ではみていなくて、ビデオで見たのだが、これは痛かった。正直、元気なくなるですよ。今の社会の息苦しさ(って形容で物足りないのは承知の上!)を改めて感じる。
劇場公開時に宮台真司が青山真治『ユリイカ』に続いて「脱社会的な子供をうまく描いている」と誉めていたが、個人的には岩井俊二はスワローテール、ラブレター、ピクニックも嫌いでなかったものの(ぼくが密かに作ったイタリア旅行中のドキュメンタリービデオのエンディングは、フィレンツェの駅のホームから走り出す列車の車窓に、私家版ゆえに無許諾で使っているスワローテイルのテーマのチャラ歌が重なるものだったりする)、本人へのインタビューの経験もあって、作風や岩井の感性の質のようなものはなんとなく分かっており、宮台評はぴんと来ない感じだった。
で、ずいぶん遅くなってから見たんだけど、先入観が裏切られた。見ていて辛い(非難するわけではなくて、映画に描かれた世界の痛々しさが辛いという意味で)。岩井はこんなの撮っちゃって次は大丈夫なんだろうか。見ていても辛いんだから撮る方はもっとしんどいように思う。しかしこの若さの寄る辺なさゆえのしんどさを描く力は、カンパニー松尾や青山のユリイカもそうだけど、日本映画の独壇場になってきた感がある。
さてさて、先gほどからこの痛さとか、辛さとか、しんどさとか、息苦しいとか、ずいぶん形容詞を浪費しているのは一言で旨く言えないからだが、ひしひしと映画から伝わってくるその重い圧迫感は、しかし、映画の登場人物と同世代は感じれるものなのか。ぼくや岩井や宮台が同世代ではないからこそ対象化できるのだろうか。人間の身体は実は痛みに充ちていて、しかし生まれてからずっとその痛みがあるので感じなくなっているという説を聞いたことがあるが、それに近いような状況があるのだろうか。よくわからない。14才の感想を聞いてみたい感じ。彼等の映画なのだから。
この映画は公開時に見ていなかったけど、小林武史のサントラ版は先に聞いていた。映像と一緒になって改めてなるほどと思う。サントラ版は小林の曲だけだけど、映画の中ではドビュッシーのピアノ曲が組合わされている。ドビュッシーを持ってきたのは岩井なのか、小林なのか。ドビュッシーなしにはあの映像はないように思うので、音楽と映画の関わり、映画的想像力がどう育まれるかを知るためにも、発案の経緯を知りたい。
核論は再校を戻す。これでぼくのこの本に関する作業は終わりだろう。5年間、核の問題と関わってきて、広島とか、ラオスのルアンパパンとか、ボローニアとか、バンコクとか、河口湖とか、パソコンもって出掛けたいろんな場所で、時間を作っては原稿を書いてきた。その時の景色とか、空気感とか改めて思い出したりする。やっと書けたといっても、ここまで書けなかった経緯のある本は、やりとげた爽快感とは無縁なのだと改めて知る。仕留められなかった問題の本質があって、その周囲をくるぐる回りながら何重にも書き直された文章は、自分のものではないようだ。時間をかけたんだから、もっとばさっと推敲できそうなものだが、核の問題の重層性がそれを拒む。ばさっと割り切れているの本はどこかに嘘があるのだと思う。しかしうそを付かないとこんなていたらくになって・・・・。しかし同じテーマで書けと言われて誰かがもっとうまく書けたとは思えない。その意味では自分が書かなければならなかったのだろうとは思うのだが。まぁ、あらゆる意味で思い出深い作品にはなるだろう。
中国に行こうと思ったが、パスポートの残り期限が足りなくてビザが取れないことが発覚。
もうおとといになるが、川崎和男さん取材の帰りの新幹線のぞみ。指定席の場所にゆくと、かつおか魚系の匂い。隣席には初老の女性が座っている。こういう感じの匂いをさせている女性は昔はバスなどに乗るともっと出会えたように思う。魚市場勤めとか、魚関係の加工業とか、魚屋さんとか。今はそういう仕事の人も気にするようになって、あまり匂いで仕事を想像することは出来なくなった。たとえば医療関係者も昔は分かったように思うけれど、クレゾールとか使わなくなったせいか、もうすっかり鼻が利かせられなくなった。
で、そのときは最初はなにか懐かしい感じがしたのだが、誤解だった。女性の足下にポリタンクがあって、そこにまさにだし汁が入っていたのだ。聞けば京都の料理屋さんで、東京の百貨店の催事コーナーに出展しているの。しかし今日使うはずだっただし汁の出来が悪くて、急遽、京都からだし汁を持って上京することになったらしい。「これぐらいじゃうどん10杯にのならないんですけどね」と言う。確かに女性の手で持てて、新幹線に持って乗れる量はそう多くない。それでも仲間からピンチの通報を受けて居ても立ってもいられずに出汁をもってタクシーに乗り、新幹線に乗り継いできてしまったのだとか。のぞみが走っているから駆けつけることも出来るという意味では文明の実現した行動様式なのだが、気心としては昔気質で粋に感じた。損得を考えれば他の方法もあったはずだ。
そのとき思ったのだが、アマゾンの配達だ。アマゾン、最近、遅くなってませんか? 在庫を減らしているのか、入手までに時間がかかる場合が増え、更に入手のメールが来てから配達されるまでも待たされることが多い。新規参入、立ち上がりの重要な時期には、もっと対応が素早かった。素早くできるように投資もした。しかし根付いてしまえば手を抜くというのは、計算高いIT企業らしいのかなと思ったりする。
昨日は雨。今日は打って変わって晴れた。『核論』の再校を持って街をうろついている。一年ぐらい前から公園で観衆をわかしていた手品の二人組は、久しぶりに見たら一人になっていた。仲間割れしたのかな。少し心配になる。いろいろあるのだろう。
少し見ないうちにカモも第一陣が飛来して数がぐんと増えていた。こうして冬が近づいて来る。
ジャナ専はここ一年ほど、ぼくがまずテキストを読みながら解説し、それについて学生に何か書いて貰うというスタイルで進めている。90分ヒトこま全部講義だとぼくにとっていい運動になるだけで学生さんは集中力が続かないみたいだし、ジャナ専の学生は曲がりなりにも表現指向が強く、聞いているだけより何か言いたい気持ちが急くようなので。
その「作品」はなかなかはっとさせられるものも入っていて、この前も、講義内容とはやや関係が薄いんだが、自分の普段考えていることとして「自分がやられたくないことを他人にもしてはいけないと大人は言うけど、ならば自分がやって欲しいことは他人にもしてはいいということにはなえらないわけで」と書いている子がいて、なるほどと思った。
いや、当たり前だと思うだろうが、思っていることとやっていることは案外距離があって、教育とか啓蒙とか説得とか伝道とか、実は多くのことが「自分がやって欲しい」という理由だけで「他人にそれをしてもいい」ことになっているのではないか。拉致生存者の永住要請もそれと似ているかな。
今日は名古屋まで川崎和男さんの取材で。川崎さんは同じ雑誌で仕事をすることもあったので話は聞いていたが直接会うのは初めて。NHKの「ようこそ先輩」に出ていたときに、とても厳しい人だという印象があったのでやや緊張したが、きさくに取材に応じてくれた。自分にも厳しいからきさくになれる人なのだと思った。
しかしこの前の断食道場の取材でもそうだったけど、モノ情報誌の取材(今回はグッズプレスだった)というのが気恥ずかしくなっている。モノを語ることを誇れなくなっているのは、ぼくが気弱になっているだけでなく、モノの在り方が揺らいでいるからでもある。差別化や受け草的な企画が商品を生み出すようになって久しく、正しい思想を感じさせるモノなどもはや皆無ではないか。内需伸び悩みも、株価低迷もやむなしと思ったりする。
「ようこそ先輩」はこの前は鷲田清一さんが出ていた。ぼくもいつの日かと夢を持って、あらためて何も教えることのない自分のからっぽぶりがいやになる。
石井さん、書き込みありがとう。今日の夕刊ですね。
新潮の記者会見は柳美里の希望を汲んだのではないでしょうか。
武田さん、こんにちは。
「石に泳ぐ魚」について拙稿が以下の要領で掲載されますのでお知らせ致します。
掲載日:10月24日(木曜)
媒体:東京新聞 夕刊 (中日新聞系列でも掲載されると思います)
タイトル:「プライバシーのありか」とは 柳美里『石に泳ぐ魚』訴訟を考える
柳美里氏と新潮社は、25日に記者会見を開く予定なのですが、その会見のお知らせが不可解なものなのです。FAXを送った者だけを受け入れる、受付でFAXを確認してから入場許可を出す、という内容でした。関係者から入手した情報なのですが、ここまで大きな社会的事件の渦中にある当事者が、ふつうの会見を開かない、という姿勢は疑問です。
当然、私は会見場に出られません。
『戦争報道』入稿。しばらくこればっかりだったので重い脱力感。ここ一年近く単行本のために雑誌の仕事もセーブし、新しい仕事は始めずに来たが、入稿したので体制を立て直そうと思えば出来る。夕方にオーラルヒストリー方法論研究会で野村進さんの話を聞いて、自分がノンフィクションからもずいぶんと離れてしまったことを改めて確認、もう一度取材の醍醐味を感じられる仕事をしたいとも思ったが、さて、どうなるか。一方で仕事の体制以前に生活の体制を立て直すべきという考えもあるので。
今年のもう一冊の本である『核論』の方は再校が出ているはずなのに出版社から連絡がないのは何故?
明日は駒ヶ根まで取材。宮崎学さん(きつね目ではなく写真家の方)に会いに行く。
下の続きだけどウラン濃縮施設を作っているということだが、どの程度のものなのかの情報が欠けている。実験室レベルなのか、軽水炉燃料程度の濃縮なのか、核兵器級の濃縮なのかで全然話が違ってくると思うのだが、それなしに北朝鮮外交の路線変更云々が取りざたされるのはとても危うい感じがする。「濃縮装置を買ってきた」という北朝鮮側コメントが一時、新聞に出たと記憶するが、核兵器級の濃縮施設は「買ってきて」出来るレベルではないはず。日本の軽水炉用濃縮施設だって既に相当大規模なものになっているのだから。
石原都知事の「都庁カジノ」のニュースに接して、私は思いました。日本の政治家で誰でもいいから、「パチンコにおける換金を合法化しよう」と言わないかと。時期が時期ですから。
でも、言うことには勇気がいることだと思います。アメリカの影が見えて。
北朝鮮が核開発を認めたというニュースにはひっかかる。プルトニウム生産炉を作っているというのが今までの疑惑だったはずだが、一転してウラン濃縮施設を持っていることになった。しかし北朝鮮の国力(濃縮用の強力な電力を負担できる経済力)で核兵器級のウラン濃縮が可能なのか。しかもウラン濃縮施設は巨大になるので、アメリカが今まで察知できなかったのかにも疑問を感じる。朝日の夕刊では元IAEAの方が同趣旨のコメントをしていたが、まったく同感だ。
何か詐術めいたものを感じる。アメリカまで巻き込んだかたちでの。ただ、もし事実に反するとしたら、核開発を証拠立てるために、なぜわざわざウラン濃縮施設と言い出したのかの説明が難しい。プルトニウム生産炉でもいいではないか。こうしたかたちでうそを付く理由が見当たらないと言うことはやはり事実なのか。プルトニウム原爆に必要な爆縮を実現できる技術力がないから爆弾製造においては容易いウランに頼ろうとしているのか。それでこれからウラン濃縮施設を作りたいという希望的な発言をアメリカが針小棒大に述べたのか。なぜ日本が拉致問題解決への進展に沸いている時期にケリー次官補会談の内情が出てきたのか(確かに表情の硬さは印象的だったが)。わからないことが多い。
ふと気付くとここ数日、誰とも声を出して話していない。他の方からは理解しかたいかもしれないけど、ぼくのような仕事ぶり、暮らしぶりだとそんなことも起きてしまうのだ。
仕事はしているし、編集者の人とのやりとりはあるのだが、連絡も入稿ももう100%メールだし。おおげさだが、そう気付いて改めて自分はまだ声が出るのか不安になったりする。まだまだ未熟なのでやはり孤独感はある。自分の生身が消えてテキストデータになってゆくような。だってテキストデータとしてしか社会的には存在していないのだから。むかし、自動的にチェットで対話する人工知能プログラムでイライザというのが話題になったことがあったが、いまのぼくならイライザでもまったく用が足りてしまう。せめて孤独感を昇華させて、出来のいいテキストデータになりたいとは思う。
明日は取材があるので久しぶりに人と声で話す。こんなことが楽しみになってしまうようではいけない。もう少し外向的な仕事ぶりにしないと。
前にSPA!の記事で校了後に動きがあって雑誌が出る頃には古くなってしまうと書いたのはひとつは株価のバブル以後最低記録更新で、8700円割れの時点で原稿を書いていたがもはや8200円台を割ってしまった。ただこれはある程度は予想していて、記事を書いた時点よりよくなるとは思っていなかった。慌てて株の持ち合い解消しているのかな。しかしこのままではせっかく国際標準を越していた自己資本率も減ってしまって、国有化のシナリオを本当に拒絶できるなくなるのではないだろうか。国が信頼できない以上、国有化も不安がある。
そしてもうひとつは拉致生存者の帰国要求に北朝鮮政府は応じないだろうと書いてしまったこと。これは発売日に帰国のニュースが流れるというみっともない結果になった。ただ、そう書いた論拠は読んで欲しいが、大枠としては「北朝鮮のような疑似家族主義的国家では、家族の分離は許容できない」「許容するとしたら他の家族のために彼らが犠牲となって故郷から引き離され、日本に連れ去られた!と納得できるだけのメリットがある場合のみ」と書いた。その直後、一時帰国が決まってしまったわけだが、論旨の後段は有効だと思う。もちろんまだ「一時」帰国なのだが、それでも何か補償の約束を日本政府は金正日に対してしているのではないか。まだ外に出ていないが。
しかし、だとすると、なにを約束しちゃったんだろう。たとえばKEDOを減速させているのが実はアメリカであるように、米中ともポスト金正日を見ようとしている中で、日本だけが金政権を延命させるようなことをしてしまったら国際的にはまずかろうが、そのへん、堪え性のある交渉をしたのだろうか。メディアだけでなく、政府も冷静さを失っていた感じだったからなぁ。小泉も支持率が気になっていただろうし。
久しぶりに家族対面はTVで見ていて本当に良かったと思うが、喜びが大きい分、一時帰国から帰るときもめそうな感じがする。世論も「帰すな」になるだろうし。どうなるんだろう、この問題はこの先。靖国よりもかなり厄介かも。
インドネシアのテロがアルカイダだとブッシュがいったとか。本当か。現地のジャーナリズムがしっかりしてない国は言われれっぱなしになっちゃうので困る。